幕間 4 お互いが性欲の対象だと分かったことに、灯は頭を抱えていた。 「嫌か?」 「嫌じゃないのが怖い!」 「怖い?」 この関係が怖い。そう告げられて久幸の心臓がぎゅと縮こまった。 心地良い今の繋がりを脅かされるのが、久幸にとっては最も恐ろしいことだった。 それは声にも出てしまったのかも知れない。灯がはっとしたように顔を上げて久幸と目を合わせる。 「ちょっとだけ!ちょっと、だけ……」 (少しだけでも、やっぱり怖いのか) 「だったら、いっぱい話そう。気持ちを伝え合おう」 「……俺の台詞、丸ごとパクるなよ」 「おまえ本当にいいことを言うな」 「俺もそう思った」 言祝ぎの際に聞いた灯の台詞は、今の自分たちにもよく響いた。 依頼人に贈られた言祝ぎだったけれど、大切な誰かと向き合いたい人たち全員に届けたいくらいだった。 自画自賛する灯は、うんうんと自分の良さに悦には入るけれど。繋いだままの手に視線を落とすとそっと引き抜こうした。 だが久幸はその手を引き留めた。 「変な気分になるから、もう」 「なればいいんじゃないか。俺もなりたい」 久幸はこうして手を繋いでいるだけで安心する。そしてなんとなく嬉しくもなった。 だが灯が性欲を刺激されるというならば、それも体験してみたかった。むしろ手を繋いだだけで性欲を刺激されるなんて、それは相手のことがとても好きだと言い換えられないだろうか。 (灯は、俺が) 性的な意味でも好きになってくれているのかも知れない。 そう思うと、到底手など離せない。むしろ手錠で繋いでしまいたい衝動に駆られる。 「手を繋ぐだけで、ムラムラしたいのかよ……!」 「うん」 「そんなこと言って恥ずかしくないのか!」 「……いや、ちょっと興奮するな」 「おまえ、変態だぞ!恥ずかしがれよ!」 羞恥心はないのかと責められても、この状況で赤面しながらぎゃんぎゃん言う灯を前にすると、恥ずかしさはさっぱり生まれてこない。 目を惹き付けられて、高揚していくだけだ。 (今日言祝ぎをした二人は、恥ずかしがるんだろうか) 相手が恥ずかしいと、自分も恥ずかしくなるのが普通なのか。 久幸は身体の深い部分が熱を帯びてざわざわとするのを感じていた。それはアダルト動画を観ている時よりも、顕著な欲情だ。 (触りたい) 自身の下半身が熱くなっていく自覚に、つい灯のそこにも目をやった。ゆったりとした部屋着を穿いてるのでぱっと見は分かりづらい。 だがそこは形を変えているのではないか。 そう期待をしていると、灯に軽く頭を叩かれた。 「凝視してんじゃねえ!こういう時はキスから入るもんだろうが!」 「それもそうか」 言われたことは正しいなと思ったので同意したのに。灯は「ばか」と罵ってくる。 しかしそんなにも恥ずかしそうに言われると、もう一度言って欲しくなるから不思議だ。 ここまでくると、キスをしないなんて選択肢はなかった。灯に顔を寄せると、待っていたとばかりに灯からキスを仕掛けてくれる。 「ん……っ」 閉じていなかった唇の中に、灯の舌が入ってくる。 灯は恥ずかしがっていたのに、いざキスをすると一気に積極的になった。 口内を舌が動き回る感覚も、すでに知っているものだ。灯の舌を追いかけるように、そしてじゃれるように絡みつくと灯が身体を寄せてきた。 自然と抱き合うような体勢になる。踊るように脈を速める心臓の音がうるさい。灯の耳にも届いているのではないだろうか。 「ん……ぁ」 くちゅりと唾液が混ざる音がして、急き立てられるように舌を吸い上げた。すると灯がのしかかるように体重をかけてくる。下肢が太腿に触れて、灯は身じろぎをする。 擦れて刺激になったのかも知れない。 もっと感じて欲しくて、布の上からそこを軽く撫でた。すると灯の手が久幸の下肢に伸びてくる。 「俺も、する」 灯の瞳も声も、高熱に浮かされているみたいに潤んでいた。性欲が羞恥を上回った瞬間だった。 「服が邪魔だ」 久幸の欲望にまみれた台詞に、灯は頷いてくれた。そして服を脱ぐ。 裸体になることに、灯はやや躊躇っていた。ちらちらとこちらを窺ってくるが、生憎久幸には引き返すつもりがない。久幸が全裸になると、灯も意を決したように下着を脱いだ。 性器はしっかり頭をもたげていた。 だがそれは久幸も同様だ。 「見るな」 「ごめん」 さすがにじろじろ見るのは失礼だ。だから代わりに抱き寄せては、灯の下肢に触れた。太腿を撫で上げて、性器に接触すると灯が息を呑んだ。 そしてその手を、久幸の性器に伸ばしてくれる。 きごちない手付きで性器を握った手は、初めてのものではない。けれど恐る恐ると擦るその指の弱さに、ろくな刺激にもなっていないのに欲情が煽られる。 (焦れったい) 自分でやっていたならば、的確な力加減で、気持ち悦いように手を動かした。けれど灯の手は当然だが思い通りになんていかない。そうじゃないと感じる動きに、けれど自分でやっている時よりもずっと気持ち悦い。 もっとして欲しい。そんな気持ちで灯の性器を愛撫する。 どちらの方がより熱いのだろう。形を辿るように擦ると灯の呼吸が変わっていく。 「ん……ぅ」 鼻にかかった淡い声に、ずくりと腰の奥が疼く。もっと聞きたくて手付きを早めると、灯もそれに倣って久幸の性器を擦る手を早めてくれた。 「気持ち悦い……」 そう伝えると灯がごくりと喉を鳴らした。 灯のうなじが赤くなっている。興奮すると、こんなところまで肌の色が変わるのかと驚かされる。 どんどん固くなっていく性器を撫でていると、それが自分のものか灯のものか分からなくなってくる。愛撫をした分だけ、快楽を得られるから頭の中で混同してしまう。 「……もう少し、強くてもいい」 灯が焦れったそうにそう言っては、身を押し付けてくる。優しい指に思いやりを感じる反面、もどかしいと感じていたのは久幸だけではなかったらしい。 「それは、俺も同じ。もうちょっと強くてもいい」 ねだると灯は言った通り、性器への愛撫を強めた。壊れ物を扱うようだった手が、ようやく性器を扱いてくれる。灯の手の力に、これくらいの加減が良いのかと測って、久幸も真似をする。 (気持ち悦い、やばい) 本格的に頭が馬鹿になりそうだった。 気持ち悦さばかりが身体を巡っていく。性器はどくどくと脈打ち始めて、情欲が膨れていく。 「もっと、もっとして欲しい……」 灯があられもなくそうねだってくる。 甘えるような言い方に、久幸は返事が出来なかった。 (性欲が強いって言ってたな) 手を繋いだ時の抗いなど、とうに捨ててしまったのだろう。 求められるままに性器の擦りながら、灯の腰を引き寄せる。互いの手や性器が触れるのが、卑猥で余計に血液が逆流してしまいそうだった。 「っ……ぅ、あ」 「うん……んっ」 夢中になっていると、灯が顔を上げては必死な様で名を呼んでくれる。 「ユキ、ユキ、俺、出そう……もう」 「俺も」 膨れ上がった情欲が先走りとして溢れ出している。快楽を全部吐き出して、絶頂したい。イきたい。 貪欲な衝動に駆られていると、灯がくしゃりと表情を歪めた。 「っ、先に、イきたくない!」 「はははは!」 負けず嫌いな一面がこんなところで出てくるとは思わなかった。快楽で身体も頭もきっと真っ白になりそうになっているのに。それでも久幸より先に出したくないらしい。 弾けるように笑い出した久幸に「笑うな馬鹿!」と怒る。先ほどから馬鹿と言われてばかりだ。 「なら、もう少し待ってくれ。俺だって、そんなに、もたないから」 「早く、イけ……俺より、先にっ」 勝負でもないだろうに、灯はやや荒っぽいほどの手付きで愛撫をしてくる。無茶苦茶だなと思うけれど、はあはあと灯の息が浅くなってるのを感じると、ぞくぞくした。 「灯、あかり、イく、でる」 「出る?」 「だして、いいか?」 「うん。いいよ。俺も、出す、出したい、はやく」 灯の声は蕩けていた。潤んだ瞳に見上げられて、久幸は吸い寄せられるように唇を奪っていた。 それが合図だったのかも知れない。 性器を触れ合わせて、指を絡めるように扱いていた。ぐちゅぐちゅといやらしい水音に耳が犯される。 「んっ!んん」 くぐもった声が重なり合って、腰を震わせながら白濁を放つ。どちらが先だったのかは分からない。同時だった可能性もある。熱い痺れが全身を駆け巡っては、激しい快楽と共に達した。 汚れる手に、甘い痺れが脳髄にまで駆け上がってきた。 「あ……っ、あかり?」 灯は肩で息をしながら久幸にしがみついてきた。顔は俯いており、表情が見えない。 (キスがしたい) 呼吸は乱れており、口なんて塞げば確実に息苦しくなる。そう分かりながらも口付けたくなる。 顔を上げてくれないだろうか。そう密かに祈っているのに、灯はより深く俯いてしまった。 「……もう」 「もう?」 「引き返せないところに来た気がする!」 今更だろうに、灯は整っていない呼吸で力一杯叫んだ。 (ここに来る前に、すでに引き返せなかった気がするが) 「引き返したかったのか?」 「返さない」 答えは予想していたけれど、本人の口からしっかり聞こえてくるとやはり安心する。 「だったらいいんじゃないか?」 同居するのも、手を繋ぐのもキスをするのも身体の関係を持つのも。嫌ではないのならば、欲しがってしまうならば。思うままに求めてしまえば良いだろうに。そうすることを、五歳児の時点で決めていたのだから。 「……いいけど」 「いいけど?」 「俺の人生の全部が引っくり返っていくのが、なんか、悔しい気がする!くそぅ!」 「おまえの人生を全部引っくり返したかと思うと、俺は楽しいけどな」 してやった、という達成感と幸福感がある。 顔が緩む久幸の気配でも感じたのか、灯はようやく顔を上げた。そして甘やかに蕩けた瞳で睨み付けてくる。 「おまえの人生も引っくり返してやるからな!」 もう変わっている。とっくに、灯の色に塗り替えられている。 だが灯の、久幸だけをひたむきに映し出してくれる瞳にはそうは映っていないらしい。 「そっか。一生の楽しみにしてる」 離れることなく傍らで、この瞳と生きていくのだ。 改めて思うとこんなにも幸せの予感に充ち満ちた日々はないだろう。 了 |