森の魔法使いと王子 1



 むかし、ある小さな国のお話。
 森に囲まれたその国は、長い間争いもなく静かに暮らしておりました。
 王様はその平和としても大切にしておりました。
 ですが隣の国は隠れるようにして生きていた王様の国を見つけると、土地を広げようと王様の国に入り込んできたのです。
 兵士がやってきては、王様の国を荒し、我がもののように振り回っていきます。
 ですが、穏やかに暮らしていた王様の国には戦う兵士が多くいません。
 武器も僅かにしかないのです。
 困り果てていると、王様に声をかけた者がいました。
 黒いローブを着た男です。
 長く黒い髪。顔は綺麗なのですが、触れば凍えてしまうのではないかと思うほど冷えています。
 いつの間に部屋に入ってきたのか、分かりません。
 若いその男は王様にこう言いました。
「争いを止めてやろうか」
 それは願ってもないことでした。
「だが、それには条件がある。この国の北にある森が欲しい」
 そこは人も入れないほど険しい場所です。民も住んでいないところなので、男にあげても困りません。
 ですがその後男が言ったことに、王様はひどく苦しむことになりました。
「それと、貴方の家族を一人、もらいたい」
 どうしてそんなことを言うのか、王様には分かりませんでした。
 けれど男はそう言ったきり、教えてくれません。
 隣の国の兵士は、王様のいるお城のすぐ近くまでやってきています。
 もう多くの人が辛い目に合っているでしょう。
 王様は国のことを考え、頷きました。


「もらうと言っただろう」
 黒いローブ、長い黒髪が風に揺れています。
 灰色の瞳は、冷たい色で王様を見ていました。
 その腕には小さな男の子が一人。
 三人いる王様の子どもの、一番小さな王子です。
「土地はやったじゃないか!」
 王様はそう言いました。
「家族も一人もらうと言ったじゃないか」
「私の家族をどうするんだ!」
「そうだな、貴方の血には不思議な力が混ざっているそうではないか。この小さな国を守ってきたのも、それのおかげだと」
 男の言うことは確かに昔はあったことでした。
 王様のずっと前の王様は、不思議な力が使えたそうです。
 ですが、今の王様にはそんな力はありません。
 何代も前の王様から少しずつ消えてしまっていたのです。
「その力で、実験でもしようか」
 恐ろしいことです。
 王様は必死になってお願いしました。
 ですが男は王子を返してくれません。
「隣国からの侵略を留めてやっただろう。私は無駄に力を使ったわけではない。対価は頂くと言ったはずだ」
 私は魔法使いだからな、約束は守らせてもらう。そう男は言いました。
 魔法使いというものは人のために魔法を使う時は、その人から同じだけ価値のあるものをもらうのです。
 男はその魔法使いだったのです。
 そして王様は、その魔法使いに国を守ってもらうようにお願いしました。
 ですが王様は一つ目の約束」北の森をあげる」という約束は守りましたが、二つ目の「王様の家族を一人あげる」という約束は守りませんでした。
 一人でも家族を失うのが怖かったのです。
 男はいつまで経っても二つ目の約束が果たされないので、とうとう自分から家族をもらいにお城までやってきたのです。
「やめて!」
   男に抱かれている子どもと、年が近い姫がお願いしました。
 けれど男は王子を離してくれません。
「僕が代わりに行くから!」
 姫のお兄さん、一番上の王子がそう言っても男は首を振りました。
「この子どもに決めた」
 男の腕の中にいる王子は、何が起こっているのか分からないようで大人しくみんなを見ていました。
「実験材料にするか、召使いにするか。さてどうしよう」
「返して!私の王子を!」
 お后様は泣きながら訴えました。
 けれど男は王子を抱えたまま、ローブをふわりと広げました。そして自分を抱き締めるようにして、ローブにくるまります。
「約束、確かに頂いた」
 静かにそう告げると、男の姿がふっと消えました。
 煙のように消えてしまった男と王子に、王様たちは泣き崩れました。
 それから、長い年月が流れていきました。



(あんなに怒ることないのに)
 フロウはぶつぶつと呟きながら、唇を尖らせた。
 ふわりとした柔らかそうな金色の髪の先に小さなほこりがついているのも気にせず、ずんずんと森の中を歩き回る。
 どこに行こうという意識はなかった。
 ただ怒りに任せて、足を動かしているだけだった。
(なんだよ、そんなに大切ならいつもの実験室に入れておけばいいのに)
 フロウは森の奥にある、小さな城のようなところに魔法使いと二人だけで住んでいた。
 城の中にも、森の中にも、他に人はいなかった。
 魔法使いは毎日魔法の実験をしている。
 緑色の液体に紫の石を浸したり、何か呪いを唱えながら紙に火を付けたりしている。
 フロウにとっては何が何なのかさっぱり分からない。
 それでも飽きずにやっているのだから、何か意味や価値があるんだろうなぁと思う。
 主に実験室で行われているので、フロウはそこには入らないように言われていた。
 そこには無くしたら大変なものがいっぱいあるのだ。
 だから、掃除の時もそこには入らなかった。
 でも他の部屋は、ちゃんと掃除をしたかった。魔法使いは掃除をすることがない、仕方を知っているのかすら疑わしいほど散らかし放題で、一緒に暮らすのが困るくらいなのだ。
 今日もばらばらに散らかった本や、薬草、色とりどりの石に我慢の限界が来て、フロウが片付けを始めたのだが。
 実験室の前にある部屋の、机に置いてあった石を落として割ってしまったのだ。
 堅い石が落ちただけで粉々になるとは思っていなかった。
   その上、それが魔法使いが作りだしたばっかりの大切な実験の成果だったなんて。
 それを見た魔法使いは溜息をついた。
 怒鳴られるかと思ったけど、実際は怒鳴る気にもならないという様子だった。
『おまえは…いつまで経っても大切なものとそうでないものの区別もつかないのか』
 冷たく言い放たれた言葉に、フロウは俯いた。
 粉々になってしまった石のかけらを握りしめて、唇を噛んだ。
『掃除掃除と言うのはいいが、こうしてゴミを増やしてどうする。それなら何もしないほうがマシだ』
 ぐっと拳を握って言葉を聞いていた。
 魔法使いは声を張り上げて怒らない。淡々と事実を述べて、否定していく。
 それが一番辛いやり方なのだと、知っているだろうか。
 冷たく見える容貌が、氷のように見える。いつもは、そんなことはないのに。
 灰色の瞳がフロウを突き飛ばしてくる。
『壊れたものを握っていても無駄だ。元に戻りはしない』
 フロウが握っているものに気が付き、魔法使いは素っ気なく言った。
 ごめんなさい。
 そう言いたいのに、きっかけも掴めない。
『やれやれ…実験を覚えろとは言わないが。せめてもう少し要領というものを覚えたらどうだ』
 全く、と魔法使いがあまりにも呆れているから、フロウもだんだんむっとしたものが込み上げてきた。
 確かに要領は良くないけど、石を割ったのは悪かったけど。
『そんなに大切なら、実験室に入れれば良かったじゃないか』
 ぽつりと口から零れたのをきっかけに、心にもないことは次々流れ始めた。
『こんなところに置いてるから、大切なものだって分からなくて落としたんだ!僕が触っちゃいけないものなら初めからあそこに入れれば良かっただろ!?そしたら僕に壊されることもなかったんじゃないか!』
 いつまで経っても入れてくれない、秘密の部屋。
 フロウはずっとそこに憧れと、苛立ちを覚えていた。
 いつになったら入れるだろう。もしかしてずっと入れてくれないんだろうか。
 気になって、気になって仕方なかった。
   だから今日も、少しでも中の様子が知りたくて一番近いこの部屋の掃除をしていた。
 それなのに、そんなことになって。
 悲しいのか、悔しいのか、分からなくなっていた。
『言い訳にしては、馬鹿馬鹿しいな』
 魔法使いが言った言葉に、フロウはがっと頭の中が熱くなった。
 そして握っていた石をその場に叩きつけて、城を飛び出したのだ。
(……実験実験って…)
 フロウの入れない部屋の奥にこもると、魔法使いはなかなか出てこない。
 それが寂しかった。
 もう十五なのだから、少しは大人になったらどうだ。
   構って。そう言うと魔法使いは苦笑しながらそう言った。
 でも灰色の目は優しくて、その後は側にいてくれた。
 たった二人しかいない城。
 そこは暖かくて、穏やかで、幸せだけれど。
 こうして喧嘩をすると、とても居心地が悪い。
 時々は魔法使いが作りだした、言葉を喋る動物や、家事をしてくれる人形、掃除をしてくれるほうきやモップがいてくれるけど。
 でも、魔法使いとは比べられなかった。
 それなのに。
(……あんなに怒ることないのに。僕より実験がいいんだ)
 怒りよりも寂しさが強くなる。気持ちは沈んで足取りも重くなった。
 緑色をした瞳に、じわりと涙が滲む。
 そういうところが子どもなんだ。
 魔法使いがそう言って小さく笑う姿が思い出されて、さらに胸が塞がれる。
(やだな…)
 魔法使いはきっと怒っているだろう。謝っても許してくれないかも知れない。
 もしかすると、もうお城には入れてくれないかも。
 そうすれば、他に行く場所のないフロウはどうすればいいのだろう。
   この森の中で彷徨い続けるのだろうか。
 想像するだけで、さらに涙が滲んできた。
  (…どうしよう)
 迷っていると、いつの間にか随分遠くまで来ていたことに気が付かなかった。
 そして近くで知らない物音や、金属が触れあう異質な響きがあることが分からなかった。
「あ」
 それは自分以外の、男の声だった。
 聞いたことのない声。魔法使いのものではない。
   はっと顔を上げると、近くで見たことのない顔がフロウを見ていた。
 若い男が二人、口をあんぐりと開けてフロウを凝視していた。
 さぁと血の気が引いた。
 振り返ると、遠くの方に茨の囲いがあった。紅のバラが所々に添えられているその囲いは、魔法使いの領地と、外部との境界だった。
 その茨から内側にいる限りは、外の者はこちらに入って来ないし、気づきもしない。見えないようになっているのだ。
 だがそこから一歩出てしまえば、外の人に見付かってしまう。
 魔法使いは日頃から何度も「茨から向こうには行っては行けない」とフロウに言い聞かせていた。
 行けば、二度と帰ってこられなくなる。
「ゃ…やだ…」
 慌てて戻ろうとした。だがその前に手を掴まれた。
 強く握り締められ、手首が痛い。
 乾いた掌の感触。捕まった。そう分かると心臓がぎゅっとしなって身体が強張った。
 振り払おうとしても、あまりにも強く掴まれた手首は少し動かしただけでも骨がきしみそうだった。
「王子でしょう!?」
 男たちは驚いているようだった。その声の大きさに肩がびくりと震えた。
「姫!王子が、王子が見付かりました!」
 誰かを呼んでいるらしい。
 また知らない人が来る。それはフロウにとって大きな恐怖だった。
 なんとかして逃れようと暴れるが、男二人に易々と抑えられた。
 ただでさえ滲んでいた涙が、大粒になって目尻に溜まった。
「フロウ!?」
 ばたばたと何人もの人間が駆け寄ってくる足音。
 怖くて叫ぶことも出来ない。
 誰かが名前を呼ぶけど、返事なんて出来る状態じゃなかった。
「フロウでしょう!?私よ、貴方の姉!覚えてる!?」
 姉。
 その言葉に覚えがあった。
 魔法使いが、その言葉を口にしたことが、昔あったのだ。
 どきりと予感がした。
 引き返せない何かが起こっている。
 そう感じた。

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