汚れた手がズボンから引き出され、独特の匂いして目眩を覚えた。
 久幸は手近にあるティッシュで汚れを拭っている。無言が突き刺さってきては、更に灯を居たたまれない気持ちにさせた。
 こんなことになったのは久幸のせいでもあると思う。思うのだが、あまりにもあっさり出してしまった灯をどう思っているのだろうか。
(早いって、早漏って思うよな!思うと思うよ!)
 屈辱的だがそう言われても仕方がない早さではあった。というか早いかどうかは、平均が分からないので適当な判断なのだが。まぁ遅くはないだろう。
 馬鹿にされたら家出してしまうところなのだが。はたして久幸の表情はどうなのか。
 涙目になりながらちらりと久幸を見ると、機嫌は良さそうだった。
 不快感も呆れもないところにほっとしたのだが、その視線を下げてあることに気が付いた。
 久幸のズボンの一部が不自然に膨れあがっている。
(つられた?)
 人のものを処理している行為に、つい自分も興奮してしまったのだろう。
 同調効果というのか、雰囲気に流されたのか。
 少なくとも灯がイった様に嫌悪はなかったようだ。
(俺だけとか)
 達した気怠さを感じながら、一方で自分だけが出してしまったことに不満が沸いてくる。
 その気持ちが久幸に対して手を伸ばさせていた。
「っえ、灯!?」
「今度は俺がやる」
 久幸の膨らみを柔く掴むと、久幸が目を丸くした。視線が絡み、灯がじっと見詰め返すと本気だと分かったらしく、口元の笑みが引き攣った。
「いや、むきになるなよ」
「なるよ」
「俺は別にこういうことして欲しいわけじゃないし、お返しもいらない」
「まるで俺がして欲しそうだったみたいな言い方すんな!」
 望まれたからやりました、みたいな顔をされるのは心外過ぎた。むしろ止めろと言ったはずなのに、久幸は一切引かずに強引に手で弄ってきたではないか。
「俺だけあんなことされて!あんな顔見られて不公平だ!」
「そっちか!俺に悪いとか思ってるわけじゃないんだな!」
「誰が思うか!むしろおまえが俺に思え!そしておまえも恥ずかしい思いをすればいいんだ!」
 夜だというのにぎゃんぎゃん喚いてしまう。近所迷惑だと普段は灯を窘める久幸もそれどころではないらしい。
「そういう風にキレんのかよ!てかキレんなよ!」
「キレるだろ!」
 というかキレる以外にどんな態度を取っていいのか分からないのだ。
 無理矢理久幸と距離を詰めて、まるで膝に乗るような形でのし掛かる。そうしてなんとか自身の身体で久幸の抵抗を軽く封じて、ズボンの上からそれを揉む。
 すでに堅さを持っていたそれは、すぐに灯の手に反応して形を変えていくのが分かった。
「おまえ、マジか」
「その台詞は俺がすでに言ってる!それでもお前は全然聞かなかっただろうが!」
「復讐かよ!」
 ある意味復讐である。
 こんな復讐はどうなのだろうかと自分でも思うのだが、走り始めた勢いは止まらない。自分にするように、久幸のものを撫でてどうにか気持ち良くさせようと努力する。
 そのおかげか、久幸は「信じられねー、おまえ本当に馬鹿だな」などとぶつぶつ言いながらも顔を赤く染め始めた。
 血流が良くなっているということは、先ほどの自分のように快楽を感じているのだろう。
 羞恥という理由もあるかも知れないけれど、掌の中にあるものは大きくなっている。
(ここまで来たらやるしかない!)
 布の感触を確かめながら、ぐっと腹をくくる。そしてズボンの中へと手を忍ばせた。久幸が「えー……おまえ……」と引き気味の声を上げたのだが、自分だってやったことなのだと思い出して貰いたい。
 生々しい感覚と高い熱に指を絡める。目で見たわけではないからどんな造形なのかは分からないけれど、大体自分と同じようなものだろう。
 大きさを頭の中で想像するけれど、上手く出来ない。それよりも灯の手で一層膨らんだそれに戸惑う。
(男の手でもいいんだ。俺だって、それでイったんだけど)
 上下に擦るだけの単純な作業なのに久幸はびくびくと応じてくれる。これでいいのかとおそるおそる久幸を見ると赤面しながら恨めしそうに灯を見ていた。
 その顔がなんとなく、可愛いと感じる。
 大人びていて、灯を諭してばかりの人なのに。恥ずかしさを堪えて拗ねるような顔をされると子どもっぽい。だがやっていることは、大人の行為だ。
 その差に灯まで恥ずかしく、また高められているようだった。
「あっ、おま」
 久幸は灯に見られていることが受け入れられないとばかりに顔を寄せて来ては、口付けて来た。もしかすると口付けるのが好きなのかも知れない。
「んん……っん」
 舌を絡め合う深い口付けのついでとばかりに、久幸の手が灯の身体をなぞった。背中を撫で下ろされ、腹をくすぐられ、快楽なのかくすぐったさなのか分からないものが肌の上に転がる。
(違う違う!俺がスる側だろ!)
 ぬるりとしたそれが口内で動く度に、一端収まったはずの悦楽が頭をもたげようとする。だがそれを得るべきなのは灯ではなく久幸であるはずだ。
 自分の良いようにさせて貰えない、それどころか翻弄されそうになっている。
 こんなはずじゃないだろう!と自分を叱責しながら、夢中でなんとか久幸のものを愛撫する。といってもだ単調な動きでしごくだけだ。
「灯…っ」
 口付けの間に、吐息に混ざって名前が呼ばれる。熱に浮かされ掠れた声は明らかに快楽を感じているものだ。
(俺の手で……)
 久幸が感じている。
 耳からその事実を確認して、かっと腹の奥が熱くなった。
 気持ち良くさせたい。もっと声が聞きたい。もっと、悦くなって欲しい。
 敏感であろう先端を軽く指で擦ってやると久幸の喉が鳴った。いっそ声でも出せばいいのに、と思いそこに爪を割り込ませるようにしていじってやると、奪われるように唇に食い付かれた。
「っんん!」
 下唇に歯を立てるような甘噛みに気を取られていると、久幸がびくりと震えた。
 すぐに掌にとろりとしたものが吐き出されていくのを感じる。
 イったのだ。
(なんだよ、声出したくないからって。キスで誤魔化しか!)
 意地っ張りというか、プライドが高いというか、そういうところまで計算出来るのかという悔しさがある。
 灯などパニックになってされるがままだったというのに。
 久幸はここぞという時もちゃんと自分のペースを取り戻してしまうのだから、狡い。
 出してしまってきっと疲労感に襲われているだろう久幸は、灯に寄りかかってきては荒い呼吸を繰り返す。耳の近くではぁはぁという乱れた息を聞いていると妙な気分になってくるから、灯はどうしたものかと視線を彷徨わせた。
 汚れてしまった手をとりあえずズボンから引き出して見ると、白いものが絡まっていた。自分のものであるなら見たことはあるけれど、それが他人のものだと思うと、まじまじ眺めてしまった。
 違いなどあるわけがないのだが、これがなぁとおかしな感想が生まれてくる。
「さっさと拭け」
 久幸は灯に体重を掛けたまま、傍らにあったティッシュを押し付けてくる。自分が出したものなんて見られたくないのだろう。
 紅潮している目元で睨み付けてくるけれど、至近距離で見ていても怖くない。それどころか照れているなと面白くなるくらいだった。
 先ほどの久幸もきっとこんな風に思っていたのだろう。
「……手を洗ってこい。俺は着替える」
「え、うん」
 ティッシュである程度拭うのを待っていたように、久幸がそう宣言した。いくら互いの掌に出したといっても、全部受け止められたわけではない。下着は汚れているし、そのまま寝るには気持ちが悪い。
 久幸は余韻などありませんというように立ち上がり、衣類の入っているプラスチックで作られたチープな箪笥の引き出しを開けていた。
 言われた通りに灯は洗面所で手を洗おうと蛇口を捻った。プッシュ式のハンドソープを掌に出すとどぴゅっと勢い良く出てきた白いものに絶句して、その場にしゃがみ込んでしまった。
 たかがこんなものに良くない想像をするなんて、頭のネジが飛んでしまっている。
(なんでだよー!俺明日からまともに手を洗えないかも知れない!)
 元から自分の頭は馬鹿だと思っていたけれど、ハンドソープに卑猥な妄想を掻き立てられるようになっては人間として終わりだ。
「何やってんだ?」
 同じく手を洗いに来ただろう久幸に怪訝そうな声を掛けられて、消えたくなった。
 まさかハンドソープが出てた場面に、おまえがイったところを想い描いてましたなんて言えない。さすがに殴られるだろう。
 それ以前に軽蔑されるかも知れない。そんなのは勘弁して欲しい。
「なんでもない。全然なんでもない。俺は大丈夫だ」
「自分に言い聞かせるように繰り返す奴は、大抵駄目になってるんだぜ」
 呆れたように言われ、灯は溜息をついて立ち上がる。だが横にいる久幸を見ることは出来ずにさっさと手を泡立てて、白い残滓を綺麗に流してしまう。
 終わるとすぐに久幸にその場を明け渡し、水音を聞きながら下着を履き替えた。興奮の名残は全部綺麗に始末してしまおうとしたのだ。
 あんな雰囲気を引き摺ったまま、これからどうやって眠れというのか。出来るわけがない。
 それならまだうなされて、息苦しい思いをしたほうがややましだっただろう。少なくとも久幸に対して変な目を向けることはない。
「寝るぞ!」
 洗面所から帰ってきた久幸に対し、新しい下着を着用した灯は仁王立ちをした上で拳を握った。これから睡眠に入る人間がするような行動ではない。
 けれどはっきりとここで、先ほどまでの空気とは違うのだと主張しておかなければならないと思ったのだ。また口付けを仕掛けられたら、たまったものではない。
「そうだな。明日一限からだしな」
 気合いを入れた灯と違い、久幸はごく自然にそう言ってはやれやれというように布団に入っていく。
 気まずさはないのだろうか。もしかしてあれはなかったことにするのだろうか。
 拍子抜けしたような面持ちでそれを眺める。しかし何か余計なことを言って藪を突くのもまずい。
「そうだよな!明日早いもんな!」と無駄に元気ある声で返事をしては、逃げるように電気を消した。
(……久幸は気にしてないんだろうか)
 あんなことをしたのに、まるで平気なのだろうか。
 横になりつつ密かに様子を窺ってしまう。背中を向けられているのでどんな顔をしているのかはさっぱり分からなかった。
 灯などつい布団の端に丸まって物理的な距離を取ってしまっているのに。久幸は割り切れたのか。
 それにほっとするような釈然としないような気持ちになり、密かに溜息をついた。
 だがしばらくして久幸が寝返りを打ったのが感じられた。それと共に聞こえてきた小さな唸り声に、やはり二人して同じように緊張しているのだと分かり、安堵すると同時に途方に暮れた。


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