付き合い方 7
テンは服を着て、僕はカップラーメンにお湯を注いで三分待ちながら。 リビングのテーブルで向かい合って座っていた。 テーブルの下には大きめのラグマットが敷いてある。 フローリングの上に直接座るのは冷たいから、という理由もあったけど買った一番の理由はテンのためだった。 フローリングばかりだと走る時に滑って、足に負担がかかるらしい。 だから爪を立てて走れる場所があれば少しは楽なんじゃないかって、そう思ったんだ。 (…飼い主馬鹿) 我ながらそう思ってしまう。 テンはにこにこと僕を眺めている。何が楽しいんだか。 目線は僕より少し高い、身長が随分違うからなんだろうけど座高はそんなにないみたいだ。 足が長いということだろう。なんかむっとしてしまう。 「なんでフェレットは胴長短足なのに、そんなに足長いんだよ」 「んなこと言われても、それは俺のせーじゃないし」 「何食べてそんなにデカくなったんだよ」 「肉」 即答だった。 そう言えばテンは何かと肉料理を食べていた。 「…もしかして、だから焼き肉屋でバイトしてるとか…」 テンはモデルと焼き肉屋という、共通点が見つからない二カ所でバイトをしている。 まさかな、と思ったけど、テンはあっけらかんと「あそこのビビンバマジ美味いから!食って速攻バイト決めたくらい!」と言ってくれた。 「そんな理由…」 「肉自体も美味いんだって!まかないで肉出るって聞いてから、ここで働くしかないって運命感じてさ!モデルだけでもやって行けたんだけど、美味いもん食える上に金稼げるトコもいいじゃん。こっから近かったし。今度亮平も食いに来いよ、奢るから!」 「気が向いたら…」 焼き肉屋に運命ってなんだ。 勢いのまま、ノリのまんま、そのまんま、人生万歳って感じで何よりだ。 だけど聞いてる側としては脱力してしまう。 三分経ったラーメンの蓋をぴりぴりと開けて、僕は箸を突っ込んだ。感触からしてちょっと麺が堅いけどまあいっか。 「そういう亮平はらーめん好きだよなぁ」 「んー」 ずるずると吸い上げながら食べていると、じーっとテンが僕を見てくる。 「…食べたいの?」 ちらっと上目で聞くと手を振った。 いらないなら、と思って気兼ねなく食べるが、それでもテンは黙って眺め続けている。 無視すればいいか。そう思っていたんだけど半分くらいまで食べたところで、気になって仕方なかった。 「そんなに見なくてもいいだろ」 「いいじゃん見てたって。俺がフェレットの時、飯食ってるのずっと眺めてるじゃん」 「それは、そうだけど。テンがフード食べてるのってなんか眺めたくなるんだよ」 カリカリってフードを噛み砕いている時のテンは、何とも言えない表情をしている。 美味いと目を細めているのか、堅いとご不満なのかよく分からない。 でも鋭い牙を見え隠れさせながら、ぺろりと舌で口周りを舐める仕草は「お腹一杯」と言っているようで可愛い。 「嫌なら止めるけど」 「いいよ。亮平優しい顔してるから。それ見るの俺も好きだし」 そう言うテンのほうが、ずっと優しい表情で僕を見ていた。 ふわりと口元がほころんでいて、頬杖をつきながら何処か嬉しそうにしている。 僕もこんな表情をしていたんだろうか。 慈しむような目で。 「…テンは、よく好きって言うけど、それって…さ。どういうもん?」 正直それがどういうものか僕には分からない。 ペットが飼い主に向ける、親愛みたいなもんなんだろうけど。 それにしては、激しいような気がするし。 「最初は飼い主として好きだったんだけどさ。初めて見た時は、俺のこと大切にしてくれそーな人だし、見た目好みだしって思って」 「見た目好みって!」 美人のお姉さんたちに言うならまだしも、なんでこんな二十五にもなった男捕まえてそんなことを言うんだ!? 「普通に見たら、あんま印象ない人なんだけど。必死になってる姿がなんか可愛かったし。フェレットになってみたら、初対面の時から俺にどっぷりハマってて、目やら顔やらならまだ分かるんだけど、全身で好き〜って言ってくれるからさー、俺のほうが「よしよし、可愛い可愛い」って気分になっちゃって」 「そんな気持ちだったのか、あの時!」 足下に寄って来ては僕を見上げるフェレットは、愛らしい姿できょとんと見てきて、初めて会ったのに警戒しないな。懐いてくれそうだな。って安心してたのに。 よしよし、可愛い可愛いって…。 (あんな小さなフェレットに、そんな扱い受けてたのか…僕) ショックだ…。 「そうそう。きっと亮平の方が俺より先に好きになってたんじゃね?俺のこと。俺も気に入ってはいたけど、亮平みたいに一目惚れ、フォーリンラブってほどじゃなかった、はず」 まぁ、あくまでもはず。と言いながらテンはにやにや笑う。 「僕が好きになったのはフェレットのテン!」 箸でぴしぃとテンを指しながら強調する。 まるで初めから僕が、人間のテンを好きになったみたいな言い方は止めて欲しい。 僕は、どがつくほどノーマルな人間なんだから。 どノーマル。女としか付き合ったことない。付き合おうとも思わない。 この状況で主張しても、あんまり効果ない気がするけど。 「分かってるよ、亮平が好きなのはフェレットだって。でもさー、毎日毎日あんな嬉しそうに世話やかれて、甘い声で幸せそーに抱かれたら、俺だってどうしようもなく好きになるって。飼い主として好きだってのはもちろん、人間としても好きになるし、抱きたいとか思うようになるって、啼かせたいとかさー、喘がせたいとか」 「思うわけないだろ!?」 「だってすげー可愛い顔してんの自覚ないだろ?そんじょそこらの女が子犬とか抱いて「きゃーかわいー」なんて騒いでるのとわけが違うって!自分の全て捧げてもいいくらい好きなんですっていう顔してんだよ!!古い言い方したらメロメロだよ!ぞっこんらぶって顔してんの!」 「古い言い方だなホントに!自分の全て捧げるなんて、そこまで、思ってなかったとは断言出来ないけど!かなりの飼い主馬鹿だって自覚はあるけど!いくらなんでもそんな解釈はないだろ!?」 考えが邪過ぎるんだよ!と指摘するとテンは真顔で頷いた。 「だって俺男だし。頭ん中エロいの普通じゃん。そんな顔するくらいだから、食ってもいいかなぁって思うの、自然じゃん」 「全然自然じゃない!!」 突き抜けた思考に、僕は涙目でバンっとテーブルを叩いた。 ぴちゃんとらーめんの表面が揺れる。 「と、まあ。この辺は冗談半分で」 「半分本気なのか」 「人間に戻った頃には亮平がすっげー好きになってて、構ってくれ構ってくれってうるさくしちゃったわけ」 人の話聞いてるのか。と言いたくなるくらいテンは喋り続ける。 このペースがテンなんだろう。と諦めが生まれてきた。 「それで、僕を襲うまでになったってこと?」 「なし崩しみたいになったのは、ごめん。ヤった後亮平が怒ってるから、良くないことしたんだなって分かるんだけど。抑えきかなくてさ。亮平は飼い主として俺を構ってくれてる、フェレットになる奴だから好きでいてくれるんだってのはちゃんと分かってたつもりなんだけど。若いからさ」 「若さのせいにするな。我慢出来ない子どもなだけだろ」 「ごめん」 反省してなかったってわけじゃないらしい。 ただ我慢がきかないってのは、やっぱり駄目だと思うんだけど。 僕の言うこと無視して、自分のやりたい放題したかったわけじゃないということを知っただけでも、気持ちは軽くなる。 最初から、こうして話をしたかった。 「でも、良かった。嫌いになられたって思った。もう人間の俺とは顔会わせたくないんだって」 「…それ、僕も思ってたんだけど」 「勘違いってか、擦れ違いってか。俺が勝手に甘えて、逃げ出しただけなんだけど」 「そうだよ、甘えてるよテンは」 心配かけて。と僕は怒ったように言いながら、らーめんの残りをすする。 なんかくすぐったい。こうしてちゃんと話をするのが。 本当なら、同居してすぐにすれば良かったんだけど。 「でも亮平は俺を甘やかしてくれるんだ」 「もうこれ以上は無理」 「とか言いながら、また甘やかしてくれるよ。今だって甘やかしてるじゃん。普通出て行けー!とか言うもんじゃん。それなのにさ、ホント亮平好き」 突然好きと、しかも熱がこもったようなに言われてらーめんを吹き出しかけた。 それって告白じゃないか! さっきまで連呼していたのと、ちょっと重みが違う。 戸惑いながら、ちらりとテンを見ると目があった。 にっこり笑いながら、ずいと身体を乗り出してくる。 「俺の何処が好きなの、亮平は」 「は」 「だって好きじゃないと、人間に戻らないからってパニックになったりしないだろ?フェレットのほうが色々都合いいだろーし。襲われないし、うるさくないし」 「それはそうだけど」 「あんなに凹むくらい俺のこと好きなんじゃん。何処が?何が?」 にこにことテンは上機嫌だ。 子どもみたいに「ねぇねぇねぇ」と言うような顔だ。 そんなにせっつかれても、僕は言葉に詰まる。 「……フェレットみたいなトコ」 「なんだよそれー。人が構ってくれってしつこくまとわりついたら「ウザイ!」って怒るくせに。テンション高かったら「落ち着け!」って言うし」 「なんか人間でやられると、むかってする時があるんだよ」 「それなのに、フェレットみたいなトコがいいのかよー」 「……うん」 僕は渋々頷く。 フェレットみたいなところが厄介で悩みどころなんだけど、でも一番テンらしいところだ。 一緒にいると落ち込んでいられない、小さなことに捕らわれてられなくなる。 あー、もうとりあえずいいや!って笑える。 きっとテンが前に向かって突っ走っている奴だから、つられるんだろう。 「初めはフェレットとして出逢ったわけだろ?だから、フェレットっぽいところ見るとほっとするし…それに、まだ君のことよく分からないから。そういうトコ見るとフェレットと同じ付き合い方でいいのかなって」 「だからいいって言ってんじゃん。俺フェレットなんだし。もう一ヶ月半一緒に暮らしてんのに今更どうしていいか分からないなんて言うなよ。なんか寂しい。俺だけいい気になってるみたいでやだ」 「そうは言うけどフェレットと全部同じってわけにいかないだろ」 「なら、人間らしいトコ見せようか?」 テンはすくっと立ち上がった。 長身なので、僕はかなりの高さを見上げることになる。 何かするんだろうかと思ったけど、テンはテーブルを回って、僕のすぐ隣にまた座り込んだ。 息がかかるくらいの距離で、テンが微笑む。 嬉しいよ。そう囁くみたいだった。 「テン?」 何?と尋ねる前に、唇が僕の口を塞いだ。 唖然とする僕の唇を舐めると、テンは僕の顎を掴んだ。 「んぐ…」 顎を引かれ、うっすら開いた唇から舌が入れられる。 苦しげな声を出してしまったけど、実際はぬるりとしたあたたかなものに口の中を撫でられ妙な感じだった。 (これが人間らしさか!?) 確かにフェレットじゃこんなキスはしない。せいぜい唇を舐めるくらいだ。 だからってこんな方法で証明しなくてもいいだろ! 上顎をなぞる舌先に、指先が少し震えた。 やばい!危険信号が頭の奥で光った。 「っん!!」 テンの肩を叩いて止めるように促す。だけどテンは舌を更に奥へと入れてきた。 こうなったら僕の制止を聞いてくれない。経験済みなのが悲しいところだ。 「んんっ!」 テン!と怒鳴ろうと頑張るけど、舌のせいでちゃんと言えない。 肩を叩いていた手をばんばんから、ばしばし、ごんごん、と強めていってようやくテンが唇を離してくれた。 「ぃったいんだけど…」 肩をさすりながら文句を言うテンの頭をぱしぃとはたく。 「これが人間らしいトコか!この馬鹿テン!」 「人間の本能的なトコじゃん」 「真顔で言うな!こんなトコで僕はおまえの人間らしさを知らなきゃいけないのか!もっと他にあるだろ!」 「他って?」 間近でそう言われ、僕は視線を斜め上に泳がせた。 他、何か聞かなきゃと思っていたことがあったような。 「…名前…とか」 僕はテンの人間としての名前を知らない。 それはずっと引っかかっていたことだった。 テンは、僕が付けた名前が気に入っているからこれでいいって言うけど。でもちゃんと本名を知っていてもいいと思う。 名前は、その人の一面みたいな、気がするから。 「一回も教えてもらってないんだけど。なんか言いたくない理由とかあるのか?」 「言ってもいいんだけどさ。一つ約束して欲しい」 テンは真面目な顔を見せた。 重要なことなんだろう。僕はキスされて動揺した気持ちを落ち着けた。 「何?」 「亮平は、俺のことテンって呼んで」 「今までみたいに?」 「そう、今と同じように」 「なんで?」 どうしてそこまでこだわるんだろう。 テンって名前がそんなに特別いいものだとは思えないんだけどな…。付けた僕が言うのもなんだけど。 ぽんっと浮かんだ、直感で付けたやつだし。 「だって、亮平が俺にくれた名前じゃん。なんか野生動物でそんなのいた気がするけど〜。しかもいたちの名前かなんかじゃなかったっけ?」 テンは真面目な顔を崩して、にやにや笑う。 僕は「あ」と言う口の形で固まった。そうだ、いたいたそういう動物。オレンジ色したいたちに似てる生き物だ。山に住んでいて、なかなかお目にかかれない。 (そっか、あれから取ってきたんだ…って、安直だな僕!) 言われるまで気が付かなかったということに、テンは驚きらしい。ぷっと吹き出しては抑えられないというように苦しげに笑う。 「無意識、かよっ。あはは、もー、亮平最高!時々すげー天然ボケだよな!普通気が付くって!俺なんか、なんだこの人ペットに他の動物の名前付けるか?とか思ったのに!!」 「うるっさいな!いいだろ!気に入ってるんじゃないのかよ!」 「気に入ってるよ。うん、大好き。フェレットの俺に亮平が付けてくれた名前だもん。だからさ、それで呼んでくれよ。他の奴らだったペットの名前で呼ばれてるだろ?」 「そうなんだ」 「豆吉とか有り得ねーじゃん!!チエちゃんはまだ分かるよ!ルディもなんかハーフっぽいし。でも豆吉って名前付ける親とかすごくない!?」 「そんなこと連呼してたら鹿野さんに怒られるぞ」 「怒らないよたぶん。だって名前の付け方が亮平並だもん。言ったらおもしろくないから言わないけど」 「気になるから教えろよ」 「鹿野さんに聞いた方が面白いって。あのクールさで言われると吹くから。まぁ、それは置いといてさ。みんな付けてもらった名前で呼ばれてんの。それくらい付けてもらった名前が好きだし、本名なんか他の奴らが呼んでくれるじゃん。でもテンって名前は亮平と、ここに住んでる人しか呼んでくれない。だからさ、亮平は俺のことテンって呼んで。フェレットになれること知ってるよって、言ってくれてるみたいだから」 あぁ、怖いのかな。 自分が、フェレットになれること。それを知られて、気持ち悪がられたり、怖がられたりすること。 だからこんなにも、受け入れられることや認められることを欲しがってるのかな。 テンっていう名前一つで、君は嬉しくなったり、ほっとしたりするのかな。 僕はフェレットになれる君を知ってて、それでも拒絶しないから。 それを感じて幸せだと思ってくれるかな。 「分かったよ、テン」 テン。僕が付けた名前。 その場で、いきなり付けた名前。でも君は大切にしてくれる。 「ありがと、亮平」 微笑むテンは、子どもっぽさを残していた。キラキラ光るみたいな笑顔に僕もつられて笑ってしまう。 その名前が、僕とテンを繋いでくれた。 なんだかそんな気がした。 まだ手探りで、全然よく分からない相手だけど。 その二文字の響きが、不安定な気持ちに太い柱を入れてくれたようだった。 next |