きつねツキ2   参




 奉っている神様。
 名賀の家について聞いた中で引っかかったのはそれだった。ここは神様の使いであると言っている者がいたからだ。そして普段は交流関係に口出しなんてして来ないのに、何故か名賀の二人に対してだけは軽くでも質問をしてきた。
 まるで何か気になることがあるかのように。
「シロ」
 自室のベッドに久しぶりに横たわり、携帯電話を握りながらシロを呼んだ。まるで思考を読んでいたかのように、山野からメールが送られて来たのだ。
 明後日どこで待ち合わせるか。
 名賀の家がどこにあるのか知ってはいるけれど、直接そこに一人で尋ねていくのは気まずい。
 何せ大きな家である分セキュリティもちゃんとしている。どんとそびえ立った門についている防犯カメラや、ぐるりと家を囲っている立派な塀は何とも近づきがたい。
 山野も同じ気持ちなのだろう。しかし尚基はまず、行ってもいいのだろうかという根本的な疑問を抱いていた。
 シロが引っかかるのならば、何か良くないことでもそこにあるのではないか。
「なあに」
「なんでおまえはベッドの下をのぞき込んでんだよ」
 シロは何故かベッドをのぞき込んで何か探しているようだった。尻が揺れて、そこについている白くふかふかした尻尾が左右に振れていた。
 手触りの良いそれを思わず掴むと「うぐ」と間抜けな声を出しては渋々顔を上げた。
「だって若い男の子はベッドの下に色んなものを隠すんだってテレビで言っていたから」
「おまえはろくなテレビを見ていないな」
 シロは常に尚基と行動を共にしているらしい。目に写らなくても存在はそこにあるのだと言われた。だがたまに眠っている間などにテレビを勝手に見えているようだった。
 暇であるようだ。
 それに現代人がどのような生活をしているのか、眺めているのは面白いらしい。
 神社にいた時もよく社務所に潜り込んでいたそうなので、元から俗世に興味津々だったのだろう。
「名賀の家にあるらしい神様。おまえはそれが気になるのか?」
 問いかけるとシロは大きな瞳を向けてきてはきょとんと首を傾げる。奇妙なことを言うものだ、とその表情が物語っていた。
 もしかして勘違いをしたのだろうかと言葉を撤回しそうになる。
「特には。だって尚基には全然関係がないし、僕にだって縁がない。その家で生まれ、その家だけで奉られている神様のようだから」
「そうか、おまえが俺に友達の家に行くのかどうか訊くなんて珍しかったから」
「うん。少し変わったおうちだと思ったから。でも尚基には何もないよ」
 そう断言されて、じゃあと山野にメールを送る。どうやらもう一人くらい名賀の家に行くらしいが、元クラスメイトの誰かだろう。
「シロ。おまえどこにでも潜ろうとするな」
 今度はベッドの下ではなくクローゼットの中に進入していく。小柄な身体なのでかくれんぼをしている子どものように入っていけるのだ。
「子どもの頃からここにいるだけあって、尚基に色んな気持ちが残っているから。いっぱいあってここは良いところだね!」
「おまえ人の記憶が物から読みとれるんじゃないだろうな!?」
 クローゼットの中にあるのは服や使わなくなった道具。アルバムなども入っている。それらがいつの年齢のもので、どんな記憶が宿っているのかなんて尚基でも分からない。
 だが人に見られて気分の良いものでないことだけは確かだ。
 慌ててシロを引っぱり出そうとするけど、クローゼットの中からは「まさか!」と笑い声が聞こえた。
「僕は残念ながらそこまでは出来ないよ。でもおぼろげに楽しかった、悲しかったという感情は察知することが出来るんだ」
 記憶は分からないらしいことにほっとはするのだが。それでも感情が読まれているというのは、尻の座りが悪い。
「尚基は楽しかった思いが多いね」
 クローゼットからひょこと顔を出したシロは、自分もまた嬉しいのだと言うように微笑んでいた。
「悲しいこと覚えてても、仕方ないだろ」
 そういう記憶も尚基の中にもある。だがそれらをいつまでも持っていても辛いだけだ。だから出来るだけ忘れることにした。
 逃げのようにも思うけれど、今現在辛いままで耐えていると全部が嫌になりそうだった。
 本当なら楽しいことだって、楽しくなくなったら勿体ないだろう。
「そうだね」
 シロは尚基の発言に笑みを深める。幼い顔が浮かべるには大人びたものだが、片手に持っている高校時代のブレザーのネクタイのせいで台無しだ。
「おまえは飼い主のにおいを探している犬か」
「犬じゃないよ!酷い尚基!」
「狐は犬の仲間だろう?」
「生き物の分類なんて僕らは関係ない!むしろ僕たちはもっと崇高な存在なんだから、畜生どもと同等にされるなんて侮辱だ!」
 神使の狐は犬と一緒にされることが許せないらしい。いつもにこにことしており、あまり怒りを見せないシロがぎゃんぎゃん吠えているのが面白くて、腕を組んで「いやあ、同じと思うけどな」とからかいを続けてしまう。
 そもそも狛犬というのがあるのだから、犬だって神様の使いはないのだろうか。
 その神様の使い同士であるせいで仲が悪いとか、犬猿の仲になっているとか、そういう関係もあるのだろうか。
「尚基、電話切り上げてそろそろお風呂入りなさい」
 ドアの向こう側から母親が声をかけてくる。シロは他の人に見えないだけでなく、声も聞こえない。だから尚基にとっては会話でも、人にとってはただの独り言なのだ。
 それを母親は電話をしているものだと思いこんだらしい。
「分かった」と返事をしながら、一人暮らしでは部屋でシロと話をするのに何の配慮もいらなかったのだが、ここではそうもいかないのだと思い出す。
 しかしシロはそんな注意には全く気が向かないらしく「お風呂?」と目を輝かせる。
「向こうで一緒に入らなかった風呂に、なんでここでは入れると思うんだ」
「え!」
「驚くな、当然だろ」
 シロはとにかく尚基の世話を焼きたがる。しかも一度や二度ではちゃんと出来ないと分かりきっているにも関わらずだ。
 それでも必死になって頑張る様を見ていると哀れみがわいてきて、簡単なものならばやらせるようにしているけれど。いくらなんでも風呂に入るのに人の手はいらない。
 だから断り続けているのだが、シロは環境が変わったことで期待を抱いたらしい。
 尚基にしてみればあり得ないことだ。
 そもそも風呂で何を手伝って貰うというのか。
「じゃあな、おとなしくしてろよ」
 釘を差して部屋から出ようとしたけれど、落ち込んでいるらしいシロに溜息をついた。
 ぺたんと寝てしまった耳、力なく絨毯に横たわる尻尾。悲しくて悲しくてと言わんばかりの姿に罪悪感がわいてくる。それでも「来るか?」なんて言えるわけがない。
 あざとい、シロに対して何度も思ったことを今日も感じながら、部屋を閉めた。いつか自分は罪悪感に苛まれすぎて胃痛に襲われるのではないだろうか。



 昼飯をどうするか、名賀の家でお世話になるかどうか。その相談のメールが送られて来た時尚基は真っ先に嫌だと返していた。
 質素でも気楽な我が家で食いたかった。だがメールを送ってきた山野は、いいじゃん向こうも一緒に食いたいって言ってるのに、という甘えを見せたために冷や汗を掻いた。
 山野は双子と親しいから、そういう遠慮の無さが出せるのだろうが。尚基など双子とはクラスメイトだっただけという関係だ。
 昼飯を食わせて貰う義理がない。
 ヘルプを尾林に送ると、尾林も同じ気持ちだったらしく。そっちから説得をして貰った。最終的には一人で行けと突き放すと山野は諦めたらしい。
(つか山野ってマジで双子のどっちかと付き合ってんじゃないだろうな)
 高校時代より山野は双子に対して距離が近いような気がした。だがどちらと付き合っているのだろうか、もう片方はどうなるのだろうか。というお節介なことを思い始めてしまって首を振った。
 自分が考えても無駄なことだ。
 約束の当日、十分前に待ち合わせ場所に着いては暑さにうんざりしていた。
 尾林からもう一人連れて行くと言われていたのだが、誰なのだろうかと頭の中で元クラスメイトを探る。尚基も知っている相手だと言っていたけれど、こんな酔狂なイベントに参加してくるなんてどんな物好きなのか。
 自分を棚に上げながら「あちぃ」と思わず呟いてしまう。
 天気予報が告げていた最高気温は三十六度。アスファルトの照り返しがその温度を思い知らせてくるようだった。昨日の夜に雨が一時的に降ったせいか湿気も高く、何もかも腐ってしまいそうだ。
 公園の茂みでは野良猫がぐったりと横になっている。尻尾をはたはた動かしているので生きているのは確かだろうが、動きたくもないと全身で示している。
 尚基も木陰で日差しを防いではいるけれど、無風であるこの状態では呼吸することすら苦しいような気がした。
 クーラーがかかっている自室が懐かしい。このままコンビニに寄ってアイスを買ったのち、速やかに帰宅してだらだらしたい。
「よう」
 額から汗が流れ落ちていくのを感じていると、やる気のない声をかけられた。顔を上げると山野が片手を上げてこちらに来るところだった。
 赤いTシャツが目に痛い、というか真夏にその色はなんだか苛立ってしまうのは何故だろうか。暑苦しい印象だからか。
「久しぶりだな」
「腹立つ色のTシャツだな。つか、眼鏡変えた?」
 近寄ってくる山野に、Tシャツよりも眼鏡の色の方が気になった。尚基の記憶では確か銀色のフレームだったのだが、そこには鮮やかな黄緑に変わっている。
「やっぱ目立つかこの色」
「気合い入ってんじゃん」
「だろ?そっちはどうよ。近畿とか俺修学旅行でしか行ったことないわ」
「まー、普通」
 なんだそれ、と山野が笑いながら隣に立つ。目線が少しずれたような気がして、山野の背が高くなったのだと分かる。
(こいつまだ伸びるのかよ)
 自分はもう止まってしまったようで、伸びている気配がない。そのせいか山野を多少見上げるような形になるのが少し悔しかった。
「みんな関西弁喋ってんの?」
「そりゃあ、まあ。でも地方から来てる奴も結構いるから、みんながみんなってわけじゃない」
 耳に入ってくるのは関西弁が多いけれど、時々耳慣れないイントネーションも聞こえてくる。それに関西弁らしい喋り方をしても地方によってそれぞれ違う言い方をするらしい。
 面白いと言えばそれも面白いところだった。
「ノリとか付いていけんのかよ?」
「それなり。面白い奴は多いし、今一番よくいるのが関西弁のヲタクなんだけど。毎週ジャンプとマガジン回し読みしてる。雑誌とか家にあると邪魔だからさ、貸して貰えんのか楽」
 一人暮らしの部屋に雑誌が積み重なっていくのは保管にも、そして捨てるにも面倒だったのだ。貸して貰えるのは有り難いことだと痛感している。
「おまえ漫画好きだもんなー」
「だが夏休みの間は読めないってのがな」
 密かに悩んでいることではあった。コンビニで立ち読みすればいいのか、実家にいる間だけ買って置き去りにしてしまえばいいのか。
 阿呆なことを喋っていると二人組がこちらに向かって手を振った。一人は約束していた尾林だが、もう一人は女の子のようで思わず目を見張る。
「え、女子?」
「尾林の彼女。連れて来るって聞いてなかったのか?」
「一人増えるとは聞いたけど彼女かよ!あいついい身分だな!」
 彼女連れで来るとメールで教えられていたら、すぐに罵り混じりの返信をしたというのに。誰だろうかと漠然と考えていた時間を返して欲しい。
     「よー、元気かぁ?」
 尚基の苛立ちが見えて愉快なのか。尾林は満面の笑みでこちらに手を振ってくれる。その笑顔をなんとなくはたいてやりたい。
「にやにやしやがって彼女連れかよ!って……佐浜?」
 隣にいるデニムと白いノーフリーズの女の子に見覚えがあった。尚基が覚えているのは黒髪でポニーテールにしている制服姿だが。目の前にいるのは茶髪で肩くらいまで髪を切っている。それでも尚基の知っている人と顔は同じだ。
 化粧は多少はっきりしたものに変わったようだけど、顔立ち自体を覆い尽くすほどの変わりようではない。
「おまえら付き合ってたんだ?」
「大学に入ってから」
 佐浜がはにかんだような顔で答える。照れくさいのかも知れない。
 それとは反対に尾林は緩みきった、幸せ絶頂と言わんばかりの表情をしており。間違いなく彼女を自慢しに来たのだろう。
「同じ大学なんだ?」
「そうそう。しかもバイト先も同じ」
「うわー……そうなんだ」
 高校生の時はそんなに交流がなくても、大学が同じならば何かのきっかけで親密になるだろう。ましてバイトまで被れば共通の話題も、困ったことがあれば相談や助け合いも出来る。
(俺だってそういう出会いが欲しいっての……)
 大学では男ばかり、バイト先にいる女性は彼氏持ち。自分にとっての出会いはどこにあるのだろう。
「おまえ、彼女は?」
 尾林が勝ち誇ったように尋ねてくる、その顔に舌打ちをした。
「訊くか?この状態で?」
「寂しいのう」
「てめえな……」
 唸ることしか出来ない自分が情けないと同時に、地元に帰ってきたなという遠慮の無いやりとりに安堵していた。