確かめ方 1



  朝目覚めて、フェレットが一緒に寝ているベッドは幸せだ。
 ぴったりくっついている小さな命。足元や腹の近くですぅすぅ息をしているのが感じられる様は、ふんわりと幸せが押し寄せてきてこれ以上ないほどに癒される。
 身動きをすればフェレットが起きてしまう。起きるとベッドから出て忙しなく遊びはじめるかも知れない。だからもう少しこの幸せを味わうために、寝返りもろくにうてない。
 それでも嬉しい。
 母性本能なんて僕にはないだろうけど、ペットに対する愛情本能だったら垂れ流すくらいあると思う。
 こんな時間がずっと続いたらきっと世界は平和だろうなと思う。
 そう、そんな時間だったなら。
(…狭い…)
 今朝の僕は目覚めた瞬間から身動きが出来なかった。
 フェレットがいるせいじゃない。
 いや、ある意味それにとても近いんだけど。
 フェレットなら僕を後ろから抱き締めながら眠ったり、ベッドの大半を占領したりしないだろう。
(テン〜…)
 昨夜は人には言えないことをベッドの中でして、テンと一緒にそのまま眠ってしまった。
 というか疲れてテンを追い出す気力もなかった。
 もう怠いし眠いしで、すぐさま寝たかったんだ。じゃないとテンと一緒に眠ろうとは思わない。
 ベッドがすごく狭くなるから。
 僕より背が高いんだから、ベッドも半分以上取られるのは自然だ。
(フェレの時とは全然違う)
 僕よりずっとずっと小さくて可愛いフェレットは僕を後ろから抱えたりしない。というか僕を抱いたりしない。
 こんな腰の痛みを作ることだってない。
 あんな風に足を開かれるなんてことも。
(うーわー、あんなの朝から思い出すことないだろ!忘れろ僕!)
 テンにされた色々なことが思い出されて、暴れたくなる。
 嫌だというわけじゃない。本当に嫌なら殴ってる。
 ただとてつもなく恥ずかしいのだ。
 自分が抱かれる生き物だなんて、テンとこういう関係になるまで一度だって思ったことがなかった。それが覆されたんだ。そんな簡単に羞恥を捨てられるはずがない。
 テンの嬉しそうな様子だってまだ直視出来ない。
(…でも慣れてきたよな)
 こうして抱き締められて目覚めても、驚くことがなくなった。
 さっさと離れないと、起こさないと思うこともなくなった。
 抱かれることにも、男同士でああいうことをしっていることも、それ以前にペットと飼い主だったんじゃないのかとか、そういうことも考えて悩むけど。
「俺の…」
「ん?」
 テンが何か言おうとしていた。
 起きたのかと思ってゆったりと寝返りを打った。
 目を閉じて眠っているように見える。
 それにしても格好いい顔をしてる。男の僕なんかに手を出さなくても、付き合ってくれそうな女の子だったら山ほどいるだろうに。
「プリン……」
 もごもごとはしているが、確かにプリンと言った。
 僕は思わずぷっと吹いた。
 冷蔵庫に一個プリンがあった。僕がこの前買ってきたやつだ。三つセットの分で、一つはテンにあげると言っていた。きっとそのことを言っているんだろう。
(…ホント、色々悩むけどさ)
 悪くない朝じゃないか。
 フェレットの時と比べても幸せ度合いに差がないように思えて、顔が緩むのを止められなかった。



 電車に揺られて帰宅する。とっくに暗くなった夜を一人で歩く。
 一人暮らしの時は寂しかったけど。今はそんなことを思わない。
 テンがいるから、寂しさなんて遠い場所にいってしまっているのだ。
 マンションの玄関をくぐって階段を上った。
 証明に照らされた廊下は綺麗に掃除がされている。
 きっとルディさんがしてくれているんだろう。大家の荻屋さんと暮らしている、犬にもなれる女の人、ルディさんは朝もにこやかに箒で玄関をはいている。
 落ち着いた様はテンにも少し見習って欲しい。
(あいつ本当に落ち着きないもんな)
 フェレットの時は、そういう生き物だしなと思うのだが。人間の時くらいは少しじっとしていて欲しい。
 小学生でもあるまいし。
 ふと二階に上がると、自分の部屋らしきドアの前に女の人が二人いるのが見えた。
 キャラメル色の短い髪をした、すらりとした背の高い女性。もう一人もやっぱりキャラメル色の色をした長い髪がゆるく波打っている。
 テンの髪の色に似てる。
 ふとそう思ったけど、髪の毛の色なんて町中にいっぱい溢れている。
 それより気になるのが、どうやら見間違いではなく僕とテンの部屋の玄関前にいるらしいってことだった。
(誰だろ)
 僕の記憶にはない顔だった。
 だから多分テンのお客さんなんだろうけど。女の人っていうのが気になる。
(まさか、別れた彼女とかじゃないだろうな)
 あれだけ顔のいいテンだ。女の人と付き合ったことはあるだろう。まして今はモデルのバイトまでしている。一目惚れされている可能性だってある。
 もし押し掛けられていたとすれば、厄介だ。
(まだ帰ってないよな。今日ちょっと遅くなるって言ってたし)
 昨日の話では、テンは焼き肉やのバイトが少し遅くなると言っていた。
「いないのかしら」
 髪の短い方が苛立たしげにそう言った。やはりまだテンは帰宅していないらしい。
「あの」
 無視するわけにもいかないし、玄関の前に立っていられれば部屋に入れない。僕は身構えながら声をかけた。
 すると二人が同時にこっちを見た。
 顔立ちが似ている。姉妹かも知れない。
「ここの家の人はいませんか?」
 髪の長い方が僕にそう問いかけた。
 こちらは怒っているというより困っているような様子だ。
「僕ですが」
 素直にそう答えると、二人は目を丸くした。
 どうしてそこまで驚くのか分からなくて、僕まで驚いてしまう。
 なんなんだろう、そのリアクション。
 僕がここに住んでるのがそんなにおかしいのか。テンが誰かと同居していることに驚いてるのも知れないけど、ここのマンションはみんな同居だし。
(同居が条件のマンションって知らないのか?)
 それなら驚くのも無理はないだろうが。
「テ…伊達に何か用ですか?」
 普段テンとしか呼んでいないので、テンの本名が一瞬出てこなかった。
 マンションの人たちもみんなテンって呼んでる。だから耳にだって入ってこない。
 そのおかげでこのマンションに住んでいるペットたちの本名を知らない。隣の豆吉君も反対隣のちえちゃんもだ。
 知らなくても僕たちの間には問題がないからいいけど。
「貴方がここに住んでるの?」
 髪の短い方が探るようにそう尋ねてくる。
 すごく何か言いたそうだ。
「はい」
 テンはこの人たちに妙なことでも言っているんだろうか。
 どうしてこんなにも怪訝そうな顔をされなきゃいけないんだろう。居心地が悪い。
 さて、どうしたものかと思っていると後ろから足音が聞こえてきた。
 階段を走り上がってはこの階で立ち止まり、そしてまた走ってくる。
 こんなにも落ち着きがない、廊下を走るなっていう小学生でも知っているようなことを出来ないのはこのマンションでは一人しかいない。
「亮平おかえり!」
「っわ!」
 僕が振り返って「走るな!」と叱りつける前に、後ろから抱き付かれた。
 身長差のせいで、抱き込まれるみたいな形になる。
 いきなりのことに僕は思わず声を上げた。
「テン!」
 そう叱りつけてからしまったと思った。
 目の前にいる二人はテンを伊達と言っていた。きっと本名しか知らないんだろう。
 なのにテンなんて呼んだら不信に思われる。
 だが僕がまずいという顔をするより先にテンが「ああ!!」と大声を上げる。
 本当に落ち着きがない。
「ねーちゃん!」
「…ねーちゃん?」
 テンの叫びをそのまま口にした。
 そう言われてから二人を見ると、髪の色だけじゃなく顔立ちがどことなく似ている気がする。でも性別の違いか、比べてみないと姉弟とは思えない。
「お姉さんがいるのは知ってたけど…」
 家族の話になった際、テンにはお姉さんがいるとは聞いていた。
 でも二人いるということまでは知らなかった。
 そんなことよりフェレットになれるかどうかの方が興味があったせいだろう。
 なれるらしい、と教えてもらった時には会いたいなぁとは思ったけど。突然家に来られるとどうしていいものか迷う。
 まして、僕を値踏みしているような気がする視線が痛い。
 これはどう解釈すればいいんだろう。テンの同居人として相応しいかを探られているんだろうか。
「こっちが上の実香ねーちゃん。こっちが沙紀ねーちゃん」
 テンは僕を抱えたまま指をさす。髪の短い方が実香、長い方が沙紀と言うらしい。
 それにしても姉たちの前でこの格好はないだろう。
 僕は紹介をされて頭を下げたくても出来やしない。
「物みたいに言うんじゃないわよ」
 実香さんはテンを睨み付けて言う。仰る通りなんだけど、僕まで睨まれてるみたいで怖い。
「僕は伊達君と同居してます。飯塚です」
 テンの腕からなんとか逃れ、そう頭を下げる。
 そうすると複雑そうな目で見られた。
 本当に何か言いたいみたいだ。でも口にしてくれない。
「何しに来たんだよ」
 テンは姉たちに向かって不満そうな声を上げる。
 来て欲しくなかったのにと言い出しそうな雰囲気だ。
 誰にでも人懐っこく接してるテンがそんな風に人を邪険にしている様は滅多に見られない。やはり家族相手だと遠慮もない。
 もしくは反抗期か。
「様子を見に来たのよ」
 当然じゃないという態度で実香さんが言う。
「最近、全然連絡くれないから」
 沙紀さんは実香さんとは違いテンに怒っているという様ではなかった。
 どうやら沙紀さんの方が穏和な人みたいだ。
「元気でやってるよ」
「そうね。どう見ても寝込んではいないわね」
 実香さんは見れば分かるようなことでしょうがという口調だ。どうもテンに対しては厳しいらしい。
「てかさ、いきなり来るなよ。ちゃんと来るなら来るって言ってくれよな!」
 そうそう、と僕は内心頷いた。
 テンも常識的なことを言うようになったんだなぁという気持ちも沸いてくる。
(というかテンだっていきなり訪問してきそうなタイプだけど)
「連絡ならしたわよ」
「ついさっき携帯に」
 二人の姉は堂々としたものだ。沙紀さんは携帯を持つ素振りまで見せてそう言った。
 なんだよテンが気付いてないだけか、そう思って僕は携帯をチェックするテンに目をやった。
「三分前に連絡しても意味ないじゃん!てかメールって俺気付かないし!」
「だってここに来たからメールしてもの」
 沙紀さんはにっこりと、それはもう満面の笑みで言った。
 悪気の欠片もない。
「玄関前でメール打ったんだろ!きっとそうだ!大体沙紀ねーちゃん、きちゃったってメールはないだろ!全部ひらがなかよ!」
(いや、突っ込み所はそこじゃないだろ)
 喉元まで出かかった言葉を飲み込む。二人の前じゃなかったら確実に口から出ていた。
「だって漢字変換ってめんどくさくない?」
「だから沙紀ねーちゃんのメールすげぇ読みづらいんだよ」
 脳天気な二人は話題がそれ始めていた。
 いやいやそっきまで言っていた話はそんなのじゃなかっただろ?と思いながら眺めているんだけど、実香さんの眼差しが刺さってくる。
 会話に参加していない分、僕を観察しているみたいでちょっと怖い。
(…やっぱり僕が飼い主って知ってんだろうな)
 こんなの飼い主なの?と言われるのが恐ろしかった。


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