猫の気持ち 5





 人間の姿を嫌がられるという考えは、実のところ持っていなかった。
 褒められて、認められて当然のものだったからだ。
 しかし同性であることはやや問題になるだろうかという思いは、さすがに過ぎったことがある。
 自分がかつて同性に告白された経験があるからだ。
 好みではなかったので断った、というだけの単純な過去だが。それでも告白してきた人間の決意の強さや、一般的にそれがマイノリティだということは理解している。
 だが好きなものは好きであり、真剣に迫られれば性別など二の次になるだろうと予測していた。大体日本人は百年くらい前までは衆道も行われていたではないか。
 そもそも見た目の悪くない人間に熱心に迫られて、それでも駄目だと言い切る労力はかなりのものであり、一、二度無理だと言われた程度で引き下がるつもりもない。
 俺がいなければ生きていけない男だ。人間になれる程度の現象は受け入れて欲しいものだ。
 あれだけ幸せそうに笑っているのだから俺無しの生活になど戻れないはず。
 テンと豆吉に話したその日にでも、再び自分の存在を明かして始を驚愕させるつもりだったが少しの間考えた。
 この男は本当に自分を丸ごと受け止めるだろうか、と。
 真剣に悩んでも根拠など得られるものではない。
 ならばいっそと試してしまえば良いのだ。
 自分を必要をしてくれる、という証拠を掴んでしまえばいい。確信をこの目で見てしまえばいい。
 そう思った俺が真っ先に試そうと思ったのが、身体の懐柔だった。
 若さ故ではない。一糸纏わぬ姿でまして同性に抱かれるなんて、相当の行為がなければ出来ないだろう。そういう趣味がある者ならともかく、始にそんな素振りはない。
 どストレートノーマルなら、かなりの覚悟がいるはずだ。
 それでも俺と一緒に暮らすかどうか、知りたいのだ。
 決してヤりたがっているわけではない。
 そう自分に何度か言い訳めいたことを呟きつつ、俺は夜を待った。
 始が部屋の電気を消し、ベッドに入ってすぐに俺もまたそこに潜り込んだ。
 猫の姿で入ると始はふにゃんと笑って迎え入れてくれる。
 猫と一緒に寝るのは極上の眠りだと言って憚らない人だ。俺が潜り込まない方が寂しいだろう。だが今日は潜り込んで丸くなるのではなく、全身を毛布の中に納めてから意志を解き放った。
 自分の形が溶けていくイメージ。ばらばらに散らばっていた意識が一つに集結されていく。ほどかれていた糸が結束され、秩序を取り戻していく。
 白く濁っていた思考や視界がぎゅっと凝縮されて、気が付くと俺の身体は人間の形を作り上げていた。
 真っ黒な毛布の世界から顔を出すときょとんしている始の顔が見えた。
 しかし驚いたことに、始の目は驚いているというより不思議だなぁとのんびり眺めている程度なのだ。驚愕にはほど遠い。
 何故そんなにのんびりしているのかと言いたいところだが、すでに眠気がそこに見えた。
 寝付きが良すぎるのだ。どうして俺がベッドに入って数秒で寝入りそうになっているのか。猫より先に寝る人間なんて、どうなっているのだこいつは。
「おまえ……なんでそんなに寝るのが早いんだ」
 始に覆い被さりながら不服を告げる。
 もしもう少しベッドに入るのが遅かったならば、もう始は寝てしまっていただろう。それとも猫が入るまでは我慢していたのだろうか。
 始は声を掛けられたことでようやく驚いたらしく、固まっている。
 正しい反応がようやく見られて、俺は初めて口付けた。
 柔らかなそれに自分の唇を落とすと、伝わってくるぬくもりに言いようのない感情が込み上げた。息苦しいような、嬉しくて仕方がないような、痛みによく似た感覚が広がっていく。
 自分でもどんな顔をして良いのか分からず、始の肩口に額を寄せる。猫の時にそうして甘えていたように。
「なん、で……」
 当然の疑問が聞こえてくる。
 しかしどうして、だなんて質問は少し間抜けだと感じる。
「好きだから」
 それは口から滑り落ちた。
 貴方が好きだなんて分かり易い、小っ恥ずかしい台詞が自分の中にあっただなんて驚きだ。そういうあからさまな好意を示す単語なんて、羞恥心はあるし馬鹿馬鹿しいし到底口に出来るものではないと思っていた。
 だが声にするとそれは命を持ったかのように俺の中で息づく。
「アンタが好きだから」
 繰り返すとしっくりくるその言葉に、俺はこの飼い主が本当に好きなのだと思った。
 他の誰でもない、この男に抱き上げられ、名前を呼ばれたいのだ。
 思い出すだけで心地良さが俺の中に広がっていく。
「ユエ?」
 ぼんやりとした声で始はそう言った。
 それは俺の名前だ。黒い猫は金色の瞳を持っていた。それがまるで夜に浮かぶ月のようだから、だから月の名前を付けた。
「そうだよ」
 自分をユエだと言える歓び。初めて、猫と人間の自分が繋がり始と完全な関係を作れる気がした。
「でも、人間だよ…?」
 呆然とした呟きはまるで寝起きの幼児だ。
 俺よりずっと年上のくせに、なんだろうこの間抜けで無防備で、目が離せないと感じる思いは。
「人間にもなれるんだよ」
「どんな設定……」
「俺は特別だから」
 設定だなんて、まるでギャグマンガのような事を口にされたが、特別だからの一言で済ましてしまう。どうしてこんなことが出来るのかなんて、俺だって答えを持っていない。
「……そうか。そうだね。君は、そんな感じだった」
 始は意外にも納得したらしい。説明にもなっていない言葉たちなのに何故か全て理解したかのような口調だ。そして俺の頭を撫でた。
 猫の時と変わりない仕草に、やはりこの人間が自分の飼い主だったと確信する。
 自分が特別であるように、始も特別だったのだ。きっとこの繋がりは他にはない特別なものなのだ。
「不思議な猫だなって思ってた。そうなんだ」
 撫でられて、俺は始に口付ける。
 触れるだけのそれの合間に始が小さく笑った気配がした。
「可愛いね。君、人間でも可愛い。美人だ」
 ユエは可愛い、この世で一番可愛い、本当に可愛い。なんでこんなに可愛いんだろう。しかも澄ましてたら美人だ。
 そう始は飽きることなく繰り返す。甘ったるい声で、幸せそうに目を細める。それが俺の心もあっためるようだった。
 寄り添って眠る時間が真綿より優しいものであるのと似ている。
「アンタは、やっぱり俺の飼い主だ」
 そう口にして首筋を舐める。
 噛み締めると、尊い誓いのように聞こえた。
「くすぐったいよ、ユエ。ねえ」
 ねぇと言ったところまでは笑っていた。だが服を脱がし、その胸を撫で、突起まで舐めると始もさすがに「え」と驚いたようだった。
「なん、なんで…?」
 ふやふやとしたそれまでの喋り方ではない、はっきりとした声。
 何をされているのか、その疑問が鮮明になったのだろう。
「なんでも、何もない」
「え、ユエ?」
 服を剥ぎ取りながら始の足を開かせる。前回は始を一度イかせてしまったから失敗したのだ。この男はどうやらイくは即寝するタイプらしい。ならばイく前に眠れないような状態にしてしまえばいい。
 腹を撫で、俺より細いことを感じながら足の間に自分の身体を割り込ませた。
 目を真ん丸にしている始はやや怯えたような表情を見せる。
「何、ぼく、男だけど」
「見たら分かる。付いてるし、この前もヤっただろ」
 そう言いながら茎を握り混むと危機感が遅れてやって来たのか、始は身体を起こして逃げようとした。だがそれは胸の上に置かれた俺の手が防ぐ。ついでにくりくりと突起を摘むと頬が染まった。
「そうか、春が……来るから?」
「……まぁ、来るよ」
 始が急に頷いて目を逸らしたかと思うと、春なんて単語を出してきた。その続きがどうなるのか、なんとなく予測が付く。
 しかし俺はそんなことに構っている暇はなく、茎をなぶりながらも枕元のローションを手に取った。準備万端だ。
 これを探している間に先に寝られたことを根に持っているわけではない。
「発情期……か」
 もごもごと言い辛そうに始は口にした。
 やっぱりそうきたか。
「猫はそうだな。俺半分人間だから関係ねぇけど」
 春になれば心が躍る。それは間違いない。けれどそれが発情と直結するかといえばそうではない。人間として暮らしていく為に、発情期なんてものがあればただの犯罪者か変態だろう。
 理性のある生き物なのだ。春だからといって見境なく盛るわけがないのだ。
「でも、でも僕は。雄だよ……」
 男だとさっきのように言えばいいだろうに。わざわざ猫基準で雄なんて言わなくても、しかも泣きそうな顔をするな、喰らい付きたくなる。
 引くどころか、そんな男を啼かせたくなる。
「アンタがいいんだって」
 そう言いながらローションの瓶を開け中身をとろとろと流し、掌に載せる様を始は訳が分からないといような目で見ていた。ここから連想されることはないのだろうか。
 抵抗されないのは有り難い。そのまま後ろへと手を這わし、一本中に入れる。
 固く閉ざされたそれはきつく指を締め付けてくる。そりゃそうだよなと思いながら中を広げるようにほぐそうとした。
「な、な…なっ、後ろ!?」
「後ろだよ」
「何入れて」
「指。分かんだろ」
 くいっと指を曲げると始がびくりと震えた。そして涙目で俺を見上げて来た。
 許して欲しいとでも言いたいのかも知れないが、そんな目をされて許せるものなんているわけがない。
「これ、もしかして」
 中に入れている指を出し入れすると、本当はこの代わりに何を突っ込みたいのかということは察知出来たらしい。もっと早い段階で分かりそうなものだが、のんびりしている分こういうことには鈍いのかも知れない。
「俺が突っ込むための準備」
「ま、待って」
 わたわたと動き始めた始の首に噛み付いた。そして低く小さく唸った。
 猫が威嚇するような音に、きちんと似ていたことだろう。始はそれだけで動かなくなった。よく調教されている飼い主だ。
「ゆ、ユエ、あの」
「駄目。どこに行くつもりだよ」
 なぁと唸りながらも、後ろに二本目の指を入れる。熱く厚い肉の壁を探ると奇妙な感触の部分がある。テンに教えて貰ったのだが、それは前立腺というものらしい。
 それを刺激すれば勃つものだと聞いたが、どうだろう。
 試しとばかりに内側からそれを軽く押すと「う、わぁ、あっ」と驚きと共に喘ぎ声が聞こえてきた。
 音を出した本人もかなりのびっくりしたらしい。真ん丸になった瞳に俺はこくりと喉を鳴らした。
 なんだろう今の声。鼓膜を溶かすみたいな声で、ヤバイ。
 下肢が疼いたがいきなり突っ込めるはずもなく、俺は性急に中で指を動かした。
「や、あ、あっ、ふぁ、ん」
 始は首を振りながら俺の肩を掴んだ。たかがそんな動きで俺の気が紛れるはずもない。
 三本馴染むまでは入れない方がいい、と同じくテンに勧められていた。なので三本目を入れようとするのだが、つい「突っ込みてぇな」と呟いてしまう。
 ほぼ無理矢理のように三本目を入れるときついらしく始が無理と譫言のように零した。だが前立腺をいじってやると、内側は容易に指をくわえ込んでくれる。
「おまっ、締めんな。まだ締めるな。締めるなら俺の締めろよ」
「や、何、何言って」
 きゅうと締めた後ろの動きに苛立ってついそんなことを投げつけてしまう。
 それが自分のものに食い付いてくれると想像するだけで血が沸き立つ。
「そんなに欲しいならとっと入れてやるっ」
 三本入ったから出来るはずだ。もう我慢しているのが嫌でこのままはち切れるなんていう愚の骨頂を迎える前に指を引き抜いて始の足を掴んだ。
 大きく広げ、腰まで上げるように始の足首を肩に掛けた。体勢が辛いらしく始の眉が寄った。
 だがそれに構っている余裕などなく、高ぶっているそれを後ろに押しつけた。
「本当に、入れる、の」
 ここまで来て何を言っているのか。という返事もせずに俺は自分のものを納めようとした。
 どれだけ馴染ませたといっても、そこは俺を快く受け入れてくれるというわけではないらしい。
 食いちぎるつもりかというくらい締め付けられる。だが指で感じたそれが肉で味わえることに快楽が込み上げてきた。
 征服する。そんな錯覚に襲われる。
「入れるに決まってる。奥の奥まで、いっぱいにしてやる」
 舌なめずりをしながらそう言うと始は息を呑んだ。それは恐怖なのか期待なのか。きっと前者なのだろう。だが俺の目にはそれは食われることを願う獲物にしか見えなかった。
「ちゃんとくわえ込んで腰振れよ」
 高圧的にそう言い放ち、俺は宣言通りにやや強引に雄を差し入れる。ぎちぎちに締め付けるそれを押し広げ、深くへと入り込む感覚は脳味噌が痺れるような刺激だった。
「は、ぁ、ぅあ…」
 あぁと陶酔しているような声がして、人間として辛うじて保っていた意識が切断されるのを感じた。
 どうせ交尾なんて人間も猫も変わりない。所詮ケダモノなのだということをその夜俺は体現した。



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