目玉焼きにはどんな調味料をかけるか。
 卵料理は世界中で様々な種類があり、手軽でアレンジの出来る料理だと思う。にわとりにありがとう、というところだろう。
 その中でも目玉焼きだなんて熱を入れただけの料理は、その上に何をかけるかで好みがはっきりと出るだろう。
 久幸は果たしてその上に何をかけるのか。
 ちなみに灯は醤油だった。日本人の大半が好きな醤油、その流れに外れることなく醤油を愛している。
 もし長期間海外に行くことがあれば醤油を持って行くことだろう。
 最近は液体ではなく粉タイプの醤油もあるらしい。飛行機に液体を持ち込めないという理由から企業が粉状の醤油を開発したらしいのだ。
 この努力を高く評価したい。
 そんな愛すべき醤油をかけるか、それともソースなどの調味料を選ぶのだろうか。
 いっそシンプルに塩か。そこに胡椒も混ぜるか。
 想像しながら朝飯を作っていた。
 とは言っても目玉焼きに白飯に味噌汁だ。漬け物だの煮物だのは出来合いを冷蔵庫から取り出しただけだった。
 大学生にしては地味な朝飯だろうが、今日は飯が食べたかったのだ。
 一通り終わり、後は味噌汁をよそうだけという段階になってから久幸を叩き起こしに行く。
 久幸は朝が苦手なのだ。
 普段しっかりとしており、てきぱき手際良く暮らしている男なだけに、同居を始めたばかりの頃はその寝穢さに驚いた。
 まさか眠いからとぐずるなんて思っていなかった。
 それはキャラ的には灯がやることではないだろうか。同居する前は自分がそうしてだらだら朝を過ごせるものだと思っていたのに、とんだ見込み違いだ。
 二人揃って惰眠を貪り寝過ごして遅刻するなんて馬鹿馬鹿しい現実はさすがに勘弁して欲しくて、朝は我慢して起きている。
 自動的に灯が朝飯当番だった。
「おーい、起きろ。もう起きろ。いい加減起きろ」
 やる気のない声で、布団の中でうずくまる久幸に声を掛ける。「うう……」と呻き声のようなものは聞こえるけれど、身じろぎすらしない。
「朝飯出来たからさっさと起きて食えよ。一限からだろ」
 今日は灯も一限だが久幸も一限だ。まだ眠気が残っている頭で小難しいことを聞かなければいけない。
 一限の講義の怠さというのは格別だなと思いながらも布団を剥ぎ取ると、ようやく久幸が「あー……」と半分眠っている返事をした。
 それでもまた二度寝する可能性があるので、布団を奪取してから台所に戻る。
 テーブルの上に様々な調味料を並べている間に久幸は起き上がってくる。それはゲームの中でお目にかかるゾンビの動きによく似ている。
 生きる屍だなぁと見ていると久幸は洗面所に行って身支度を調えて帰ってきた。その頃には多少目も開いていた。
 味噌汁をよそって出してやると朝飯は完成だ。
 実家にいた時はやらなかったような作業であり、母親が見たら「やれば出来るのになんで今までやらなかった!」と言うだろう。
 やる必要性にかられなければ人は成長しない。
 それはそうと、先に座って久幸がどんな行動を取るのか見上げる。
 久幸は小さなテーブルの上に所狭しと並んでいる調味料に突っ込みも入れず、席については手を合わせた。
(育ちだよな〜。こういうのめんどくさがらないの)
 灯など親の目がないと、食べる前の挨拶など面倒でやらないのだが。久幸はそういう手抜きの意識がないのだろう。
 まずは味噌汁に口を付けたかと思うと目玉焼きに視線が移った。
 さてどうする、どれを取る。
 注目していると、久幸は灯と同じ醤油を手に取った。
(やっぱり醤油か。定番だもんな)
 友達はソースで食べると言っていて驚いたのだが、やはり目玉焼きは醤油だろう。
 久幸も同じ選択で少しほっとした。調味料の好みが同じというのはこれからの生活で多少の安堵を与えてくれるだろう。
(よく考えたらあの家でソースかけるとか無理かも)
 和服を身につけている母親の元で暮らしていると、食事も和食だろうというイメージがある。ならばソースより醤油のほうがずっとしっくりくるだろう。
 目玉焼きが醤油なら自動的に卵焼きも醤油だろう。ここでソースだのケチャップだのはこないと思いたい。
(箸の使い方が綺麗だな。ホントいいとこのぼっちゃんって感じだ)
 家に何度かお邪魔したので事実であることは知っているのだが。期待を裏切らない男だ。
「ユキは、今日バイト?」
 食事が半分終わり、そろそろ目覚めたかという時に尋ねるとこくりと首が縦に動いた。
「俺もバイトしようかな」
 久幸は大学に入学し、取得単位が分かるとすぐにバイトを決めた。
 開いた時間があるならばその間に金を稼ぐことにしたらしい。無駄なことは極力しないと言っている久幸らしい判断だ。
 だが灯はまだバイトをするかどうかを決めかねていた。
 大学が始まる前はバイトをすると意気込んでいたのだが、いざ講義を組んでみると意外と自由になる時間が少ない。
「言祝ぎ屋があるしなぁ……」
 学生が最もバイトをしやすい土日に言祝ぎ屋の仕事が舞い込む可能性がある。依頼には波があり、来る時には毎週末入ってくるのだ。
 もしそんなことになればバイト先に嫌がられることだろう。何のための大学生バイトだと思われても肩身が狭い。
 それに小遣い程度の稼ぎは言祝ぎでもなんとかなる。
「五月も後半に入れば忙しいんじゃないか?」
 久幸はようやくまともに喋り始めた。目もちゃんと開いて、本格的に覚醒したらしい。
「それがそうでもないんだよな。ジューンブライドって言っても日本は梅雨時期だろ。親戚とか嫌がるらしいし」
 本人は強く希望しても参列者が嫌がるのが六月というイメージだ。大体新郎新婦も雨で身動きが取れないのは困るだろう。
「十一月十二月は結構あるけど。やっぱりイベントに左右されんのかな。つか言祝ぎなんていつ受けてもいいもんなんだけどな」
 それでも入籍や挙式に関係づけられ、言祝ぎも頼まれる。
 祝い事の一連の中に入れられるのだ。有り難いことだと思う。
「でも無い時は暇なんだよな。お金が欲しい」
 それが灯の本心だった。金が欲しい。自由になれる金はいくらだって欲しい。
 大学生は遊び盛りだ。そもそも苦しい受験時期をなんとか乗り越え、ぎりぎりセーフで今の大学に滑り込んだのだ。あの苦労はもう二度と味わいたくない。
 禁止されたゲームもいっぱいやりたい。あれこれ買い込んで休みには目がちかちかするくらい熱中したい。
「仕送りあるだろ」
「来てるけどさ。やっぱり無駄に使うと怒られる気がするし。もっと自由になるあぶく銭が欲しい」
「駄目人間の典型的な台詞だ」
 久幸にそう苦笑され、確かに自分でもそう思うのだが。仕送りに無駄に手を付けないと決断しているところをまず褒めて欲しい。
 生活を崩すことは良しとしない。もうそれは人として最低限のことであり、バレると仕送りも学費もストップされるからだ。
「だってユキも稼いでんじゃん」
「だったら俺が家賃とか払うから、おまえは仕送りを小遣いに」
「出来るわけないだろ!金のことは完全に折半!金で揉めると後を引くんだからな!親戚との揉め事で泥沼になるのは大抵それだ!」
 味噌汁片手にそう熱弁すると久幸が呆気にとられたような顔をした。
「言祝ぎの時に各家庭のどろどろを聞く時もあるんだよ。結婚なんてするもんじゃねーと思う時もあるくらい」
 人間関係がこじれる時はここまでこじれるのかと驚くような場合もある。まだ十代である灯には共感出来ないどころか理解出来ない事柄もざらだ。
 その中でも金の問題で揉めるとどん底まで落ちる家庭が珍しくない。人間の欲望は果てしなく、金の魅力は悪魔なのだろうと実感する。
 自分はいい加減な性格だと自覚していても、さすがに金のことに関してはきっちりしようといつの頃からか思っていた。
 金に綺麗で、時に細かく、時に貪欲な人間でいたい。
「金はな、綺麗に分けなきゃいけないよ。うん」
「おまえが意外と世間に揉まれてる事実が驚きだが」
「世間の闇はどこにでもあるんだぞ」
 一見普通の家庭が蓋を開ければ。なんてことは有り触れたことなのだ。
 身内は一番近い他人。そんな世知辛い言葉もあながち間違っていないことを知っていた。
「そうか。まぁ金に関してはおまえが正しい」
 そうだな、と発言者が大人しく納得し朝御飯は平穏な空気に戻ったのだが。自分の金がないという事実は結局何も変わらず、目玉焼きはしょっぱかった。


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