きつねツキ2   六




 神棚がある部屋に入ってまず思ったのが「普通だ……」という拍子抜けした感想だった。
 十二畳ほどの広さはあるけれど、ただ広いだけであり。置かれている神棚が特別大きいというわけではない。幅一メートルほどのそれは家の規模を思えば地味とすら言えるだろう。
 白い布が敷かれた、おそらく机と思われる物の上に神棚は鎮座している。神社で見かける社を小さくしたようなそれは、拝めるには正しい姿だろうが。本物の神社がここにあってもおかしくないと思っていた尚基にとっては、予想外に平凡に見えた。
 失礼だとは思いながらも、その神棚を城のミニチュアのようなものだと思ったくらいだ。
 まだそう古くない物のようだから余計にそう感じるのだろう。
(名賀の神棚だから、もっとどーんとしてて近寄れない感じかと思ったけど)
 玄関も庭も、家のあちこちに華美な部分が見られたけれど、神棚に関してはごちゃごちゃ装飾をしないらしい。むしろ質素に、誠実にという精神なのだろうか。
 大切だからこそ変に手を加えないという考え方もある。
 二人は神棚にはさして興味もないようで、近寄って行ったと思いきや白い布の端を掴んだ。
 そして二人して一気にめくり上げる。
「え」
 大学生達たちが呆気にとられていると、白い布を敷いていた台の下に空間がある。その中にもう一つ、こちらは平べったい箱のような台があり、その上に金庫が置かれていた。
 五十pほどの正方形。鋼色のそれはがっしりとしており、どう見ても頑丈そうである。金庫というものはどれも頑丈に作ってあるとは思うけれど、初めてまともに見る金庫は、尚基に対して威嚇するかのような重圧感を与えて来る。
 きっと双子は幼い頃、隠れんぼでもしている時に神棚の下に潜り込んでその金庫を発見したのだろう。
 子どもが隠れやすそうなスペースだ。
「よいっ、しょ」
 そうかけ声をしながら双子はその金庫を左右それぞれから持ち上げる。二人で持ってもかなり重たそうで「大丈夫か?」「持てるか?」と男子はそれぞれ駆け寄って代わりに持とうとした。
 尚基も自然と身体は動いていたのだが、それより早く山野が金庫を抱え上げていた。男子一人でもなかなかに苦労する重さであるらしい。
 だがそれでもしっかりと抱えては鍵師の前にどんっと下ろしたその様に、双子ならず佐浜までも「すごいね」と感心していた。
(こういうところが女子に好かれる素なんだろうな)
 誰より早くすっと身体を動かし、女子を助けてあげられるところが格好良いのだろう。などと冷静には思うだけでただ立ち尽くしていたような自分が不甲斐ない。
「これは、古い形ですから。そんなに難しい物ではありません」
 鍵師は金庫を触ってあちこち見た後にはっきりとそう告げた。
「そうなんですか?」
「複雑な作りではありませんから、そうお時間は取らせません」
 伯父は意外そうな顔で金庫をまじまじ眺めている。これまで幾つも鍵を開けてきたのだろう職人にとっては、昔の金庫を開けることなど造作もないのかも知れない。
 鍵師はようやく出番だとばかりに、持って来ていたアタッシュケースを開けてはヘッドフォンを取り出した。
 大きく本格的なそのヘッドフォンを被っては、聴診器のような物と接続させて金庫のダイヤル近くに先端を張り付かせる。
(古典的だ……)
「テレビで見たことあるようなやり方するんだね」
「あれで聞こえるのかな?」
「なんか微妙な音の違いとかあるんじゃないか?」
 鍵師の邪魔にならないように小声でこそこそと話をする。あんなやり方で本当に開くのか、そんな疑いが誰の顔にも浮かんでいる。
 大丈夫なんだろうかという不安を払拭しようとするかのように、鍵師はダイヤルを一度止めてはカチンと真ん中の突起を押し込んだ。
「一つ目がはまりました」
「え!?もう!?」
「そんなに早く分かるの?」
 まだ開始して三分そこそこだというのに、何故分かるのか。鍵師の耳には何が聞こえているのか、いや聞こえていたとしても何で判断しているのか。
(プロってことなんだろうな)
 これで金庫が開いたらまさに一流の腕、ということなるだろう。
「何番だった?」
「分かんない。でも後で教えて貰ったらいいんじゃない?」
 双子はこれからも金庫が開けられるように番号を覚えておくつもりであるらしい。これからの持ち主は彼女たちになるのだろうから、当然なのかも知れない。
「この金庫は簡単ですね」
「そうなんですか」
「はい。古いタイプの中でも比較的容易な金庫です」
 楽な仕事だと思ったのか、鍵師はヘッドフォンをずらしては伯父とそんな会話をしている。名賀の家にある金庫なのに、開けるのが簡単な物を使っていたのか。
(別に開けられても良かったってことか?)
 そう警戒するような物が入っているわけではないのかも知れない。たとえ泥棒が入って金庫を開けたとしても、中身を持っていくわけがないと思う物なのか。
 やはり思い出の品、名賀の家にとってのみ特別な物が保管されているのだろう。
(俺たちが見ても仕方ないんじゃないかな)
 ここまで来たものの、と尚基は今更ながらの違和感を覚えていると、鍵師は次々に番号を当てていく。合計で四つの暗証番号をはめたようで、ヘッドフォンを外した時には笑顔になっていた。
「後は鍵を開けるだけです」
「でも鍵がどこにあるのかは……」
「おばあさまが隠してるのよきっと」
「私たちの目の届かないところに置いてるに違いないわ」
 名賀の家の人間達がそう答えている。ダイヤルの下にある鍵穴を回さなければ扉は開かないのだ。
 困ったと言いたげな人々の前で鍵師は「大丈夫です」と力強く笑んではアタッシュケースの底を持ち上げる。そこには様々な形をした針金のようなものが入っている。
 透明の薄っぺらく柔らかそうなケースに入っている針金の中から、一本を摘んでは鍵穴に入れる。それをくるくると回してはまた別の針金を差し込む。
「ピッキングだ……」
「うん、ドアとか開けるのもあれだよね」
 テレビ画面の中で、犯罪現場の再現などで見られる行動が目の前で行われていた。依頼主の希望なので別に問題ないどころか真っ当な行為なのに。どうしても犯罪っぽく見えるのは思い込みのせいだろう。
(うちのマンションの鍵とかあっさりやられそう)
 家に帰ったらちゃんとチェーンをかける習慣を付けなければいけない。
 息を呑んで見守る人々の視線の先で、カチャンと明らかに何かが動いた音がした。
「開きました」
「やった!」
「開いた開いた!」
「いやぁ……こんな簡単に開けられるものなんですねぇ」
 これまで開けたいと思いながらも指をくわえていたせいか、双子は手を取り合ってはしゃいでいる。伯父も面食らっているようだ。
 名賀にとっては衝撃的なことなのだろう。
 何年、何十年のも沈黙と秘密がこんな数分で解決されるなんて呆気なさ過ぎる。
「もっと大変なものだと思ってました。素晴らしいですね」
「金庫の種類のおかげです」
 伯父が賞賛すると鍵師は喧噪と共に照れたように額を拭っている。空調が効いている部屋であり尚基は暑さなど感じていない。なのに汗を滲ませていたということはかなり集中して、必死になっていたということだろう。
 精神力をかなり使いそうだ。
 見ているだけではさして苦労もしていないようだが、きっと鍵師にとっては簡単と言いながらもやはり気楽に出来ることではないらしい。
「すごいわ!私たちがどれだけぽちぽち回しても全然駄目だったのに!」
「やっぱりプロの人は違うわ!もっと早くやって貰えば良かった!」
 ねー?と上機嫌な双子だが他の四人はうっすらと開かれた金庫の方が気になる。
「それはいいけど、中身確認しないのかよ」
「あ、そうだそうだ」
「大切なのは中身よね」
 思わず双子に口を出してしまう。双子もはっと気が付いたように金庫の扉を開けようとした。
「中身が宝の地図だったらどうする?」
「今から探索かな?」
「熱中症になるだろ〜」
「もしそうならうちの裏山だろうね。結構広いから探すのは大変だと思うよ」
「シャベルカーとかいるんじゃないか?」
 みんな好き勝手喋っている中、双子は中を覗き込んだ。
「何これ?」
「木の箱だわ」
 怪訝そうに双子は中にある箱を取り出した。
 金庫より一回りほど小さな、白っぽい木で作られた箱。もしかすると桐の箱なのだろうか。
 蓋は上部に付いており、開けられないようにと何か札のようなものが張ってあった。その文字は何かがうねっているような物であり、現代人には到底読めるものではない。
(シロなら分かるんだろうか)
 なんとなく神社や寺で貰う札のように思えて、神使であるシロならば読めるのではないかと思った。だがここでシロを呼ぶのは抵抗がある。
 他人には見えないけれど自分には見えてしまう。きっとシロを意識して他人にとっては変な行動を取ってしまうだろう。
(後で教えて貰えばいいか)
 どうせシロも自分に宿ったまま、全く同様の光景を見ているはず。ならば後で話せばいいだろう。
「お札が貼られてるとか、厳重だよね」
「それだけ大事な物なんじゃないか?」
 佐浜がテンションを少し落として尾林に囁いている。開けて良いのか、そんな問いかけが言葉の裏から聞こえて来そうだった。
「剥がしちゃえ」
「やっちゃえ」
「おい、いいのか?」
 佐浜とは違い双子はあっさりと札に手をかける。ついそう制止を上げると「いいのいいの」と軽くあしらわれた。
「破らなきゃまた貼ればいいんだし」
「そうそう。破らなきゃいいの」
 そうは言うけれど何十年前の物か分からないくらい札は色褪せている。少しの力加減でびりっといってしまいそうだ。
 双子の片方が札の端を摘むと、声をかけることすら憚れるような緊張感が漂った。ゆっくりと、数秒が何分にも感じられるほどの張り詰めた空気の中で札が剥がされていく。数ミリずつ、少しの破れも許されないその作業は吐息すら禁じられているようだった。
 双子は手元を狂わせることなく、綺麗に札を剥がし終わった。その頃には見ているだけなのに全身がどっと疲れを感じては深く息を吐いていた。
 自分がそれを行っていたかのような脱力感だ。
「さあて、中身はなんだろ」
「どんなのだろ」
 気を使わなければいけないことは終わったとばかりに、双子は喜々として箱の蓋をぱかりと開けた。あんなにも慎重に札を剥がした後だとは思えないくらい、あっさりとした開封である。
 中に入っているのは、丸い何かだった。
 うっすらとクリーム色をしている丸い何かなのだろうが、その表面には黒ずんだ茶色のようなもので汚れている。
 あまり綺麗とは言えないものだ。
 全員で覗き込んでいるため、それぞれの頭が邪魔をして尚基は双子や山野の隙間からしか中が見えない。
(なんだ?)
 もっと詳しく見ようと思ったのだが、誰かにぐいっと背後へと肩を引き寄せられた。俺にも見せろと尾林に引っ張られたのかと思って後ろを見ると、いるのはシロだった。
(おまえ、なんで!)
 しかもシロはいつもの少年姿ではなくも、大人の容姿をしている。白く長い髪をそのまま下ろしており、白い狩衣と混ざり合っている。白い耳や尻尾はいつも通りなのだが、子どもの頃は愛らしいと言える顔立ちは大人のものになると怜悧で美しい。
 見詰めていると吸い込まれ、魂を奪われるのではないかと思うほど蠱惑的な、だがその美麗な様は決して下世話な欲を煽らないものだった。
 柔らかい、なのにどこか遠くにあるような錯覚を覚える美しさだ。それはたぶん自分たちが生きている世界とは異なる場所に立っている存在だからだろう。
 子どもの時はあんなにも人懐っこく見えるのに、今は近くにいるのに捕らえ所がどこにもない。
 しかしどうして今、このタイミングで現れたのか。しかもその姿で。
「これなんだろ?」
「陶器?でも汚れてる?」
「出してみたらいいんじゃないか?」
 シロは箱を覗き込んでいる人たちをじっと見詰めていた。尚基を箱から離したくせに理由も教えない、ただ眼差しを向けているその行動に文句を言いたくなった。
 だがぐっと我慢をしては顔を箱に戻す。丁度双子がわざわざ二人して箱の中に手を突っ込んでそれを持ち上げようとしていたところだった。
 箱から上がって来るそれを固唾を呑んで待つ。だが半分くらい出てきたところでそれが何であるのか、予測が付いてしまった。
 それは他の人も同じだっただろう。
「い、やああぁぁぁ!!」
 佐浜がまず耳をつんざくような悲鳴を上げて立ち上がり、箱から逃げた。その反応に呆気にとられた双子が、自分たちが持っているものを正面から見ようとして顔を傾け。
 二つの悲鳴が部屋にこだました。
 双子は持っていたそれから強い電気が放たれたのように、畳の上にそれを投げた。
 ごろりと転がった、玉のように見えたそれは。
 人の頭蓋骨だった。