「灯はうちの跡取りです!そちらにはお兄さんがいるでしょう!」
 先制攻撃だ!と思わずアナウンスしたくなる勢いで母が言い放った。
 しかし招木の母も負けていない。
「そっちの都合でこないなことになったんやないですか!その上に久幸を寄越せ言うんですか!」
「それを言うなら久幸君が結婚に頷かなかったらこんなことにはならなかったでしょう!」
「子どもが結婚やなんやの難しいことが分かるわけあらしません!うちのせいにするんですか!」
「ならうちの子も同じです!同罪でしょうが!」
 絶対にうちの子は渡しませんと言うように母親同士の言い合いが激しさを増していく。
 久幸には兄がいるらしい。
 その人が跡取りならうちに入って貰った方が有り難い。灯にも姉はいるがすでに嫁に出た。
 うちの名字を継ぐのは灯だと言われていたので、養子になると親が悲しむ。
 だが招木の母は断固として拒否するだろう。
「すげぇ揉めてるな。まだ養子縁組するって言ってないのに」
 久幸は母親のように文句を言うでもなく悠然とお茶を飲んでいる。当人が最も落ち着いているようだ。
「うちは譲りそうもないぞ」
「たぶんうちもそうだろ。兄貴が一応家は継いでるけど、俺には母方実家の役割をして欲しいって言われてるから」
 母親の実家の役割というのは神社に関わることだろうか。それとも灯と同じで神社そのものではなく、また別の特殊な家業でもあるのか。
「つかいきなりこんなことになって、よくあれだけ言い合いが出来るよな。俺なんかまだ驚いたまま頭固まってるけど」
 ついていけない。そう言う久幸に灯も心から同意した。
「俺だってそうだし。第一受験があるんだからこのタイミングは止めてくれって言ってたんだ」
 せめて大学受験が終わって一息ついた頃にして欲しい。結婚だ何だと考えるだけの余裕なんて灯にはないのだ。
 なのに誕生日が来るまでに形を作った方が良い、そうじゃなければ災いが降るかも知れないと親が警戒したのだ。
 一度に大きな物事を幾つも抱えられるはずがない。だから後にしろと散々抗議すると「災いで受験失敗したらどうする」の一言で黙らせられた。
 ここまで来ると何があっても災いだ。
「ああ受験か。そりゃそうか」
 同い年ということは久幸も受験生であるはずなのに、受験という単語に表情が陰らない。推薦か何かでもう決定しているのだろうか。だとすれば羨ましいことだ。
「十八になった途端に何が起こるか分からないって言われてさ」
「男は十八になったら結婚出来るからな」
「法律上はな。もう関係ないけど」
 そうだもう関係がない。十八だろうが十九だろうが、同性である時点で日本では結婚出来ない。無駄に急いだものだ。
「どこの大学を受けるんだ?」
「R大学。ユキは?」
 ふと自然にあの頃のようにユキと呼んでいた。さすがにちゃん付けではないけれど、すんなりと出てしまっていたのだ。それに久幸は驚きもなく自然と受け入れているようだった。
「俺はK大」
「マジか!頭いいんだな!」
 国立大学の名前を挙げられて灯はすごいな!と尊敬の眼差しで久幸を見た。灯など目指すことも諦めろと言われるレベルだ。
「俺なんかR大の模試判定Dなのに」
 R大なんて国立から比べると鼻で笑われるレベルだろう。それなのにD判定が出ている現状を嘆くべきなのだろうが、自分でも馬鹿だという自覚があるので自虐ネタにする以外使い道がない。
 それに久幸の笑顔にひびが入った。
「おまえ、R大がDとか……ねぇわ」
 思いっきり引かれた。国立大からすればそんな頭の出来は信じられないのかも知れないが、世の中には灯よりも勉強の出来ない人間は山ほど居る。まさかそんな有り得ないと言わんばかりの視線を向けられるなんて。もう少し優しさが欲しかった。
「いやぁ。でも受けるだけ受けて落ちたら仕方ないっていうか」
「R大落ちるとかない!俺の嫁がアホとか無理!」
 落ちるという表現に久幸は掌を返したように声を上げた。
 無理無理と言われるが、無理も何もそういう学力なのだから、としか言い返せない。
 というか何故この場で勉強のことで怒られるのか。親や担任の教師であるならともかくまだ友達ですらない。そして何故そんな当然のように嫁発言が出てきているのか。
「アホってなんだよ!それにまだ嫁じゃないし!おまえが嫁かも知れないだろ!」
 同性なら双方嫁と言われる確率はある。ならば一方的に灯が嫁と決めつけられるいわれはないはずだ。
 抗議すると「そこじゃない!」と叱られる。
「どっちにしろ俺と結婚するやつだろ!それがR大D判定でここにいるとか!おまえ何やってたんだよ!」
 すでに季節は秋を終えて冬に入っている。この時点で大抵の受験生はもう力を付けて学力を安定させているべきではあった。少なくとも志望校がD判定でのほほんとしている者は大馬鹿だろう。
「えーっと、そりゃ……モンハンとか、覚醒とか、ドラクエとか」
「受験生!」
「すみません!」
 両親にも教師にも散々怒られてきたけれど、やはり受験生だろうが!と怒鳴られると謝るしかない。自分が間違っていることは重々承知である。
「予備校や塾は!」
「俺そういうの苦手で逃げ出すんだよな〜」
 あはは、と過去に何度かそれを実行してしまっている灯は誤魔化しながら笑っている。無論その誤魔化しに何の意味もないことは自覚していた。
「おまえ馬鹿だ馬鹿」
 先ほどまで優しい雰囲気で友好的であった久幸から、非常に冷たい声を頂き隣の母親は頭を抱えていた。
 向かいでは招木の母から完全に見下された目で見られており、双方の父は溜息をついてはこの空気が耐えられないとばかりに顔を背けていた。
 馬鹿はそんなに許されないことか。そう灯は思ったけれど、少なくとも現状では許されていない。
「……分かった。とりあえず勉強しろ。そしておまえはK大に近いM大にしろ」
「ランク上がってんじゃん!」
 M大はR大より若干ランクの上がっている大学だ。だからD判定だって言ってるだろ!と訴えたかったのだが、それより先に久幸に睨み付けられる。
「同居するならR大なんかにやってられねぇよ!K大とどんだけ離れてると思ってんだ!」
 その点M大なら中間地点に住んだとしてそう通学時間はかからないと言いたいのだろう。だが無謀だ。この頭から考えると博打にしかならない。
 けれどそこは誰も指摘してくれず黙り込んでいる。
 反論は認めないとばかりに久幸の顔が強く伝えてきているからかも知れない。
 微笑んでいるとすごく接しやすい男なのに、怒ると全く手足が出ないほど怖い。はいそうです、以外の返事が喉から出てこないのだ。
 これが結婚相手とか人生詰んだかも知れない。
「とにかく勉強しろ。今から喰らい付け。血反吐吐くような思いをしろ。嫁がアホとかマジで有り得ねぇ」
 口調まで乱れ始め、久幸は灯にとっては無情なことを言い続けている。
 血反吐を吐くような思いをするくらいなら浪人すると訴えたいところだが、そんなことを言いながらも実際しようものなら隣から拳がぶつけられることだろう。
「こんな子と結婚やなんて。なんとか破談にして貰いたいもんやわ」
 わざとらしい溜息をついた招木の母に、うちの母がぎっと顔を上げる。
「うちの子は勉強が出来なくても別の道がありますから!言祝ぎ屋でやっていけるだけの才能があります!」
 灯はその強がりにあーぁと内心やってしまったなという気持ちになっていた。言祝ぎ屋でやっていくなんて、強がりではないか。
 現代で求められているかどうかも分からないことだ。
 言祝ぎ屋という単語に久幸は不思議そうな顔をした。だが招木の母は信用出来ないとばかりに眉を寄せる。
「神社は向こうのお兄さんが継がはったって聞きましたけど?」
「裏方で手伝います。それに独自で言祝ぎの仕事もします」
 しますってやるの俺だろ、という台詞は誰にも届かずに消されていった。現在灯の意見などゴミのようなものだ。
 おそらく何を言っても「でも馬鹿だし」と思われて終わるのだろう。
 こんなはずではなかった。
「その言祝ぎ屋が自分の結婚失敗してるやないですか。うちの子はそりゃ頭も人柄もええ子です。でも籍が入れられへんかったら結婚出来ひん。失敗ですやろ」
 失敗と言われぎぎっと母が悔しげに歯を食いしばったのが分かる。本当に負けず嫌いだ。
「見た目だけ女の子の男を気に入るやなんて。いくら才能があって相性がええ言うても。これじゃ話にならへん。まして姑がこんなんやなんて」
「アンタが言うか!」
 姑のことに関しては誰もが同じ気持ちであっただろう。
 招木の父までも呆れたような目で自分の妻を見ていた。
「…どっちの家でも二世帯住宅は無理だな」
「……まぁ、そうだよな」
 声を潜めて言った久幸に、灯は深く同意するしかなかった。


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