意識が暗く重いものに侵食されている。それに倣うように身体には太くびりびりと痺れる縄が巻き付いていく。
 肌が引き攣れるような痛みがある。なのに内臓からは鈍く、響くような鈍痛まで起こっていた。内側からも外側からも痛感ばかり刺激される。
 痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
 だがそれは灯の感覚というより、誰かの悲鳴だった。あまりにも悲痛な声と嘆きに、自分の痛みよりも哀れの方が勝った。
 ただ生きていたかっただけなのに。どうしてこんな目に遭わなければいけないのか。
 その声を、誰かの代わりに上げたかった。大声で叫びたかった。
 息を吸ってなんとか訴えようとする。けれど喉からはひゅーひゅーという息しか出てこない。
 聞いて欲しい、分かって欲しい。届いて欲しい。
 泣きながらそう声を発そうとするのに、出来ない。
 それが辛くて、涙を流していた。
(気付いて!)
 助けて。
「灯」
 眩しい光をまぶたに感じ、急激に何かに抱き上げられるような錯覚に包まれる。
 気が付くと蛍光灯の明かりを背にして、久幸が覗き込んで来ていた。
 全身に汗が滲んでいるのが自分でも分かる。
「俺…」
「うなされてた」
 渋い顔をする久幸にそう言われ、溜息をついた。
 息苦しさだけが灯の中に生々しく残っている。どんな夢だったのかは曖昧で掴めない。
「悪い」
 こう頻繁にうなされていては久幸も熟睡出来ないだろう。だが謝ると久幸は更に渋い表情になる。
 これも何回も繰り返していることだ。だが他にどう言えばいいのか分からない。
 困惑しながら、水でも飲もうかと身体を起こそうとした。だがそれを久幸の手が止める。
 枕に再び頭を乗せて、何かと思っていると口を塞がれた。
(いや、だから!)
 それって無意味だから!と言いたい。久幸の頭をがっしりと掴んで、おまえそれ何なの!?と正面から問い詰めてやりたい。
 だがそれをしようにも久幸に片手を掴まれているあげく、舌が入り込んで来ている。
(この舌ってさ!どうやって防ぐんだよ!?)
 突然の行為にどうしても「あっ」と驚きの声が上がるのだ。そうすると自然に口は開いているから、お邪魔しまーすという合図もなしに久幸の舌が入ってくる。
 不法侵入である。招いた覚えはない。
「んく…ん」
 舌を吸われて、また身体の奥に火がつく。
 ぞわぞわと落ち着かないものが足下から這い上がってくるようだった。
(待て待て、これ、まずい!)
 絶対に良くないものが生まれてきている。どこか、別の場所への新しいよく分からない扉が開き始める。
「だから、そういうの、無理だって…!」
 久幸の身体をなんとか押し退けて、灯は乱れ始めた呼吸でなんとかそう口にする。
 灯の中にあるものをそうして吸い上げようとしても、出てこないものは出てこない。むしろ緊張で内臓が出てきそうなくらいだ。
「俺、渡す方法とか知らないって言っただろ!」
 なのにどうしてキスをしようとするのか。しかも舌を入れる濃厚なやつだ。
 刺激が強く過ぎて身体がびっくりして、一部が熱を持ち始めている。
「でも俺はそういうの影響を受けるし。もしかしたらおまえの中にあるもんが、俺に渡ってくるかも知れない」
「だから!俺はそういうことしたくないって!どうせすぐに消えてくもんなんだから!おまえはもう充分苦労しただろ!」
「すぐ消えるって言って、一ヶ月経っただろ?」
 すぐっていつだよと、真剣な目で尋ねられて言葉に詰まった。
 どうせすぐに、いつの間にか消える。勝手にそう思い込んでいた。けれど今更になって、それは言い訳の体を失ってしまっていた。
「すぐなんて時間、終わったよ」
 そう言って久幸はもう我慢は出来ないというように、口付けを繰り返す。そして執拗なまでに舌で口の中を探る。
 灯を苦しめているものはそんなところにはない。知っているはずなのに、丁寧に、でも容赦無く舌先で辿る。
「んん……っん」
 呼吸すら吸い取られている。
 つい最近まで知らなかったその感覚は灯の体温をどんどん上げていく。身の内を燃やされているようで、怖い。
(これ駄目だ。駄目な感じがする。だってそういう目的じゃないのに)
 自分の下半身が盛り上がっていく。
 久幸にとっては真面目な、灯を助けると思い込んでいる行為なわけだ。なのに灯が感じているのは快楽であり、ざっくり言ってしまうと盛ってしまったわけだ。
 後ろめたすぎる。一人で何勘違いをしているのかと叱られるのではないのか。
(ガチでヤバイ!マジで!いやいや、もうなんか俺が変態みたいじゃないか!でもキスって気持ちいいんだから仕方ないっていうか!俺だって男の子ですからね!?)
 言い訳と共に涙が滲んでくる。
 久幸に軽蔑されたらどうしよう。
 ひたすら冷静さを取り戻そうとするけれど、くすぐるように上顎を撫でられると、足がひくりと動く。無意識の動きは久幸の足にそれを擦り付けるような形になった。
 高ぶり形を変えてしまった、灯の下肢に付いているあれ。
 久幸が口付けを止めて、視線を下に動かしたのが分かった。きっとそれが堅くなっていることに気が付いてしまったのだろう。
 一気に血の気が引いた。
 自分が盛っているなどということを、他人に知られるなんて到底受け入れがたい事実だ。
「俺っ!」
 逃げよう。
 とっさにそう判断した。からかわれたのなら、ユキが悪い!と逆ギレする程度の悪足掻きは許されるだろう。実際久幸が濃厚なキスなどするから、身体が反応してしまったのだ。
 久幸の下からするりと抜け出して、なんとかこの状態を回避しなければと思った。
 だがそんな灯よりも早く、久幸はとんでもないことをしてくれた。
「いっ」
「やってやる」
 高ぶっている灯の下肢にあるものをズボンの上から掴んだのだ。
 いきなり掌に包まれて、獣のように毛が逆立つような錯覚を覚える。
(や?やって?やってやるって?)
 なんだそれは。殺ってやるってことか?殺してやると思うくらい腹が立ったのか?
 パニックになった頭はそんなことを思い、恐怖のどん底に叩き落とそうとしてくる。
 けれど久幸がそれを刺激する手つきは優しく、人の手で与えられる初めての刺激に引いたはずの血流が巡り出す。
「おまえ……やるって」
「抜いてやる」
「そっち!?」
「どっちだと思ったんだよ」
 何と勘違いしたんだとばかりに久幸は笑う。穏やかな表情を浮かべたのだが、その右手はとんでもない暴挙に出ている。
「男だぞ!?」
「俺の嫁は男だからな」
「俺の奥さんも男だよ!」
 目の前にいる相手がそうなのだから、確認するまでもないことなのだが。分かりながらその手は何しているのかと、肩を揺さぶりたい。
「この先キスする相手はおまえだけだろ?」
「そう、たぶんそうだけど!」
「ならこうしてもいいだろ?」
「その考え方どうかと思うよ!?」
 この男は通常は落ち着いた、常識を大切にする思考を持っているのに。何故、突然軽くそれを超越して、破壊し尽くすような言動に出るのか。どこでスイッチの切り替えがあるというのか。
 灯のように普段からいい加減な言動をしているなら諦めもつくだろうが、いつも突然だから呆気にとられる。
「エロいことすんのも、おまえとしか出来ないんだから。他の人間とこんなこと出来ない」
 だからいいんだよ。
 そう顔を寄せて囁いてきた人に、常識を大切にする人と数秒前に考えた自分を馬鹿だと思った。
 微笑んでいる。その笑みだけならばきっと優しそうだと言ってもいい。
 けれどその二つの瞳は追い詰められているかのように、ぎらぎらとしたものが宿っていた。
 絶対に引かない。
 そんな気迫を感じては言葉を失う。
「あ……」
 自分でも何を言おうとしたのかは分からない。けれど口を塞がれてはもっと分からなくなった。
 不意を突かれて硬直した灯の隙を見て、久幸の手がズボンの中に入ってきた。
 掌の熱が直に伝わってきて、それほど高熱であるわけがないのに、溶かされてしまいそうだと思った。
 どろどろに混ぜられるような気がして、ぎゅっと目を閉じた。
 恐ろしいのに、逃げられない。
 上下に手が動かされると、それに合わせてびくびくと快楽が走っていく。
 人に愛撫される感覚というのは想像していたよりずっと強く、激しい悦だった。自分の手でゆっくりと高めていくはずの行為は、久幸の手になると急スピードで持ち上げられていく。
「っん、あ」
 先端を弄られて腰が震える。息を吹き込まれて風船がどんどん膨らんでいくようだ。しかもしっかりとしたゴムで出来た風船などではない。
 水風船だ。
 もう限界なんてすぐそこに見えている。
「ユキ、ッ!」
 駄目だ。もう我慢出来ない。
 呼びながら久幸の服の裾を掴んで思い切り引っ張る。伸びると文句を言われても言い返せないだろうその力に、久幸の笑った声がした。
「出していいぞ」
 そんな許しを待っていたわけではない。むしろ離してくれたほうがずっと有り難かった。
 なのに身体はそれに応じるようにあっさりと、自分でも驚愕するほど簡単に白濁を吐き出していた。
「ひぅ……ぅわ……」
 どぷりと溢れ出す精と共に快楽が全身を駆け巡る。
 気持ちが悦いと腰を震わせて息を詰めるけれど、うっすらと目を開くとそこにあったのは自分を凝視する久幸の瞳だった。
 見られている。人の手で呆気なく出してしまったみっともない姿を、一つ残らず観察されている。
 顔どころか身体全部が赤くなるのではないかと思うほど、恥ずかしさが込み上げてくる。快楽が全て羞恥に切り替わってしまったのかも知れない。
(死にたい……)
 生まれてこの方、死にたいと思うほどの恥ずかしさや気まずさ、失態をいっぱい晒してきたものだが。
 これほど強く、永遠に笑い飛ばせないだろうと確信出来るほどの後悔は初めてだった。


next 




TOP