きつねツキ2   五




「愛ちゃんたちのご学友かな?」
 双子の名前にはどちらも愛が入っている。だからそう呼んでいるのだろう。
 アイスブルーのシャツの男がそう言ったことによって、この人が身内なのだろうと見当はいた。
 双子は「はい」と返事をした後に一人ずつ名前を読み上げては紹介してくれる。それぞれ頭を下げてはみるけれど、この家の人間と交流を持つに相応しいかどうか探られているのだろうかと気が重い。
 お嬢様、と言うに遜色ない暮らしをしている双子とは身分差すら感じてしまう。
 双子は案の定愛ちゃんたちと言った男を伯父さん、そしてもう一人の男を鍵師だと教えてくれる。
 鍵師は他人、あくまでも部外者である。背筋を伸ばして大人しく控えているだけだった。仕事に来ているだけ、というスタンスが全面に出ていて分かり易い。
(しかし伯父さんが来てるってことは、双子のやることを止めに来たのか)
 開けてはいけないと言われている金庫を開けると我が儘を言っているのだ。鍵師と向き合っていたのも、仕事を辞めて帰ってくれと言っていたのかも知れない。
 その割に鍵師の表情は落ち着いているが。
「愛ちゃんたちの我が儘に付き合わせて悪いね。まあ座りなさい」
 伯父に勧められて向かい側、鍵師の側に次々腰を下ろしていく。まず山野、そして尚基、尾林、佐浜という順番だが。もはや席順など関係はなく、入り口から近かっただけの話だ。
 座って分かったのだが、伯父の背後は障子が開け放たれており庭が見える。真っ白な玉砂利と松の木、そしてピンク色の小さな花を付けている背の高い木があった。木の幹がつるつるとしているように見える。夏の咲く花の一種なのだろう。
(色んな木とか花が植わってそうだ)
 ちゃんと手入れもされていることだろう。もしかして庭師がいるかも知れない。
 少なくとも家政婦は複数居るということが、すぐに運ばれてきた御茶で理解した。玄関にいた人と、御茶を持って来た人が別人だったのだ。
「高校生の頃ならここで宿題でもしなさいと言うところなんだがね」
「やぁね伯父さん、宿題なんてもうないわ」
「あるならレポートくらいのものよ」
「それも君たちはちゃんとやってるのかな」
 双子がそれぞれの口で交互に喋っていく様に、伯父は目を細めながら話している。自分の隣に座った二人を可愛がっているのだろうなというのが伝わってくるようだった。
 年の離れた姪ならば、可愛いのも無理はない。
「そんな話はいいの」
「せっかく楽しいことをしようって言うんだから」
 双子はつまらないことは聞きたくないとばかりに、わざとらしく頬を膨らませた。幼稚な仕草なのに、双子がそうしていると女の子らしさ、愛嬌として見えてしまう。容姿のせいか、それとも彼女たちが持っている雰囲気のせいか。
「金庫、だろう」
 伯父が溜息をついてはそう告げる。仕方がない子たちだという諦めが滲んでいるところからして、止めるのはもう駄目だと思っているのかも知れない。
「そうよ。中身は伯父さんも知らないんでしょう?」
「見たことも聞いたこともないんでしょう?」
「知らないよ。もしかすると誰も知らないかも知れない。うちのばあさまはなんとなく察してるみたいだが」
 誰も見たことがない。なのに決して開けてはいけないと言われる金庫。謎が一層深まったようで双子は目を輝かせている。
「おばあさまは長生きだから!何でも知っていらっしゃる!」
「でも中身を訊いてもヒントも下さらないのよ!」
「開けちゃ駄目だってことだけ」
「今日だって猛反対。絶対に駄目だって」
(そりゃ……ここまで駄目だって言われてきたなら、いきなりいいとは言わないだろ)
 尚基は祖母も祖父にも会った記憶がない。けれど年配の人はこれまで自分が守ってきたことをいきなり変えられることを嫌がる、という印象があった。
 まして自分の家にある大切なものなら、守ろうとするものだろう。
 大丈夫だろうか、今回のことで騒動になるのでは。
 そう思うのだが伯父は肩をすくめた。
「それでもばあさまだって愛ちゃんたちには甘いからなぁ」
 そんなことを言っている伯父も双子には甘そうに見える。そして双子もそれを知っているような顔だ。
(結局叱られても許されるっていう自信があるんだろうな)
 だから強引に事を進められるのだ。嫌われない、見捨てられない。そういう絶対的な確信のもとに彼女たちは動いている。
 愛されている強みとでも言うのか。
「本当に怒られないのか?見たら駄目になる物が入ってたりしないのかよ」
 山野がそう尋ねると双子が「まさか」と二つの口で同じことを言った。
「山ちゃん心配性ね」
 双子の片割れがからかうように告げる。それは、そんなものは入っていないという根拠のない自信か。それとも中のものがどうなったとしても、双子たちにとってはさして重要ではないということか。
 どちらにも読めるような言い方だった。
「愛里は暢気過ぎる」
 片割れの名前を躊躇いなく言った山野に、思わず耳を疑った。それは向かい側に座っている伯父も同様だったらしく、不意を突かれたように瞠目している。
「おまえ、よく区別が付くな」
 見た目も声も仕草、そして口調や言う中身も違いがないとしか言いようのない双子だ。何故先ほど心配性と言ったのが愛里であるのか、尚基に到底分からない。
「愛里とは三年間同じクラスだったからな」
 片方とずっと一緒だったから違いが分かるようになったのだと、大したことがないように言っているけれど。よほど興味がなければ二人の違いに目が行くこともないだろうに。
「私たちの違いが分かる他人なんて珍しいよね」 「ね、びっくりしたよね」
 二人は顔を見合わせては楽しげに喋っている。見分けてくれることが嬉しいのだと隠しもしない表情だ。
 山野に好意を持っていることを秘めるつもりはないらしい。伯父も双子を見ては複雑そうな様子だが、何も言いはしない。
(二人ともが山野を好きってことは、まずいんじゃないのか?)
 だって山野は一人しかいないではないか。
 それとも双子は山野と付き合う、もしくは独り占めしようと思う気持ちはないのだろうか。二人で共用するとでも、だが山野はそれを受け入れるだろうか。
(いや、俺が考えることじゃないんだけど)
 部外者でしかない尚基が何を思ったところで余計なことである。
 それよりも山野は双子、尾林と佐浜は恋人同士であり。一人きりなのは自分だけである。物凄く疎外感があった。
 肩身が狭いというのはこういうことを言うのだろう。
「大丈夫よ、おばあさまは優しいもの」
「私たちを叱ることだってほとんどないのよ」
「じーちゃんばーちゃんは孫に甘いって言うもんな」
 尾林がそう納得しようとすると、双子は首を振った。
「孫じゃないのよ」
「おばあさまの孫は私たちじゃないの」
 彼女たちの言い方からすれば完全に孫だとしか思えなかった。隣で尾林は「は?」と言っているし、山野も「マジで?」と驚きの声を上げていた。
「私たちのひいおじいさまの末の妹がおばあさま。でも私たちにはひいおばあさまもおばあさまもいないから」
「だからシナノおばあさまをおばあさまって呼んでるの」
 どうやら高祖父の妹と同居をしており、おばあさまと呼んでは慕っているらしい。シナノという名前なのだろう。
(しかしひいじーさんの妹まで同居してるのか)
 これほど広ければ親族がいくら住んでも大丈夫だろうが。両家の祖父母すら知らない尚基にとっては未知の世界だ。
「お幾つなの?」
 佐浜が控えめに、だが興味津々で尋ねている。確かに高祖父の兄弟が存命というのは珍しいかも知れない。
「八十歳くらいよ」
「ひいおじいさまとシナノおばあさまは年が離れていたから」
 末の妹、と言っていたからその間に何人か弟妹がいるのだろう。一昔前の人は兄妹が多かったと聞いているので、一番上と下ではかなりの差があってもおかしくない。
「ひいじーさんの妹とか、すげえ年に思えるけど」
「うちはみんな子どもを持つのが早いのよ」
「でもみんな死んじゃったけど」
 双子の瞳が初めて陰った。亡くなってまだそう歳月が経っていない母親を思い出してしまったのかも知れない。
 母親は亡くなり、祖父母も、そして母親の兄弟も亡くなっていると聞いた。名賀の直系は短命なのだと言われても仕方がないくらいに、双子の親類は少ない。
 父方になればまた別なのだろうが、母方の実家で生まれ育った双子にとってはやはり親戚はこちらの方が付き合いが濃いだろう。
 その親類が数少ないというのは寂しいはずだ。
 だからこそ双子は甘やかされているのかも知れない。
「おばあさまの本物の孫は伯父さんなのよ」
「シナノおばあさまの孫だから、私たちの伯父さんではないの」
 双子ではなく伯父が孫。
(なんだかややこしくなってきたな)
 親戚関係を脳内で整えるのが面倒になりそうだ。
「伯父さんでいいじゃないか」
「そうね。でも伯父さんっていうよりお父さんみたいだわ」
「お父さんは海外にいてなかなか帰って来ないから」
 双子の父親は海外転勤で一年に二度ほど帰ってくるだけらしい。そんな生活が何年も続いているそうなので、父親と言っても違和感のない年齢の伯父が父親代わりなのだろう。
 その伯父が含みのある眼差しを山野に向けている。父親代わりとして彼氏候補を牽制しているのだろうか。
 山野はその視線を痛いほど感じて居心地が悪いのか、御茶を手に取り不自然なほど頻繁に口に運んだ。
 グラスの表面に付いている水滴が、まるで山野が内心かいている汗のように見える。
「それはそうとさ、開けないのかよ」
 このままでは良くないとでも思ったのか、山野が話題に自ら切れ込みを入れる。それに尾林が微かに「逃げたな」と呟いたのが聞こえて来て尚基は吹き出しそうだった。
「山ちゃんせっかち〜」
「そんなに気になるの?」
「そりゃそうだろ。つか言い出したの誰だよ」
「私たちでした〜」
「楽しみなのも私たちでーす」
 双子は一度は陰った瞳に明るさを取り戻してはそうおちゃらける。
 赤の他人としてずっと黙っていた鍵師の横顔が、少しほっとしたようなものに見える。いつまでこんな大学生と保護者のやりとりを眺めなければいけないのかと、退屈していたのが目に見えていた。
「じゃあ開けましょう!」
「すぐに開けましょう!」
 双子が勢い良く立ち上がり、その場にいる全員から「ようやく」という心境が聞こえて来そうだった。そして膨らんでいく好奇心が背中を押しては双子の後ろに付いていく足取りを軽くさせた。