タクシーでここに来ているのでとことん飲むと決めたのか、総一は三杯目のビールを傾けながら「彼女はね」と妻について語る。
「占い師の家柄なんだ。あの子は夢占いの才能がある。本人は眠っているからよく分からない、だから大したことないって言うんだけど。眠っている間に一番近くにいる人について夢告げをする」
「十分、すごくないですか?」
「だろう?僕もそう思うよ」
 眠っている間に無意識で近くにいる者に対して何かしらの真実を告げるというのは、完全に本人の才能だけに頼っていることではないか。
 灯など集中をして努力して他人の絆などを見るけれど、彼女はそんな手間も集中もいらないのだ。呼吸するように、その夢告げを行ってしまう。
 自分を卑下する理由に首を傾げざる得なかった。
「彼女の夢告げは良いものだけに限定されている。幸福だけを告げるんだ。内容は些細なものなんだけど、万が一ってことがあるだろう。宝くじの当選番号でもぽろっと喋るかも知れない。それを狙っている輩がいるんだ」
「何億って金が手に入るかも知れないってことですね」
 毎晩義姉の枕元に座っているだけでいつか大金持ちになるかも知れない。薄い望みであったとしても、手に入れる金額が大きいと仮定して無理にでも嫁にしたがる者もいるだろう。
「実際は本当に些細なことしか言えないみたいだけどね」
「聞いたことがあるんですか?」
「あるある。僕は眠りが浅いタイプでね、特に音に敏感で、隣のベッドで寝ている人の寝言くらいでも目覚める体質なんだ。まして彼女は結構はっきり大きな声で夢を告げるから」
「たとえばどんなことですか?」
 夢告げなんて聞いたことがなくて、灯が俄然興味を示すと総一は双眸を細めた。
「ラッキーカラーとか」
「え、ラッキーカラー?」
「初めて聞いたのは青いカエルだった」
「青いカエル?」
 雑誌の後ろの方に載っている星占いのような内容に首を傾げると、総一は何かを思い出したようで、くすりと笑う。
「訳が分からないだろう?僕がそれを聞いた日は雨で、まさか生き物のカエルに遭遇するのかと不思議に思っていたよ。でも出勤途中によく通る道にある、雑貨屋のウィンドウに大きな青いカエルのぬいぐるみが置かれていたんだ。昨日まではそんな目立つ物はなかった。もしかしてこれなんだろうかと思って近寄ったら、それまで僕が歩いていた場所、車道近くの歩道に思いっきり車が泥水を飛ばして通過して行ってね」
 出勤途中に車から泥水を跳ね飛ばされるなんて、腹立たしいことだろう。
 それをするりと抜けた総一は、きっとその時義姉の能力を実感したはずだ。
「もしカエルにつられなかったら僕の足下はびしょ濡れ最低な一日の始まりだった。僕が無傷だったのは彼女のおかげだよ」
「ラッキーでしたね」
「そう。彼女と一緒にいると、こういう些細な幸運に恵まれるんだと思った。次は二番目ってキーワードだったよ」
「何の二番目ですか?」
「駄菓子の当たり」
「え」
「上から二番目を取ったら当たりだった」
 総一が駄菓子を買うということも意外だったのだが、その幸運の小ささにも驚きだった。
「小さいだろう?でもね、僕にとってはその小さな幸せが嬉しかった。どんなに嫌なことがあっても、不幸のどん底に落とされたとしても、彼女の夢告げがあれば僕には小さくても幸せが残されている。嬉しいと思う瞬間が待っていてくれる。こんなにも喜ばしいことはないよ」
 暗闇の中であっても、微かでも光が必ず用意されているという希望だろう。
 もし何の見えない真っ暗な場所に放り出されたとして。他の人たちは不安と恐怖に苛まれて彷徨わなければいけない、救いなんて欠片もないかも知れないと怯えるだろう。
 少なくとも灯ならば自分がいる場所も、進む先も分からず暗がりにいれば心細くて心がおかしくなりそうだなと思う。  けれどこの人には、救いが待っているという期待がいつも胸にある。
(きっと総一さんにとって、その救いが何より幸せなんだ)
「それにね、家に帰った時に君のおかげでこんなことがあったんだよって話をすると、奥さんが良かったってねってはにかむんだよ。安心したような、嬉しそうなその顔が僕は他の何より好きなんだ。可愛くて、見てると心が躍る。どうしても一生見ていたいと思ってしまうんだ」
 だから総一は妻を大事にしているのだろう。彼女に安心して笑って欲しいのだ。その笑顔が好きだから。
(すごい、盛大な惚気だ)
 笑顔が好きだと、総一はわざとらしさなんてどこにもない口調で軽く口にする。それが更に惚気の甘さを深くしているようだった。
「だから離婚なんて有り得ない」
「そうでしょうね」
「でも彼女の着眼点はいいと思ったよ」
「着眼点?」
「灯君に夫婦仲を見て貰うってことさ。言祝ぎ屋の君に夫婦円満で幸せになれますと言われたら、さすがの彼女だって納得すると思う」
「兄さん」
「頼まれてくれないだろうか?勿論御礼はする。お願いだ」
 止める久幸の声を遮って、総一は灯に願いを最後まで言い切った。頭を下げた人に、灯はどうしたものかとカルビを噛みながら唸る。
「御礼とか別にいいんですけど」
「兄さん、灯にそんなに厄介ばかりかけられない」
「分かっている。我が家は君に面倒事ばかり持ち込んで、大変申し訳ない。だが助けてくれないだろうか」
 厄介や面倒はきっと久幸の事に関してだろう。彼らは久幸の呪いを解いた際、灯が死霊に苦しめられたことを未だに気にしている。いやきっとずっと引き摺るのだろう。
 灯にしてみれば終わったことである上に、久幸に何かあれば自分だって困るのだから、ある意味自身の問題でもあった。申し訳ないなんて言われることではない。
 総一の頼みも、今後も久幸が義姉に振り回されるのを阻止するために動くと思えば嫌ではない。
「俺が言ったところで納得されるといいんですが」
  「灯君のことは奥さんにもよく話してるんだ。結婚や夫婦のことに関しては信頼出来る助言をくれる。神様の言葉を聞くことが出来る人だって」
「大袈裟です」
「いや大袈裟なんかじゃないよ。俺かなり的確なこと言ってると思うよ?」
「違いますよ。俺だって間違うことがありますから」
「あるの?」
 驚きの声は総一だけでなく久幸の口からも、全く同じ言葉が出て来た。兄弟なのだなと吹き出してしまった。
「間違うというか、読みが甘いことがあります。ぎゅっと心を閉ざして誰にも見せないように隠している人もいます。自分が勘違いをしていること、思い込んでいることをそのまま膜のようにして心を包み込んで、本音を殺しすぎて見失ってしまった人とか。そうなるとやはり見えにくい」
「そうか。でも見たままを言ってくれればいい。もし君の目で駄目だと思ったらそれは仕方がないと僕も思う」
 説得してくる総一に、灯は箸を置いては「酷い話ですが」と余り気の進まないことを言わなければならなかった。
「もし奥さんが総一さんのためを思って、どうしても別れなければいけないんだと強く思い込んでいるとすれば、それはもう夫婦としては破綻していると感じてもおかしくない。お二人が同じ方向を見て、同じ歩調で歩いて行く意思がなければ俺の目には仲睦まじい夫婦としては映りません」
 そして現状、義姉はきっと別れた方がいいときつく自分に言い聞かせている。それは自分を洗脳してしまうほど強い意志だろう。
 たとえ総一が好きで、大事にして貰っていることを嬉しいと感じていても、それが罪悪感に繋がっていては離別に繋がるばかりだ。
「巡り合わせ、相性、運命なんてものもありますけど。やっぱり一番はお互いの気持ち次第だってことですから」
 運命や相性がはっきり見えたとしても、気持ちがそれを邪魔していれば。無理矢理二人を一緒にさせても苦難ばかりになってしまいがちだ。
 周りが相当なフォローをしてくれるというのならばまだ改善の余地はあるかも知れないが、二人暮らしの夫婦ならばすぐにどん詰まりがやってくることだろう。
 まして総一たちは三年目、いい加減互いのことは理解している。その上でも駄目だとなると、お手上げになるかも知れない。
「奥さんが本当に無理だと思っているならどうしようもない。僕たちが本当はお互いが好きでも、別れることになると?」
「そうです。総一さんには残酷だと思います」
 そして灯は嘘はつけない。
 自分が見たものを偽るということは、自分に対する侮辱でもあり、言祝ぎを穢すことにもなる。他人は勿論、自身であっても言祝ぎを穢すことなど許されはしない。
「だったら尚更、僕は現実を見なきゃいけない。彼女が別れたいと言っているのは自分に自信がないせいだと思っていた。揺れているのもそのせいだと。自分の不安を吐き出して、誰かにそれを否定して貰うのを待っているのだろうなんて思っていた」
 だから総一は灯の言葉を欲しがったのだろう。
 他人を通すことでしか自分を評価できない人だからこそ、総一では優しさ故に嘘をついているのだと疑ってしまうから。
「でも彼女のその自信のなさを埋められないのも事実だし。僕がいることが彼女の苦しみにしかなっていないとすれば、別れることが本当はいいのかも知れない。でも僕はまだ彼女が僕と一緒にいることに、少しでも安心をしてくれていると、嬉しさがあるとそう思いたいんだ。まだ一緒に歩いて行けるってね」
(……そうか、総一さんも不安なんだ)
 妻に別れたいと言われ、周りにもそう相談をされていることに、この人は泰然としているのかと思った。だがやはり不安がないわけがない。
 自分が不甲斐ないせいではと自責の念もあるのだろう。
(でも今の奥さんは、そんな総一さんの悩みも、自分がいるせいだって自分を責める)
 自分ばかり傷付けている。
 それは弱さと不安から来ているものだけれど、根底には相手に対する思慕が含まれているだけに、簡単にほどけない。
「これは一つの節目だと思ってる。夫婦のことは夫婦が決めることだと僕も思うんだけど。どうか不甲斐ない僕を助けてくれないだろうか」
 義姉だけでなく総一にまで頭を下げられて、いつの間にか招木の人たちの頭が下がるのを全員、間近で見たことになったのではないだろうかと思った。



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