合格通知が家の郵便ポストに届けられると、その音を敏感に察知してまず母がそれを手に取った。
 そしてその封筒の厚みに「灯!」と悲鳴のような声で息子を呼んだ。
「合格よ!アンタ受験に成功したのよ!」
 まるで世紀の大発見でもしたような声だったのだが、母にとっては世紀の大発見より息子の合格だろう。
 そういえば高校受験の時は高校に張り出されていたから、共にそれを見に行って力一杯抱き締められたなと思い出す。
 骨が軋む音を微かに聞いた記憶がある。
 それほど母は灯が合格するかどうか心配していたのだ。
 頭の出来が残念な息子で申し訳ない、と言いたいところだが諦めてくれという気持ちの方が強い。
 母が持っている封筒は明らかに厚く、中に入学手続きやら何やらが入っているのだろう。
 最近ではネットで合否の発表も行われているのだが、合格通知が家に届けられる日と同日なのだ。回線が重くなることは明白で、大人しく郵便を待っていた。
 落ちた時は久幸にどう言い訳しようか、しばらく行方を眩ませようかと思っていただけに嬉しい知らせだ。
 すぐさま携帯電話で久幸の番号を呼び出す。
「合格したから!」
 通話が開始されると同時に、相手の声も聞かずにそう宣言した。
 勢いが余ったその声に向こう側で吹き出す気配がしたけれど、それに構っている場合ではない。
 母は息子より早く封筒を開けて「本当に合格してる!」と視覚で確認を取っている。
『おめでとう。マークシートのありがたみだな』
 受験勉強にひたすら付き合ってくれた人はそんな一言を返してくれる。
「俺の努力の結果だろ!」
『誰の努力だって?もう一回言ってみろ』
「……ユキには大変お世話になりました……」
『そうだな。俺のおかげだよな』
 自分の努力だなどという台詞は寝言にしか聞こえなかったらしい。もっともな発言だろう。灯はひたすらに努力することを拒み続けていたのだから。
 努力したのは久幸の方だ。自分の勉強でもないのによく面倒を見てくれた。
『第一マークシートで良かったって言ってたのはおまえだろ?頭の中のサイコロに感謝しろよ』
 試験中、分かる問題は半分を切っていた。
 現実を前に心が折れそうだったけれど、目の前にある解答用紙はマークシートだ。解答出来ないという最悪な結果が免れたことに、灯は最終手段を執った。
 カンだ。
 自慢ではないが、灯は強運である。天に運を任せてこれまで生き延びてきたようなところも少なからずあった。
 今がそのとき!とばかりに頭の中にサイコロをイメージし、それを転がして試験を受けた。
 試験を受け終わった後、久幸に手応えを訊かれて正直にそのことを話すと大きな溜息と共に「俺は無力だ」と呟かれたのは記憶に残っている。
 四割分かっただけでも俺としてはすごいことなんだ!と励ましたけれど、久幸は納得出来なかったらしい。
 頭の出来の違いは価値観の違いに繋がる。
『何はともあれ、これで一安心だな』
「おうよ!次はどこに部屋置くかだよな!」
 灯の合否が分かるまでは同居する住所を何処に置くのか決められない。
 互いの大学の中間辺りに部屋を借りようと言っており、ある程度目星は付けていたのだが。今日から本格的に相談しなければ。
 新しいことを次々に決定し、がらりと変わる生活に備えるのだ。
 合格が分かった喜びと、これから始まる生活に胸が躍る。
『おまえの大学の近くでいいよ。自転車で通学出来るくらいの距離で交通費を浮かせよ』
 当初と異なる発言に灯はつい「え?」と驚きの声を零した。
 不公平にならないように、同じくらいの通学距離にしようと言っていたのではないか。生活費、交通費くらいは実家が出してくれる。というか灯も言祝ぎ屋で稼いだ金を貯金しているので多少は蓄えがある。
 これからも続けるつもりである上に、金銭が切迫しているわけではないのだが。
「なんで?おまえどうすんの?」
『俺?バイクで通学する』
「なんだよそれ!俺にはバイクは止めとけとか言ったくせに自分は乗るのかよ!」
 おまえ鈍くさそうだからバイクとか止めておけよ、といつかの言祝ぎ屋の後に言われた。
 自覚があったのでそれに同意はしたけれど、正直バイクって格好いいよなという憧れはあった。
 危ないからと散々人を止めたくせに、自分は抜け駆けするというのか。
『もう免許取れそうだし。俺は反射神経あるから』
「いつの間に教習所なんて行ってたんだよ!俺聞いてないぞ!」
『話してないからな。だって言ったらおまえも乗りたいって言い出すと思って』
「言うよ!俺も教習所行く!」
 狡い!と言うと母が少し離れた場所から「アンタは駄目!」と止めてくる。どうしてみんな同じ事を言うのか。
『おまえはせめて車にしろよ。嫁がバイクで怪我するとか俺の立つ瀬がない』
「俺が事故ること前提に話すんの止めろ!あと嫁って言うな!」
 しかし久幸がバイクに乗るところを想像するとやたら似合う。
 それで大学通学とか格好良すぎてモテることだろう。
 自分にもそんな魅力があったら良かったのに。しかしどれだけモテても彼女を作ることは出来ない。
 それを思うとモテない方がまだましだろうか。
『自転車にしとけって。あと大学から近かったら遅刻しそうでも間に合う確率上がるし、便利だろ』
 バイクより自転車を勧めながら、久幸はなんとかそれで帳尻を合わせようとしてくる。
「…てかいいの、本当に俺の大学近くで。バイクでどんくらい時間かかんの?」
 もしバイクで通学するのに時間がかかる、というのならば中間地点でいいじゃないかと思う。最初から気を遣われるのも気まずい。
『どうだろバイクで二十分くらいか?駅から距離あるから電車通学したくないんだよな』
「そういうことか」
 駅から延々歩くのが嫌だからバイクで敷地内まで行きたい。そのためのバイク通学なのだろう。気を遣われたというわけではないらしい。
 電車なら乗り換えだの待ち時間などもあるだろう。一番適しているのを考えたらバイクになったらしい。灯の行く大学は駅から近いのでいざとなれば電車通学になる。
『とりあえず物件幾つか巡るか。ある程度絞り込んでるから』
「仕事早いな!じゃあ明日にでも!」
『おまえが早すぎる。なんでいきなり明日なんだよ』
 そう言って久幸は電話の向こうで笑っている。
 喜びに満ちている灯はそんな突っ込みすら気分が良くて仕方がない。
「だって早いほうがいいだろ!準備とかあるし!色々!」
『色々ってどんな?』
「え、色々だって!荷物運んだり、近くのスーパーとか確認したり!」
 そこで暮らしていくなら確認するべきことが多々あるだろう。
 二人暮らしだからどちらがどこで寝る、家事はどうする。生活スタイルはどんなものかと知る必要もある。
 多くの事柄が頭に浮かんでは灯を翻弄してくれる。だがそれも楽しいのだから、進んであれこれ悩むに決まっている。
『その前にまずは入学手続きをして、親御さんに確認取って貰って入学金支払えよ』
「……了解しました」
 どこまで冷静な人はそう言って灯を現実に引き戻し、まずは自分の目で合格通知を確認することにした。


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