付き合い方 3



 寝返りをうつと、くにゃんとしたものが足に当たった。
 数ヶ月前なら気にしなかっただろう。だが今はすぐに目を開けた。
 つんつんと足先で感触を確認した。あったかくて柔らかい。
 間違いない、テンだ。
 しかもフェレットの姿をした。
 いつの間にベッドに入ってきたんだろう。
 昨日は人間の姿をしていて怒ったから、今日はフェレットで入ってきたんだろうか。
 そこまでして一緒に寝たいのか。変な奴。
 僕がごろごろ暴れるみたいに寝返りうったら、潰してしまうかも知れないのに。怖くないんだろうか。
 枕元に置いた目覚まし時計を見ると、起床時間まで後五分だった。
 眠気がまとわりついてくるけど、もう起きよう。
 テンを起こさないように、そっとベッドから抜け出す。
(気まずかったんじゃないのかよ…)
 昨夜は喧嘩して、そのまま顔を合わせずに寝たのだ。
 重苦しい空気が今朝から流れるだろうと思っていただけに、テンの行動には拍子抜けした。
(こういう奴だよなぁ…)
 またハイテンションで絡んでくるんだろうな。
 反省していることを期待せず、食事を取っていつものように仕事に行く準備をした。
 きちんとスーツに身を包むと、自分の部屋に戻って毛布をめくる。
「テン、仕事行ってくるよ」
 フェレットは腹を出して、くの字に曲がりながら熟睡している。
 なんとも暢気な寝相だ。腹なんて急所なんじゃないんだろうか。こんなに見せびらかしていいのかな。
「テン。ほっていくよ?」
 腹をつつくとうっすらとテンが目を開ける。
 葡萄色の瞳が眠そうにこちらを見上げてきた。
 一つ大きなあくびをすると、ようやく四つ足をベットにつけて僕に擦り寄ってきた。
「戻らないの?」
 いつもなら目覚めるとすぐに毛布の中に潜り込んで人間に戻る。やっぱりコミュニケーションは言葉使わないと。とよく喋るテンは言っているんだけど、今日はこのままでいたい気分なんだろうか。
 両手で脇の下をすくい上げるようにして、テンを持ち上げる。
 だらーんと伸びた長い胴。いつ見ても手足の短さと比べると笑えるくらいバランスがおかしい。
 フェレットのテンに触れるのは三日ぶりくらいだ。くるんと丸い目が僕をじーっと見てる。
 可愛いなぁ。こうしてると顔が緩む。半月形の耳を摘みたいけど、やるとすごく嫌がられる。この嫌がる素振りがまた愛らしいんだけど。
 …こんなこと思っている時点で僕はかなりの飼い主馬鹿なんだろうな。
「フェレットのまんまがいいの?僕、もう行くけど」
 テンはまたあくびをした。
 暴れないところを見ると、人間に戻る気はないらしい。
 こっちの姿でいたくなる時もあるんだな。
 僕はテンを下ろして、鞄を手に持った。もう時間だ。
 玄関に向かうとテンが短い足を忙しなく動かしてついてくる。
「テン、今日ずっとこのまま?フェレットでいるなら、ゲージに入れたほうがいい?」
 万が一床に落ちている物でも誤飲してしまったら。テンは元々は人間だから、ある程度危機管理能力が優れているとはいえ、何かあってからじゃ遅い。
 靴を履こうとしていたところだったけど、僕は改めて部屋の中、特に床を見回った。
 ゲージに入れてしまえば安心なんだけど、そうするとテンが人間に戻りたいと思った時に困る。ゲージの中で人間になろうものなら、あまりの狭さに身体が潰れてしまうだろう。
 一八五くらいの身長がある男だし。
「お腹空いたら、冷凍庫にラーメンあるから。この前勧めてたやつ。それとも、ずっとフェレットならフード入れておこうか?」
 僕の好きな冷凍ラーメンがあるんだけど、テンがこのままでいるならフェレット用の餌が必要だ。耐えられないような空腹になれば、人間に戻ってなんとでもするだろうけど。
 迷うくらいならやってしまおう。その方が安心だし。ということで餌と水をゲージにセットした。
 テンが人間になるって分かった時から一度も使っていないゲージだ。
 平穏なあの日々が懐かしい。
(何も知らなかった幸せ。だなぁ…)
 はぁ、と溜息をついて僕は玄関のドアに手をかけた。
「それじゃ」
 テンはフローリングの廊下にちょこんと立って僕を見ていた。
 僕からしてみれば二歩ほどの距離。じっと見つめてくる瞳が何か言いたげで、ドアを開けるのをためらった。
 行かないで。そう言われている気がして、無言で見つめ合った。
 フェレットなのにゲージじゃなくて、こんなところに置いて行くのは初めてのことだった。
(もう、行かなきゃいけない…)
 それでも引き留められている感覚は薄れない。
「いってらっしゃい」人間のテンなら笑顔で送り出してくれた。今朝はずっと静か過ぎて、耳が不思議がってる。
「…いってきます」
 答える声がないと分かっているのに、僕はそう言ってドアから足を踏み出した。


 なんとなく出掛ける時に見たテンの目が気になって、仕事から帰る歩調が早くなった。
(心配したって、きっと帰ったら人間になってるだろ。たぶん)
 朝は気紛れでフェレットのままだったんだろう。
 ハイテンションで抱き付かれる覚悟をしながら、家のドアを開けるとそこからは耳に痛いくらいの静けさが漂っていた。
「テン…?」
 物音一つなくて、僕は急かされるみたいに靴を脱いだ。
 電気をつけても見えるのは誰もいない空間。
 リビングに置いているゲージのハンモックはぺしゃんこだ。中にテンはいない。
 なら部屋で寝ているんだろうか、そう思ってテンの部屋を覗いてもいなかった。
 出掛けたんだろうか。だけど靴はちゃんと玄関にあった。
「どこに」
 そこでふと思いついて、僕は自室に向かった。
 朝起きた時と、毛布の位置は変わっていない。だけどそっと毛布の端を持ち上げると白い尻尾がちょこっと見えた。
「おまえなぁ〜」
 安心して力が抜けた。鞄をその場に置き、僕はベットに上がった。
 そおーっと毛布を少しずつ取り上げると丸くなって気持ちよさそうに寝ているフェレットの姿が出てきた。
「なんだよ、満足そうにして。僕なんか今さっきまで仕事してたんだぞ」
 尻尾を引っ張ってもテンは起きない。尻尾には頓着しないらしい。代わりに耳を引っ張るとぐずるみたいに顔を上げた。
 とろんとした目つき、これはすぐに寝るな。
 そう僕が思っている間にも、テンは再び丸くなった身体に顔を埋めた。
「無視か!誰のために」
 働いてると思って。と言いかけて、口を閉ざした。
 もうテンのために働く必要なんてないんだ。だってテンはテンで、ちゃんとバイトをしている。
 モデルの方はかなりのお金になるらしい。僕に逢う前まで自活していたって言うんだから、僕の援助なんていらないだろう。
 フェレットの時には、僕だけが頼りだったのにな。
 わけもなく少し切なかった。それを誤魔化すみたいに、僕はテンを無理矢理抱き上げた。
「帰ってきたんだから、起きろよー」
 不満げなテンを軽く揺らしながら、子どもみたいなことを言う。これじゃいつもと反対だ。
 テンも今困ってることだろう。ちょっとした仕返しになった。
「さてと。飯は冷凍ラーメンでいいや。残ってるだろ?」
 テンをベッドに戻し、僕は冷蔵庫に向かった。テンは眠気が覚めたらしい、ちょこちょこと後ろをついてくる。
「確か三つくらい買ってあって」
 冷凍庫の扉を開けて、僕は冷凍食品の間に挟まれるようにしてあった三つの袋ラーメンに目を止めた。
(減ってない…)
 冷蔵庫の中身も確認するが、何も減っていない。流しを見ても食器どころかグラスの一つも使った跡がなかった。
「テン、今日はずっとそのままだったのか?」
 声を掛けられていることが分かるのだろう、短い後ろ足でひょこと立ち上がっては僕にしがみついた。
 構われることを催促している様子に、僕は口元が緩んだ。でも、きっと苦笑に似ていただろう。
 なんだろう、なんか引っかかる。
「バイトとか、あったんじゃないのか?それとも今日完全オフ?」
 しゃがみ込んでテンの身体を撫でる。すると気持ちよさそうにするどころか僕の手に向かって口を開けてみせる。威嚇のように見えるが、じゃれているだけだ。
 からかうみたいに手を頭上で動かしてやると、それに合わせてテンがくるくる回る。
「可愛くないなぁ。犬なら大人しく撫でられてるぞー」
 口ではそう言うけど、向かってくるテンは可愛い。撫でられるのがあまり好きじゃないって分かっても撫で続けたくなるくらい。
 それで余計じゃれついてくるんだけど。
「さて…」
 立ち上がり、僕はシンク下の収納スペースから鍋を出して、止まった。
 腹が減っている。だけど作るのが億劫だった。
 なんだろう。テンが食事してないっていうのが、引っかかる。
 それにこの分だと人間に戻って一緒に御飯。という雰囲気でもなさそうだ。テンが食べないなら自分の分だけだし、風呂に入ってさっぱりしてからでもいいか。
「風呂溜めないとな」
 疲れが極限の時はシャワーだけですませるけど、そうじゃないときはなるべく湯船につかってる。その方がゆっくり出来るし、気持ちもいい。
 風呂場の蛇口を捻って、埋め込み式の浴槽にお湯を溜めている間もテンは寄ってきては風呂でうろうろしていた。
「シャンプーしてあげようか?」
 たまにはテンを泡まみれにするのもいいかも知れない。最近フェレットのテンにあんまり接してなかったしなぁ。
 新しいシャンプーも買ってあるし。どんなのが試したいんだけどなぁ。
 テンは嫌いなシャンプーをされるかも知れない。なんてことは察知してないのだろう。あっちこっちでふんふんとにおいを嗅いでる。
 珍しいものがあるわけでもないのになぁ。
 お湯が六割くらい溜まったところで、僕は服を脱いだ。
「もう風呂だから、テンは向こう行ってな」
 シャンプーはしたいけど、人間の時に毎日してるから必要ないだろうなぁと思って見送ることにした。
 でもテンはずっとついてくる。
「風呂入りたいの?」
 もしかして昨日一緒に風呂に入らなかったから、フェレットで入ろうってことなんだろうか。だとしたら、あほだなぁ。
 そこまですることないのに。
「フェレットならいいよ」
 人間だったなら「うっとーしい!」って追い払うところだけど、フェレットなら僕に手を出してくることもないし。
 実に平和なバスタイムになるだろう。
 風呂場のドアを閉めて、身体を軽く洗ってから湯船に浸かる。
 さすがにフェレットと同じ湯船はどうだろう。そう思って洗面器にお湯を張ってテンの前に置いてあげた。水を足して少しぬるめだ。
 するとテンはまず鼻面を突っ込んだ。
 そしてぷくぷくぷくと鼻から空気を吐く。まるで人間の子どもみたいだ。
「ぷっ…おまえおもしろい!」
 ぶくぶくと一層激しく鼻から気泡を出すと満足したのか、前足から洗面器の中に浸かっていった。
 シャンプーは嫌いなくせに、水は平気。むしろ好きみたいだ。
 くるりと洗面器の中で身体を丸くしては前足で水面を掻く仕草を見せる。
 ぴしゃん、と飛び跳ねたお湯が顔にかかると、ぶるぶると首を振った。
「風呂好きだよなぁ」
 にょろ。と細くて長い身体が、濡れてさらにスマートになってる。
「時々こうやって一緒に入るか?フェレットならいいよ。おもしろいし」
 話しかけるとテンが洗面器から出てきては僕を見上げた。
「今度はシャンプーしてあげよう。すっごく嫌がるだろーけど」
 じゃかじゃか手で洗うと、ぶぅ。と不満そうに鳴くだろう。目を据わらせながら。
 想像するだけでやりたくなってきた。やっぱりシャンプー持って入れば良かったな。
「濡れネズミ〜。風呂から出たら乾かさないとな。すぐに風邪引くもんな」
 テンは身体をぶるぶると震わせて水気を切る。するとふっくら加減が戻ってきた。
 けばけばの毛並みだけど。
「鼻水垂らして僕の布団に入ってくるからなぁ。おまえ」
 な。と手を伸ばすと前足で掴まれた。握手。と言わんばかりの行動に、僕はまた「ぷっ」と吹き出してしまった。
「可愛いなぁ、おまえ。人間の時はあんなに生意気なのに」
 年上である僕を押し倒したり、からかったりするなんて。いくら見た目が僕より上に見えるからって中身はガキのくせに。
 それに比べて、テンは見たまんま無邪気で可愛い。
 とても同じ人間、というかフェレット?同じ生き物とは思えない。
「ホントに同じなのか?」
 そういえばテンがフェレットになる瞬間っていうのを僕はちゃんとは見てない。
 見せるもんじゃないから。ってテンが嫌がるからだ。
 だけど、人間が布団に潜って、出てきたのがフェレットだけなら。実際に見てなくても見たのと同じようなものだ。
「なー、テン」
 前足を離して、テンはまた洗面器に顔を突っ込んだ。水中で鼻から息を出すのが気に入ったらしい。
「おまえ、何考えてる?」
 そうして遊んでるけど。テンは今何を考えてるんだろう。
 なんで僕は風呂に入りたがったんだろう。なんで今日はフェレットなんだろう?
 知りたくても。フェレットは人語を喋らない。
 湯船の端で腕を組み、ちょこまかと動くテンを眺めながら僕は初めてもどかしさを感じた。
 

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