「今日の晩飯はなんとお子様が大好きなお好み焼きだ!」
 フライパン返しを片手に宣言すると、バイトから帰って来たばかりの久幸は目を輝かせた。
「頑張ったな!」
「そうだろう!自分でも頑張ったと思う!フライパンで一つずつ焼くのめんどくさい!」
 ガスコンロの二口をフル活動して、両方の焼き加減を眺めつつひっくり返さなければいけない。しかも左右で火力が違うのでその調整も必要だった。
 灯の手は二つしかないので、その二つともに気を取られることになる。
 しかし一つずつ仕上げるという考えはなかった。それは二つ同時に焼くより面倒な気がしたからだ。そして二人揃って美味しい御飯を一緒に食べ始めたかった。
「先シャワー浴びて来いよ。出てくるくらいに出来てるから」
「すげぇな。そんなに手際良いなんて思ってなかった」
「えらいだろ。だから今度はおまえが休みの日は煮物作れよ」
 久幸は実家の母親から教えて貰ったという煮物を作らせると非常に美味しい。灯の母よりずっと上手だ。
 大学生の男子だとは思えないその味に、灯はもっぱら久幸の煮物ファンである。
 だが煮物は時間がかかるので久幸の大学かバイトのどちらかが休みではないと作れないのが難点だった。
 了解と言って上機嫌で風呂に行った久幸を見送り、灯は腕まくりをした。部屋にクーラーは付いているが、やはり真夏直前。火を使っていると汗が流れてくる。
 じわりと額に汗を滲ませてじゅーじゅーと音を立てるお好み焼きの生地をフライパンに押しつける。
 それにしてもレシピも何もなく、母が作っていた姿をなんとなく覚えているという知識で作ったお好み焼きなのだが大丈夫だろうか。
 料理は大抵適当に作っているのだがいつも久幸は美味しいと言ってくれる。おかげでお子様が好きそうなメニューを次々制作していた。
 いつかお子様ランチのようなプレート料理も作れるようになるだろう。
 久幸が風呂から出てきた時にはもう焼き上がり、ソースやマヨネーズをそれらしく飾っているところだった。
「美味そうだな」
「そうだろう!俺も意外と美味く出来たような気がする!」
 ちょっと焦げてしまったのだが、ソースで誤魔化せば問題がなかった。それどころか皿に盛って上から青のりと鰹節をかけると立派なお好み焼きの姿だ。
 どこに出しても恥ずかしくないような気がする。
(俺ってすげぇ!何この才能溢れるお好み焼き!)
 二つ並べて完成品を見下ろすと陶酔してしまいそうな出来だ。
 これならお好み焼き屋でバイトも出来ることだろう。
「良く出来た嫁だな」
 頭からタオルを掛けながら感心している久幸に胸を張った。
「料理上手はポイント高いんだぞ。お子様メニュー好きな奥さんのために俺はレパートリーを増やしてんだよ」
「ありがとう嫁よ!」
「頑として嫁呼ばわりか。感謝しながらも嫁か」
 同居してから一歩たりとも互いに譲らない呼び方である。もういい加減どっちか折れろよと思うのだが、灯は絶対自分は折れないと決めているのでいつまでも平行線かも知れない。
 向かい合わせで席に着きながら、洗いざらしの髪もそのままに手を合わせる男に少し笑ってしまう。
「見た目はホント薄味和食、煮物大好きみたいに感じなのにな」
 落ち着いた物腰に着物が似合いそうな好青年。大正ロマンの映画に優男として出てきそうな雰囲気がある。
 だがお好み焼きを口いっぱい頬張っている。
「そういうイメージを付けられた反動だ」
「ふぅん。見た目は大人、舌は子どもっていう意外性か。わさびは好きじゃない、でも唐辛子はいけるんだよな?」
「辛さの方向性が違う」
 方向性と言われてもよく分からない。きっと久幸の舌は「これは許せるがおまえは許せない!」という線引きが明確にあるのだろう。
 大雑把が服を着ているような感性の灯には、その辺の違いなど分からない。
「見た目は大人、中身は子どもっていうよりましだろ」
「その逆なんとかは人間として最低だな」
 どこかのアニメでよく聞くフレーズはあの状態だから認められるのであって、状態が真逆であったらただの駄目人間、最低人間のアニメになってしまうことだろう。
「ほくほくで生地柔らかいし、美味い」
「そりゃどうも」
 お好み焼きの生地に山芋を擦って入れるのはお好み焼きを作る上で大切なことだと、母に言われたのを記憶していて、手が痒くなるのも覚悟して山芋をすり下ろして入れたのだ。
 するとふわふわ、表面ぱりぱりのお好み焼きが出来た。
 褒められるまま灯もお好み焼きを口に入れると、ソースの香ばしさはマヨネーズのまろやかさ、そして何より生地の柔らかさに口元が緩んだ。
 キャベツのほのかな甘みも堪らない。
(今日は豚で作ったけど、海鮮とかもいいな)
 天かすをいっぱい入れて作った物もいいかも知れない。
 色んな作り方が頭の中を回る。お好み焼きはまた近々挑戦してみよう。
「今度唐揚げを作ってくれよ」
「給食の人気5に入りそうなメニューだな。つかおまえが作れよ、油使うのはまだちょっと怖い」
 灯は実家にいる際、油物は一切させて貰えなかった。それどころか母が天ぷらを揚げている時は近くに寄るのも禁止されたものだ。
 やんちゃでじっとしていられなかった幼少期を過ごしたせいだろう。
 そのおかげで灯は油物に関して抵抗感があった。
「それもそうか。灯は不器用なところがあるしな」
「喧嘩売ってんのか。料理に関しはそんなに不器用じゃなくなったぞ」
 器用かと訊かれると若干悩むがちゃんと料理は作れるようになった。灯の自慢出来る部分になりつつあるのだ。
 それでも揚げ物はしたくないが。
「そうだな。料理上手だな。だから唐揚げを作ってくれ」
「どうしても唐揚げか」
 つまりそこなのかと思っていると、久幸がくしゅんとくしゃみをした。
 風呂上がりにそのくしゃみは少し気になる。
「風邪引きかけか?今朝もくしゃみしてたよな?」
 季節の変わり目などには身体に気を付けてやって欲しい。
 そう招木の母に言われたことを思い出す。
 実際春から夏にかけての気温が不安定な時期に久幸は一度体調を崩した。寝込むほどではなかったのだが、二、三日喉の調子が悪く声がかれていた。
 それを思い出し眉を寄せる。
「ちょっとな。熱があるとか喉が痛いとかじゃないけど」
「クーラーかけ過ぎかな」
 料理をするからと思って温度を下げていた。思い出して灯はクーラーのリモコンを取りにリビングに戻った。設定温度は二十四度と、環境に優しくない。
「おまえ暑がりだよな。全然エコじゃねぇ温度にするし」
 ピッピッと電子音を立てながら温度を上げると久幸が苦笑していた。
「自分に優しく!俺はいつも自然と闘ってる!」
「自然を食い物にしてるの間違いだろ」
 注意されつつ、食卓に戻る。久幸はお好み焼きのほとんどを食べ終わっており、よほど気に入ったらしい。
 ここまで機嫌良く食べて貰えると作った甲斐があるというものだ。
「つかおまえも風邪引くほど寒いなら我慢するなよ。隣で俺が汗掻いてても気にせず温度上げろ」
 狭い部屋の中、二人はリビングに布団を敷いて寝ている。さすがに布団をぴったりとくっつけて並んで寝る趣味はなく、ある程度距離を開けて寝ていた。
 それでも同じ空間だ。空調の温度に差はない。
「ああ、気にしない。おまえが暑い暑いって言ってても俺は温度上げるし、平然と眠れる」
「本当にそうだもんなおまえ!そういえば梅雨時期にすげぇ暑い夜があったのに、おまえクーラー切っただろ!俺は汗だくで目覚めた!」
 湿気が高くでじめじめした空間が嫌で、クーラーを掛けながら眠ったのだが。気が付くと電源が切られていた。
 久幸にとってクーラーは必要ないものだったらしい。
 汗だくで目覚めた不快感とクーラーが起動していない事実に、すやすやと眠っている久幸を叩き起こしてやろうかと思った。
 あの夜の食事当番が自分だったなら、確実に切れて起こしていただろう。
 哀しいかな記憶には久幸が作った肉じゃがあったのだ。男を落とすなら肉じゃがとはよく言ったものだ。
「普通ちょっとは気にするだろ」
「俺はしない。そもそもおまえは寝言もうるさいんだ。いちいち構ってられるか」
 寝言まで指摘され、灯は言葉に詰まった。寝ている間のことまで責任は取れない。
「俺そんなに寝言いってる?」
 寝言、いびきの類は人に言われるまで分からないものだが、久幸が軽く睨み付けてくるほど酷いだろうか。修学旅行などで人から言われたことはないのだが、環境に慣れてくると気が緩んで寝言も出てくるのか。
「一人で会話してるよ。録音してやろうかと思ったこともあるけど、眠いから放置してる」
 夜中に一人でぼそぼそ喋っている図はちょっと怖いものがある。
「そうか、ユキが風邪引くと俺の横で寝ているやつが唸るってことになるのか。それは嫌だな」
 苦しげな呼吸を聞きながら眠るというのは気分の良いものではない。
「ちゃんとクーラーの温度一度くらい上げるから、体調戻せよ。風邪引きと寝たくない」
「理由が酷い上に一度か」
 あくまでも自分の利益を考えた故の発言に、久幸の箸が灯のお好み焼きに伸びてきた。
 行儀の悪さに目を瞑るほどだったらしい。
 しかしまだ食べたいという食欲はなかなかに心地良いもので、皿ごとお好み焼きを死守しながらも悪い気はしなかった。


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