確かめ方 5



 風呂上がりにビールを手に取った。
 もう習慣のようなものだった。
 ぷしゅと音を立てて開けては唇を付ける。
 真夏だったら一気にぐいぐい飲むところだけど、暑くない時期にそれをやると身体が急に冷えてしまう。
 タオルでがしがし頭を拭きながらリビングに戻ると先に風呂に入っていたテンが寄ってくる。
 性別の違いはあるけれど、昼間に見たお姉さんたちにやはり似ている。
 特に実香さんはフェレットになる前はそうは思わなかったけど、フェレットになった後、僕を睨まなくなってからテンによく似ているなと思った。
 笑うとそっくりだ。
「美人なお姉さんだな」
 テンと似ていると思っていたのに、口から出たのはそんな言葉だった。
 まるでテンを褒めているみたいだった。
 そんなにこの人が好きなのかと思うと、つい目をそらしてしまう。
 普段からテンを格好いいと思うことはあるけど、美人だとまで思っているんだろうか。
「実香ねぇはモデルだし」
「え」
「沙紀ねぇも元美容師さん。結婚してから退職して、今は専業主婦だけでそろそろネイルアートでもこってみよっかなって言ってたなぁ。まー、細かい作業苦手だから向かないと俺は思うけど」
 そうかな、と僕は内心首を傾げる。
 沙紀さんって結構繊細そうな感じあったけどな。
 実香さんより穏和そうだったし。
(でもフェレットって時点で向いてないかも)
 フェレットなんて、細かいこと出来ないようなイメージがある。
 大雑把で成り行き任せ、四角のものも三角にしてしまうような性格だよな。
 テンなんてもろそんな感じだし。
「もしかしてテンが時々受けてるモデルの仕事って実香さんからきてる?」
「そーそー。身内だからっていきなり持ってきて早く来いとか言ってんだよ!横暴過ぎるってのに全然反省しねぇんだもん。人のこと便利屋か何かだと思ってんだぜ」
 テンは愚痴を並べる。
 突然やってくるモデルの仕事はどこから来ているのかと思って尋ねてこともあった。
 身内から貰ってるとは言っていたけど、ごく親しい友達とかかなと思っていたけど実のお姉さんだったのか。
 確かにあの美人ですらりと背の高い実香さんならモデルをしていても納得だ。
「ま、わりいいからいいけどな」
 結局何だかんだと言ってもバイト代の良さで、テンは引き受けているらしい。
「ここにいきなり来るくらい。テンのこと心配してたんだな。たまには連絡とかしたらいいんじゃないか?」
 きっと飼い主が出来たと言いながらずっと見せなかったテンに、姉たちは色々と心配したのだろう。だから突然うちに来るなんて行動を起こした。
「思いつきだって絶対!暇だったんだぜ」
 弟は姉の心配はそんな風に捕らえていたらしい。
 姉弟がいない僕にはそれを肯定することも否定することも出来なかった。
「そうかなぁ」
 ただ曖昧に返事をする。実香さんなんて思いっきり僕がどんな人間なのか知りたがっていたし、テンを心配していたと思うんだけどな。
「そうだって。俺だったらそうだもん」
「自分基準か」
 当然のこととして言うテンに、僕は呆れた目を向けた。
 根拠があるかと思ったら、自分の感覚で計っているようだ。
 テンらしいと言えばらしい。
「だって家族だから似たようなもんだって」
 顔立ちが似ているからって中身まで似てるとは限らないだろ。と今度は冷静に突っ込みを入れた。
 僕の家はそんなに言動から何まで似てない。
(うちの親も、誰かと同居してるって言ったら気にするだろうな)
 二人みたいにいきなりやってくるかも知れない。
 そしてテンがどんな人間なのか知ろうとするだろう。
「……僕は、二人にとって納得出来るような飼い主だったかな」
 二人は、フェレットに変化した後に飼い主として僕が相応しいのかどうかを見ていたんだろう。そしてそれまでどこか厳しかった雰囲気を和らげて帰っていった。
 きっとテンに反対する酷さはなかったんだろう。
 でもちゃんと信頼出来る。これなら弟を任せてもいいと思えるような人間に思えたかな。
 僕は動物は大好きで、テンにはものすごく甘いって自覚はある。
 でも人間が出来ているわけじゃないし。未熟なままだ。
「大満足だったと思うけど」
 テンはどうしてそんなことをわざわざ訊くのかという声音だった。
「じゃなかったら実香ねぇの雷が落ちてるって。怒るとマジ怖ぇんだぜうちのねーちゃん」
 だろうなと僕は苦笑してしまった。
 気の強そうな人だったから、怒ると烈火のごとくって勢いになりそうだ。
 テンにそう言われても、僕はうーんとすっきりしないものを抱えていた。
「心配?」
 ほっとしない僕に、テンは首を傾げる。
 キャラメル色の柔らかな髪。フェレットの時はよく撫でてるけど、人間の時に撫でることはほとんどない。
 僕より背の高い男の頭を撫でるなんて、結構難しい。物理的にも精神的にも。
「心配って言うか…ちゃんと大切に出来てるかな」
 僕はテンを、ちゃんと大事に出来ているのかな。
 忙しいと自分のことで手一杯になる時がある。相手出来ないって後回しにすることがある。
 機嫌が悪いと、冗談を言われてもはいはいって聞き流すことがある。素っ気なくする時がある。
 嫌な部分に触れられると喧嘩だってする。
 傷付けたって、はっきり感じられる時もある。
 これでいいのか。大切に出来ているか。いい飼い主か。いい付き合い方か。
 そんな不安が込み上げてくる。それは今生まれてきたものじゃない。いつもどっかにある気持ちだ。
「俺は今すっげ幸せだけど?本当の本当に」
 心底。と続けテンは笑う。
 自信に溢れ、不安も偽りも感じられない笑顔だ。
 テンの表情はいつだって大きく、そして素直だ。
 開けっぴろげの言葉や表情に、僕は安堵をもらっている。
 嘘じゃないんだなって分かるから。
「…テンがいいなら」
 曖昧な答えになった。でも本音だ。
 テンが楽しそうだと僕も楽しくなる。側にいると感情が移ってくる。
 嬉しさも、悲しさも、苛立ちも。まるで一人の人間になろうとしているみたいに。
「十分過ぎる」
 テンは断言した。
 強く、きっぱりとした声に僕の中から不安が溶けていく。
 こうして僕は飼い主だっていうのにテンに支えられている。
 もっとも、こうして人間同士だと飼い主とペットって関係とは違っているんだけど。
「なんだかんだ言っても、世界で一番可愛い」
 僕はぽろりとそんなことを零していた。
 お姉さん二人がいた時、テンは僕が他の飼い主さんとペット自慢していたとしてもテンのことはそんなに褒めないんじゃないかって言っていた。
 世界で一番って、言わないんじゃないかって。
 僕は照れ屋で、面と向かってテンを、付き合っている人を褒めるなんて抵抗がある。
 ましてテンはおちゃらけているから、僕がそんなことを言ったら調子に乗りそうだ。
 でも分かって欲しい。
 テンは本当に、僕にとっては世界一だ。頻繁に口に出すのは、照れるからなかなか言えないだけだ。
「…亮平の方が可愛い」
 ふっとテンが真剣な顔をして、僕にそう囁く。
 どきりとするような表情。
 いつも笑っているだけに、不意にそうして真面目な眼差しで見られると心臓が跳ねる。
 そしてテンは僕の唇を塞いだ。
 冷たいものを飲んだ後だからか、とてもあたたかく感じる唇。
 テンの指は僕の顎に触れたかと思うとそのま首へと降りていく。撫でられる感覚に、腰の辺りがじわりと熱を持った。
 舌で唇を舐められ、僕はテンと距離を置こうとした。このままじゃ間違いなくテンがのし掛かってくる。
 嫌じゃないけど、電気が皓々とついているリビングですぐにやりたい事じゃない。
 頬が火照るのを感じていると、テンが目を細めた。
「可愛い」
 こんな状態でなければ、小さくとも欲情していなければ、可愛くないと即座に切り返した。
 男にそんなこと言うなよと平然と言い返した。何度も聞いていることだから。
 でも触れられていると、その台詞がすぐに羞恥に変わってしまう。
 そんな存在に変えられてしまうみたいで、しかも僕はそれが、嫌じゃない。
「可愛くないっ」
 残っている理性がそう告げた。けれどテンはそんなことを聞くはずもなく、僕が手にしていたビールを掴んだ。
「そうやって困ってんのがいい」
 ビールはあっさりとテンに奪われ、テーブルに置かれた。ことりと音が立てられた。
 抱き合うのに、それは邪魔だから。
 冷たいものがなくなり、暖まっていく掌。
 もう駄目だと思った。
 距離を置く理由がなくなった。そしてなくすことに抗わなかった。
「困ってんのがいいって。どういう趣味だよ」
 人を困らせて楽しむなんて、変わった趣味というより人格疑われるぞ。
 そんな人と付き合っていく自信はないのだが。非難めいた目でテンを見ると悪戯っぽい笑い方をする。一気に子どもっぽさが戻ってきた。
 だがその指は僕のパジャマのボタンにかけられる。
「困っても嫌がってねーもん。恥ずかしいだけじゃん」
 見透かされている。
「恥ずかしいのは普通だろ」
 裸になって、何も隠せず、ありのままの自分をさらけ出す。
 中を掻き混ぜられ、あられもない声を上げて、卑猥な情景を作り出す。
 それを恥ずかしがらなければ、一体何に恥ずかしがれというのか。
「そう?俺は全然恥ずかしくない」
「テンはな」
 だって格好いい。身体の均整だって取れてる。
 それにテンはセックスの最中だって僕みたいに変な声を上げてるわけでもないし。
 パジャマの上は脱がされ、リビングに捨てられる。
 僕の手もテンのパジャマを脱がそうとしていた。すると嬉しそうに額にキスされた。
「ずっと我慢して、でも我慢出来なくて欲しい欲しい願ってた亮平が俺のになったんだもん。もう何も我慢しない。何も止めない」
 ずっと欲しかった。
 そう囁かれるたび、僕はどれだけの間テンを待たせていたんだろうかと思う。
 そしてどれだけの我慢を強いてきたんだろう。それはどれくらい辛かったんだろう。
「たまには止めろ」
 一晩に何度もセックスを要求しては僕の腰に負担をかけるテンに、そう注意した。
 てもそれは冗談の意味しか持っていなくて。本気で願っているわけじゃないことはちゃんと伝わっていたのだろう。
 だって欲しがられることの嬉しさを、僕はもう知っている。
 少し前まで、困るばかりだったのに。
「はい無理」
 即座に拒否されてはくすぐったい笑い声と共に口付けられた。


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