確かめ方 2



 こんな玄関先でこの姉弟は何をしているのか。
 という感想を抱いた頃、ようやくテンと沙紀さんは元に戻ったらしい。
「だって大貴がいつまで経っても会わせてくれないから」
 会わせてくれないって、もしかして僕だろうか。
 テンに会いに来たって言うより、僕を見に来たわけか。
「フェレット大好きで俺にメロメロで、結局は何をしても許してくれる可愛いすっげぇ可愛い飼い主に」
 沙紀さんがつらつらと述べた台詞は僕から血の気を引かせるものだった。
 それは誰のことだ。
 テンの飼い主は僕だけど、可愛さなんてどこにもないぞ。
 可愛いのはフェレットの時のテンの姿くらいものじゃないか。
 大気圏まで意識を飛びかけていると、テンが僕の腕を掴んだ。
「俺の飼い主」
 違います!と叫びたい気持ちいっぱいでテンを見上げる。
 おまえどんな説明してるんだ!という目で見るのに、テンにはさっぱり伝わらないのかにこにことしていた。
 実にたちが悪い。
 空気読め。
「可愛いんだって」
「っ!」
 僕を押し潰したいのかこのいたちは。
 どこが可愛いんだって二人の目が言ってる。すごく言ってる。
 居たたまれなくて消えたくなる。
「テン!!」
 引いた血の気が戻って来ては頭まで一気に上がった。
 怒鳴りつけると「なにー?」とのほほんとした顔を向けられる。
 意志の疎通が出来てない。
「可愛い可愛いって言ってたから、女の子だとばっかり思ってた」
 実香さんは呆れたように言う。呆れたいのは僕もだ。
「女の子だなんて一言も言ってねーじゃん。実香ねぇは先走り過ぎだって」
「いや…普通はそう思うよ……」
 成人した、しかも自分より年上の男に可愛いだなんて連呼するのはおかしいだろ。
 世間と感覚がずれている自覚がないから、テンは恐ろしいんだ。
「とりあえず中入れて。話もしたいし」
 実香さんの言葉に、僕はどんな話をするつもりなんだろうと心配になる。
 どんな生活をしているのか詳しいところまで尋ねられると、困る。
 まさかテンと恋人同士になっているなんて二人と思わないだろう。
 でもテンだったらあっさりはその辺りをバラしてしまいそうだ。
 そうなれば、とんでもないことになるかも。
「帰れって言ってもきかないんだろー。ったく実香ねぇは強引なんだよ。いっつもそうだ。何かやってから話してくんだもん」
 亮平、いい?と訊かれるけど駄目だと言えるはずもない。
 やれやれと言うようにテンは玄関の鍵を開けた。
 部屋の中をちゃんと掃除したのか、改めて気になる。
 テンが一番、それに続いて二人が入って僕は最後だったんだけど思わず部屋全体を見渡した。
 酷い散らかりではない。でもリビングのテーブルにはグラスがまだ残ったままで、慌ててそれを流しに持っていく。
 二人は弟が暮らしている部屋を興味深そうに見ていた。
「あんまり綺麗じゃないんですが」
 僕は一応そう一言置く。
「掃除してないの?」
「してるっての!」
 実香さんはテンにずばりと訊いて、テンは噛みついている。
 気の置けない姉弟ならではのやりとりなんだろう。たぶん。
 一人っ子の僕にはよく分からないけど。
 鞄と上着を部屋に置く。その間にテンは台所でコーヒーを入れてくれていた。
「普段はもちろん人なんでしょうね?」
 二人はリビングのテーブルの前で座っていた。ラグマットはあるものの、慌てて座布団を出す。
 実香さんは台所にいるテンと少し離れた距離で会話をしていた。
「ったり前」
 コーヒーを持って来たテンは、最近フェレットになってくれない。
 恋人になってから、どうもフェレットでいるより人間として僕にくっついている方が楽しいらしい。
 僕としてはたまにはフェレットに会いたいんだけど、今は人間でいたいんだよと言っては抱き付いてくる。
 ふかふかにょろにょろフェレットが恋しい。
「あ、おもちゃが転がってる」
 リビングの片隅に転がっていたねこじゃらしを沙紀さんに発見される。
 釣り竿みたいな形になっていて、糸の先にはネズミの模型がくっついてる物だ。
 テンとはそれでよく遊んでいるんだけど、奪われてそのままどこかに持って行かれる。だから時々とんでもないところから出てきたりする奴だ。
「すみません」
 おもちゃも片付けてないなんて、みっともない。
 ネズミはすぐに拾い上げててテンに渡した。僕の部屋に持っていけばいいんだろうけど、ついテンの私物だと思うと押し付けてしまう。
 押し付けられたテンは「え」という顔をしながらも渋々手に持っている。
「これ、うちも使ってるわ」
 実香さんがネズミを見てそう言う。
 この人が言うと飼っている猫と遊ぶための道具としか聞こえない。
(たぶん…自分がこれで遊ぶんだよな…?)
 だってこの人はきっとフェレットなんだろうし。
「あの、お二人もフェレットになられるんですよね?」
 テンから聞いてはいるけど、僕は弱めに尋ねた。
 二人とも変化するとは聞いていないし。
「なりますよ」
 沙紀さんが機嫌良く答えてくれる。
 二人ともテンと似た顔だけど、実香さんより沙紀さんの方が話しやすい。
 探るような目がないからだろう。
「すっげえ見たいって顔してる」
 僕の隣に座ったテンに指摘され、僕は方を一度だけ跳ねさせた。
 図星だ。
 人間がフェレットになれるなんて不思議だ。でもテンと一緒にいるおかげで当たり前のようになってしまった。
 その代わり、どんなフェレットなんだろうという興味がむくむくと沸き上がってくる。
 テンと同じ柔らかい色のフェレットなのか、それとも茶色とか黒になるんだろうか。
「飯塚さんは、テンの飼い主なんですよね」
 ようやく、というかとうとう実香さんは僕に話を振ってきた。
「はい」
 何を言われるのかと身構える。
 なんだか良くないことを言われる予感がしているのだ。
「可愛い可愛いって聞いてたけど、普通ね」
「ふつう……」
 そりゃ貴方たちみたいに美人ではありません。
 テンは同性の僕からしても魅力的なくらい格好いい。
 そのテンと似た、はっきりとした顔立ちの美人である二人なんて、街で擦れ違ったら思わず目で追ってしまうだろう。
 そんな人たちからすれば、僕なんて平凡でどこにでもいるさえないサラリーマンだ。
 自覚はしてる。
 けどそんなに面と向かってつまらなそうに言われると、些細なプライドが粉々になってしまう。
 普通は悪いことじゃないって思うけど、でも今のは明らかに見下されてる。
「何言ってんだよ。亮平は可愛いってマジで!」
「テン…止めてくれ」
 ばっさりと切られた心に塩を塗り混むようなことを言わないで欲しい。
 そもそも僕はペット馬鹿で、飼っているフェレットが可愛くて仕方がない。見ているだけで心和んで口元が緩む。溺愛してるって自分で言ってしまうレベルだ。
 でもテンだって飼い主である僕にすごく懐いてくれて、ベタ褒めしてくれる。ペット馬鹿と飼い主馬鹿になっているんだ。
 だからこそ、可愛いなんて言えるわけで。他人からしてみれば理解出来ないだろう。
 勘弁してくれ、これ以上冷たい目で見られたくない。そう願いながらテンの袖を引くけど、このフェレットは後ろには引かない。
「俺可愛がってる時なんてすげぇ可愛いんたぜ!誰にも見せたくないくらい!可愛い可愛いって俺撫でてる亮平のほうがずっと可愛いから。んな幸せそうな顔させてんのが俺かと思うとフェレットに生まれて良かったーって思うぜ」
 相変わらずテンはよく喋る。
 でも言われていることは僕にとって嬉しいことで、テンを止めていたはずなのに黙って耳を傾けてしまう。
 フェレットに生まれて良かったって、人間のテンに言われるともっと可愛がろう大切にしようって思う。
 だって僕ならそんな体質に生まれてきたらきっと悩むだろうから。
 平凡で特別な所なんて何もない僕からしてみれば、フェレットに変化するなんて人には言えない体質、悩んで苦しんで人生に躓いてそうだ。
「そうだ!ねーちゃんたちもフェレットになったら亮平のこと分かるんじゃね?だって亮平のこと知るために来たんだろ?俺の生活なんて簡単に想像付くじゃん。俺だし」
 俺だしってどういう理由なんだ。
 ということも気になったけど、二人にフェレットになれば色々分かるって、それはまずいんじゃないのか。
 数分前に会ったばっかりの人がフェレットになったら僕だってどう扱っていいのか困る。
「テン。ちょっと待てよ」
「いいわ」
 止める僕にお構いなしで、実香さんは承諾した。
 思わず耳を疑った。そんな簡単にフェレットになっていいんだろうか。だってフェレットの時って意識までフェレットで、どんなことするか自分でもよく分からないらしいのに。
 気の置けない人相手ならともかく、僕みたいにまだ全然親しくない人にもフェレットで会うなんて。
「だって私たちはそれを見に来たんだもの」
「そうそう。人間の大貴がどんな扱いされてるかなんていっぱい見てきてるもん」
 実香さんの意図はやっぱり飼い主としての僕を見に来たことにあったらしい。
 そして沙紀さんも楽しそうに同意している。
 お姉さんたちが、テンがどんな扱いをされているのか見てきたって。テンは交友関係を結構家族に見せるタイプなのかも知れない。
「フェレットでも大切にしてくれる人じゃなきゃ安心なんて出来ない。だよね、ねぇさん」
 沙紀さんにそう言われ、実香さんが大きく頷く。
 美女二人の目に、僕はもう反論出来ない。
 テンも何故かご機嫌で「だよなー」と納得しているようだ。
「亮平。俺以外のフェレットと遊べるなんて今しかねぇぜ?他のフェレならぜってー許さないし。ねーちゃんたちだけだから、我慢すんの」
 この機会逃したらもうないんじゃね?
 そう悪魔の囁きが耳に流し込まれる。
 確かに僕はフェレットをテンしか知らない。
 他のフェレットに触りたいと思っても、テンが怒ったりヤキモチやいたら大変だからしないし。
 でも興味はある。他のフェレットはどんな感じだろう。テンと違うところとかあるのかなって。
 ぐらぐらと心が揺れる。
「…うわ、すっげぇ迷ってるよこの人」
 テンは僕の横顔を見て苦笑している。だって迷うに決まってる。
 見たい、遊びたい。でもテンの姉さんたち。どんな飼い主か確かめに来た人たちだ。
 僕は酷い飼い主じゃないとは思うけど、証明の仕方が分からないし。フェレットを見て舞い上がった僕に呆れられるかも知れない。
「亮平が迷ってる間にねーちゃんたちはフェレになって来いよ。亮平がどんな人間かすぐに分かるから。そこのドアが俺の部屋な。ちなみに全然掃除してねぇから」
「テンっ」
 僕が答えを出す前にテンはさっさと二人を自分の部屋に案内している。
「大貴もフェレになったら?」
「俺までフェレになったら亮平が壊れるっての」
 フェレットが三匹!可愛い可愛い可愛い!可愛いのか三本!走り回って賑やかで騒がしくて可愛い!
 そうテンションが壊れている自分がありありと思い浮かんだ。
 テンの言葉を否定出来ない自分が少しだけ悲しかった。


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