きつねツキ2   四




「クソ暑い中じゃれてないで、さっさと行こうぜ」
 山野は黄緑色のフレームを正しながらそう促す。その額には玉のような汗が滲んでおり、暑さを訴えてくる。
 たぶん全員が同じようなものだろう。佐浜がハンドタオルで首を拭っては、片手ではたはた力無く顔を仰いでいる。
「金庫の中身、なんだろうな」
 歩き出してすぐに尾林がそう言い出した。四人ともが思っているだろう疑問であり、今回の目的でもあった。
 尚基と山野、その後ろに尾林と佐浜が並んで歩いており、軽く首を傾けて後ろを振り返るような体勢を取った。
 暑い暑いと言って汗を拭うのに、ちゃんとカップルは手を繋いでいるのだから呆れてしまう。
「さあ?金の延べ棒とかぎっしり詰まってんじゃないか?」
「俺は宝の地図とかじゃないかと思ったんだが」
「山野〜、夢見過ぎだろ。徳川の遺産かよ」
「だってあいつの家、一時没落しかけてたらしいぜ。それでも一気に盛り返したらしくって、宝の地図でも見付けて財産増やして裕福になったんじゃないか?まだ財産は残っているから、誰にも取られないように地図を金庫に入れて隠してるとか」
「なんか……それらしく聞こえてくる……」
 山野が淡々と喋っているせいか、ちょっと説得力がありそうだった。ただ宝の地図というフレーズがファンタジーめいているけれど。
「あいつの家の裏にある山、あいつの家のもんだしな」
「山持ちとか」
 庶民にはない感覚である。
「俺は金庫の中に貴重な本とか入ってんじゃないかと思ってる」
「なんだそれ、本?」
 金だの、宝だの、という単語の後に聞こえて来た尾林の台詞は不思議に思えた。
「そういう中古本屋の話あったな。流行ってなかったか?」
 山野は元ネタが分かったとばかりに苦笑している。どうやら金庫の中に本が入っていたという物語があったのだろう。
「ドラマの話でしょ〜」
 佐浜がくすくす笑っている。もしかすると二人で見たドラマの内容がそんなものだったのかも知れない。
 そういうところで見せつけてくれなくとも良いだろうに。
「つか本って金になるのかよ」
「百万とか、貴重な物だったりマニアが付いてたらなるらしいよ?」
「マジで?百万?本が?」
 本だろう?と思わず何度も訊いてしまう。尚基の中で本にそんな金を出す人間がいるとは思えなかったのだ。
「でも名賀の家にとったら別に百万とか金庫に入れるもんかな」
「あ、それはそうかもな。あいつの家だったら百万くらいするソファとか壺とか普通に飾ってそう」
 自分の家ならば絶対にそんなことはないのだが、名賀の家レベルになれば家にある何気ないような物でも、とんでもない価値を持っていそうだ。
 そう思うとこれからお邪魔するのも更に緊張が高まることだろう。
「んじゃ、亡くなったじーちゃんの形見とか?」
「私も尾林と同じでそんな気がする。思い出の品とか」
「神棚の近くに置いて拝んでるみたいだから、そうかもな」
 名賀についてこの四人の中で一番知っているであろう山野の発言に、尚基はシロを思い出す。
(神様みたいなのと関係するのか?)
 その金庫の中に入っているものは、神棚にいるだろう神と関連があるのだろうか。それとも全く別物なのか。
 それだけでもシロに訊けば良かったかも知れない。
「へその緒とかじゃないかな?先祖から代々残されてそうじゃない?」
「あー…それは確かにこの世にたった一つしかないし、金の価値じゃないものだな」
 他人にとってはどうでも良いものだろうが、本人にとっては産まれた時にしか得られないたった一つの貴重なものだ。
 宝だと思えばこの上ない宝物かも知れない。
「あいつらのばーちゃんが、金庫開けるのには猛反対してるらしくて。もしかするといざ行ってみたけど駄目でしたってのもあるかも」
「なんだよそれ。わざわざ企画しといて」
「まあまあ、いいじゃない。私は開かずの金庫を見るだけでもちょっと楽しいよ」
 三人がそれぞれ反応している中、尚基は一人陽炎が立ち上りそうなアスファルトの先を眺めていた。
 金庫の中身は何でもいいけれど、早く涼みたい。このままでは暑さで足下がふらついてしまいそうだ。
 せめて雲が出て太陽が陰ってくれれば良いのにと願わずにはいられない。
「あいつらの家、広いよな」
「なー、どんだけ広いんだろうな。何坪なんだろ」
 そう喋りながら山野は傍らにそびえ立っている塀に掌で一瞬だけ触れた。
「だってこれ名賀の家だぜ」
「んあ?え、もうだっけ?」
 尚基は思わず後ろを振り返ったのだが、すでに十数歩は歩いている。高くそびえ立っている漆喰の壁にうわぁと口から声が出ていた。
 この先にある門もどこかの名のある城か、もしくは時代劇のドラマなどで出てくる門扉によく似た作りである。個人の自宅であるという印象は欠片もない。
 純和風。ザ・日本。と言わんばかりの雰囲気は外国人が見れば大変喜びそうである。むしろ観光地だと勘違いされるのではないだろうか。
(この辺がただの住宅地で良かったな)
 そうでなければ写真が撮られ放題だったはずだ。
 二度目に見てもやはり立派過ぎると思って怯んでいる尚基とは違い、山野は平然と門の傍らにあるインターフォンを押している。
 ちなみにそのインターフォンの少し上には小さな穴のようなものが掘られている。多分そこに監視カメラがあるのだろう。
『はい』
 すぐにインターフォンから女性の声がした。双子のものではない。もっと落ち着いた、年配の女性の声に聞こえる。
「すみません、お約束していました山野と申します」
『お待ちしておりました。門を開けますので、中へとお進み下さい』
 それが合図であったのか、門がゆっくりと開かれる。当然人が動かしているのではなく自動だ。
 マンション暮らしの尚基にとっては門自体縁遠いものだけれど、それが自動で動くとなればもはや住む世界が異なる。
 まして開かれた門の先には玄関へと続く石畳の道、その左右には石灯籠が並んでいるのだ。完璧なバランスで作られている光景に、真っ白な玉砂利が敷き詰められた庭は鑑賞用にわざわざ職人が作った物にしか見えない。
(白い……)
 玉砂利による太陽の照り返しで視界がくらくらする。踏み出すのを躊躇ってしまう尚基を置いて山野が先に進む。赤いTシャツを頼るように付いていくと、玄関から人が出てきた。
 こざっぱりとした白いブラウスに紺色のスカート。四十歳ほどに見える女性は頭を下げては四人を迎え入れてくれた。
「ようこそお越し下さいました」
 丁寧な口調はインターフォンで聞いていたものと同じだ。家政婦のような立場の人なのだろう。
 大学生たちはこんな丁重なもてなしをされるのに慣れていない。「お邪魔します」と控えめに挨拶をして頭を下げることしか出来なかった。
 それでも玄関から中に入り、幅広い空間と飾られている掛け軸やら艶やかな飴色の廊下などに、高級旅館かと呟きそうになった。
 しかも尚基がこれまで泊まったことはなく、テレビの中で映し出されているだけの類のものだ。
 芸能人御用達!というテロップが脳内で流れる。
「すごいね……」
 ここに初めて来たらしい佐浜がそっと尾林に零している。その心境にとても同調したかった。
(つか俺はここまで来ると引く)
 玄関から中に入っただけで、見学料を取られそうなイメージだ。当然名賀がそんなことをするわけはないのだが。何かの記念館や、重要文化財という単語が頭の中を飛び交っている。
 ひんやりと漂ってくるクーラーの冷気にほっと息をつきたいのだが、状況がそれを許してくれない。
「ここまで来ると別次元だよな。あの双子が金持ちとは分かってたけどさ」
「住む世界が違うって感じ」
「いやいや、あいつら自体は普通じゃん」
「そりゃ山野は遠慮無しで構ってるからだろ」
 慣れだろ慣れ。と尾林は苦笑している。ぐたぐだ喋りながら靴を脱いで上がると、とたとたと階段から下りてくる足音がした。二つ分のそれはするりと廊下の端から顔を出す。
「いらっしゃーい」
「ようこそ〜」
 双子が上機嫌で現れる。白と水色、白と薄緑のワンピースを着ている。今日もデザインは同じで色違いだ。
 髪型はスキップするように近付いて来たから、一人はポニーテールと分かる。髪の毛の先が揺れているのが見えたからだ。けれどもう一人はお団子にしているらしく、二人が目の前でじっと立っていると髪型で区別するのは難しいだろう。
 笑顔もぴったり一致しており、表情までも全く同じものを浮かべられるのかと驚かされるほどだ。
「汗だくだね」
「外暑いもんね」
「おまえらは涼しそうだな」
 山野が羨ましそうにそう言うと、双子は笑みを深めた。
「だってクーラーかかってるもん」
「外に出ないもん」
「いい環境で暮らしてるよ本当に」
「さあ早く上がって上がって」
「もう鍵師さんは来てるからいつでも金庫は開けられるよ」
 鍵師と言われて尚基は物々しさを覚える。日常で接することなんてまずない職業の人だ。
 双子に案内されるがままに廊下を歩く。人が三人並んでもゆとりがあるほど広い廊下に、控えめながらも優雅さを漂わせる絵柄が載せられた襖たちが視界に幾つも立っている。
(何人も泊められる旅館だ)
 名賀の家でどれだけの人が暮らしているのかは知らないけれど、部屋数が多いのではないだろうか。それともそれぞれに役割がある部屋たちなのだろうか。
 庶民にはさっぱり分からない。
「鍵師さんは金庫開けられるのか?」
 尾林の当然の質問に、双子は同時に振り向いた。
「ぱっと見て貰っただけなんだけど大丈夫だって」
「思ってたより簡単だって言ってたよ」
「だからみんなが揃うまで待って貰ったの」
「せっかくだからみんなで中身見たいでしょ?」
 双子は弾むような声で喋っており、相当楽しみにしていることが分かる。子どもの頃から気になっていた金庫の中身がようやく分かるということで、きっと興奮しているのだろう。
「失礼します」
 双子は急に立ち止まったかと思うと、一つの襖の前で声音を変えた。それまではしゃいでいたというのに、中にいる人を気遣う時だけは落ち着いた、淑やかな様子になるのだ。
 いきなりの変化は、やはり育ちの良さと切り替えの速さを感じる。
 佐浜など初めて見ただろう双子の変化に目を丸くしていた。
「どうぞ」
 穏やかなそうな男の声に双子がそっと、二人して左右からゆっくり開けていく。タイミングを合わせていないのに、開かれる速度も距離も同じようだった。
 部屋の中は十畳ほどの広さであり、黒光りをする長い座卓が中央に置かれている。それを真ん中に向き合うようにして男が二人座っていた。
 一人は半袖の白いワイシャツとスラックス。会社員のような恰好をしている中年の男。もう一人は涼しげなアイスブルーのシャツを着ている優しげな顔立ちの、こちらも中年の男だった。
 アイスブルーのシャツを着た男は四人を見ると微笑んで見せる。その様はどことなく双子に似ていた。