繋がり方 2
それからテンとすれ違うことが増えた。 朝はベッドの中から「いってらっしゃい」と聞くようになったし、帰るとバイトでいないことが多くなっていた。 どうやら焼き肉屋のバイトで人が辞めたらしく、仕事が増えてしまって忙しいらしい。 夜遅くまでシフト入ってくれとお願いされ、テンはなかなか断れずに受けているようだ。 バイトから帰ってきたテンは溜息をついて「疲れた〜」というのが癖になってる。 僕がそれをやっていたら「おやじくさい!」って笑ってたくせに、今度は自分がそうなってる。でも僕はそれを笑わなかった。 だって本当に疲れてるみたいだったから。 大変そうだ。 顔を合わせても、テンは笑っては見せるけど抱き付いてこない。 前までは帰宅して僕がいると真っ先に腕を伸ばしてきてたけど。最近違ってきた。 抱きつけないくらい疲れているのか、もう飽きたのか。 どっちかはわからないけど、抱き付かれないことに僕は最初首を傾げていた。よく考えればこれが普通なんだ、ということに気が付くまで時間がかかったのが間抜けだ。 これが当たり前。 男同士なんだから、抱き付いたりしない。 そうは思うけど、日常化してしまったものがなくなると。 どことなく距離を感じてしまう。 (前が、ちょっとおかしかったんだよな) きっと前までがべたべたし過ぎていたんだろう。 そう思うけど、一抹の寂しさっていうのはやっぱりごまかせなかった。 元々は僕は近寄ってくる人を遠ざけられないし、向けられる好意を突っぱねることも出来ない。 だからテンがぶつけてくるあれだけの好意を受け取って、それに慣れてしまったから、好意の度合いが低くなると物寂しくなってしまう。 (今日も一人で飯かな) バイトのシフトは冷蔵庫に張られていたけど、確か今日も入っていた気がする。 一人でご飯を食べるのは、二人で食べることに慣れてしまった今になると味気ない。 テンのうるさいくらいのおしゃべりがないと静か過ぎる。 (身勝手かな) いたら、うるさいなぁと注意しているくせに。いざいなくなるとそんなことを思っているなんて。 テンがいたら呆れるかも知れない。 玄関の鍵を開けて、中に入ると小さな足音が聞こえてきた。 人のものとは明らかに異なる、爪を立てるような音、それはフェレットが走っている音だ。 「え、テン!?」 玄関まで走ってきたのは、長い胴と短い手足を持つフェレットだった。 人間のテンがお迎えしてくれることはあっても、フェレットのテンがお迎えしてくれるなんて滅多にない。 「どうしたんだよ」 何事かと思ったが、足下に寄ってきてしがみついてくるテンはすごく可愛い。 驚いた顔もすぐにだらしなくにやけてしまった。 「久しぶりにフェレット見たなぁ〜、珍しい」 鞄を置いて、フェレットをひょいと持ち上げる。 するとだらーんと伸びた胴体が面白い。 この姿って本当に愛嬌があるよなぁ。笑えるっていうか。 くるくるした目が僕をじーっと見つめてくる。 人間のテンにこうして見つめられたのは、いつだったっけ。 目を合わせなくなって、一週間くらいになるかな。 でもフェレットではこうしてちゃんと目を合わせてくれる。 心のどこかでそのことにほっとした。 嫌われてないみたいだ。 「そういう気分なのか?そういえば時々フェレットになりたくなるとか言ってたな」 テンは大抵人間の姿で生活してる。その方が便利だからだ。 でも時々無性にフェレットになりたいと思う時があるらしい。 僕は遠慮なく、いつでもフェレットになってくれ!って言うんだけど、テンは僕がそうやってフェレットになることを喜んでいるのが、ちょっと不服みたいだ。 人間の時はあんまり構ってくれないのに、とふてくされる。 「ただいま。って言ってもおかえりって返事は出来ないか」 テンなら元気に答えてくれるけど、フェレットじゃ無理だ。 鳴き声もあまり上げないのに、話なんて出きるはずもない。 それでも葡萄色した目が僕を見てくれる。 「今日はバイトないんだ。最近忙しいって言ってたから、疲れてるんじゃないか?」 こうしてフェレットでいるということは、バイトは休みなんだろう。 きっと疲れているだろうに、こうしてフェレットになっていると余計疲労が溜まるんじゃないのかな。それともフェレットの方が楽だったりするんだろうか。 テンは抱き上げられているのに飽きたらしく、もぞもぞとあがき始めた。 じっとしているのが大嫌いなフェレットらしい行動だ。 下ろしてやると、足下にじゃれついては時々顔を上げて僕と目を合わせる。 人間の時と、違う。 でも、絡む視線に僕の口元には笑みが浮かんでくる。 くぅ〜と情けない音を立てる腹よりも、猫じゃらしを持ってテンを挑発する。するとテンは猫じゃらしの先端に向かって突進してきた。 やっぱり遊びたかったようだ。 夢中になって追いかけながら、小さくクックと鳴き始める。 「フラストレーション溜まってたんだな」 忙しくて遊んであげられなかったせいかな。 そう思いながらぶんぶん振り回していると、テンも負けずと食いついてくる。 喧嘩上等の精神は変わらないらしい。 (ぎくしゃくしてたように思ったけど、僕の勘違いだよな) たぶん。と心の中で呟く。 気まずさのある関係だなんて、思いたくないからそう考えてたいかも知れないけど。 出来れば、否定していたい。 (少し時間が出来れば、また元みたいになるはずだ) テンも脳天気にはしゃいで、また騒がしい日々が戻ってくるはず。 今はバイトで忙しいテンと会えてないだけ。 (目を合わせてくれないのは…わからないけど…) でも気分的なものなら、きっといつの間にか解決しているはずだ。 (一週間か…) 気分で目をそらしていること自体妙だけど、それが一週間も続いてる。 (…どうなんだか) テンが何を考えているかなんて、僕にはわからない。 出逢った時からそうだったけど、未だにわからないことだらけだ。 足下に違和感を覚えると、またテンがしがみついてきていた。 どうやら僕が猫じゃらしに集中していないことを感じ取ったらしい。 人間と動物っていう種族の違いがあるのに、ペットって飼い主が気を逸らしているのに敏感だ。 それだけこちらを意識しているんだろう。 「んー?」 どうした?と僕は自分が集中してなかったことをごまかすみたいにテンをまた抱き上げた。 こうして真っ正面から付き合わしている瞳も、テンのものであることは変わりがないはずなのに。 「バイト、人が増えるといいな」 そして少しでもテンにゆとりが出来るといい。 そうなった時に、訊いてみよう。 どうして目を合わせてくれないのかって。 忙しくて大変になっている今、そんなことを訊いてテンの負担になるのは嫌だから。 テンは話を理解してくれているのか、いないのか、大きなあくびをした。 間抜けな顔に、僕はふっと力を抜いて笑った。 ペットの愛嬌のある仕草を見ていると悩みもぽいっとどこかに置いてしまえる。 「さーて、ご飯ご飯。テンはもう食べた?」 台所には晩ご飯らしいものが置かれていた。 それカップラーメンを追加して、僕は晩ご飯にする。 テンは僕が動くたびに付いてきて、何何?と興味津々だ。 人間の時には当たり前に見ているはずのものでも、鼻を寄せてくんくん匂いを嗅いでいる。 フェレットの世界ってどんな感じだろう。 僕も一回なってみたいかも。 あちこち走り回っているテンを眺めながら食べるご飯は久しぶりだった。 テンが人間って知る前以来かも知れない。 こうしてペットがいる生活はいいよなぁ〜ってしみじみ思っていた頃だ。 今は、会話してくれる相手がいる暮らしもいいよなって思うようになっていたから、黙って食べるご飯は少し物足りない。 「あー、こら」 でもテンがはしゃいでゴミ箱の中に頭突っ込んでこけていたら、気が紛れる。 「どっちにせよ、テンがいる生活に慣れちゃってんだよなぁ」 そしてそれがいいと感じている。 テンの世話をしながら落ち着かないご飯を終えて、そのまま風呂に行く。 人間でのテンは風呂が大好きで、よく長風呂をしているけど、フェレットではそうでもない。 水を嫌うことはないけど、自分が嬉々として風呂に浸かるなんことはなかった。 でも僕が風呂に入ろうとしてもついてきて、風呂場ではお湯に濡れないように逃げながらも側にいようとしていた。 離れるのを嫌がっているみたいで、僕はそんなテンが可愛くて仕方がない。 僕はきっと、好きだー、って表現されるのが好きなんだよな。 それが不快だと思う人も、あんまりいないと思うけど。 誰だって嫌われるより、好かれるほうがいいから。 でも僕の場合、そんな態度を示されると大概のことは甘く見てしまう。 「湯船浸かるか?」 尻尾や足は濡れたんだから、と思ってテンを持ち上げて湯船の上に持ってくると途端に身をよじった。 人間だったらそのまま飛び込んでくるところだ。 「風呂入るのは嫌なのに、ここまで来るんだもんな〜」 いやいやとするテンを下ろして、僕は小さく笑う。 小さなテンを見下ろしながら、以前にもこんなことがあった気がする、と記憶を探った。 いつだっただろう。 テンをこうして眺めながら、僕は何かを思っていた。 あんまり、良くないことを。 (いつだったっけな、あれは) 思い出しているとテンがカシカシと風呂場のドアガラスを掻き始めた。どうやら外に出たいらしい。 「もう出るか」 ついでだから僕も上がった。 そしてここまできたら、きっとあそこもついてくるだろうと思っていた通り。 テンはベッドの中にもしっかり潜ってきた。 僕の足下で丸くなって、暖かい身体を寄せてくる。 (今日はフェレットのままなんだ) 人間のまま一緒に寝るのは狭いから嫌だ。と言うとテンはフェレットになることがあった。 だからフェレットのテンと寝るのは珍しくない。 (ま、明日になったら元に戻ってるだろ) 毎回、寝る時はフェレットでも、僕が起きる時には人間に戻って人をぎゅうぎゅう抱き締めている。 寝返りが打てなくて起きることもよくあった。 だから明日もきっとそうだと思った。 また狭い、動けない、で起きるんだろうって。 でも僕が次に目を覚ました時も。 テンはフェレットのままだった。 next |