灯とは毎晩スカイプをしていた。
 時間を管理していなければ逃げるような気がしたのだ。
 彼の母親からは「勉強が嫌いで、よくサボるのよ」と愚痴られたこともあり、この時間からこの時間まではスカイプで灯を問題集の前に固定する、というやり方を強行している。
 泣きそうな声も聞こえてくるのだが、ここで甘やかすと今後の人生で泣く羽目になるだろう。心を鬼にしてぐっと堪えた。
 もっとも、泣くくらいならもっと前々から計画的に勉強してろよ。という気持ちの方が強いが。
 そして今日もスカイプをしていたのだが、今週の土曜日は朝から用事があるのでスカイプは無理だと言われた。
 学校がない日は机に齧り付けと厳命しているのに、土曜日だからと何をするつもりなのか。
 気になって尋ねると「言祝ぎだから」と言われた。
「叔父さんの友達の息子が結婚するらしくて、言祝ぎを頼みたいって言われたらしいんだ」
 結婚の祝いの言葉が欲しいと頼まれたのだろう。
 実際にそうして言祝ぎを求める人がいるらしい。
 験担ぎが好きな人が日本には多いことだろう。言祝ぎ屋も必要とされる職業かも知れない。
 しかし受験生でも関係なく仕事が来るのか。いや向こうにしてみれば灯が受験生だの何だのは関係ないのだが。
「まだ言祝ぎ屋はちゃんとやってるわけじゃないし。身内の紹介しかないから受けた方がいいかなって今後のためにも」
「それって丸一日かかるのか?」
「いや数時間で終わるけど。だから夜にはスカイプ出来るよ」
 したくないけど、という言葉が続きで聞こえてきそうだ。
 だが久幸はそれを綺麗に無視した。誰のためだと思っているのか。
「どんなことをするんだ?」
 言祝ぎ屋というものがどういうものなのか、母になんとなく聞いたけれど。母も詳しいことは分からないようだった。もう目にすることがなくなって久しいものだからだ。
「喋るだけだよ。祝詞上げるわけでも、お祓いするわけでもないし」
「見たい」
 口から願いが零れていた。
 特殊な血という灯が何をするのか。そしてそれは自分たちがかつて結んだ契約に似ているのか。非常に気になった。
「じゃあ見に来れば?」
 あまりにも気軽に言うが、移動手段が新幹線である上に時間もかかる。
 けれど好奇心には勝てず、久幸はパソコン画面に向かって新幹線の予定を確認し始めた。



 言祝ぎの依頼人は昼過ぎに灯の叔父がやっている神社を訪れるということで。それに合わせて現地で待ち合わせた。
 久幸も当日こちらに来たのであまり時間に余裕がなかったのだ。
 社務所で招木の名前を出し、灯がいるかどうか尋ねると中に入れられる。
 母の実家が神社であるだけに、内部に入ってもさしたる緊張はない。懐かしいくらいだ。
 そして中では白衣(白い着物)紺袴の灯がいた。一見弓道着のように見える。
「よう」
 灯はいつもと変わらず、片手を上げては軽く挨拶をしてくれた。仕事だからと気負うわけではないらしい。
「神職の姿じゃないんだな」
「そりゃ俺は神職じゃないし。ぶっちゃけ洋服でも全然いいんだけど。場が締まらないからさ」
 待合室のような和室の中で、灯はあぐらをかいてそう肩をすくめた。
 確かにパーカー姿で言祝ぎ屋ですと言われてもやや不信感があるかも知れない。この若さと良い、この脳天気な雰囲気と良い。胡散臭いだろう。
 まして神社という場所だけあって、洋服よりも和装の方がずっと「いかにも」という気持ちになるはずだ。
「同席するなら同じの着る?」
「……そうだな、その方がいいよな」
 まずは形から。こういう目に見えないものを扱う仕事は見た目が思ったより重要視される。同席しようと思うのならば灯に倣った方が良いだろう。
 予備などあるのだろうかと思ったが、どうやら灯の叔父のものを貸して貰えるようだった。
 着物は体格差があっても大抵はなんとかなるレベルなので有り難い。
 袴には若干の違和感があるのだが、灯に「似合ってんなー」と言われるとまんざらでもない気持ちだった。
「これが終わったら飯食いに行こうぜ」
「食ってないのか?」
 常とは異なる不可思議なことを今から行うのだろう。そのために食事は一切禁止されているのだろうか。
 祭事などのために潔斎するというのはよく聞く話だが、言祝ぎもそれに値するのか。
 食べるのが好きらしい灯にとってそれは苦行だろうと思っていると、何故か右手の指を三本立てられた。
「白飯三杯と漬け物と塩だけ」
「中身はともかく結構食ってんな」
 塩しかないのは物足りないだろうが、茶碗三杯食べたならば腹の中には結構な量が入ったのではないか。
 飢餓感は可哀想だと思った同情を返して欲しい。
「でもさー、肉とか魚とか食いたいじゃん!塩とか調味料だろ!おかずじゃないし!」
「そりゃそうだが。やっぱり生臭は駄目か」
 言祝ぎでも肉、魚などは穢れとして扱われるのか。殺生を厭い神聖さが重視されるようだ。
 感心していると「いや、そうでも」と灯は綺麗にぶった切ってくれた。
「決まりでも何でもないし、食ったところで完全駄目になるわけじゃない。ただ感覚が鈍くなるような気がして俺は食わないだけ」
 出来るだけ良い状態で仕事をする。勉強に対しては不真面目な灯だが、言祝ぎ屋に関しては真剣のようだ。
 その姿勢に頭を撫でて褒めたくなった。さすがに馬鹿にしているように思われるだろうから抑えるが。どうも同い年だという認識がたまに揺らいでしまう。
「本当は断食した方がいいのかも知れないけど。それだと今度は空腹で意識がばらつくから逆効果になりそうでさ。俺成長期だし」
 空腹感に精神が耐えられないのだろう。
 自分が最も良い状態になるのが正しいやり方だ。
 灯には灯のやり方があるのならば、それを貫けば良いと思うが。腹が減っては戦は出来ぬという精神論は久幸には共感しづらい。
 本当に食事が好きなようだ。
「さて、これからどれだけ背が伸びることか」
 そう言いながら宮司である灯の叔父が開け放たれていた襖の向こうから声をかけて入ってくる。
 寿の母の弟らしいが、のほんとした雰囲気は灯に似ている。
「久幸君、だったかな?」
「はい。招木久幸と申します」
 あぐらから正座に姿勢を直して頭を下げる。
 すると「良い姿勢だね」と褒められた。正座にも頭を下げることにも慣れている。幼い頃からずっとこうして人に挨拶をしてきたのだ。特に母は姿勢については厳しく注意された。
「君は体幹がしっかりしてるね。何かやってるの?」
「空手をしてます。剣道も時折」
 そうかー、と納得する叔父は、見た目や言動から相手がどんな人種なのか探ることを日常としているのかも知れない。
 人柄を察するのが必要とされる立場なのだろう。
「身体を鍛えるのが好きなんだね」
「子どもの頃は病弱でしたので」
 完全に反動だった。
 命の危機がひとまず去ったところで、身体が弱いままだった自分がひどく惨めに思えて出来るだけ強くなろうとした。
 次に灯に会った時、弱いままの自分では好きになって貰えないと思ったのだ。
 結婚して良かったと喜んで貰える自分になりたかった。
 再会するとそんな努力以前の問題に直面したわけだが、勉強も鍛錬も自分の力になる以上無駄ではなかっただろう。
「久幸は全国三位なんだぜ!」
 すごいだろと言う顔で灯が叔父に言っている。我が事のように自慢げなところが面白い。
「それは凄いな。君は強いんだね」
「いえ。それでも優勝は出来なかったので。まだまだです」
 目指すのならば一番。取れるものなら優勝。
 そう思っている久幸にとって三位という順位は微妙だった。もう少し、あと少しという気持ちに焦がされる。
「その心構えは良いね。おっと、依頼人さんが来たらしい」
 叔父は横を向き廊下の先を見てそう言った。おそらく誰かが依頼人が訪れたことを知らせに来たのだろう。
「じゃあ行くか」
 大して気合いを入れるわけでもなく、近くのコンビニに出掛けるような軽さで灯が腰を上げる。言祝ぎとは一体どんなものなのかと疑問に思っている久幸だけが緊張しているようだった。
 これは灯の性格故のことなのか、それとも言祝ぎはこれほど気軽なものなのか。
 内心疑問に思いながら灯の後に付いて行った。


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