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 出掛けると決まってから久幸の行動は早かった。
 障子を開けるなと灯を注意したことなど忘れたように、あっさりと離れの部屋から出る。結界から外れることにもう頓着はないようだった。
 顔つきが先ほどとは全く違っている。戦場に向かうかのような熱気を纏い、灯の前を歩いている。
 弱り切っていた雰囲気はどこにもない。
 それを頼もしいと思うけれど、体内までその意識についていっているのだろうかという不安もあった。途中で倒れられても困る。
 離れの先にある廊下では招木の母が驚いたように声を上げた。
「久幸!」
「相手のところに行ってくる。灯が場所を突き止めてくれた」
「ほんまに!?」
「はい」
 目を見開いた招木の母に頷くと、こちらも顔つきをきっと変えた。久幸と似ているようで少し違う。
 それは戦うというよりも、完全な殺意だった。
 目が合うと背筋が冷たくなる感覚に胃が縮む思いだ。
「久幸は止めなさい。何をされるか分かったもんやない。私が行きます」
 毅然とした態度で言う母を久幸は小さな笑みで迎え打った。
「母さんは駄目だよ。何するか分からない。下手すると殺してしまうだろ。身内から殺人者を出すわけにはいかない」
 ここまで我慢したんだ、と久幸は困ったような声で言うけれど。内容は危険なものだ。
 殺すならもっと早くやりたかった、という解釈が出来そうで灯はそっと顔を背けた。
「そないなこと!」
「駄目だ。自分でも分かるだろ、何するか分からないって」
 久幸は頑として認めない。それどころか母を諫めている。
 言われた側はそんなことはないと言い切れなかったらしく、唇を噛んでは悔しげに睨み付けてきている。
 この親子で息子の方が優位に立っている図などなかなか見られるものではない。違和感を覚えるほど珍しいだろうそれに、廊下の曲がり角から一人割って入った。
「なら僕が行くよ」
「兄さん…」
「お兄さん?」
 久幸と同じくらいの背丈した男だ。顔立ちは優しく、久幸の父によく似ていた。
 にっこり笑うと穏和そうで、落ち着いた物腰は教職に就いているような印象を受ける。
 久幸の兄は十近く年上だと聞いていたのだが、見たところそんなに離れているとは思えなかった。
「初めまして灯君。久幸の兄、総一です」
「寿灯です」
「僕は呪いだの何だのっていう才能はほとんどないんだけど、何かあった時大人としての対処は出来るし。車を出して欲しくない?」
 呪いだの何だのではなく、未成年だけでは対処出来ない事柄に出会った際の責任を持ってくれる、ということなのだろう。
 それに車を出して貰えるというのは有り難い。鶴はそう遠くない位置で繋がったようだが、それでも徒歩でどれくらいかかる距離なのかは不明だった。
 夏の昼間はそう出歩くものではないだろう。
「お願い出来るなら」
「協力するよ。お母さんも僕が付いていくから少しは安心して」
「でも、伯父さんが来るんよ。だからちょっとだけ待って」
 招木の母が言う伯父は実家の兄だろう。呪いについては関わりのある血筋だと言われている。きっと久幸を助けるために手を尽くしているはずだ。
 もしかすると毎日のように通ってきているのかも知れない。
「待てません。今式を遣っているのですが、時間が経てば経つほど意識が途切れやすくなります」
 下手をすると鶴を追えなくなる可能性も出てくる。それだけは避けたかった。
「なら相手の居場所に到着したら伯父さんに教えるから現地集合で」
 総一は母の苦悩を見ながらも簡単にそう答えた。
 時間が無いと言った灯の代弁をしてくれているようだ。
「……久幸。ほんまに行くの?」
 苦しめられ続けた相手と会う。子どもの頃にきっと深いトラウマを受け付けてきた相手だ。きちんと向き合えるかどうか母親は恐ろしいのだろう。
 止めて欲しいと訴える目をしていた。
 けれど久幸は「行くよ」と母の不安を払拭しようとするかのように強く言い返した。
「俺が決着を見届ける。そして灯が背負うものは俺も全部背負う」
 灯が相手を呪い殺し、人の死を背負うのならばそれもまた自分の罪である。
 そんな声が久幸から届いてくるようだった。
(……こいつは強いな。本当に強い)
 呪いにも心折れず、灯が穢れるのならばそれを分け合うという。痛みにばかり首を突っ込んでは立ち上がろうとするのだ。
 強すぎて眩しい。
 この人の隣で自分もまた同じように強くなれるだろうか。
 脳天気に好き勝手に生きてきたのに、ちゃんと肩を並べられる人間になれるだろうか。
 大きく息を吸い込んで、せめて少しだけでも大きくなろうと胸を張った。



 総一の車に乗り込むと、出来るだけゆっくり走ってくれとお願いをした。
 導いてくれるのは灯の中にある糸のような感覚だ。曖昧であるため、速く走った場合は上手く居場所を掴みきれない可能性がある。
 いわば性能に若干不安のあるナビのようなものだろう。
「しばらくは真っ直ぐお願いします」
 走り出してまず灯が告げたのはそんな指示だった。
「君はすごいね。式なんて遣えるんだ」
「お兄さんはこの手のことはしないんですか?」
 招木の母とは血の繋がりはないそうだが、彼の母も特殊な才を持つ血統と親戚ではあるだろうと思っていた。
 父親がそういう人を求めたと聞いたことがあったからだ。
「僕は一般人みたいなものだよ。父はお母さんのように特別な力ある人に憧れて、家族になりたかったみたいだけど、僕の母はあまり才に恵まれてなくてね。僕も必然でその手の才は薄い」
 先ほどから気になっていたのだが、総一が言う「お母さん」という呼び方はまるで一般的な表記を表しているような言い方をしている。義理の母だからだろうか。
 少し言い辛そうだ。
「だからお母さんと結婚出来た父は幸運だろうね」
 淡々とまるで他人事のように総一は話している。
 自分とはさして関係のない噂話のようだ。
(人の良さそうな顔と喋り方だけど、ちょっとくえない感じだ)
 何がどうとは言えないけれど、一筋縄でいかない雰囲気がある。
「だが俺だってこれといった才能はないし。人の力の影響を受けやすい体質ってくらいだ。おかげでこのざまなんだけどな」
 久幸は肩をすくめて見せた。
 呪いは招木の母にはほとんど効かず、久幸にだけこれほど呪いが有効であるというのも妙だとは感じていた。
 いくら形代が実家に安置されているとはいえ、あまりにも親子で格差がありすぎるだろうと。どうやら久幸の体質も関わっていたらしい。
 この件に関してはそれが徒になっているが。
「灯君のような才能を持った子は生まれてこなかったということだよ。父は残念だろうが仕方ない」
「難しいですね」
 こればかりは望んでも与えられるものではない。
 神のみぞ知るというところだろうか。人の意志で左右できる次元を超えている。
「世の中はそんなものだよ。そうそう生まれてくるものじゃない」
 それは灯もよく知っている。自身が出てくるとは思わなかった血から生み出された典型的な予想外の子どもだったからだ。
 珍しいとどれだけ言われ、歓迎されたことか。
「すみません。そこを右に」
 喋りながら交通量の少ない道路を走る車に、細い路地に入るように告げる。
 灯など地元ですらないので、ここがどんな場所なのかは想像も出来ない。けれど曲がって数分経つと閑散とした光景へと変わり始めた。
 ビルやマンションという類が減り始め、畑や古ぼけた一軒家が目立つ。
「伯父さんも呪いを辿ってある程度土地は絞り込んでたみたいだけど。詳しいところまではまだ辿れなかった。それを君は一気に追い詰めるんだね」
「そのための訓練をしてきましたから」
 感心するような声に灯は大したことではないというように素っ気なく答えた。気に障ったわけではない。目的地が近くで集中力を欠かすわけにはいかなくなってきたのだ。
 おかげで会話に気を取られるわけにはいかなかった。
「悪い」
「何も悪くない。さっきも言った。ユキに悪いところになんてない」
 謝る人に言うなと返してから、灯は後部座席から前方を睨み付ける。目に見えない糸を視覚で捕らえるような気持ちだ。
 車どころか人通りも極端に減ったので灯は更に車の速度を落とすように言い、細かく指示を出した。目的地がとても近くになってきたのだ。
 引き返すなどという二度手間にならないように細心の注意を払って進み、車の速度で移動するのがもどかしいと感じた時に「下りましょう」と言い出した。
「駐禁が来そうもないところだから、置いて行くか」
 ぐるりと周りを見渡しても自分たち以外の人間は見えない。工場のような建物の傍らで、近くを線路が走っているのだが、人家やアパートなどの人が暮らしている建物が少ない。
 元は畑であったのだろう荒れ地、取り壊されている途中で止まったままの商店らしきもの。あまり良い環境とは言えないようだ。
 じりじりと焦げ付くような太陽の日差しに自然と歩みが遅くなる。
 離れに閉じこもっていたはずの久幸などかなり堪えるのではないかと思ったが、弱音を吐くことなく淡々と付いてきている。
 これから呪いの元に会いに行くという緊張感のせいかも知れない。
 線路の高架下を通ってフェンスが続く工場らしき建物に添って歩き、灯はいきなりぴたりと足を止めた。
「そこを曲がって右手です」
 汗を拭いながら先を指さす。久幸と総一が顔を見合わせて、覚悟を決めた表情を更に険しいものにした。
 灯などよりもずっと、二人は苦しめられてきたのだ。積み重なった感情があることだろう。
 指し示した通りに進むと古びて壁にひびが入っているアパートがあった。
 いつ取り壊されてもおかしくない、人が住んでいるとは到底思えないようなアパートだ。
「ここか?」
「たぶん、そうだな。このアパートのどっかだ」
 二階建てのアパート。恐らく一階だろうということは察しが付いた。そこから異様な気配がするのだ。
(……気持ち悪い場所)
 どす黒い靄がアパートから漂って来ている。真昼だというのにここだけ夜の闇をうっすらとかぶせているみたいだ。
 くすんだ光景に灯は不快感を覚える。こんなところに近付きたくない。
 だが久幸の呪いに決着を付けるためにはここにいるだろう人間に会わなければならないのだ。
 嫌がる身体を無理矢理動かして、アパートの敷地に入り込んだ。


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