6 自分たちはどうなってしまうのだろう。 一緒に生きていくことが運命づけられている。そんな風に言えばロマンチックかも知れない。 けれど実際は同性であり、恋に落ちる要素もこれといってなく、友達であるようなないような。曖昧な状態で同居していた。 夫婦だと言いながら、その実感はなく。相手のために命を賭けることは出来るのだと、最悪な事態にぶち当たって判明したのだが。だからといって結婚したいかどうかと訊かれると首を傾げる。 すでに結婚してしまっている状態なのだと両家の親たちは言うかも知れない。だからこそおまえたちはまともな生活が出来ているのだぞと。でなければ二人の周囲にいる異性たちが片っ端から気絶していく羽目になっていたかも知れない。 灯の血に脈々と受け継がれてきた言祝ぎの力がそれを成すことだろう。 だからといって二人は何をしているわけでもなかった。 仲良く生活を共にしている。 それだけだったのだ。 けれどそれは口付けによって変わり、更に互いに下半身を愛撫し合うという、正気とは思えない行為に及んでから、状況は急変した。 (俺たちは何なんだ) そういえばついこの前も、同じことで頭を悩ませていたのではないだろうか。 そうは思うのだが解決しない限りは続くのだろう。 (……嫌じゃなかった自分が一番怖い) 久幸に抜いて貰うのも、久幸のものをしごくのも。どちらも嫌悪感はなかったのだ。ただ驚きと新鮮さだけが溢れていた。 何より、なんでこんなことになったのかという疑問が一番強かったのだが。それに関してはもう諦めている。誰に訊いても分かるはずもない。 久幸のことは好きだ。でなければ命がけで助けたりしない。一緒に暮らして、馬鹿をやりながら笑い合えるのは楽しい。だが抱くだの、抱かれるだの。そういう生々しい想像は出来ないのだ。 (なんとか、前みたいに戻れないかな) 悪友のような、親友のような。隣にいても全く気を遣わずに自然でいられる関係に戻れないだろうか。 だって今は久幸と向かい合って飯を食うだけで妙な緊張があった。 今朝などあまりにも気まずくて、ろくに会話が出来なかった。何を言っても昨夜のことを思い出して動揺してしまいそうだったのだ。なのでどうしても言葉は少なくなる。そして雰囲気は重くなっては、まるで二人して現実から逃げるように登校したのだ。 いつもより十分も早く家を出てしまった。 ぎりぎりまでだらだらしていたい灯にとって、朝の十分はかなり貴重なものだというのに。どうして大学でその貴重な十分を浪費しなければいけないのか。 負けたような気持ちになりつつ、しかし一方で仕方ないと苦さを噛み締めた。 「無かったことには出来ないもんだよなぁ〜」 今日はバイトだが早めに帰れると言っていた久幸のために、中華丼の仕度をしていた。 レトルトに少し手を加えたようなものだが、出来合いを出すよりずっと情が込められているだろう。 別に喧嘩をしたわけではないので、ちゃんと家事もするし久幸の分の食事も作る。ただ、家にいても落ち着かないだけだ。 「忘れられるわけもねーよなぁ。あんな衝撃的なこと」 人の手でイかされた初体験は刺激が強すぎて、とてもではないが忘却に追いやることは出来ないだろう。 意識するなというほうが無茶だ。 (今夜どうなるんだろ。またろくに眠れないのかな) チンゲンサイを切りながら、ずっしりと頭に乗っている眠気を堪える。昨夜あまりにも眠れなかったので、大学から帰って来てまずやったことが仮眠である。昼寝ならぬ夕方寝をし、少しは眠気も収まったのだが。まだ寝足りない。 久幸もきっと睡眠不足なのだろうが。二人並んで布団に入ると、どうも寝付ける気がしないのだ。 包丁片手に憂鬱な気分になっていると、それを察したかのように玄関の鍵が開けられた。 「ただいま」 「おかえり」 台所にいて、肩が跳ねたけれど久幸からは見えなかったことだろう。帰ってきただけなのにびっくりしていたら、同居なんて出来たものではない。 「今日は中華丼だぜ!」 「おー」 マジか、と言いながら久幸が台所に入ってきては灯の手元を覗き込む。 興味津々という顔は子どものようだ。普段は逆の場合が多いのだが、たまにこうして久幸が幼さを出すのは嫌いじゃなかった。 同い年なのだなと妙に実感する。 「ちゃんとあんかけにしてやる」 片栗粉を出して来て、あらかじめ用意していたお湯に溶かす。自炊するまでは片栗粉なんて何に使うのか、名前は知っていても用途は分からないものだった。 親元を離れると色んな謎が解明されるものだ。 「中華丼って真冬とか最強だよな」 「あったかいもんなー。似非フカヒレスープとか、よく飲んだ」 久幸は鞄を下ろしてから洗面所に向かって行く。帰宅すればまず手洗いうがいを徹底しているようだ。その辺りにちゃんとした育ちを見てしまう。 灯など実家では疎かにしていたものだが、久幸を見習ってなるべく習慣づけるようにしていた。 「似非かよ」 「ったり前だろ。俺フカヒレスープなんてマジモノ食ったことないし」 寿家は名前は立派でめでたいのだが、金銭感覚も内情も至って庶民である。フカヒレスープを易々と食べられるような家庭ではない。 「大体フカヒレ自体に味なんてないんだろ?だったら偉いのはフカヒレじゃなくてスープだろ!」 「どこ強調してんだよ」 洗面所から帰ってきた久幸が呆れたように言うけれど、こんな風に馬鹿みたいなことを言うしか逃げ場がないのだ。 「まー、中華丼もフカヒレスープも温かいのは片栗粉のおかげだけどな!」 そう言いながら椀を掻き混ぜる。白い粉はすでに溶けてぬめりのある液体になっていた。菜箸を持ち上げると糸を引いてはどこか卑猥なものに見えた。 その思考が良くなかったのだろう。 「そういえばさ、ネットに載ってるらしいんだけど。カップに片栗粉入れて溶かして、冷蔵庫で冷やして作るグッズがあるらしいぜ。アレを突っ込む用っていうの?」 片栗粉が妙にいやらしいという意識と、大学で耳にしたとんでもなく阿呆らしい情報が繋がってしまう。聞いた時は大笑いして「片栗粉だろ!?そんなの作るか!?」と大学の友達と言い合ったものだが。こうして料理に使っているとその思いは深まった。 食べ物で遊ぶのは良くない。 「なんか一人でスんのにお手軽で格安グッズだって。ぬるぬるして気持ちいいらしい。実際使った奴とかいて、大学の講義室で熱弁してやがんだぜ?どんなの作ったか知らないけど、片栗粉だってのにな」 しかも片栗粉の配分によって感触が違うから、何度も作ってそれぞれデータを集めているとか何とか言っていた。 本物のそういった、突っ込む系のグッズも知らなければ興味もないので、アホだアホだと笑ってやったものだが。人類の下半身事情に対する好奇心と努力は侮れないものだ。 灯は溶かした片栗粉を中華丼の素に流し込む。 「片栗粉は食いモンだろ〜。つか片栗粉にアレ突っ込むとかちょっと怖くね?」 まぁ変な化学物質より安全かも知れないけどさー、と言いながらそれまで黙り込んでいた久幸を振り返った。 久幸は猥談に関して食い付きが良いわけではない。だがそれでも年頃の男子である、それなりに会話には乗ってくれたし、たまにシモネタも口にしていた。 自分の性的な好みも教えてくれたし、ノーマルから逸脱することのない互いの好みに、そういうのは普通が一番だよなと、共感もしたものだ。 だからだろう。 真っ赤な顔で気まずそうに視線を逸らして立っている久幸に絶句した。 (え……えー……?) その反応は違うだろ。 女の子だったらならまだ分かる。恥ずかしいのも、怒るのも、なんでそんないやらしいことを言うのかと叱られるのも納得するだろう。 だが相手は男だ。この前まで普通にエロいことも言っていた。それを笑い飛ばしていた間柄である。実家でのエロ本の場所や巨乳について語り合ったのではないのか。 なのにどうしていきなりスタート地点に戻ったような、いやむしろマイナス地点に逆送したような様子なのか。 「おまえ…な」 何故か恨めしそうな目で見られて「ご、ごめん?」と訳も分からず謝った。 それ以外返す言葉がなかったのだ。 どうしてそんな顔をするのか、なんて素直に問いかけられる勇気はない。 (笑うところだろ!?馬鹿じゃねって言うところだろ?) もしくはどんなものなのかと興味を持つようなところではないのか。どうしてそんな、複雑そうな表情をされなければいけないのか。 レトルトなので味付けはすでに終了している中華丼の素の火を止める。 とろりとしたその料理が途端に罪悪感の固まりのように見えた。 (こんなところから意識されたら、俺どうしていいか分からないよ!?) どんな態度で接すれば良いか分からないから、くだらない話題を振ったのだ。中身が若干まずかったかなとは思ったけれど、ここまで破壊力があるとは思わなかった。 (これ俺が悪いの!?俺の責任なの!?) もう分からん!と半ば自棄になりつつ丼鉢、しかもお揃いである。冗談で買った丼の器にすら責められている気がする。それに思いっきり炊きたての白飯をついで、中華丼の素を盛大に盛りつけた。 「中華丼だ!食え!」 「ああ、ありがとう」 キッチンのテーブルにどんっと丼を置いてやると、少しは落ち着いたらしい久幸が「ありがとう」と言った。 自分の分もさっさと用意をして、二人並んで手を合わせた。 気まずさにテレビを付けてはなんとか状況を誤魔化そうとするけれど、よりによって番組の狭間であり、CMしか流れていない。 テレビに対するコメントにすら困るのだ。付き合いはじめのカップルだってもう少しリラックスするだろう。自分たちはすでに同居してそろそろ半年になろうとしているのに、何をしているのか。 「美味いな」 「な、レトルト使ったんだけど結構いけるな」 うん、美味しい美味しいと久幸が零した一言を拾って一生懸命会話を広げる。正直そんなに連呼するほど中華丼は美味しくない。 レトルトなだけあって単純な味をしている。きっと食べ終わる頃には味に飽きているだろう。 「灯」 「んー?」 「片栗粉使うくらいなら俺の手を使え」 ごぶっと嫌な音がして口いっぱいに頬張っていた中華丼を吹き出しかけた。 だが口に入れたものを勢いよく出すなんて、そんな行儀の悪いことは出来ずになんとかぎりぎりで耐えた。 耐えたけれど喉に詰まりそうになって死にかける。 苦しさに机をバンバン叩くと、何故か冷静な久幸にお茶の入ったグラスを手渡された。中華丼が出来上がる前にすでにテーブルにセットされていたものだ。 こういう気遣いはいつも有り難い。だがもっと言うならば会話にもその気遣いが欲しかった。 「片栗粉より気持ち悦くさせてやる努力をする」 「止めて!?そういうの止めて!?」 中華丼を飲み込むと、それを待っていたらしい久幸が真面目な顔でそう訴えてくる。冗談ならばやや引きながら「馬鹿言うなよ〜」とあしらえたのだが。眼差しが本気だと宣言しているので、もはや恐怖の領域だった。 「だがおまえは俺の嫁なわけだし」 「そうだね!俺の奥さんがおまえなわけだしね!」 「自分でやるより人にされた方が気持ち悦いだろ?」 「そうだったね!知ってるけどね!?」 確かに久幸にシて貰うと気持ち悦かった。だからあんなにも早く出してしまったのだが。けれどだからといって「今度からお願いします」と頭を下げるような恥知らずな真似は出来ない。 「嫁が他の女に走られると困るし。俺はそういうの嫌だし」 「走りようもないんだけどね!?他の人とキスも出来ないからね俺!」 「手で抜くなら出来るかも知れない」 「試さないよ!?」 まともに女と付き合うことも出来ないのに、どこをどうしたら手で抜くことか出来る状態に持ち込めるというのか。久幸の思考が暴走し始めたらしい。 「ちょっと待とうか!」 そんな台詞を言い出すのは圧倒的に久幸の方が多かったはずなのに、何がどうなってこんな混乱に陥ったのか。久幸は真顔で突飛なことを言い出すから心臓が保たない。 半分も食べていない中華丼の前で、灯は姿勢を正して改めて座り直した。 食事どころではなくなったのだ。 怖ろしさと緊張で背筋を伸ばすと、隣の男もさすがに箸を止めてこちらを見たけれど。すでに覚悟は出来ているというような眼差しの強さに、思わず怯みそうになった。 next |