付き合い方 4
会社近くの定食屋は安くて美味い。 そうなるとお昼時は混むのが必然だけど、ちょっと横道に入った分かりにくいところにある。 だから息苦しいほど人がいるってことはない。 年代を感じさせる椅子に座ってうどんをすすっていると、隣の席に誰かが腰を下ろした。 「今日はうどんか」 ちらっと僕の食べている物を見てくる。 とんかつ定食とともにやってきたのは、同じ会社に勤める同僚だ。 とは言っても部門は違うんだけど。そんなに大きくない会社だから、同期というだけで入ってきた時から親しくしてる。 この穴場的な定食屋を教えてくれたのも、この中口だ。 何やら溜息をついては割り箸を割ったので、僕はうどんから目を上げた。 飄々としている中口がこんなに重々しく溜息をつくなんて、考えられる理由は二つ。 付き合っている彼女と別れたか、新製品が上手くいってないか。 この前同棲することになった。と幸せそうに言っていたので(とは言っても、同棲してから別れた女の人は僕が知っているだけですでに三人いるけど)たぶん仕事のほうだろう。 「行き詰まった?」 「どん詰まりが見えた」 御飯にぐさっと箸を指し、中口は鞄から何かを取り出した。 「これなんだが」 定食屋の素っ気ないクリーム色のテーブルに乗せられたのは、小さな黒猫のぬいぐるみだった。 落書きみたいに書かれた、平面の目は大きいがかなりつり上がっている。口も大きく開かれて牙があった。 正直に言うと、凶悪な顔だ。 「これがなぁ、駄目だって言われてなぁ」 「そりゃ…まぁ…」 僕だったら手に取らない部類だ。 よく見ると血糊めいたものが口の端についている。 「これは…何が売りなんだ?」 箸で指すと中口は「こういうちょっと怖いのが、若い子は好きなんだって」と真顔で言った。 流行などには疎いので「へー」と気のない返事をするけど、本当なんだろうか。 今度チエちゃんにでも聞いてみようか。女の子だし、ぬいぐるみとか好きそうだ。 「でもイマイチこう…足りないんだよな」 個人的には足りないというより、あり過ぎだと思うんだけど。特に血糊。 あげを囓りながら、口に広がる甘さを飲み込む。 どうも、ぬいぐるみは僕を睨み付けている気がしてならない。 こんなの部屋にあったら嫌だ。 「どうやったら可愛くなると思う?おまえ可愛いの好きだろ?」 「可愛さ目指してたのかよ!」 「そうだよ。見りゃ分かるだろ?ちょっと怖い、でも可愛いってのが欲しいんだよ」 何処にも可愛さがありませんが。 僕がこいつと一緒に仕事してたら真っ先にそう言っただろう。 だが勤め先は同じでも、内容は違う。 へー…。とまた気のない答えを口にした。 「元気ないな。可愛いもん好きの意見を聞かせろよ」 中口は元気ないな。と言うくせに意見を求めてくる。よっぽどこのぬいぐるみが気になるんだろうか。 「別に可愛いもんが好きなわけじゃ」 なんかその言い方をされると女の子みたいだ。 「好きだろ。猫とか犬とか、無類のペット好きなんだから」 「動物好きなのは認めるが、可愛いもんだったら何でもいいってわけじゃ」 「少なくとも動物も好きじゃなければ、可愛いもんとも縁がない俺よりマシだ」 「…なんか、おまえ仕事間違ってないか?」 「そんなことはいいから。どうだよ。動物好きとしてこの猫は」 「猫ねぇ…」 実家で飼っていた三匹の猫を思い出す。比べ物にならないくらい可愛いのは、言うまでもない。 大体猫の可愛い部分はアーモンドの形をした大きな目と、自由気儘に動く尻尾、ふにふの肉球とかだ。 このぬいぐるみにはそれが一つもない。 「一回真面目に猫の観察でもしてみたらどうだ?」 「俺にんな暇があるかよ。おまえみたいに毎週ポチ○ま見てるわけじゃないんだよ」 「毎週見られるわけないだろ」 僕だってそんなに暇じゃない。真面目に仕事はしてるんだから。 ずるずるとうどんを再びすすっていると、中口はとんかつを箸で摘んだまま鋭いをことを言った。 「七時に帰宅出来たら見てるんだろ」 こいつ、僕の生活の何を把握してるって言うんだろ…。 「うるっさいな。いいだろ。テレビで癒されるんだから」 「ペット番組見て癒される二十五ってどうよ」 「ほっとけよ」 ちょっとぐさっときた。 彼女に癒されるならともかく、ペット番組に癒されるっていうのは空しいかも知れない。 けど見てると癒されるのは事実だから仕方ないじゃないか。彼女もいないし。 ペットを飼っている人間なら、ペット番組はついつい見てしまうものだ。 「そんなこと言ってると、アドバイスしてやらないからな」 「すんません」 中口は呆気なく手を合わせて謝ってきた。 「一切れやるから」 とんかつの一番端を僕のうどんにぽちゃん、とつける。 全然嬉しくない。表面に油は浮くし、とんかつはびちゃびちゃ。嫌がらせじゃないか、これ。 僕はひょいととんかつをすくい上げて、中口の皿に戻した。こんなのいらない。 「あ、なんだよ。人の好意を」 「こんなとんかつ食えないっての。それよりこの猫、いっそ猫じゃなくて、胴体をうにょーんと伸ばして」 「あ、胴長?」 うどんだしにひたされたとんかつを、中口は平気でぱくりと食べた。不味くないんだろうか。 「しかも短足。で、しっぽも細長くして、耳を半月の形にすれば?」 「それダックスフントじゃないよな?何だ?」 「いたち」 即答する僕に、中口は怪訝そうな顔をした。 「なんでいたち…。流行ってんのか?」 「流行ってはないと思うけど」 「いたちなんて可愛いのか?」 中口には分からないらしい。眉を寄せて、何だそれ。と言わんばかりだ。 「あ、そっか。おまえいたち飼ってるんだっけ?」 「フェレット」 中口には、僕がフェレットを飼っていると話している。どんな生き物だって言われて「いたちみたい」と答えたのを覚えていたらしい。 全然フェレットを知らない人に、どんな生き物なのかって聞かれるとなかなか説明し辛いところがある。 だからついつい「いたち」っていう単語を使ってしまう。見た目はそれで十分想像が付くからだ。 「可愛い?」 「すっげー可愛い。胴の長さと足も短さがたまらなく」 「間抜けなだけじゃないのか?」 「その間抜けっぽいところが可愛いんだよ」 短い足で忙しなく走る、あのちょっと不格好なところが見てて微笑ましい。 持ち上げると、だらーんと伸びる長い胴も。 脱力系可愛さというか。 「わからん」 ペットを飼ったことのなか中口には分からない話らしい。 お手上げと言うように首を振る。 ペットなんて、飼ってみて初めてその可愛さとか大切さが分かるもんだからなぁ。 僕は生まれた時から猫や犬に囲まれていたから、ペットっていう存在のありがたさっていうのは身体に染み込んでる。 言葉が通じなくても、ペットは人間の感情とか察知してくれる。 悲しい時は寄ってきて慰めてくれるし、楽しい時は一緒に喜んでくれるし。 側にいてくれるだけで、支えられてる。 人間同士じゃなくても、ちゃんと繋がってる絆ってあるんだなぁ。って思う瞬間がいくつもある。 (……でも、僕とテンは繋がってない) 箸を動かす手を止めて、僕は溜息をついた。 テンが人間に戻らなくなって、四日目だ。 理由が分からない。 拗ねているのか、怒っているのか、最初はそう思ってた。でもフェレットのテンは機嫌良く僕にじゃれついてくるし、餌もちゃんと食べて体調が悪いようにも見えない。 まるで、ただのフェレットみたいだ。 約一ヶ月前の生活に、完璧に戻っていた。テンが人間になれるってことを知らない頃の生活に。 どうしたんだよ。とフェレットのテンに問い掛けても、人間に戻ることはなかった。 人間のテンと暮らしたのはたった二週間、だけどフェレットの姿しか見せないテンが不安になってきた。 あの時怒ったのが嫌だったのかな。それとも話をちゃんと聞いてなかったのが腹立ったのか。僕との暮らし自体に飽きたとか。 人間って立場だと、僕が嫌いになったとか。でもフェレットの飼い主としてまだマシだから家出するほどでもなく、人間に戻らないまま生活してるとか。 (分からない…) どうしてだろう。そんな疑問と不安ばかり頭をぐるぐる駆け回る。 「疲れてんのか?」 僕が溜息ばかりつくのか気になったんだろう。中口がみそ汁をすすりながら尋ねてきた。 「疲れてるわけじゃないけど」 「じゃあ、心配事か?」 「んー…」 ペットを飼ったことも、好きでもない中口に言うのもなぁ。と思った。 だけど、もう考えても糸口が見つからなくて誰かに聞いて欲しくなった。 「飼ってるフェレットが…なんか変なんだ」 「変って、どう」 どう。と聞かれて僕は言葉に詰まった。 人間に戻らない。なんて言おうものなら「医者行ったほうがいいんじゃないか?」と中口に返って心配されそうだ。 何て言えばいいのかな。 「よそよそしいって言うか…」 迷ったあげく、内容が合っているような合ってないようなことを言ってみた。フェレットにかっなり似合わない言葉だ。よそよそしいなんて。 人見知りはしないし、人の都合お構いなし、人間とフェレットの間にだって壁なんかありませーん。って感じの生き物なのに。 「よそよそしいって。どっか悪いんじゃねーの?」 「体調は普通なんだよ。食欲もあるし、身体にもおかしい箇所があると思えないし」 「んじゃ拗ねてるとか。犬とかって飼い主が他の犬を構うと嫉妬するんだろ?」 「他の人構ったりしてないけどなぁ…むしろテンがあんまり構って構って言うから、それを防ぐのに体力使って、他に回す余力なんて全然」 会社から寄り道せずに帰宅するし。帰ったらテンが構って!って長身でじゃれてくるから、それに対抗するのに体力の全てを奪われてる。 ベッドに入る頃には疲労がピークだ。 今週の初めに喧嘩した時だってチエちゃんと帰り道は一緒だったけど、帰宅した僕を迎えてくれたテンはご機嫌だった。 その後叱ったけど、でも以前もそんなことあったし。次の日にはけろっとしてるはずなんだけど。 (なんか…酷いこと言ったかな…。でもすごく傷付いたなら家出するだろうし) 人間にはなりたくない。でもフェレットとしては一緒にいたい。 そんな理由って何? 「拗ねてんじゃないなら。やっぱり身体のどっかおかしいんじゃないか?おまえが分からないだけで、内蔵とか壊してるかもよ?一回獣医に連れてけば?」 「身体のどっか、おかしいのかな…」 そう呟いて、僕は頭の先からさぁーと冷たい水をかけられた気持ちになった。 人間に戻らないんじゃなくて、戻れないとしたら? 頑張っても、人間に戻れないから仕方なく毎日フェレットの姿で過ごしているとしたら。 そうしたら説明がつかないだろうか。 (…もう、四日目だ…) こんなことに気が付かなかったなんて。 飼い主としても、同居人としても失格だ。 (なんでもっと早く気が付かなかったんだ!) 心臓が早鐘を打ってる。どうしよう。もしそうだとしたら。 テンの身体に何かしらの異変が起こって、人間に戻れずに困っているとしたら。 「明日にでも獣医行ってみたらどうだ?」 「今夜深夜の救急にでも、かけこもうかな…。俺早退したら怒られるかな?」 「ペットがよそよそしいくらいで、そこまでするかぁ?んな深刻そーな顔して」 大袈裟な。と中口は言うけど、僕にしてみればもう仕事をする気分じゃなかった。 今すぐテンに会いに行きたい。本当に人間になれないとしたら、マンションの人達に聞いてみよう。 あの人たちにしか相談出来ないし。みんなペットになれる人間、そしてその人と同居してる普通の人たちだから、何か知ってたら教えてくれるはずだ。 (どうしよう…) 良くない方向にばかり思考が行ってしまう。 苦しいくらいの不安が、どんどん膨らんでいく。 「今日帰ったら治ってるかも知れないだろ。いいからさっさとうどん食えよ。気にしすぎだ。ペットがちょっとおかしいくらいで、んなに動揺すんなよ」 「動揺したくもなる」 相手はペットって言うより同居人なんだから。 戸籍も家族もある一人の人間なんだから。 「そんな大切なもんか?」 僕はその問い掛けに力強く頷いた。 もう、テンは生活の一部、自分の欠片みたいなものだ。 毎日元気に、幸せでいて欲しい。 (何が出来るだろう) 今のテンに僕は何が出来るだろう。 もし、人間に戻れないとしたらどうすればいいんだろう。 部屋のドアを開ければ「おかえりー」と笑顔でテンが抱き付いてくれる。 高い身長で、僕を抱え込むみたいにしてはしゃいでくれる。 そう願った。 next |