繋がり方 4



 電車から降り、会社までの道で中口と出会った。
 別方向の電車から来ているけど、出社する時間なんて似たようなものだから、よく顔を見ていた。
 部署は違うけど同期だからか、よく飯を食ったりしている。
 目が合うと中口は軽く手を挙げてくれた。
「よう」
 中口は鹿野さんみたいに朝だからって憂鬱そうな顔はしていない。
 むしろあれだけ朝が憂鬱そうな人が珍しい。
「はよ」
「浮かねぇ顔」
 朝から出会う人みんなに指摘されていることを中口にも言われた。
 よっぽど落ち込んでいるように見えるんだろう。
「そーか?」
 指摘されても自分の顔を確認しようという気持ちはなくなっていた。
 どうせ暗いんだろう。わざわざ見て凹む必要はない。
「どうしたんだよ」
 朝から落ち込んでいる僕が気になったらしい。
 そういえば最近は朝からこんなに沈んでることってないな。
 朝はテンが見送りしてくれるから、あのテンションの高さが移ってくる。
「中口って、まだ彼女いたっけ」
「いるよ。別れてねぇっての」
 彼女と喧嘩したって話を聞いてたから、僕はそんな意地の悪い訊き方をした。
 中口は軽く笑ったから、きっとまだ仲が良いままなんだろう。
「彼女がさ、隠し事してたらどうする?」
 テンはたぶん僕に隠し事をしている。
 鹿野さんの話を聞く限り、そう思うのが自然なんだろう。
 でも僕はそれにどんな態度をとるべきなのか悩んでいた。
 隠し事してるだろって訊くべきなのか。それともそれは訊かないほうがいいのか。
 訊かずに探るべきなのか。
 テンは彼女ってわけじゃないけど、でもそれくらい近い位置にいることは間違いない。
 家族じゃないけど同居していて、ペットと飼い主と言い切るにはすでに微妙な関係になっている。だからって友達だっていうのも違和感があった。
 でもそんな微妙な関係を築いている人なんて周囲にいなくて、少しずれているかも知れないけど中口から参考意見が欲しかった。
「隠し事?」
「そう。いつもと様子が違ってて、なんか妙だったり」
 微かなずれを感じたり、いつもと違う様子だったり、付き合っているとそんなこともあるんじゃないんだろうか。
「妙ってどんな?」
「目合わせてくれない、とか」
 テンに取られている態度をそのまま言うと、中口は呆れた顔をした。
「露骨だな〜」
 確かに、と心の中で同意する。
 そんなのあからさま過ぎる。
 言えないことがあるから目をそらすなんて、子どもみたいだ。
 でもテンはそういう子どもっぽい行動をする人間だ。
「いかにもやましいことがありますって感じだな」
 中口にしてみれば、そんなわかりやすい態度をとる人は返って面白いのかも知れない。
 愉快そうな口調だ。
 僕が相手に隠し事をしていても、きっとテンほどはっきりとした態度の変化は見せないだろう。
 自分の気持ちを取り繕うことぐらい、この年になればある程度出来るから。
 でもそれをしないテンを疎ましいと思ったことはなかった。むしろそれだけ自分に素直だと、嫌な気がしない。
「そこまで露骨だとむしろ訊いて欲しいんじゃねぇの?」
「え」
「本当に隠したいなら、そこまで露骨な態度取らないだろ。普通」
 でもテンは。
 そう僕は内心言い返してしまった。
 指摘して欲しいなんて。そんなことあるだろうか。
「だって目合わせないとか幼稚園児レベルだろ。気付いて欲しくてやってるならいっそ訊いてやらないと可哀想だし」
 幼稚園児レベル、と表現されて僕は確かになぁと思ってしまった。
 訊いて欲しい、そうテンは思っているだろうか。
 だから僕を避けるような素振りを見せたり、するんだろうか。
「一回訊いてみれば?彼女に」
「彼女じゃないっての」
 案の定、中口は勘違いをしてくれた。
 付き合っている人はいないって言ってるのに。
「へー」
 否定しても全然信じている様子はなかった。
 にやにやと笑っている目から、ぷいっと顔を背けてやった。
 テンは彼女じゃない。
 だって付き合ってないし、女でもない。
 けど。
(テンはそういう関係になりたいんだよな)
 それを曖昧に濁しているのは、僕だ。
(だって)
 相手が女じゃないのも、告白より先に同居していたのも、身体の関係はあるのに付き合っていないなんてことも。
 今までなかった。
(どうしていいかわからない)
 嫌いじゃないけど、恋人として好きかどうかなんてわからない。
 それなのに、テンの事を受け入れたいと思っている。
 どうしていいかわからないのは、そんな複雑な感情が溢れているせいだろうか。



 玄関の光が外まで漏れてきてる。
 夜の中でぽっかりと目立つそれはお隣さんも同じだ。
 でもテンが家にいるかどうかはまだはっきりしない。
 だってテンは電気をつけっぱなしで出かけることがあるから。
 だからドアを開けてすぐに聞こえた足音にはっとした。
 ひたひたとしているそれは、人間のものだ。
「おかえりー」
 テンがひょこりと顔を出す。だが視線は別の方向を向いていた。
 髪は濡れていて、どうやら風呂上がりらしい。
 フェレットのままじゃなかったことにとりあえずほっとしながら、それでも合わない視線に苦みが込み上げる。
「飯は?」
「あるよ」
 うちでは食事当番なんてものは決まってない。
 食事時、家にいた方が作っている。二人ともいた場合はじゃんけんだ。
「食べた?」
「まだ。亮平と食おうと思って」
 テンの声は弾んでいる。
 にっこりと機嫌良さそうにしているが、視線はリビングのテレビに向けられている。
 最近ずっとそんな顔を見ている。
 テレビばかり見ている顔。
「久しぶりじゃん。二人で飯食えるの。俺がずっとバイト行っているからだけど。だから待ってた」
 テンは喋りながら台所に向かっていく。
 作った料理でも温めるのだろう。
 僕はスーツを脱いで部屋に持っていく。
 鞄を置いて、上着を脱いで、テンが家にいる空気を感じていつもより気分が良いのを感じていた。
 やっぱり一人で暮らしてるわけじゃないんだから、テンがいてくれると寂しくない。
 ごく簡単な野菜炒めらしきものとご飯、みそ汁、というメニューがテーブルに並ぶ。
 自分以外が作ったご飯を頬張りながら僕はテンの話に耳を傾けていた。
 ご飯時でも、テンはよく喋る。
 口の中に物をいれながら喋っている時は叱るけど、テンもその辺りは学習したらしくてちゃんと飲み込んでからぺらぺら口を動かしていた。
「バイトに新しい人が入ってさ」
「良かったじゃないか。これでシフトが元に戻る?」
 人手が足りなくて、以前は出ていなかった時間帯まで働いているテンは「んー」とはっきりしない返事をした。
「でもそいつ微妙なんだよな。人の話あんま聞かないってかさ、さっき言ったじゃんみたいなミス連発してるし。俺も大概人の話聞かないけどあれほどじゃないな」
「自覚してんだ」
 テンは人の話を聞かない。
 特に叱られている言葉はすらすらと右から左へと流してしまう。
 僕が「あれは駄目」「それはするな」って言っても次の日には平然と同じことをしている、なんてことはよくあった。
 学習能力ゼロかと思えば、こんこんと諭してやるとすぐに理解するのだ。
 つまり、自分が聞く気があるかどうかの問題なんだろう。
 最近では怒りにまかせてぎゃんぎゃん叱っても駄目だとわかったから、落ち着いてから冷静に説教するようにしている。
 子どものしつけみたいだ。
「亮平がよく言ってんじゃん」
「そりゃ言うだろ」
 自覚したんじゃなくて、何度も言ったからそう記憶しただけかよ。
 思わず目を座らせてしまう。
「人の話は聞かないであれこれ喋ってるし」
「そー?俺そんなに喋ってる?」
「人からお喋りとか、うるさいとか言われないのか」
 テンと暮らし始めて、何度「うるさい」「ちょっと黙れ」「喋り過ぎ」と言ったことか。
 言ったことが倍になって、しかもどうでもいいような話まで混ざって返ってくるんだから。文句だって言いたくなる。
「よく口が回るって言われるけど。まーいいじゃん賑やかで」
 へらりとテンは笑う。
(よく口が回るって…それって絶対心の中で「こいつうるさい」って思われてるぞ)
 指摘しようかと思ったが、言ったところで改善させる見込みはないので止めた。
「二人暮らしのわりに騒がしい部屋だと思われてんだろうな」
 特にお隣の鹿野さんなんて、騒音を気にしそうな人だ。
「仲良しなんだからいーじゃん。チエちゃんとこだって結構賑やかだし」
 鹿野さんとは反対のお隣さんは明美さんとチエちゃん、女の人が二人で住んでいる。でも向こうは笑い声が聞こえてくるくらいで、うちみたいに怒鳴り声はしないと思う。
(でも、ここ最近は静かだったけど)
 テンとすれ違っていたから、こうして一緒に食事をすることもなかった。
 この光景だけならきっと仲の良い二人で、平穏そのものなんだろうけど。
(でも目は合わないんだよな)
 テンの視線はテーブルに並べてあるおかずやみそ汁、そして付いたままのテレビに時々移動している。そのくせ僕に向かって話続けているのだ。
(確かにわざとらしいよな)
 もそもそご飯を噛みながら、僕はテンを観察する。
 でもご飯の最中に「隠し事してる?」なんて聞けばこの空気が凍り付いてしまいそうで、切り出せなかった。
 頭の中を一番大きく占めている「恋人が出来た」なんてことを、もし聞いてしまえばそれ以上食事を続けられるとも思えなかったし。
 もっと落ち着ける時に、と考えている間に僕は食事を終えて風呂にまで入っていた。
(そもそも、こんな話が出来るタイミングなんてものあるのか?)
 いつ訊けば、と悩んでいる間にいっそずばりと訊いてしまえばいいんじゃないのか。
 そんなこと思いながらリビングに行くと、テンがビール片手にテレビの前で座っていた。
 ふっとテンは顔を上げてこちらを見た。
 意識したとは思えない、何気ない仕草だった。
 だからそのまま何でもないように視線を外したなら、僕は溜息を飲むくらいだっただろう。
 でもテンは、ふいっとあからさまなくらい目をそらした。
(っ…)
 そんなにわざと目をそらされたら、嫌われてるんじゃないかって、嫌がられてるんじやないかって、そんな気持ちになる。
 さっきまでじゃれるような会話をしていたって、笑い合っていたって。
 そんなにはっきり目を背けられたら、平気でなんていられない。
 心臓をぎゅっと握られたようだった。
(なんだよ)
 僕が何かしたなら、はっきり言えばいい。いつだってそうしてきたくせに。
 自分に後ろめたいことがあるなら、そんなわざとらしい素振りなんか見せるな。
 人に言えないことがあるならちゃんと隠せばいい。
 なんで僕がそんな気持ち味合わなきゃいけないんだ。
「俺、フェレットになるよ」
 テンはテーブルにビールを置いた。
 聞こえてきたカンって音は、まだ中身がたっぷり残っているのを伝えてくる。
「なんで?」
 どうしてそんな風に、目を合わせるのを拒むんだよ。
 フェレットに逃げるのはどうして。
「なんでって、フェレットになってはっちゃけるのもいいかなって」
「この前遊んだばっかりだろ」
「でも亮平はフェレットのほうがいいだろ?」
 そう言ったテンは少し拗ねているような声だった。
 どうして、僕から逃げようとするのにフェレットの自分にやきもちなんて妬くんだよ。
 テンの考えてることが、わからない。
「フェレットの時は目合わせてくれるから、その方がいいかもな」
 僕はずっと目をそらされていた不満とテンに振り回されていた不安とで、つい刺々しい態度をとってしまった。
 するとテンがはっとしたように僕を見た。
 見開かれた茶色の瞳。
 それはもうそらされることがなかった。
 久しぶりにしっかりと合わさった視線は、まるでぶつかっているみたいだった。


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