通い方 1
二人してリビングでくつろきながらテレビを見ていた。 やることもないし、外出するのもなんだか億劫だった。 テンはやる気のない僕を見て、好都合とばかりに近寄って来ては懐いた。 最初は膝枕してくれって言ってたけど、何が悲しくて男の姿をしているテンに膝を貸さなきゃいけないんだ。 頭をはたいてお断りしたら、今度は背中にべったりくっついてきた。 本当に人懐っこいフェレットの特性そのままだ。 鬱陶しいから離れろって言っても全然聞かない。 「むーりー」とか言って笑うだけだ。 毎回のことだから、僕もいい加減慣れてきた。 そのまま放っていたら、ぴんぽーんとインターホンが鳴らされた。 休日の午前に誰だろうと思いながら、僕は立ち上がる。 来客とあって、テンも素直に僕を解放してくれた。 「はい」 ドアを開けると、そこには隣の部屋に住んでる豆吉君が途方に暮れたような顔で立っていた。 大きな体格をして、肩を落として拝むように手を合わせている。 「かくまって下さい。ホンマ、お願いします」 豆吉君は京都出身の人らしい。 標準語で話そうとしてるけど、イントネーションは語尾が上がるという関西独特の喋り方だ。そして時々方言が出る。 必死なその様子に、僕は「はあ」と曖昧な返事をして身体をずらした。 いつもは遠慮しがちなのに、今日の豆吉君は慌てるようにして部屋に滑り込んで来る。 何かに追われてるみたいだ。 「どうかしたの?」 玄関のドアを閉めて振り返ると、豆吉君はリビングで小さくなって座っていた。 「なんだよー豆吉。鹿野さんと喧嘩でもしたのか?」 テンは豆吉君は前々から仲の良い友達らしい。 だらーんと寝転がっていたテンも、豆吉君の様子に不思議そうな顔をして起きあがった。 「あの日やねん…」 「は?」 どよーんと沈んだ声に、僕は首を傾げた。 あの日って何だろう。 カレンダを見るけど、今日は特別何も書いてない。ただの日曜日だと思うんだけど。 「あー、はいはい。春だしな」 テンは何のことか分かったらしい。 納得した顔で、豆吉君の肩に手を置いた。 「頑張れ」 満面の笑みで突き放す。 それに豆吉君はショックを受けたようで「酷いやないか!」と声を荒らげた。 怒鳴っているというよりすがっている声に聞こえるのは、きっと豆吉君の性格から来ているんだろう。 温厚な性格みたいで、怒鳴っているところを僕は見たことがない。 「あの日って何?」 一人だけ状況が飲み込めていない僕は口を挟んだ。 するとテンがにやりと笑う。 だがその口から何かを聞く前に、またインターホンが鳴った。 「亘さんには、俺がいないって言って下さい!」 そう懇願して、豆吉君はテンの部屋に逃げていった。 鹿野さんに怯えるってことは、喧嘩でもしたんだろうか。 柴犬になれる豆吉君と、冷静沈着な鹿野さんとの喧嘩なら、間違いなく豆吉君が負けるだろう。 おっとりしてるし、大人しい上に、鹿野さんに対して絶対服従しているようなところがある。 犬としては最適なタイプだった。 「いないって言ってくれってなぁ」 そんなことをお願いされても、きっと鹿野さんならうちの中まで入って来て、きりきりと連行して行くと思う。 僕はそんなことを思いながら、ドアを再び開ける。 そこにはカジュアルな格好をした鹿野さんが気怠そうに立っていた。 出勤前に会うことが多いのでお互いスーツ姿が見慣れているんだけど、色合いが軽い感じのシャツとジーンズという姿の鹿野さんはいつもより若く見える。 そしてやっぱり私服でも美形であることに変わりがなかった。 でも今日はなんだか目が据わっている。 お怒りのご様子だ。 「うちの駄犬がご迷惑を」 ここにいると確信している口調だった。 一言詫びながら、玄関から見えるリビングに向かって鋭い目を向ける。 「あの…今日って何の日なんですか?」 テンに聞きそびれたことを、鹿野さんに問い掛けた。 すると鹿野さんはあっさりと教えてくれる。 「狂犬病の予防接種です」 ああ、なるほど。と僕は深く納得した。 犬は年に一度、狂犬病の予防接種をすることが飼い主に義務付けられている。 しない場合は、飼い主に罰則が与えられるほど、日本では徹底して勧められていることだ。 けれどこれが飼い主の頭を毎年悩ませてくれる。 犬が注射を嫌がるのだ。 困ったことに、年に一度しかない注射を犬は克明に覚えているらしく、毎年大騒ぎになる。 察しのいい子では、獣医の話をしただけでてこでも動かなくなるらしい。 まして病院に行けば、否応なくその先が読めるわけだ。 暴れる、鳴くは当たり前。獣医に噛み付こうとする子までいる有様だ。 「うちでも大変でしたよ…実家の時は、犬が嫌がって」 「でしょうね」 きゃんきゃん鳴いて暴れるのを叱りつけるのだが、いつもは聞き分けがいいのに、注射の時は駄目なのだ。 力づくで押さえ付けて注射に挑む羽目になって、犬も飼い主もへとへとになったものだ。 「でも豆吉君は人間なんじゃ?」 「散歩には行きますから」 犬の姿の時に、もしものことがあれば。と思っているのだろう。 予防は出来るだけしておきたいらしい。 それにしても。 「あんなに怖いものですかね。子どもの頃は学校なんかで注射したと思うんですけど」 僕は鹿野さんを中に招いた。 かくまってあげたいのは山々だけど予防接種なら仕方ない。 僕が鹿野さんの立場でも同じことをしただろう。 「犬の時だと、普段怖くないものが怖くなるらしいですよ。雷なんていい例です」 雷が鳴る前から犬は落ち着きがなくなる。 そして鳴り始めたらパニックを起こすのだ。 これは本能によるところで、訓練してもなかなか克服出来ないらしい。 鹿野さんはリビングを見渡した。けれどそこには豆吉君はもういない。 テンもいなくなっていた。 「雷が鳴ると暴れ回って怯えますよね」 テンはどこに行ったんだろうと思っていると怒鳴り声がした。 「人の休日邪魔すんな!」というテンの声だ。 何事かと思う間もなく部屋のドアが開き、テンが豆吉君の首根っこを掴んでいた。 テンと豆吉君の身長は変わらない。でも見たところテンの方が細身だった。 それなのに猫みたいに扱っているのだ。ちょっと驚いた。 「鹿野さん、これ持ってって。俺は亮平と一緒にのーんびり大切な休みを使いたいんですよ。犬っころに邪魔されたら亮平が甘えさせてくんないし」 「甘やかすか!」 鹿野さんに向かって豆吉君を渡しながら、テンは勝手なことを言う。 休みだからってテンを甘やかすものか。 いや…いつも甘やかしているって言えばそうなるかも知れないけど。 でも人間のテンはそんなに甘やかしてないはずだ。 「手間をかけたな」 鹿野さんは一つお礼を言いながら、豆吉君の頭をばしぃと叩いた。 いい音がしたから、結構痛かったんじゃないかな。 豆吉君、頭抱えて涙目だし。 犬だったら「くぅん」って鳴いてるんだろうなぁ。 「ルディは外で大人しく待ってんだよ!この駄犬が!見習え!」 鹿野さんが容赦なく罵声を浴びせた。 いつもながら、きつい口調だ。 「昨夜から荻谷さんがなだめすかしてケーキをワンホール買ってあげてるんですよ…。それでも今朝はもめてました」 豆吉君はぼそぼそとルディさんの行動をバラしている。 いつも穏やかで、同居人でもある大家の荻谷さんとは仲が良くて。人の話に「そうですね〜」とにっこり答えてくれるあのルディさんが。 朝から荻谷さんともめるって、意外だ。 良妻の鏡みたいな人なのに。結婚してないけど。 「じゃあおまえにも犬缶買ってやるよ」 「犬缶…」 缶詰一個で黙れというのか。 なかなかに厳しい提案だ。 うちの場合なら、熟したバナナのひとかけらで我慢しろってところかなぁ。 (無理…そんなのでききやしない) テンは食べ物に関してあまり執着がないから。物で釣るってことが出来ない。それが難点だ。 「なんか文句あんのかよ。ったく手間のかかる」 鹿野さんは豆吉君の胸ぐらを掴んだ。 顔を殴るのかと思って、身構えた。 いくらなんでもそんなに怒ることないのに。ちょっと過激過ぎるんじゃないのかなと眉を顰めた。 でも鹿野さんは殴るわけではなく。 「っ」 豆吉君にキスした。しかも触れるだけでなく、舌を入れたものだ。 何の躊躇いもない。むしろ慣れているような素振りまであった。 「は…」 僕も目が点だけど、豆吉君も目が点だった。 でも鹿野さんが豆吉君の唇を舌で舐めると、今度は自分から求めるように鹿野さんの顎を指で掴んでいる。 この二人って。 「いいなぁ〜。な、亮平もやって」 隣からテンがねだってくるけど、僕はそれどころじゃない。 目の前で交わされているキスは、両方男なんだけど。 「…ね、この二人」 「あれ、知らなかったっけ?」 知らない知らない! 察しろって言われても僕の頭は常識がみっちり詰まってる…はずだし。最近テンのせいで時々崩れるけど。 男同士の二人暮らしって言っても片方は時々犬だから。鹿野さんも犬大好きらしいから、その縁で住んでいるんだと。 だけど目の前で繰り広げられているのは、完全に恋人同士のやりとりだ。 「飼い主とペットってだけじゃないよ。この二人。ま、ここだけじゃないけど。鹿野さんは豆吉のちょっと抜けてるところとか、一途なところとか好きみたいだし。豆吉は豆吉で鹿野さんの気の強いところとか、躾に厳しいところとか好きらしいよ」 躾の厳しいところが好きって。豆吉君ってちょっと変わっている。 「やり過ぎだ!いつまでやってんだよ!」 鹿野さんはしつこいキスに苛立ったのか、豆吉君の頭を叩いて止めさせた。 中断させられた豆吉君は情けないほどの上目遣いで鹿野さんを見ている。 その身長差は軽く十センチはあるのになぁ…。 本当に、飼い主と犬って光景だ。 「調子に乗ってないで行くぞ。ここまで来て逃げたら、二度と一緒に暮らしてやらねぇからな」 冷ややかな声で鹿野さんがそう言うと、豆吉君が凍り付いた。 二度と一緒に暮らさない。がきいているらしい。どの子も飼い主は好きみたいだし。 うちのテンも同じことを言ったら、大人しくなった経験がある。 豆吉君は肩を落として「はい…」と答えている。 その姿に哀愁が滲んでいた。 「分かったならさっさと行け」 飼い主は犬の背を叩き玄関に促した。 そして僕に「お騒がせしました」と礼儀正しく挨拶をしてくれる。 飴と鞭を上手に使い分けて見せてくれた鹿野さんを、僕は見習いたい気がしたけど。どうも無理な予感がした。 ご褒美にキスはないだろう。 第一うちの場合、それをしたら間違いなく僕が押し倒されている。 (犬みたいに「待て」が出来るわけでもないしなぁ) フェレットの姿であるならまだしも、人間の姿でも「待て」が出来ないのだ。 (駄目いたち…) その駄目な子は、僕の隣で手を振って二人を見送っていた。 next |