健全ではありません2 1



 大衆居酒屋の一室を貸し切って、職場の飲み会をしていた。日頃の鬱憤を晴らし、円滑な人間関係を築くためだなんて言っているけれど。要は酒が飲みたい人間が集まっているだけの場だ。
 まして長が付くような連中には隠れて、若手がメインの開催だ。面倒な上下関係も薄まって、羽目もしっかり外れる。
 そんな騒ぎたいやつがはしゃぎまくるのが分かり切っている場所に、後輩がいるのが不思議だった。
 あいつは飲み会という場が苦手だ。というか集まって騒ぎながら酒を飲む利点が分からないとはっきり口にしていた。
「コミュニケーションがとりたいなら仕事中に、業務内容でとってください。勤務時間外に、しかもアルコールを入れてまともなコミュニケーションになると思っているほうがどうかしている。非効率的です」
 淡々と語った後輩に、職場での摩擦の少ない人間関係とはどのようにして成り立っているのか。またそのために飲み会というものがどんな役割をしているのか。
 俺は先輩面をして教えてやった。
「おまえにとっては無駄かも知れないそのお遊びの時間に、意味を見出しているやつはいくらでもいる。勤務時間外でもちゃんと相手をしてくれる、おまえの時間を浪費してくれる。それを目に見える形で示すのも一種の信頼に繋がる」
 後輩が飲み会についての持論をぶっ放して、周囲から総スカンを食らう前に。俺はあいつを昼飯に誘い出しては近所の定食屋で語ってやった。実際に後輩のこれからの人間関係を思って、こうして勤務時間外も付き合っているのだと自分で実践して見せた。
 後輩は余計なお世話だと言って突っぱねるかと思った。
 だが意外なことに大人しく聞いていた。そして意見の一つとして聞いておきます、とまたくそ生意気な返事をしていた。
 どうせ俺の意見なんて無視するんだろうな、と思っていたのだが。あいつは参加人数が多めの飲み会ならば出席していた。少人数だと人間密度が高くで鬱陶しいが、大人数なら適当に聞き流せば乗り越えられる。何より人数が多いと注目もされない。頃合いを見て抜け出すのも容易だからだそうだ。
 事実あいつは時折飲み会の途中に消えている。
 文句を言うやつはいるけれど、概ね許されているのはあいつがそもそも飲み会に参加しそうなキャラじゃないからだろう。飲み会なんて馬鹿にしそうなタイプだと、周囲は正しくあいつを認識していた。
 それが予想外に出席はしているので、飲み会などの人付き合いを馬鹿にしているわけではないのだなと好意的に見られているのだ。
 俺の忠告は無駄にはならなかったらしい。そして後輩もそれは認めているようだった。
「先輩のような考えの人間は俺が思うより多いみたいですね」とやや呆れたように言っていた。その呆れを顔に出さなければ俺ももっと後輩の世話を焼こうという気持ちになるのだが。あいつは可愛げというものが欠落している。
(ほんとに、めんどくさそうな顔してんだもんな)
 端っこの席に座っては、仏頂面で烏龍茶を飲んでいる。酒が呑めないわけじゃない。俺と二人なら酒を選ぶ。だが大勢の飲み会になると酒を手に取らない。
 酔わせようとしてくる人間が嫌いらしい。自制心を鈍らせたくないのだろう。
(あれを見たら、警戒するのも分かる)
 後輩の周囲を女性たちが囲んでいる。ギラギラとした視線がぶつかり合い、お互いを牽制しているようだ。獲物を取り合っている獣の群れに見えるのは俺だけではないらしい。同僚の一人が「狩猟ゾーン」と呟いていた。
「女ってあんなやつの何がいいんだよ」
「顔だろ顔。あいつ顔だけはいいから」
 同僚が口々に後輩を語る。あれだけ女性たちにモテていても、苛立ちを露わにしていないのはあいつの人格に問題があり。万が一付き合ってもどうせすぐに別れると踏んでいるからだろう。
 そもそも後輩は女性が苦手で、彼女は欲しくない邪魔だなんて失礼なことを平気で言うような男だ。彼氏にしてもすぐに幻滅されるというのが同僚たちの共通認識だった。
 決してモテない男のひがみではない。
 女性たちが一部に固まっているので、俺の周りは男ばっかりになっている。だがお決まりのパターンなのでもはや気にもならない。むしろ今は女性たちが遠い方が落ち着ける。
 元カノと別れた後の俺の評判は地に落ちた。それから徐々に復活しようとはしているけれど、元カノの近くにいた人たちからの風当たりは今でも極寒だ。
 かなり歪んだ情報を流されているのだろう。おそらく後輩よりも酷い男になっている。
(もしそうなら鬼畜の極みじゃないだろうか)
「知ってるか。あいつってさ」
 それまで黙っていた同僚の一人がにやにやしながら思わせぶりに話しかけてくる。相当酔っ払っているのだろう、顔は真っ赤でややろれつも怪しい。
 普段あまり軽口を叩くタイプではないので、同僚たちは一気にその男に注目した。何が出てくるのか、俺も枝豆を摘まみつつ待ってしまう。
「あんな顔してるくせに、童貞らしいぞ」
「えっ、マジで!?あんな感じなのに!?」
「なんで?女嫌いって本当だったのか?」
「女嫌いっていうか、人間嫌いだからじゃないか?でも童貞はちょっと意外だったな」
 口々に好きなことを言っている。あれだけモテているのに、まだ性行為をしたことがない、女に押し切られた過去もない、というのは確かに意外なのだろう。
 今も積極的な女性が腕に絡み付き、反対側で肩にしなだれかかる人がいて。キャバクラかと思うような空間になっているのに、本人は無の表情でだし巻き卵を食べている。
 嫌がる素振りもまだ見せていないので、女性たちもどこまで迫れるのか探ってるようだった。強引に付き合えるのではないかと期待して、なんとか絡み取ろうと頑張っている。
(上に乗っかかられたことがないんだな)
 無抵抗な後輩を眺めながら、次はゲソの唐揚げを口に運ぶ。衣はカリッと、中は柔らかな食感に大当たりだなと思う。ゲソの唐揚げはただ硬いだけのものも多い。
 安価な割に料理が美味しい店だ。もしかすると後輩の表情が不快感に歪んでいないのも、料理が美味しいせいかも知れない。
「しかも童貞君のファーストキスは最近らしい」
「ごぶっ」
「おっと、ここで後輩に一番懐かれているやつが噴き出した!さすがにびっくりしたか。そうだよな。ファーストキスもごく最近までまだだったんだぜ。どんな人生だったんだよな。しかもファーストキスの相手は彼女じゃないらしい」
「誰に奪われたんだよ」
(奪われたのは俺だ!)
 心当たりに声にならない悲鳴をあげてしまいそうだった。
 まるであいつが被害者のように言うな。どっちかというと俺が被害者だ。被害者と思うには、それほど嫌でもなかったというか、照れたあいつの顔に唖然としていただけで、ダメージらしいものはなかったけれど。
(あれがファーストキスか……)
 どんな人生を送ってきたのか。
 夢の中では性行為もしまくっている夢魔だというのに。現実ではそこまで貞操観念が堅いのか。
「なんか童貞だと思うとちょっと許せるような気になってくる」
「ああ、俺でもちゃんとしてんのに。あの顔でも出来ないんだと思うとな」
(現実ではな……)
 同僚たちは哀れみのようなものを向けているけれど、本人は一切気にしていないだろう。肉体での接触はメリットがないと言い切るような男だ。
「……あいつマジで迷惑そうな顔を隠しもしないな」
 とうとう無の表情から顰めっ面になりつつあった。料理を食べきってしまったからだろうか。
 だが追加で注文する様子がない。食が細いあいつはおそらく満腹になったのだ。
 だが酒が入っていくばかりの女性たちは気にしないらしい。高く甘えるような声が響き渡っている。
「おまえが元カノにこっぴどく振られたって聞いた時、あいつ珍しく怒ってたな」
 俺の隣に座っている、一番仲が良い同僚が控えめな声でそう教えてくる。
「初耳だ」
「あの女は嘘つきだって、そう言ってむっとしてた。落ち込んでるおまえを気にしてたし。感情死んでんのかよってくらいに他人に無関心かと思ってたけど、おまえを慕ってはいるんだなと思ったわ」
「……そうなんだ。俺、振られたばっかの頃は何も考えられなかったから、後輩がそんな風に心配してくれているのも知らなかった」
 振られたばかりの頃はあまりのショックに眠れなくなって、身体も心もどんどん壊れていくようだった。
 自分のことも分からなくなっていくのに、他人がどんな様子であるのかなんてまして目に入らなかった。
 世界の全部が自分を傷付けてくる。目に映るもの全てに責められているような気持ちだった。
「あんなに落ち込んで、死にそうな顔してたのに。思ったより早く吹っ切れたな」
「ん?あー……まあ、なんか、どうでもよくなったというか」
 それどころではなくなったのが正解だ。
 失恋の痛みは今でもぶっすりと刺さって痛みを生み出しているけれど。それより後輩が夢魔で、夢の中で抱かれているらしいという事実のほうが俺にとっては相当インパクトが強かった。
 記憶はないが、朧気に気持ち悦かったという体感のようなものだけが淡く残っている朝を思い出せば、彼女に振られたなんて些末な問題になっていった。
 男なのに!男に抱かれているのか!しかも相手は後輩で!後輩は夢魔というとんでもない生き物で!なんて俺の許容を超えてしまっている。
 だがそんな後輩に救われているのも、確かなのだ。
(最近はちゃんと眠るため、失恋の痛手から立ち直るためっていうより、単純に気持ち悦いから、あいつを家に入れてる気がするし……)
 金曜日の夜、後輩はうちに泊まっていく。そして寝ている俺の夢の中に入って、俺を抱いていく。セックスをして性欲と快楽をたらふく食べて、満足しているらしい。翌朝のあいつの上機嫌ですっきりとした顔を見ると、食欲と性欲が満たされているというのは本当なのだなと思う。
 そしてその満足しきった夢魔は俺を甘やかしてくれる。それこそ付き合ったばかりの恋人のように。
 それが俺から先輩後輩、同性、年下、なんて色々な抵抗感を奪っていった。金曜日の夜から土曜日の朝だけは、俺はいつもの俺とは違う別人になる。
 あいつがそうであるように。
「先輩、帰りましょう」
 一次会が終わり、二次会へとなだれ込む人々を掻き分けて。後輩は俺の元にやってきた。職場のお付き合いの義理は果たしてとばかりに、うんざりしていた顔の後輩が言ったセリフを俺は軽く振り払う。
「俺は二次会行くから」
「正気ですか?」
「二次会に行くのは狂気の沙汰じゃねえよ。おまえにとってはそうかも知れないけど」
 一次会だけでも忍耐力の限界を試されたとばかりに、眉間に深いしわを刻んでいる後輩にとって、二次会なんて信じられない集まりだろう。けれど俺にとってみれば気の置けない連中ともう少し飲みたい。
 たまには深夜まで酒を飲みながら馬鹿みたいな話をしても良いだろう。仕事と上司の愚痴はまだ山ほどある。
 後輩はやれやれとばかりに溜息をついては、眼鏡をくいっと中指で押し上げる。
「今日は金曜日ですよ?」
「だから今日はしないって言っただろ?」
 飲み会があるから、今日はうちに来なくていい。今週は何もなし。そう宣言したはずだ。
 それに後輩は大人しく「分かりました」と返事をしていた。この奇妙な習慣が始まってから初めてのキャンセルだ。後輩があっさり承諾したので、特に気にするようなものではなく、やってもやらなくても良いようなものなのだろうと思っていた。
 だが後輩は今、飲み会中でも見られなかったほどしっかり不快感をあらわにしていた。
「いやいや、飲み会があるんだからそうだろう。おまえだって参加したんだから、今夜は無理だって分かってんだろうが」
「俺はこのまま先輩を持ち帰るつもりでした。だからあんまり酒も呑まないように言っていたのに、聞いてませんでしたね」
「酒飲めるやつがここでセーブする意味が分からんと思ってたが、そういうことか」
 アルコールを入れると睡眠の質が浅くなるらしい。夢魔にとっては浅い眠りは扱いづらく、また味が落ちるらしい。なので金曜日の夜は酒量を制限されるのだが。今日はそんなことは忘れてしっかりチューハイに浸っている。
 そもそも下戸でもない俺が飲み会で酒を呑まない、という選択肢はない。
「お持ち帰りすんなっ。俺は二次会に行くんだよ。おまえは大人しく帰れ」
「先輩」
「来週があるから」
 不快感を消しては、すっと表情を改めた後輩から目をそらす。有り得ないとは思うけれど、しゅんとした表情でもされた日には後ろ髪を引かれてしまいそうだった。
「先輩はそれでいいんですね」
(しゅんとするわけなかったな)
 後輩は不貞不貞しい態度で腕を組んだ。俺の気を引く、もしくは罪悪感を刺激するうような態度をこいつがとるわけがなかった。上から目線の発言に俺は綺麗に吹っ切ることが出来た。
「いいよ。だからおまえも帰れ。二次会行かないだろ」
「行きません」
 行くわけないだろうな、という予想に反しない返事に肩を叩いて「じゃあな」と軽く手を振った。


 


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