4 面倒なことになった。 大学が終わり大庭と離れ、バイトをしている間中ずっとそう思っていた。 霊や呪いや祟りだの何だのということには関わらないように注意してきたというのに。周りから持ち込まれるなんて、はた迷惑としか言いようがない。 断りたかったと心の底から思う。 (大体、本物を引き当ててるんじゃねえよ) 大庭と村上は明らかに取り憑かれている。家に引きこもって出てこないらしい石田という女子も話を聞く限り正気を保っているかどうかも分からない有様だろう。電話では始終怯え時々訳の分からないことを繰り返しているそうだ。 (その上行方不明が一人) 連絡が付かない、実家にもいない。大学にも出てこない。勿論部屋には誰もいないそうだ。 何処に行ったのか分からないその男子が今どこで何をしているのか。生きているのかどうかも調べようがない。おそらくもう意識はまともではないだろう。 そんな案件に当たってしまったのが、自分の不運だ。 「ただいま」 憂鬱な気持ちで帰宅すると、灯がいつも通り明るく迎えてくれる。主人が帰ってきて喜んでいる子犬のようだなと思う。 しかし今日は久幸の顔を見るなり、笑顔のまま硬直した。 「なんか憑いてるか?」 まさかすでに大庭か村上から薄暗い何かが憑いてきたのだろうか。灯の様子にそう一歩下がって尋ねる。そのまま灯に近付けば灯にまで良くないものが憑いてしまうそうだと思った。 「いや、何もない。でもなんかちょっと、変だ」 灯はふっと首を傾げては久幸を眺めている。顔を寄せては臭いを嗅ぐような仕草まで見せた。 死霊によっては生臭い腐敗臭を放つ者もいる。灯はそれを確かめているのかも知れない。 「なんかあった?」 「ちょっとな。後で話す」 帰宅して早々説明するのは憂いがあった。せめて休憩がしたい。 大学とはあんな重苦しいものに纏わり付かれた上にバイトで体力が削られたのに、座ることもなく面倒な話をするのはさすがに疲れる。 表情の暗い久幸に灯はそれ以上問いかけることなく「お疲れさん」と労ってくれた。 「それって、ユキも行くの?」 今晩のメインは豚キムチだった。辛さとほんのりとした酸味、そして豚の旨みで箸が進んだ。疲れている時にはこういうパンチの効いたおかずが欲しくなる。 灯もそう思ってくれたのだろう。日々灯が作るメニューは久幸の胃袋をしっかり掴んでくれていた。 茶碗でまずは一杯目の飯を食い終わる頃には心身共に落ち着きを取り戻しており、今日大葉と村上から聞いた話を灯に伝えた。 「母親の実家には俺も一緒に行かないと、あいつらだけじゃ通して貰えない。いくら事前に話を通していたとしても、俺が直接頭を下げないと」 母親には今日にも事情を話して実家と連絡を取って貰うつもりだ。許可は出るとは思うけれど、そこで自分の役割が終わるわけではない。 こんな馬鹿馬鹿しい揉め事を母方の実家に持ち込んで申し訳有りません。ご迷惑をおかけします。と謝罪と共に願い出なければならない。 何せ肝試しに行って取り憑かれた馬鹿の面倒を見てくれと、実家にしてみれば呆れるようなことを頼むのだ。 (俺がなんでこんなことのために頭を下げなきゃいけないんだ) 大庭のためを思ってのことだが、どうにも腑に落ちない気分になってしまう。 「大変だな」 不満が顔に出ているのか、灯が正面で苦笑している。 これがもし灯が取り憑かれたというのならば、何を捨ててでも今すぐ実家に乗り込んで土下座でもしただろう。 しかし灯は学業はあまり芳しくないけれど、言祝ぎを生業にしているだけあって、目に見えないものに対しての礼儀は尽くしている。 「なあ、大丈夫なのかよ。ユキはそういうのに影響されるんじゃないのか?」 呪いに強く反応してしまう体質は、死霊にも反応してしまうのではないのか。 そう気遣ってくれる人に、口元が緩んだ。心配をかけるのは良くないことだけれど、自分を思ってくれているその気持ちが嬉しい。 「大丈夫だよ。何かあっても母親の実家に立ち寄った時に祓ってくれるだろうし。何より俺にはちゃんとした形代も作られているから」 呪われていると判明した時、久幸の形代は正式に作られて母親の実家の神社に置かれている。今それはきちんと機能しているはずだ。 あの女の呪いは久幸の根本に染みついてしまったため役に立たなかったけれど、 他からの影響ならば形代が吸い取ってくれることだろう。 「でも、気分は悪いだろ?」 「気分が悪いっていうなら話聞いてる時から気分は悪い。不愉快そのものだ」 あんな愚かしいことをいちいち喋ってくるな、と言いたかった。無関係でいたかったのにというのが一貫した考えである。 「そりゃそうだろうけど」 冷たい麦茶に入れていた氷が全て溶けてしまったのを、グラスを掲げて確認したらしい灯がふとこちらを見た。 「俺も一緒に行こうか?」 「いらないよ」 「でも水曜日は午後から空いてるし」 「講義は?」 灯の講義スケジュールは把握している。というかお互いのスケジュールをちゃんと把握しているのだ。同居する際にはそうしていた方が何かとスムーズに過ごせる。 「休講だって」 「だとしてもいいよ。灯には関係のないことだ」 こんなつまらないことに灯を引っ張り出すなんて、認められない。 「おまえは言祝ぎ屋なんだから、こんなくだらないことに関わってもし泥でも憑いたらどうする。俺は、おまえには出来るだけ綺麗でいて欲しい」 それは自分の呪いを解くため、灯に祟りまで利用させた人間が言うべきではない台詞だろう。この世で最も灯を汚したのは、他ならぬ自分だ。 けれど、だからこそこれ以上灯に要らぬものを近寄らせたくなかった。 「おまえのことで無関係なことなんて俺にはないよ」 灯は久幸の気遣いを強くはね除けた。 互いのことは全て繋がっている。 そう灯は胸を張って行ってくれる。 (……こいつは) 身体の芯が、震えた。 歓喜と感動と、そして切なさが体内で嵐のように吹き荒れている。泣き出したいような気持ちにかられるのは、きっとこの人を好きな思いが溢れ出しているからだろう。 「ありがとう。でもいいよ、平気だ。すぐに終わることだから。気を使わせて悪い」 自分を押さえ付けながら、久幸は穏やかな口調を努力して作り上げた。この人のことを大切だと思う気持ちがあるのならば、感謝したいのならば、ましてこんなことを手伝わせてはいけない。 「気を使ったわけじゃないんだけど」 灯は眉尻を下げては言葉に迷っているようだった。だが上手く表現出来ないようで、麦茶を飲み干すと拗ねるように少し唇を尖らせた。 「難しいな」 灯の言いたいことは分からない。けれど優しさを与えてくれようとしていることだけは感じられた。 水曜日はまずは家に引きこもっている石田を引っ張り出すことから始めることになった。 大学から直接石田の家に行こうかと大庭たちは言っていたのだが、久幸はそれを断った。 一端自宅に戻って身を清めたかったのだ。些細なことであっても自分から不浄を除いて、出来るだけ余計なものに憑かれないようにしたかった。 この件を母に話してから、簡易の形代を実家から送って貰っている。直接的に何か仕掛けられても、全ての被害を被ることがないようにというお守りだ。 その他にも守り刀として小刀を鞄に入れる。この手の霊的なものに対する護身用の道具ならば山ほど持っているのだ。 荷物を整えさあ出掛けようとした時、灯もまた外出の準備をしているのに気がついた。 しかしあえて問いかけはせずに、玄関に立って鞄から鍵を取り出した時だった。 がしっと灯が腰に抱きついてきた。 「やっぱり俺も行く!ユキ一人だけじゃなんかあった時大変だろ!取り憑かれたらそのままうちに持って帰って来て、結局俺にも関わりが出来るし!」 「取り憑いたもんをそのままにして帰ってくるわけがないだろ!伯父さんに祓って貰うに決まってる!」 自分に異変があれば、伯父に頼み込んで対処して貰う。良くないものが自分に憑いているのに、のほほんとそのまま帰宅するわけがないのだ。 まして今回の目的は伯父の元に行くことなのだから、大庭たちのついでに自分も祓われるだけのこと。 「俺をほったらかしにしてか!」 「当然だろうが!首突っ込んで楽しいことなんざないんだぞ!」 「ユキに関わることなら楽しい!」 「俺は迷惑だ!」 「何が迷惑なんだよ!」 勢いで迷惑だと言ったけれど、顔を上げた灯に改めてそう訊かれると言葉に詰まる。 灯に対して向けるには全くふさわしくない単語だからだろう。 「おまえは言祝ぎ屋だぞ!?こんなものに関わることなんかない!」 「たちの悪い幽霊だって言祝いで見事に結婚させてやるよ!」 「それでちゃんと消えるのかよ!?」 「やったことないから知らないけど!でも俺がいないよりいた方がいいって!言葉の力は強いんだから!散らすことくらい出来るはず!」 灯の言うとおり出来るだろう。 しかし灯の言葉をそんな風に使うのが嫌なのだ。勿体ない、もっと美しいことに、幸せになれることに使って欲しい。 「おまえに余計なもんが憑いたらどうするんだ!」 言葉で散らすと言っているけれど、一瞬でもあっても灯に死霊が憑いたら、その時久幸は自身を一生許せない。 「憑かない!俺にそんな無駄なもんが憑くわけないだろ!俺が自分から取り込まない限り俺に憑く奴なんかいない!」 祝福がありったけつぎ込まれた存在が灯だ。いわば光に近いものなのかも知れない。だとすれば暗がりである死霊は寄って来ることは出来ないだろう。 (しかし) 自分のせいで、と思うとやはり頷けない。 それに灯は目を据わらせた。 「ユキが連れて行ってくれないなら、ユキが浮気したっておまえの実家に駆け込むからな」 「止めろ!」 とんでもないことを言い出した人に血の気が引いた。 浮気だなんて自分に最も縁のないことを、しかも実家に言いに行くなんてどんな騒ぎになることか。母が卒倒するかも知れない。 そうでなくとも両方の家を巻き込んで大問題になるのは確実だ。 「俺を捨てて女に走ったって言い触らしてやる!」 「下手するとおまえも死ぬぞ!?契約違反だと思われたらどうする!」 かつて灯と交わした結婚の約束は果たして何を持って成立しているのか。二人の心が別の方向を向いて離れてしまわなければちゃんと契約が継続されていることになるのか。それはよく分からない。 もしかすると他人の目からして「別れた」と思われただけでも契約が破られたとして二人に何かしらの異変が起こる可能性だって捨てきれないのだ。 昔灯が付き合った女子とキスをしようとした時、相手の女子が倒れたように。今度はその異変が互いの身に降り懸かるかも知れない。 「諸共だ!」 「この馬鹿!!」 next |