母親同士の諍いの隣で父が溜息をついた。
「仲人はどうなってるんだ」
 この場をセッティングした人がいる。それどころか前々から両家に関わり、互いの情報もある程度交換していたくらいだ。
 仲人はこの状況を分かっていたはず。それなのにこれまで一度も男同士だなんて言われなかった。
「今朝方から連絡が取れてません」
 招木の父がそう教えてくれる。父親同士は互いに喧嘩する気はないらしい。もっとも自分の妻がこれほどヒートしていれば自分もそれに乗じてという気持ちもなくなるだろう。
 冷静さのある人たちで良かった。
「こうなることを分かっていたからでしょうね」
「仲人の嫌がらせですか」
 嫌がらせと言いながら二人は黙り込む。思い当たる節があるのか、ないのか。
「そもそも仲人がいようがいまいが。いつこの事態が判明しようが。破談には出来ないことですからね」
 招木の父が重々しく告げたことに、うちの父まで「はい」と悲壮な面持ちで同意している。
 五歳児が勝手に決めた結婚が通用するなど有り得ない話だ。所詮何も分からない子どもの戯言であり、結婚などという大事を決めるだけの頭などない。
 ただの遊び、微笑ましい冗談だと笑って流せるようなものだ。
 もしそれが有効ならば、この世の娘の多くは父親と結婚するという愛らしい夢を叶えなければいけなくなる。そんな現実は存在してはならないものだろう。
 しかし残念ながら灯にだけ限定してしまえば、それは有効になってしまった。
 言霊を使ってしまったのだ。
 言葉によって相手を支配することの出来る術である。灯の家は母親が言霊遣いの家柄であった。けれどその力を強く受け継ぎ、また言霊を幼少期から使える者は滅多に出ることはなく、また母はその能力が全くなかった。
 なのでまさか灯が五歳という幼い頃から言霊を遣えるとは思っていなかったらしい。
 両親の想像なのだが、おそらく灯が言霊を初めて遣ったのがこの結婚に対する契約ではないかと言っていた。
 真名と共に強く願い、双方を縛る。
 わざわざ自分のフルネームと相手のフルネームを知り、それを告げながら強い思いを乗せる。などという行為を五歳児がそう頻繁にするわけもない。
 そして一番最初の言霊で自分の人生を躓いたわけだ。
 実はもっと恐ろしいことになっていたかも知れない可能性がある。あのユキちゃんがもし灯の言霊を聞いた上で一度でも同意した後に、即座に結婚を断っていたら、それは契約ではなく呪いとして作用していただろうということだ。
 契約ならば絆となって二人を拘束し、それを破れば災いを成す。一度でも頷けば契約が成立してしまう。戯れで頷いた後、ユキちゃんが「やっぱりやめた」なんて子どもらしい掌の返し方をしていたら、それは呪いとなって即座にユキちゃんの身を危険にさらしたことだろう。  それを思うと、とりあえずは契約として双方同意したままだったのは良かったのかも知れない。
 しかし何もユキちゃんまで自分の名前で契約を上書きすることもなかっただろうに。
 灯が契約を告げると、ユキちゃんも真似してそれを続けたのだ。ただの人間なら大した効力もないことだが、ユキちゃんも招木の母の血を継いでそれなりの才を持っているようだった。
 つまり目に見えない、聞こえない、だが感じることが出来るその手の才能である。
 灯はまだ詳しくは知らないのだが、二人が繰り返したことで引き返せないレベルで契約が強まったことは聞いていた。
 無駄な拘束力は灯が初めて彼女を持った際にその力を発動した。
 中学三年生という思春期真っ直中に相手から告白されて、どきどきしながら付き合ったクラスメイトの女の子。放課後一緒に帰ったり、誰もいない廊下で話をしたり、休日にデートしたり、それだけで心躍ったような初々しい関係だ。
 それが初めてキスをしようとした時、相手の女の子が突然倒れて気を失った。
 何かに阻まれた。
 灯は強くそれを感じた。何かが動いて、この女の子を拒絶したのだと。
 相手の家柄はごくごく平凡であり、もし何かあるとすれば自分であることは明白だった。なので女の子と付き合うことに関して何か危険なことはあっただろうかと必死に記憶を浚った。
 女と接するのが駄目なのか。しかしこれまで女と手を繋いだこともある。親しげに話しても問題なかった。では口付けが駄目なのか。
 駄目だとすればそれはどうしてなのか。呪いの類か、それとも契約か。女と親密になると発動する呪いとは何なのか。
 そして思い付いたのがあの五歳児の結婚だった。
 まさかと思い親に話して探りを入れて貰うと招木の子どもも似たようなことを起こしていて、予測は決定となってしまった。
 正直彼女が倒れるまでは思い出しもしなかったようなことだ。あんなことをいちいち記憶してこだわっているほうがおかしい。
 しかし結婚に関わる契約ということで家は騒然とした。
 言霊遣いと、その契約に力を貸す者との結婚だ。
 破棄すれば契約違反と見なされて死ぬ可能性もあった。強く結べば結ぶほど、破った際の報復は壮絶なものになってしまう。
 それが言霊による契約の怖ろしさであり、力ある者のさだめでもあった。
 最初は形代を使って二人の契約をそこに移し、契約の報復をその形代に背負わせるという案もあったらしい。だが契約があまりに強ければ形代では到底負いきれない。
 灯の契約の強さがどの程度の強さなのか、他人ではなかなか正確に測れないのだ。分からないからとりあえずやってみましょう、という気軽さで出来ることではない。
 下手をすれば絶命してしまうのだ。
 ならばいっそのこと結婚してしまえばいい。
 そう両家が結論を出したのも無理はない判断だった。
 家柄的にもそう問題はない。これまでそう深い付き合いはなかったが、持っている才を考えても相性は悪くないだろう。ならばここで親戚付き合いをしてみるのも悪くない。
 そう判断が下され、十八になれば結婚、ないし婚約するという話で収まっていた。
 丁度今月灯が十八になるので先に十八になっていたユキちゃんと顔合わせをしよう、とこうして場が設けられたのだが。
 いざ顔を合わせると同性だったという話である。
 ここに来るまでに色々確認しなかったのかと言われそうだが、仲人を間に挟んでいる上に通っている学校は共学、名前も性別の分かりづらいもので呼ばれている。そもそも「女の子である」という大前提で喋っているので疑いもしなかった。
 いちいち「おたくの子どもは女の子ですか?」なんて失礼なことも訊けない。
 だがそれがここにきて徒になった。
 母親同士は絶え間なく相手を責めており、父親たちは仲人に対する復讐を計画しているようで。ある意味性格が合いそうではあるのだが。問題は当人同士だ。
 灯は記憶の中にある着物の女の子と大きく異なる、というかもはや共通点がどこにもない男を見た。顔立ちは整っており、可愛かったユキちゃんと同類ではあるのだろうが。体格も良く、好青年な印象はとても「男です」と伝えてくる。
 しかし目が合うと微笑んでくれる優しさは有り難い。母親のように邪険にされると心が折れてしまうところだ。
「男同士で結婚とか、無理だよな」
 顔合わせをして初めてまともに灯が喋ると、久幸は笑みに苦さを混ぜたようだった。
「養子縁組ってのはあるけど。結婚とは違うかもな」
「あれって夫婦じゃなくて子どもになるってことだろ?このままじゃやばくないか?」
 契約不履行で災いが降りかかるのではないか。それがどんなものかは分からないけれど、ろくでもないことだけは察せられる。
「曖昧にしてると何かしら問題が出るかもな」
「……結婚ってさ、戸籍の問題?だったら無理じゃないか?」
 もし戸籍を夫婦の形にすることが結婚であるなら、この契約は永遠に不履行のままだ。死ぬ、もしくは不幸になることが目に見えている。
 怯える灯に「どうだろう」と久幸は首を傾げた。
「あの時の言霊がどれほどの意味を持って結婚としたのかは分からないけど。五歳児が戸籍のことまで思うかな。せいぜい一緒にいたいとか、一緒に暮らすとか。その程度じゃないか?」
 五歳児だった自分の思考が結婚に対してどんなイメージだったのか、それは分からない。だが戸籍だの何だのまでは理解していなかっただろう。それほどの知識は持っていないはずだ。
 なので久幸の予想もそう外れていない気がした。
「同居してると事実婚っていうのもあるし」
「事実婚ってどんなのか俺知らないんだけど」
 籍を入れていない結婚のようなものだという知識しかない。自分には無関係なことだとこれまで調べもしてこなかった。
「俺も知らない。一緒に生活して、夫婦らしいことをすればいいんじゃないか?」
「曖昧だなぁ」
 久幸の発言にそう言いながら、灯もどんなものが事実婚に繋がるのかなど分からない。
 結婚自体全く実感のないことだ。流れでどうしようもなくここに来てしまったが、明日から夫婦ですと言われたところで戸惑うしかない。
「そうするしかないだろ。とりあえずそれで様子見て、なんか駄目そうだったら養子縁組とか」
「どっちがどっちの戸籍に入るんだ?」
 養子縁組ということは二人の内どちらかの家に入るということだ。嫁ではなく弟になるのだが。家が変わるのは違いない。
 養子縁組という単語に一時しんっと場が静まり返った。


next 




TOP