健全ではありません2 2
終電でギリギリ家に辿り着いて、風呂に入って倒れるように寝た。 酔っ払っているので風呂には入らない方が安全だとは分かるが、汚れた身体でベッドに横になるのはどうしても許せない。酔いを覚ますように軽くシャワーだけ浴びた。 髪を乾かす余裕まではなかったので、今朝の寝癖は酷いものだった。冗談抜きで鳥の巣のようになってしまったので、寝起きで顔を洗うついでに髪もびしょびしょに濡らしてはドライヤーをかける羽目になった。 ただでさえ遅い目覚めだったのだが、更に遅れてほぼ昼のような時間に飯代わりの菓子パンを頬張る。二日酔いにはなっていないけれど、頭がやや重たくぼーっとしていた。飲み会の翌日は大体腑抜けになっている。 「すげえ……日曜日感」 ここのところ土曜日の朝は後輩がいて、朝飯の支度をしてくれていた。睡眠時間もしっかり取れており、目覚めはすっきりしたものだった。 爽やかな朝、人が作ってくれた飯。それが最近の俺の土曜日の朝だったのだ。 こんな怠惰な朝は日曜日か祝日の体感だった。 後輩と過ごす金曜日の夜が完全に定着している事実に、何やら複雑な心境になってくる。 俺の人生はこれでいいのだろうか。 しかし悩んでいる間も貴重な休日は過ぎていく。ひとまず洗濯機を回して部屋に掃除機をかける。空気の入れ換えをしながら汗ばむ気温に溜息をついた。 外に出ると絶対に暑い。だが買い出しに行かなければ、来週の食料と日用品がない。一人暮らしは自分で動かなければ生活を回せない。 (だっる……) 窓の外は燦々と太陽が照っている。焦げそうな陽光を眺めているとやる気が削がれていき、ぐったりとベッドに腰掛けていた。 「そういえば」 頭が重いと思っていたけれど、重たいのはそこだけではなかった。憂鬱な気分で外を見詰めているだけなのに、下半身にまったりとした重みがある。 性欲が溜まっているのだ。 「……抜いてないな」 そういえば最近抜いていない。 金曜日の夜に後輩が来るようになってから、下腹部が重たくなったり、もやもやしたりという体感がなくなった。夢の中で実際に出さなくても平気になってしまうくらい、後輩に性欲を根こそぎ喰われている。記憶がないので何とも言いがたいのだが、この感覚が久しぶりだということは、きっと欲情する気力自体奪い取られているのだろう。 (いいけどな別に。一人でスんのが好きなわけじゃないし。面倒くさいと思う方が多いし) 夢の中で気持ち悦くなって、現実では手間が減ったと思えばそれはそれで良いのだろうが。それがあの生意気で上から目線で物を言う後輩のおかげだと思うと、素直に良かったと言うには抵抗がある。 (夢の中ですげえことされているらしいけど、何も覚えてないしなぁ) 気持ち悦かったという淡い体感だけが残されている。ふわふわとした曖昧で、少しの気まずさを伴う感覚を、どう受け止めて良いのか未だに分からない。 (……依存するのは良くない) あいつは職場の後輩であり、恋人でも何でもない間柄。お互い都合が良いから金曜日の夜をともに過ごしている。ただそれだけの関係なのだから。 どこかで割り切るべきだ。 後輩に甘えるのを止める、と決意はまだ出来ないけれど。まずはもやもやとするこの性欲を片付けた方が賢明だろう。 放っておいても気になるだけだ。 スマートフォンを手に取っては自分を興奮させるためのネタを探す。アダルト動画の目星は付いている。 元カノに振られるまではそれなりに性欲もあり、自分で定期的に抜いていた。その時にお世話になった動画サイトに飛んでは幾つかピックアップする。 自分の性癖くらい把握している。なので手軽に、最短で性癖に刺さりそうなものを次々観るのだが。どれもいまいちぴんと来ない。 興奮しないわけではない。だが観ている途中で、集中出来なくなる。 可愛い女性にも、柔らかそうな身体にも、豊満な胸にも心惹かれるのに、触ってみたいと思うはずなのに。いざ挿入が始まると途端に意識がぶれる。 入れている側か、入れられている側か。どちらの感覚に寄せるのか、一瞬迷うのだ。当然入れる側であるはずだ。それが肉体的に正しいはずなのに、男優がイチモツを突っ込む際、入れられる側の体感はどんなものなのか想像してしまう。 そんなものは知らない。夢の中でどうされていても記憶がないのだから、思い描けない。なのに身体の中に奇妙な感覚が生まれるのだ。 それが本当に入れられている側が感じているものかどうかは分からない。けれど後輩の正体を知るまでは、決して味わうことはなかったものだ。 不快感ではない。淡い気持ち悦さに似た体感に戸惑って、違う違うと自分を説得するのに集中してしまう。興奮なんて二の次になっていた。 不本意だ。 (俺は男だ。突っ込む側だ。ついてるもんをしっかり使って、気持ち悦くなるべきだろう。何も入れられたことなんてない。おっぱいを掴みながら腰を振りたいだろう) そうだろうと自分に言い聞かせて、改めて動画と向き合う。アダルト動画にこれほど真剣になるのは親に隠れてエロ本やエロ動画を観ていた頃以来ではないだろうか。 結局挿入シーンよりフェラに興奮出してしまったのだが。女性の声や体付きにエロい、ヤりたいと思えたのだから。きっと自分は正常だ。 そうだ、女体はエロい。男の身体に興奮なんてしなかった。興味もなかった。だから俺は真っ当な性癖に違いない。 抜いた後にほっとしながら、一人で結論を付けた。脱力感と共に冷静さを取り戻していると、それまで喘ぎ声を流していたスマートフォンにメッセージが表示される。 『これから先輩の家に行ってもいいですか?』 「ちょっと遅い」 後輩から届いたメッセージに思わずそう言ってしまい、そんな台詞を口にした自分にダメージを食らった。遅いってなんだ。別に俺の性欲が溜まってようが、抜こうとしていようが、後輩には関係がない話だ。 溜まってるから抜きたいだなんて、後輩に相談するわけがないのだから。まして今日は土曜日だ。金曜日の夜じゃないんだから、後輩の世話にもならない。 そもそも金曜日の夜に、後輩の世話になるのも約束しているわけではない。なんとなくで続いているだけなのだから、当たり前のように受け入れているのも良くないだろう。 『なんで?』 休日にこいつがわざわざ俺に会いに来るなんて初めてだ。 プライベートと仕事はきっちり、それこそ一秒たりとも混ぜないという強い志を感じる後輩から、こんなメッセージが来るなんて異常事態だ。 『金曜日の夜にお邪魔していないので』 『別にうちに来なきゃいけないって決まってるわけじゃないだろ』 後輩も俺と同じように一人で金曜日の夜を過ごしたのに違和感があるのか。いやこいつの場合は夢魔としての食事を欲しがっているのかも知れない。食いっぱぐれたというところか。 『飲み会の帰りにうちの近くまで付いて来た人がいて、その人に押しかけられそうになっています。他の人からも無意味な連絡が来ていて、正直家にいたくありません』 『ご愁傷様』 あの飲み会での後輩は相当に大人しかった。だから女性たちも、そろそろ彼女を作ろうとしているのではないか、なんて勘違いをしたのだろう。脇の甘さを見せてしまったのが運の尽きだ。 だからといって家にまで押しかけてきそうな勢いというのは、笑える話ではない。性別が逆ならば警察沙汰ではないか。いや、このままの性別でも十分警察沙汰か。 『月曜日に出勤した際、コンプラに相談します。これはストーカーです』 文面からは怒りが滲んでいる。 プライベートを大切にしている、その上人付き合いが苦手な後輩からしてみれば許しがたい状況なのだろう。 『うちに来ても何もないぞ』 同情と共にそう返信する。 冷蔵庫の中は乏しく、飲料程度しかない。客をもてなすようなものは何も置いていない。そんなことは毎週来ている後輩ならば知っているだろうが、改めて伝えておく。 『構いません』 『何もしないなら来てもいい』 もう性欲は抜いた。だから夢魔としての後輩の世話になる必要はない。第一にあれは睡眠障害のようになっていた状況から脱却するためのものだったのだ。 俺にとってはもう必要性がなくなったのではないだろうか。 『夜にお邪魔します』 今から押しかけるのかと思ったのだが、意外と時間の猶予があるらしい。それならばと重たい腰を上げる。 多少は冷蔵庫を満たしておくのが、先輩としての優しさだろう。 焦げてしまいそうな太陽の光に晒される覚悟を決めて、鞄を手に取った。 次 |