健全ではありません3 2



 この店で食べる昼飯はこれ、となんとなく決めているのだが。今日の定食屋の場合は豚の生姜焼き定食だ。美味しい上にボリュームがある。しかも味噌汁と小鉢はその日によって違った。軽い日替わりみたいで、行く度に何なのか楽しみでもあった。
 後輩はその日によってころころ食べるものが違う。今日はサバの味噌煮定食らしい。肉より魚派なのだと、以前聞いたような気がする。
 女性に対して冷たいのも肉食じゃないからかぁなんて以前は思っていた。
 今は単純に好みの問題だと知ってしまった。自分がそこに当てはまった結果だなんて、キスをするまでは想像も出来なかっただろう。
「付き合うにあたって、必要なのはスキンシップですか?他に求めるものはありますか」
 綺麗に鯖の骨を除きながら、後輩は淡々と尋ねてくる。大して興味がなさそうな口調だ。
「他に求めるものなぁ……付き合ったらすぐにエッチするとか、そういう性的なものに走るんじゃなくて。もっとピュアな付き合いから徐々に関係を深めたい」
 性交をメインに捉えている夢魔には面倒、というより理解出来ない考えかも知れない。
 現に後輩は眉間に皺を寄せた。
「ピュアな付き合い?あれで?」
「どれで!?おまえにそんな顔されるいわれはないんだが!?俺はピュアだけど!」
「まあ……そういう一面もあるんでしょう」
 自分のことをピュアだというのもいい加減恥ずかしいのに、後輩に軽くいなされると更に恥ずかしい。
 何言ってんだこいつ、とはっきり口にされた方がましだった。
「先輩にとってのピュアな付き合いってなんですか?」
「え?」
「ピュアなお付き合いです」
 自分でピュアと言ったくせに、突っ込まれると言葉に詰まった。ピュア、純粋な付き合いとは何なのか。性行為に頼らないものだと自分で限定してしまっている。
「……デートをしたり」
「どこに?」
「…………公園とか?」
「はあ?公園?小学生ですか」
「近所の小さい公園を想像すんな。遊具で遊んでるんじゃねえよ。この年で砂場遊びしてたらヤバイだろうが」
 後輩の目が明らかに俺を不審者として見ていた。あいつはここから徒歩五分ほどで辿り着ける小さな公園をイメージしていたはずだ。
 しかし俺のイメージはキロ単位で敷地がある自然公園や、有名観光地と隣接しているような大きな規模の公園だ。というかデートで公園と言ったら大体観光スポットそのものか、その近くにある名所だろうが。なんで近所の子どもと混ざってブランコ漕ぐんだよ。
「おまえ、デートしたことないだろ」
 発想の幼稚さにそう指摘すると、後輩は眼鏡をくいっと押し上げた。
「誰に訊いてるんですか」
「俺が間違ってた」
 他人嫌いでスキンシップを蛇蝎のごとく嫌っているこいつが、誰かと付き合っているわけがなかった。訊くだけ無駄だった。
「デートかぁ……定番なのは水族館とかじゃないか?」
 これまで自分が行ってきたデートスポットを思い出すが、相手が誰であろうと必ずと行っていたのが水族館だ。季節問わず、何の準備もなく気軽に行ける場所で外れがない。
「水族館ですか。悪くないですね。行きますか」
 味噌汁を飲みながら、後輩はさらりとそう言った。あまりにも自然なので「そうだな」と言いかけて、かろうじてそれを飲み込む。
「誰と?」
「俺と」
「なんで?」
「デートなら水族館なんでしょう」
 先輩が言ったんでしょうがと呆れたように言われて心外だった。
「それはデートの話だ。恋人と行くならっていう前提だ」
「なってもいいと思ってます」
「俺は思ってないが?」
 何故俺から恋人になります、という返事が来るかのように喋るのか。そんな反応は一度もしていない、むしろならないという態度しか取っていないはずだ。
 なのに後輩は不可解そうな目を向けてくる。
「これだけ俺の身体にハマってるのに、起きてる時は呆けたことを言いますね」
「先輩を敬う心をいい加減持て」
「持ってもあまり意味がないので」
「いつか刺されるぞ」
「先輩に?」
「いや、人殺しはちょっと……社会的にデメリットが大きいから。人生が一瞬で転落するようなことは止めたい」
「俺を刺すこと自体には躊躇いがないな」
 ぼそりと言われるのだが、そこは触れないでおこう。この程度でショックを受けるような男ではない。むしろショックを受けるような繊細さと可愛げがあればそもそもこんな話はしていない。
「金曜日の夜にいつも通り泊まって、そのままデートに行きますか。それとも土曜日に待ち合わせてしてデート、その後泊まりますか?月曜日は祝日で三連休ですから、どちらでも構いません」
「行くって言ってないが?」
「たまには気分転換として外で待ち合わせしますか」
「おまえとのデートで気分転換が出来るか?」
 本気か?と確認をとる俺の前で後輩は定食を食べ終わり、手を合わせた。いただきますもごちそうさまでしたもちゃんと口にするのだ。こういう礼儀は正しいのに、何故人間相手になると途端に雑になるのだろうか。



 休日に男の後輩と待ち合わせをしてデートに行くだなんて、俺は一体何をしているのだろう。おまえとデートはしない、と言っても後輩が聞かないせいだ。
 そのうえ俺がデートで何度も行っていた水族館に、後輩は行ったことがないらしい。
 国内トップクラスの規模と来客数を誇る大きな水族館はかなり知名度が高い。デートだけではなく、家族、友達と行くのも定番のような場所なのだが。就職して遠方から会社の近くに引っ越してきた後輩にとっては興味のない場所だったらしい。
 確かに成人した男一人にとって、水族館は馴染みがないものかも知れない。
「行ってみたいです」
 素直にそう言われてしまうと、まあ……いいかという気分になった。
 後輩が仕事以外の希望、ましてどこかに行きたいなんて言い出したのは初めてだった。
 デートというより子どもにお出掛けをねだられたような気分になってしまった。結局三連休に何の予定もなく暇だったのだ。
 ちなみに待ち合わせは水族館の前だ。現地集合にした。その方が効率が良い上に分かり易いという双方の意見が一致した結果だった。行き道を楽しむような感情の機微は後輩にはない、また俺もそこを重視するつもりはなかった。
 後輩は待ち合わせの時間十分前にはすでに到着していた。細身のデニムにシャツ、羽織り物としてざっくりとしたカーディガンというシンプルな服装だ。それは良いのだが、何故か大きな真っ黒いサングラスをしていた。
 真夏でもそんなサングラスしているやつはいないだろう。海外セレブかと思うようなごついサングラスに、通りすぎる人たちの視線が集まる。服装が大人しいだけに、サングラスがあまりにも浮いている。
(なんで目立ってんだ)
 他人から注目を集めるのが嫌いなはずなのに、どうして自らあんな奇妙な外見を作っているのか。わけが分からないが、後輩がわけの分からないことをするのは今に始まったことではない。
「サングラスが似合わないな」
 声をかけると後輩は「そうでしょう」と頷いた。分かってやっているらしい。
「服装にも似合っていないので、サングラスが異様に浮いていると思います。でも顔が隠せます」
「顔は隠せるが不審者みたいだ」
「声がかけづらいでしょう」
「……大変だな」
 全くその気がない女性に言い寄られて会社で揉め事を起こしたばかりだ。顔面が整っているというのも、後輩にとってはメリットにはなっていないのかも知れない。面倒事が増えるだけだとうんざりしている節もある。
「でもサングラスだと館内が何も見えないぞ」
「分かってます。眼鏡もしっかり持ってきています」
 肩に掛けていたトートバックから眼鏡ケースが出てくる。見慣れた眼鏡をかけると、空いた眼鏡ケースのスペースにサングラスが入れられる、と思ったのだが形がごついので入らないらしい。無造作に剥き出しで鞄の中に入れられたので、あれはきっと安物なのだろう。
 眼鏡にはこだわりがあるようだが、サングラスにさしたる興味はないようだった。大きければ大きいほど顔が隠れるから便利、程度の考えかも知れない。
 普段の眼鏡に掛けかけると、横を通りすぎようとしていた女性二人がちらりと後輩を見ていた。イケメンなんて声が聞こえてはサングラスの効果を思い知る。
「……入るか。入ったら薄暗いから顔もろくに見えないだろ」
 ぶすっとする後輩を入場口へと促す。女の子にモテる男をひがむならばともかく、宥める羽目になるとは後輩に出逢うまで想像もしていなかった。


 


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