総一は伯父の神社に着くと駐車場で車を止めた。
 白い玉砂利を踏みながら周囲を見ると鎮守の森から小鳥の鳴き声がした。さらりとした涼やかな風が吹いては爽やかな気持ちにしてくれる。
 土と木々に囲まれているからだろう。アスファルトに囲まれている街よりも気温が少しばかり低い。
 後ろの三人を下ろして社務所に行こうとしたのだが、それより先に宮司が駐車場に入ってくる。おそらく総一の車が入ってきたのが見えたのだろう。
 久幸たちが来るのを待っていたようだ。渋い顔をしながらも堂々とした足取りでやってくる。
 この伯父はいつも張り詰めたような空気を漂わせている。俗世の人間とは少しばかり異なる空気を吸って生きているのかも知れない。
 五十を目前としているはずなのに、老いも何も感じさせない。むしろ凛とした生気が全身から滲み出ているようだ。特別な人間だから、なのだろう。
 兄と共に伯父に深々と頭を下げると溜息が聞こえた。
「ご迷惑をお掛けします、伯父さん」
「実に」
 総一の言葉に伯父は素直な返事をくれる。招木兄弟の隣にいる灯を見ると伯父の眼差しは鋭さを増した。
「寿君まで巻き込んだのか」
「いえ、私は勝手に付いてきたんです。久幸君には関わらないように言われたのですが、気になってしまって。ご迷惑なのは重々承知しております。どうかお許し下さい」
 灯は普段の言葉使いとは違い、丁寧な口調と物腰で謝罪をしている。その腰の低さは言祝ぎで培われたものだろう。
(灯も外面が変わるタイプだよな)
 場を読んで自分を律しているというべきか。脳天気に単純に生きているような顔をして、周りをよく観察して正しい姿勢を取る。
 大人の中で揉まれてきた証拠なのだろう。
「久幸の体質のせいだね。君に気を使わせてしまって申し訳がない」
「いえ、とんでもないことです。私が好きでしていることであり、私の意志です」
 誰の謝罪も礼も必要ないのだと言い張る灯は、真面目な顔を少しばかり緩めた。
「それに元はと言えば久幸君を選んだのは私の我が儘故のことです」
 だからここにいることも、久幸を気にするのも。元はと言えば自分が自ら選び取ったことなのだと、灯は微笑んでいる。
 そこに久幸の体質に対する嫌悪も不快感も一切見られない。あるのは情だけに思えて、久幸は灯の隣にいられることが自分の僥倖なのだと何度目になるか分からない実感を抱いた。
「君のおかげで久幸はこうして生きていられるのだよ。私たちにとって君の我が儘は祝福でしかない。だというのにこんな面倒事に君を引っ張り出すなんて不甲斐ない甥だ」
「普段は私が久幸君に迷惑をかけてばかりなんです。こんな時くらい役に立たなければ、見限られてしまいます」
「まさか、そんなことは有り得ないよ」
「はい、有り得ません」
 伯父に続いて久幸も強く否定した。自分が灯に見限られる時が来たとしても、反対の立場になることは決して無い。
 命が潰える時であっても、灯を見限り、見捨てるなんことは出来はしないのだ。自分の命と引き返えにすることも容易いほど、この人を信じている。
「君はもうすっかり良くなったと聞いているが」
「はい、何の不具合もありません」
 死霊を宿した時、灯の中にいた死霊を宥め落ち着かせ、引き剥がしたのは伯父だ。一晩かけてずっと、全神経を研ぎ澄ませながら死霊に語りかけていた。
 鬼気迫るその姿は久幸にとっては忘れるに忘れられない光景だ。
 しがみついてきた灯の手の力と、泣き声も。
「今は大して何も感じることなく無視することが出来ます。元からこういうものには鈍感でしたので」
「その方が良いよ。久幸もそうなってくれると良いのだが。そればかりは生まれながらのものがあるからね」
 伯父は灯と喋っている内に口調から堅苦しさが抜けて来た。語尾が柔らかくなっては表情も穏やかだ。
 自宅で寛いでいる時の雰囲気に近くなってきている。身内とまではいかないが、親しい間柄の人間という目で灯を見てくれているのかも知れない。
 しかしそれもつかの間のことで、少し離れた後ろの位置で立ち尽くしてはすすり泣きをまた始めた石田や、緊張した面持ちで口を閉ざしている大庭と村上に気が付くと伯父の顔が険しくなった。
「友人は選べ」
「はい」
 伯父の声は一瞬で冷たく、また切り込むような鋭さに戻った。
 それが叱責だ。
「話は聞いてるよ。本来ならば肝試しなどという愚かしい行いをした者を助ける謂われは無いのだけれどね」
 伯父は三人に歩み寄ると、やはり凍り付くような声音で語りかけている。静かな怒りが伝わっているのだろう、三人のだだでさえ悪い顔色が更に酷いものになっていく。
 石田など泣いていたというのに涙も止めて硬直していた。
 身体を押さえ付けられているような重圧を感じていることだろう。説教をしている時の伯父は心底恐ろしい人だ。人間の中にある恐怖や罪悪を揺さぶってくる。
 薄っぺらい自我や浅い知識、思考ならばすぐに握りつぶされることだろう。
 まして肝試しをしたということに散々後悔をしているだろう三人だ。愚行と言われたことに、抗う気力もないだろう。
「よくもまあ、これだけしっかりくっつけたものだ。もう一人は行方不明でまだ見付かっていないそうだな」
「はい…探してはいるんですが」
 問いかけられ、大庭が伯父と目を合わせることも出来ずに答えている。
 目を合わせたら頭から食われるとでも思っているかのようだ。それだけ怖いのかも知れない。
「ろくなことはしていなんだろうな、その人は」
 まるで行方不明の男が肝試しで何をしたのか、三人を眺めているとそこに透けて見えているかのように伯父は呟いた。
 それに石田だけがびくりと肩を震わせている。
 もしかすると三人の中で石田とその行方不明の男だけは、大庭と村上はしていない何かをしているのかも知れない。
 伯父は目を眇めては石田を、正しくは石田の周囲を観察している。しかし久幸はそんな伯父の視線を探りはしなかった。もし憑いているものが久幸と目が合い、寄って来るなんてことがあれば灯と伯父に迷惑がかかる。
「……こちらへ。時間がかかるが、構わないね?」
「何時間でも構いません」
 伯父の問いに大庭は即座に答える。助けて貰えるのならば何時間かかっても良いのだろう。
 助けて貰えるという期待が込められた視線に、伯父は憂鬱さを増したようだった。寄った眉根に久幸も共感を覚える。
 久幸より総一より、この手のことに関わることが多い伯父であるからこそ、大庭たちのような輩に対しての苛立ちは強いだろう。
「うちは霊能力者でもお祓い屋でも何でもない。そのことだけは勘違いしないで貰いたい」
 頼ってくるな、と暗に告げる伯父に大庭だけは意味を理解したのだろう。小さくなっては「はい」と大人しく反応している。
 鈍い後ろの二人をちらりと見ると伯父はまた深く息をついた。
「君たちは別室で休んでいなさい。見たところ憑いてもいないだろう」
「宜しくお願いします」
 説教に同席させられるのだろう。そう胃の辺りが重くなる気持ちだったのだが、伯父は免罪してくれるらしい。
 久幸は瞬時に腰を折って礼を言う。その態度に伯父は苦笑したようだったが、三人に再び視線を向けた時には厳しい顔つきに戻っていた。
「付いてきなさい」
 伯父は三人を引き連れて本殿の横を抜けて行く。どこで祓いをするのだろうかと思いながら、鎮守の森へと続く道を進んでいく四人の背中に、まずは伯父からのきつい説教から始まるのだろうと見当は付いた。
「……俺達は社務所でお茶でも飲むか」
 総一も小さくなっていく背中に似たようなことを思っただろう。あの三人が帰ってくる時にはどんな姿になっているのか、考えたくもない。
 憑いているものは取れるだろうが、泣き疲れている可能性がある。
 しかし全ては自分たちが起こしたことだ。しっかり責任を持って貰おう。
 総一は勝手知ったるとばかりに社務所に顔を出すと、知人の巫女に社務所の奥へと通された。そこは真ん中に座卓があるだけの、六畳ほどの簡素な部屋だる。
 ひとまず伯父と対面するという緊張から解き放たれて弛緩していると、行儀見習いとして来ているのだろう高校生くらいの年頃の巫女が麦茶と和菓子を持って来てくれた。
 氷の浮かんだ麦茶は一口含むとそれだけで身体が生き返るようだ。どうやら自分で思っているより喉が渇いていたらしい。
「最近どう?大学とか二人暮らしとか。仲良くやってる?」
「はい。喧嘩もほとんどすることなくやってます」
「仲良しだねぇ」
「平和です」
 麦茶片手に総一と灯はのんびりと喋っている。車内でも気儘な会話をしていたものだが、背後からすすり泣きがしないというだけでも雰囲気はずっと軽やかだった。
 やはり同じ空間に悲壮な気配を出す人間がいると否応なく気分が沈むものだ。
「俺達の仲は平和だが、灯の学業はいつもぎりぎりだけどな」
「そうなの?」
「単位取るのにいつも必死です……レポートはユキに手伝って貰ってなんとか」
 口元を歪ませて、灯は視線を落とした。
「苦手だって言ってたね」
「はい。レポートも試験も苦手です」
「何で単位取るの?実地とか?」
「文学部に実地は……」
 実地があったとしてもどんなものであったのかは全てレポートで提出させられるだろう。表情が陰っていく灯を気にすることもなく、総一は巫女が持って来た水羊羹を竹楊枝で切っている口に運んでいる。
「大変だね」
 灯を慰めるようなことをあっさり言いながら、総一の視線は弟に向けられた。おそらくちゃんと世話をして単位を取らせるのは苦労しているようだな、という意図だろう。
 もしかすると大変だなという言葉自体も久幸に向けられたものかも知れない。
「言祝ぎ屋の方は?」
「夏休みの間、ここぞとばかりにやっていました。でも紹介された人たちばかりなので、みんな良い人で。末永く幸せになってくれる人たちだったから俺も楽しかったです」
 学業の話ではずどんと落ち込んでいたのに、言祝ぎのことになると灯の瞳が輝き始める。楽しかったと言う言葉に反することなく、灯は言祝ぎをしている間にこにこと笑っていることが多かった。
 言祝ぐ前の食事制限だけは肩を落として唸っていたけれど、それを除けば充実した日々だったようだ。
「即離婚とか、そういうのって無いのかな?」
「実は一組だけありましたけど、結婚の話自体が取りやめになりました」
「そんなのあったのか」
 灯の手伝いを出来るだけやろうとは思っていたけれど、やはり盆の時期は実家に帰る上に、シフトに突如穴が開いてバイトに入ってくれと頼まれるとなかなか断れない。
 灯の言祝ぎに同席出来たのは半分くらいの確率だった。その久幸がいない間の言祝ぎで何やら不穏なことがあったのだろう。
「俺が忠告したことで籍を入れる前に彼氏側に問題が発覚して、彼女がこれでは結婚出来ないと破棄を申し出たそうです。そのまま破談になりました」
「どんな問題が?」
「彼氏側親族の膨大な金額の借金です。彼氏自身にも借金があって、金にだらしない家系だってようです」
「きたー……そういう隠し事も言祝ぎで見える?」
 総一は水羊羹を食べながら、双眸では愉快そうな色を見せている。この手の揉め事の話を聞くのが楽しいタイプの人間だ。
「見えます。その言祝ぎを紹介して下さったのが彼女側の親戚だったので、あっさり指摘しましたが。これが紹介して下さった側に問題があった時が何とも気まずくて」
「それでも言祝ぐんでしょう?」
 貴方たちは上手くいかないだろうから言祝ぎません。とは商売としてやっている以上出来ない。それは以前灯から聞いていたことだ。
 だが灯は顔に苦渋を滲ませた。
「いやぁ、言葉を濁して濁して、遠回しに問題があるんじゃないかなぁと匂わせては自然と当事者同士が揉めるのを待ちますね。決定打は俺からは出せないので」
「気を使わなきゃいけないわけか」
「一応、依頼者ですから。でも別れるのが分かっているのに言祝いでも、せっかく祝福したのにすぐ別れたじゃないかってうちの評判が落ちるのも困ります。だから二人になんとか、現状のままでは問題だこれは結婚してもいいことないぞと察して貰うしか」
「苦労するね」
「まあ……自分で選んだ道ですので苦労するのも覚悟の上です」
 生まれた時にさだめられていたことだ。言祝ぎは才能だけに頼っていることであり、努力でどうなることではない。
 灯は生まれながらに言祝ぎ屋になることが半ば決められていた。なのに自らその道を選んだのだと言う。
(それが灯の意志なんだ)
 生まれのせいにも、誰のせいにもするわけではない。全ては自分の責任だと腹をくくって言祝ぎをしているのだろう。
 言祝ぎをしている時の真っ直ぐ伸びた灯の背筋を思い出す。あんなにも清らかで、見ている久幸の心まで一本の芯を通すような姿は他の誰にも出来ない。
「一番凄かったのは彼女ではなく、彼女の弟と結ばれた方が幸せになれる彼氏でしたね」
「弟!?ということは同性!?」
「そうです」
「そういうことあるの?」
「あんまりないと思います。俺もその人が初めてでした」
「それで、灯はどうしたんだよ」
「彼氏に尋ねたよ、弟のことをそれとなく。仲が良いみたいですね〜って。そしたら付き合ってたって自分から暴露してくれて。しかも彼女がそれを知ってたってのが一番びっくりした!」
 自分の彼氏が弟と付き合っていたことを知った上で結婚しようとする姉。
(色んな意味ですごいな)
 どんな心境であることか。
「分かった上で、嫌がらせで結婚するって言うから止めたよ。もっといい男が他にいるって説得して、彼女に良い縁はないかって必死で探した」
 その人を真剣に見て、言祝ぎをしようと思えばどうやら相性の良い人間も探し出せるらしい。その時の灯の気持ちを思えば、それはもうがむしゃらだったことだろう。
「不幸になるのが丸わかりの結婚とか無意味だろ。彼氏にも手伝って貰って、彼女の関係者の名前とか教えて貰ってさ。彼女は絶対彼氏と結婚してやるって暴れたんだけど。俺がなんとか探し出した、彼氏の友達の一人の名前を挙げて、この人がいいですよって言ったら彼女あっさり納得してた」
「納得したのか」
 弟への嫌がらせに自分自身をかけたというのに。灯が言った一人の名前で引き下がってくれるものなのか。
「自分の心にあるものが見えたらしい。彼氏と結婚しても無駄だってことはずっと前からわかり切っていて自棄を起こしただけみたいだし」
「人に言われると意外とその気になるもんだね」
 灯と総一はそんなこともあるさと言わんばかりだが、久幸にはあまり共感のできないことだ。
「そんなもんでいいのか?」
「あの二人で夫婦になるよりずっと良いと思ったよ」
「だがそうなると彼氏は弟と結ばれるってことになるのか?同性で?」
「君たちがそうだろう」
 言祝ぎは夫婦を作るものであり、夫婦は男女である。そんな思いが久幸の根底にはあるのだろう。だからこそ、総一に自分たちのことを指摘されてはっとした。
 灯と顔を見合わせると、男女になどこだわることなく幸せに祝福されることは当たり前のように存在しているのだと感じられる。
 狭い考え、窮屈なだけの常識にとらわれようとしていた自分が恥ずかしくなる。
「一緒に生きていきたいって人と結ばれるのが一番だしな」
 灯は満足そうにそう言っては水羊羹を口に運んだ。この人は自分と一緒に生きていきたいと願ってくれているだろうか。
(今はそうでなくても、これからそう思ってくれるようになるといい)
 そのために自分もまた切磋琢磨して、灯の本質に見合うだけの人間にならなければいけない。

 

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