依頼人を通している部屋に入ると二十代後半の男女が座っていた。
 やや緊張した面持ちでこちらを見上げてくる。
 灯の伯父の友人の息子。一滴も血が繋がっていない、はっきり言うと無関係の相手だ。それは向こう側も同じで、きっと神社の血族が何をするのか身構えていることだろう。
 だが灯はそんな緊張が見えないかのように一声掛けてから、二人の対面に腰を下ろした。
 久幸は灯の手伝いをするわけでもなく、また口を挟むこともない。ただの傍観者でしかないので離れた位置、出入り口の近くに座る。
「初めまして。私が言祝ぎをさせて頂きます寿灯です」
 普段のような気の抜けるような挨拶ではなく、しっかりと頭を下げて明るく親しみやすい喋り方をした。
 さすがにのほほんと脱力したままではいられないだろう。
「こちらは私の手伝いをしてくれている者です。今回は見ているだけですので、どうぞお気になさらず」
 久幸をそう紹介しては、二人の視線が何とも複雑そうな色をしていた。
 何をするのか分からないままここに来て、常では手伝いなどいるのかどうかも分からない。信用出来るのだろうかと少しばかり疑っているようだ。
「まだお若いんですね」
 女の方が灯の見た目にそう問いかける。
 それもそうだろう。自分が頼る相手がこんな若さでは信頼出来るのだろうかと思いたくなる。
「大学受験目前の高校生です」
「高校生なんですか!」
「はい。まだまだ若輩者ですみません」
 高校生に何が出来るのだろう。
 二人の目は確かにそう言っていた。
 だが灯はそんな目には慣れているのか、何一つ気にする様子がない。
 それどころか微笑んだまま二人を見詰めている。
「年は若いですが、中学に上がる頃には言祝ぎ屋をやっております。昨日今日の仕事ではありませんのでご安心下さい」
 五年は経つということらしい。
 言祝ぎ屋を商売に出来るか、灯は母と話していたようだが、すでに動き出してはいるようだ。
「あの、言祝ぎとは何をして頂けるんでしょうか?」
 女が恐る恐る尋ねている。それに男の方も同意するように灯を見ては不安そうな表情をみせた。
「言祝ぐというのは言葉でお祝いを伝えることなのですが。それだけならただ人でも出来ますよね。私はこの先のお二人に、きっとお役立ちになるだろうということを幾つかお伝えしようと思ってます」
「役立つこと、ですか?」
 お役立ち情報など。主婦たちが見るだろうお昼の番組などから聞こえてきそうな単語だ。
 何を言われるのか曖昧過ぎて予想出来ない。
 男が首を傾げて怪訝そうな様子を見せるのに対して、灯は笑みを深くした。
「たとえばですね。旦那さん、まだ結婚されていないので彼氏さんですね。彼氏さんは結構お金のかかる趣味を持ってませんか?」
「え?」
「たとえばバイクとか」
「なんで分かるんですか!」
 驚きの声を上げたのは女の方だった。
 彼氏に対してそれが気になっていたのかも知れない。男より早く反応するなんて、思う部分があったと勘ぐられても仕方ないだろう。
「ここに書いてます」
 灯はその大きな反応にくすくす笑いながら、自分の頬を指さした。女はばっと男の頬を見るけれど書いてあるわけがない。
 男の方は気まずそうに目を逸らしていた。
「しかも結構のめり込んでますね」
「そうなんです。バイクのことになるとお金も時間も平気でつぎ込むんです。改造ばっかりして」
 やはり不満なのか。女は膨れっ面になって灯に愚痴る。
 女というのは自分の不満を愚痴れる相手を探した時には容赦なくぶつけてくるものだ。自分の母で学んだものだが、例外に出会ったことがない。
「しかも事故った経験もありますね」
「えっ……」
 二人が絶句する。
 久幸もそこまで当てるのかと驚いてしまった。
 一体どこからその情報を得ているのか。見れば分かるものなのか。
「バイクは生身だから危ないですよね。俺もバイクの免許欲しいなーって思うんですけど、集中力ないから転けるのが怖くて」
 おまえの集中力は本当にないからバイクなど絶対に止めておけ。
 久幸は距離を置いたまま、心の奥底からそう電波を送っておく。
 灯がバイクなど乗った日にはどれだけ運動神経が良くてもよそ見をして転けて事故る。下手すれば命を落とすのだから一生バイクなど乗らないでいて欲しい。
「これからお子さんも生まれるだろうし、バイクより車にした方がいいですよ」
「子どもにはちゃんと恵まれますか?」
 ごく自然に子どものことを口にした灯に、女は驚きから回復しては真剣な面持ちで尋ねる。きっと子どもに関しては強い思いがあるのだろう。
 その真剣な眼差しに灯は力強く頷いた。
「欲しいと思われるならそう難しくないと思います。なので彼女さんはお酒を控えめにして下さい」
 女がぎくっと身体を強張らせたのがはっきり分かった。痛いところを突かれたのだと言葉にしなくとも伝わってくる。
「こいつ酒豪なんです」
 苦労してるんです、と男は言いたげに女をちらりと見た。先ほど似たような表情を女が浮かべていたものだ。
「しかも大トラでしょう?」
「なんで分かるんですか!?」
 女が我に返って叫ぶけれど灯は楽しげにそれを聞いている。実のところ良い性格をしているのかも知れない。
「顔に書いてます。飲むと気が大きくなって心にもないこと言うタイプですって。深酒は心にも身体にも良くないですよ」
 まだ酒も飲めない高校生にそう諭されるのも複雑だろうが、事実なのだろう。女は小さくなって顔を真っ赤に染めた。
「なんでも分かるんですね」
 男は自分の彼女が大人しくなったのを見て、灯が部屋に入ってきた時に抱いていただろう不信感を払拭したようだった。
 驚きと共に尊敬すら混ざっていそうな瞳に灯は首を振る。
「何でもは分かりません。お二人がご結婚されて、進んで行く道に関わりあることだけ見えて来ます。これが言祝ぎ屋です」
 予知能力の一種ではあるようだが、用途が限定されているのだろう。
 しかしそうだとしても大した会話もすることなく、見ただけで相手の未来の一部が見えるなどとんでもない能力だ。
 その特殊さは血族の中でもなかなか出てこないのが当然なものだろう。こんなものが次々生まれてきてはこの世の理が乱れかねない。
「ご結婚されてすぐ、お二人にはある出来事が降りかかります」
 灯はそれまでにこやかに喋っていたというのに、ふと笑みを弱めて姿勢を正し、重々しい口調でそう切り出した。
 雰囲気が変わったことに気が付き、二人も食い入るように灯を見る。
「それは乗り越えることが少し辛いことかも知れません。ですが手を繋ぎ、支え合って離れることなくそれを乗り越えて下さい。そうすれば幸せになれます」
 乗り越えるのが辛いことと言われ、二人の表情が陰る。
 顔を見合わせて心細そうな様子を確かめているようだった。
「それはどんな問題ですか?」
「そこまでは分かりません。ですがお二人でいるなら乗り越えられることです」
 明確なことが言えず、ただ心配させることしか言えない。だが灯は力強く乗り越えられると二人に告げる。
 もしかすると背中を押しているような気持ちなのかも知れない。
「大丈夫。結婚したいとまで思えた人です。手を離さなければ二人揃って幸せになれます。それだけの力がお二人にはあります」
 灯の言葉を聞きながら二人は互いを見ている。
 この人でいいのか、この人と辛いことを乗り越えられるのか。きっと自分に問いかけているのだろう。
 ここに来るまで二人で過ごした時間が、思い出があるはずだ。
 そしてそれを持ちながら、まずは女がふっと微笑んだ。
 すると男は一瞬目を見開き、それから照れくさそうに口元を緩める。
 それが彼らの答えだった。
「とてもお似合いです」
 そんな二人に灯もまた嬉しいと言うように笑って告げる。
 幸せになる。
 まさにそう表現するに相応しいような光景に、いつの間にか久幸の口角まで少しばかり上がっていて、なるほど祝福かと一人呟いた。



 仲睦まじく帰っていく二人を見送り、姿が見えなくなると途端に灯は肩を落とした。
「腹減った……」
 間抜けなその台詞に久幸は吹き出してしまい、口元を抑えた。
 きっと食べた量は足りているのだろうが、あまりにも味気なかったので味覚が飢えているのだろう。
「嬉しそうだな」
 腹が減ったと腹部を押さえる割に、灯は笑っている。
 それは依頼者と同じ表情だった。
「嬉しいよ。人が嬉しいと俺も嬉しい」
 とても素直な、とても簡単な気持ちだと思った。
 だが人と自分とは異なる人間であるというのに、他人の歓びを受け入れて自分のものに変換出来ることは心が柔軟な証拠だろう。
 そして性根が真っ直ぐなのだ。
「人が哀しいと哀しくなるし、誰かが怒ってると釣られて苛々しちゃったりするし」
 単純なんだよと言う人は影響されることを厭っているわけではないようだった。久幸は正反対で他人の感情に振り回されるのが大嫌いだ。
 他人は他人、自分は自分と割り切る。共感などしていれば疲れるだけだ。
 しかし灯はそうは思わないのだろう。
「だからさ、人が幸せそうな顔をしてくれるこの仕事が、俺は結構好きなんだ。いいことばっかりじゃないけど、俺が人を一番幸せに出来るのはこれかなって思ってさ」
 誇っても良い、自慢してもいい、なんなら素晴らしいことだと盛大に宣言しても許されるだけの力を灯は持っている。
 呪いで人を殺めることだって灯は出来るのだ。
 けれど灯はそんなことは考えもせずに、ただ人が幸せになれると自分も幸せだという素朴で優しい気持ちを持って人と接している。
 久幸には決して到達出来ない気持ちの持ち方だ。
 物心ついた時から病と闘い、死を恐れてきた久幸にとって。他人より先にまず自分を守り、自分の感情を整えることが最優先だった。
 正直他人を労っている余裕なんてなかったのだ。
 きっと灯は違う。
 それは生まれや育ちが恵まれていたからかも知れない。苦労を知らないからそうしてのほほんと暮らして、他人に配慮して生きていけるのかも知れない。
 だがそのゆとりが、甘えにも思えるその思考が、久幸には酷く眩しいものに見えた。
 妬み恨みを抱いてもおかしくないようなところだと自分でも思うのだが、あるのはひたすらにこの人と縁を結ぶことが出来て良かったという安堵だ。
「なぁ灯」
「んー?」
「結婚してくれ」
 五歳児の灯に言われたことを、今度は十八歳の久幸が告げる。
 あの頃とは違い結婚の意味もしがらみも重みも、そして自分たちがそれを許されないことも知った。
 それでも久幸は結婚を申し込んだ。
 かつて灯に言われたから、今度があるならば必ず自分から言うのだと決めていた。
 そしてその思いは出会って性別を知っても、灯の頭脳の出来を知っても、変わらなかった。それどころか言祝ぎ屋として笑っている灯を見ているとその隣にいるのは自分がいいと思った。
 真摯な思いで告げた言葉に灯は目を丸くした。きっと冗談で言ったことではないと分かったのだろう。
 そして少ししてから困ったような顔で微笑んだ。
「出来ないって。つか俺でいいの?」
「ああ。だっておまえといると幸せになれそうだ」
「そりゃ人を幸せにする言祝ぎ屋と結婚出来たら、幸せが約束されたようなもんだろうよ」
 でもな、と灯は久幸に身体ごと向き合った。
 苦笑はそのままで、瞳は探るように久幸を見詰めてくる。
「言祝ぎ屋自身は幸せになれるかどうかは分からない。おまえは、俺を幸せにしてくれる?」
 人を言祝ぎ、その幸せを祈る。
 けれどその祈りは自身に対しては無効なのだろう。
 よくあることだ。人に術をかけることは出来ても自身にかけることは出来ないと。きっと言祝ぎも同じことなのだろう。
 そしていくら人の幸せが自分の幸せに繋がるとは言っても限度がある。自分だけの幸せが欲しいと思うことだってあるだろう。
 人間はいつだって欲張りだから。
 けれどその欲張りな気持ちこそ、久幸は大切にしてやりたい。
「世界で一番幸せにしてやるよ」
 嘘偽り、誇張などではない。
 久幸は本気でそう決めた。
 自分を生かしてくれた、憧れ続けた人の伴侶になれるのならば。自分と人生を歩んで良かったと言わせたい。
 他の誰でもなく、久幸で良かったと心から感じて欲しい。
「それは頼もしいな」
 灯は誓約のような久幸に照れくさそうな顔をしながら、翳りも憂いも退けるような笑みを浮かべた。


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