健全ではありません2 5



 俺の知らないところで俺の身体を知り尽くしている、という恐ろしい台詞を平然と吐く後輩は「そもそも」と至極真面目な顔で腕を組んだ。
「キスなんていつするんですか」
「いつ?」
 キスをいつするのか。
 そんなことを真剣に考えた人はいるだろうか。そもそもそんな疑問を持つタイミングが人生の中で一度でもあるものだろうか。
 俺にはなかった。
「……イチャイチャしたい時とか」
 とりあえずとばかりに考えて出た答えがそれだった。先輩として、後輩からの疑問には無下にせず向き合おうという信念がそう言わせていた。
「…………はあ」
「意味が分かりませんが?みたいな顔すんな。人間にはそういう時がある。甘えたい、甘やかしたい時が。はいはいおまえにはないですね。スキンシップも嫌いでしたね。触るなって顔してるな!」
 恋人になれば相手との距離を詰めようとしてスキンシップを取ったり、友達ではなく恋人らしいことがしたくなってキスくらいするだろう。
 その延長で心を許した相手に、甘えたくなる。もしくは自分にだけ甘えて欲しいと思うことだってあるはずだ。特別感を、他の誰とも違う優越感を味わうにはキスなんて手軽でいいじゃないか。
 好きだと伝えるのに丁度良い合図だとも思う。
 だが後輩は俺が言葉を続ければ続けるほど疑問を深めていくのが、顔に出ていた。
 触られるのが苦手、触るのも避けたいと思っている後輩から共感が得られるわけもない話題かも知れない。
 ましてキスがしたい時なんて、どれほど説明しても後輩は理解出来ないのではないか。最初から詰んでいる話なのかも知れない。
「キスなんて、セックスの前戯じゃないですか?」
「おまえは喋ってると俺の認識がバグってくる」
 スキンシップは駄目なのにセックスには積極的だ。それは夢の中だから、と脳内で注釈を付けようとは思うのだが間に合わない。
「口内の愛撫は指や性器でもいいですが。舌が一般的かつ容易で、快楽を引き出すのに適しているので、やはりキスはセックスの前戯だと思います。ですがセックスを始めるでもないのにキスをする意味が分からない。それとも前戯を少しずつ日常の中に取り入れて焦らすという方法ですか?」
「うん、そんなこと考えるのおまえだけだと思う。少なくとも俺の考えじゃない」
「では先輩はいつしたいんですか。甘えたい時っていつなんですか」
「好きだと思った時にやるよ」
 何を言っても納得はしないだろう。だから俺は一番分かりづらいだと思う答えを告げていた。
 好きだと思うタイミングなんて、それこそ後輩にはぴんと来ないだろう。後輩が誰かを恋愛対象として好きになるなんて想像するのも難しい。
「では」
 何が「では」なんだ。
 そう尋ねようとした俺の唇が塞がれた。
 初期動作は何もない。突然顔を寄せては躊躇いなくキスをしてくる。ファーストキスは檸檬の味だの何だのという有名な話が頭をよぎるが、直前に食べていたアイスの香りがするだけだ。いや、アイスより部屋に残っているカレーの匂いの方が強いかも知れない。
 ムードも何もあったものではないキスをして、後輩はあっさりと離れてった。
「なんでドヤ顔?」
 後輩はしてやったとばかりに満足した顔をしている。何故その表情なのか心底謎だった。
「……先輩って時々どうしようもないほど愚かですね」
「直球過ぎる罵倒は止めろ。おまえはオブラートが足りない」
「遠回しに言っても中身は変わりません。むしろ伝わりにくいで理解を得られない可能性が高まる」
「ストレートに投げすぎると人を傷付けるんだよ。というかなんでキスをするのかって話を俺はしてるんだ」
 後輩と喋っていると論点がよくずれる。こいつの態度を注意する方向に流れがちだ。
 けれど今は流れている場合ではない。
 今後無断でキスを仕掛けられるのも困る。
「足りませんか。そうですか。仕方ありません」
 だから何がだよ、と言う俺の頬を後輩は両手で掴んだ。優しい手付きに面食らっていると、唇はまた塞がれる。
 ちゅうと吸い付く音に唖然としていると、口の中に生温かなものが入り込んでくる。
「んぐっ」
 舌を入れたキスを後輩とぶちかます羽目になるとは思わなかった。ぬるぬるとしたものが口の中を動き回る感覚は決して初めてのものではない。だが我が物顔で舌に絡んで来たり、上顎を舌先で突いたり、かと思えば俺の舌先に軽く歯を立てたり。こんなにも積極で緩急を加えた刺激を与えられるのは初めてだ。
 深くまで入ってくる舌に、一気にぞわぞわしたものが背筋を這い上がる。
(この前ファーストキスを済ませたばかりのやつがするキスじゃない!)
 何故だ!という叫びすらも後輩の舌が奪っていく。
 舌が絡まり合っては自分の舌がどうなっているのかも分からない。舌が溶けていくような感覚に身体に力が入らなくなってくる。
(これ以上はまずい!)
 何がとは言いたくないけれど、確実にやばい階段を上り始めている。後輩の肩を掴んではぐいっと押し退けようとした。けれど力が入りきっていないのは自分でも分かる。
 情けなさを覚えるが、後輩は俺の抵抗を無視はしなかった。
「おまえ、初めてじゃなかったのか!」
 怪しいろれつを誤魔化すように声を張り上げる。数時間前に抜いていなかったら反応していたかも知れないほど、身体が熱を帯びている。
 悔しさに後輩を睨み付けると、後輩は真顔で眼鏡を押し上げる。
「悪くないですね、これならいいです。出来ます」
「出来ますって」
「感触として不快ではありません。どちらかというと面白いような気がします」
「しなくて良かった!しなくて良かったのに!」
「時々ならしても良いと思います」
「俺は求めてないよ?」
 相手からの要望に応えようとしているかのような言い方だが、俺はこいつとキスをしたいなんて一言も言っていない。
「気持ち悦いでしょう。先輩の身体はよく分かります。特に性欲は手に取るように分かる」
「分からなくていい。分かろうともしないでくれ。俺の性欲は俺だけが把握していればいいものだから」
「いえ、先輩の性欲は美味しいので、俺にも関係があります。キスをして先輩の性欲が高まるなら無駄ではありません」
「高まって勃ったらどうすんだよ!おまえがしてくれんのか!夢の中でもしてるから平気なのか!」
 後輩とのキスで勃つなんてかなり屈辱だが、気持ち悦さに身体は抗えない。もし引き返せないほどに硬くなったら、後輩が何とかしてくれるのか。
 俺にとっては深刻な問題なのに、後輩は渋い顔をする。
「夢と現実は違います。起きている状態でやるのは不衛生なのでちょっと、ご遠慮願いたい」
「おまえが仕掛けたんだろうが!!そこで潔癖さを見せるな!」
「俺は夢魔なので、実際の性行為は必要としていません。感染症も怖いですし」
「ないよそんなもん!たぶん!疑いの目で見るな!傷付く!」
 性行為によって感染する病だの何だのは持っていない、はずだ。検査をしたことがないので絶対に安全とは言い切れない部分はあるけれど。常に避妊具と共にあり、付き合った相手としかしていない。
 しかしそんな俺に後輩はじとりとした目を向けてくる。どうしてここが信用が得られないのか、俺をどんな目で見ているのか。
 性にだらしないと責められているようで、痛くないはずの胸に激痛が走る。童貞からしてみれば俺も不純なのか。
「ちょっとくらい傷付いても夢の中で慰められるので。まして俺に関わることなら、ちゃんと夢の中でデロデロに甘やかしてあげます」
「だからって現実の俺をズタズタにするな!もっと俺を大事にしろ!」
「してますよ、これ以上ないくらいに」
「いや、してないから」
 今まさにないがしろにされたばかりだから。
 そう言い返すは後輩は首を振った。
 どうしてこいつは常に上から目線な態度なのだろう。その態度自体が大事にしていない証拠だろうが、と思うのだが後輩は聞く耳を持たない。
「仕事なら頼もしいんだけどな……」
「俺は優秀ですから」
「人格が破綻してるから、プライベートはてんで駄目なんだよな」
「先輩も大概直球で罵倒してきますね」
 オブラートが通じない相手に使う義理はない。
 大きく息を吐いては疲労感を覚える。だがオブラートも全部捨てて接するのが、特に嫌というわけではなかった。
 

 


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