きつねツキ2   弐




 久しぶりの実家は誰もいなかった。母親はパートのため不在であり、誰もいないことを悲しむほど寂しがり屋でもない。まして再会するのはたった四ヶ月ぶりくらいなのだ。感傷的になるわけもない。
 ガシャンとマンションのドアを閉めると視界にふわりと白いものが現れる。
 仮衣という、神社の神主などが着ていそうな服が突然見えても尚基は驚かない。むしろ慣れてしまっており、それが出たことで帰ってきたなという実感を覚えるほどだった。
「ここが尚基のご実家なんだね」
 十二、三歳ほどの可愛らしい少年が廊下に立っては興味深そうに周りをきょろきょろ見始めた。
 真っ白な仮衣はこの少年が纏っているものだ。ついでに頭の上には白い耳がついている。よく見れば尻にも豊かな毛並みの尻尾が生えており、服装と良い付属しているものと良い、どこからどう見ても奇妙な存在だった。
 何より唐突に降って沸いて現れたところからして異常だろう。
 だがこの少年は尚基がいるところにはどこにも出現する。尚基と常に共にいるからだ。
 取り憑いている。それがこの少年に対する表現でもっとも適しているものだった。
 けれど取り憑いていると言う割にはさして害もなく、日常の中で尚基に触れてくる、また現実に存在している物を掴んだりもしている。
 最近ではまともに朝ご飯を作れるようになり、嬉しそうに尚基の世話を焼こうとしていた。
 悪霊などではないのだ。本人が言うには、稲荷の狐であり神使という神様の僕であるらしい。
 何故そんなものが自分に憑いているのか。非常に謎なのだが少年自身に理由はあるようで胸を張って説明をしてくれる。だが全く理解出来ないので溝は未だに埋まっていない。
「別に面白味も何もない。平凡な家だぞ」
 実家をあちこち見て廻っている少年にそう声をかける。この子は尚基に関することに大袈裟な反応をするのだ。
 それだけ貴方は特別な存在なんですよと言われているようで、時々いたたまれない。
「尚基が育った家だよ。僕にとってはすごい場所だよ」
「何がすごいんだ」
 訳が分からないと思いながらも久しぶりの自室に入ってすぐにクーラーを起動させた。
 唸るような機械の音はクーラーが年代物だからだ。そろそろ壊れるかも知れないが、どうせ使うのは夏の帰省時だけ。後四年はなんとか騙し騙し使っていきたいものだ。
 部屋は一人暮らしの為にここを出た時と一切変わりがない。本棚にみっしり詰め込まれている漫画などは、多すぎるからアンタが出ていったら片づけるからね!と脅されていたのだが、手つかずのままだ。
 ほっとしながらつい一冊引き抜こうとしていると、ふわりと少年が目の前に割り込んでくる。
「ここが尚基の部屋?」
「そうだ。引っ越しもしてないからずっとここで暮らしてる」
「そうだろね。尚基の気配がいっぱいする」
 気配と言いながら微笑む様に、やはりいつも通りの納得出来ない感情が生まれてくる。
「いっぱいって何だ。そんなことも分かるのか」
「分かるよ。ぎゅっと詰まっている感じ。小さい頃の尚基も見てみたかったな。可愛かったんだろうね」
 嬉しそうな様に、少年の姿をしている相手にそんなことを言われてもと思う。しかもこの子の方が尚基よりも数千倍可愛いのだ。
「シロほどじゃない」
 素直にそう言うとシロは目を丸くしては首を振る。
「僕なんかとは比べものにならないはずだよ。尚基はね」
 意味ありげな言い方をする時のシロは、その眼差しが少し変わる。あどけなさのないそれは、無邪気な少年にも見えるこの存在が異形であることを示していた。
「尚基」
「ん?」
 この存在はおかしい。そうは思いながらも一人暮らしの部屋で一緒に過ごし、まして可愛い姿と甲斐甲斐しく世話をしようと一生懸命になっている言動に、すでに心境はシロに対して不快感を消している。
 人の慣れとは恐ろしいものだ。
 そういうものだろう、と分からないところ、腑に落ちないところも綺麗に流してしまえるようになる。むしろ姿を見ないと不安になるくらいだ。
 今だっておかしなことを言われたはずなのだが気にもせずに返事をしていた。
「明後日あの家に行くの?」
 駅前で会った双子の家に行く話だろう。神社などへ行くならともかく友達の家の行くのにわざわざ尋ねて来るのは珍しい。
 宿り主の交流関係まで口出しはしないのだろうと思っていたのだが。
「そのつもりだが。何かあんのか?」
「ちょっと変わった家みたいだから」
「まあそうだけど」
 大きな家、広すぎる敷地、親戚も結構いるらしいので何やら妙なしがらみなども持っているかも知れない。
 神使だと言うシロが何か感じるものも、そこにはあるのだろうか。
 もしくは双子たちに何か見えるのか。
 シロが宿ってはいるけれど、尚基には目に見えないもの、現実にないものを感じる能力など本来はない。シロに引きずられて見えてしまう場合はまれにあるが。
「良くないのか?」
 シロが気になるならば、何かしら良くないものがあの双子の家にはあるのか。
 以前近所の寂れた神社に行った時、よく分からない神様めいたものに迷惑をかけられたことを思い出してしまう。またあんなことになるのだろか。
 それならば双子には遠慮を申し出るのだが。
 そう思ったけれどシロは首を傾げた。
「そういうものではないと思うよ。尚基には全然関係ないと思う」
 人様の家のことで自分が関係あるわけがない。当たり前の事実を確認しつつ、何故こんな奇妙なことをいちいち気にしなければいけないのだろうという不可解さもあった。
「もし何かあっても僕が守るから」
 にっこりと笑ったあどけないとすら言える笑顔に、見た目通りではないと思いながらも、守られるなんて大袈裟な表現だなと思っていた。



「どんどん食べなさい。どうせ一人暮らしでろくな物食べてないんでしょ」
 パートから帰って来た母親は両手いっぱいのビニール袋を抱えていた。がっつり食料買い込みましたという格好に予感はしていたのだが、案の定晩飯は豪華な焼き肉だった。
 次々電気プレートに乗せられていく肉たち。尚基が口に放り込むよりもずっと早く焼かれていくそれに、父親は苦笑していた。
 尚基がこの家から通学している時だったなら、そんなに焼くなと注意しただろうが。今は好きなようにさせていた。
 息子が帰ってきたことに浮かれている母親を許しているように思える。
 両親ともに上機嫌に見えて、自分がここにいることがそれほど嬉しいことなのだろうかという照れもある。
 たった四ヶ月。それなのに両親は寂しいと思ったのだろうか。尚基など新生活とシロに振り回されて大変だったという記憶しかない。
「そーいえば、明後日名賀の家に呼ばれてさ」
 双子の家の名前を告げると「あら」と母親が瞬きをした。
「いきなりどうしたの?」
「駅前で会ったんだよ。その時に明後日名賀の家にある金庫開けるから、良かったら来ないかって」
「金庫?なんでまたそんなものを開けるのにおまえが呼ばれたんだ?」
 父親の当然すぎる質問に、尚基もまたなんでだろうなと言いたくなる。
「友達のついで。名賀の双子と仲の良い友達を誘ったからついでに俺もどうかってだけだろ」
「なぁにそれ。尚基に気があるんじゃないの?」
 親しくなりたいから家に呼んで、もう少し仲良くなろう。そんな下心のある誘いではないだろう。
 母親はこれまで浮いた噂も素振りもない息子にようやく女の子との付き合いが始まるのかと期待したらしいが、残念ながら世の中はそんなに上手くはいかない。
「まさか。名賀の双子は山野が好きなんだよ」
 言うには簡単なことなのだが。双子が同じ一人の人を好きになっている、というのは深く考えれば何ともまずい状態である。
 しかし人の恋愛に口出しどころか興味もないので、尚基はその辺りは気にしていない。どうか揉めませんようにと友人の一人として遠くから思っているだけだ。
「二人とも?」
「今でもそうかは分からないけど。連絡取ってるからそうなんじゃないか」
「修羅場ねぇ」
 そう言いながら母親は肉だけでなく野菜もプレートに乗せ始めた。ピーマンが多めなのは自分が好きだからだろう。
「ところで何の金庫なんだ?」
 父親は恋愛沙汰よりも金庫の方が気になるらしい。旧家に保管されている開けてはいけない金庫。確かに気になるワードではあるのだろう。
「さあ?ずっと開けちゃいけないって言われてた金庫らしいけど、どうせいずれ自分たちが当主になって金庫だって自分たちの物になるんだからいつ開けたっていいだろってことらしい」 
 ちょっと強引な理由だと思うけれど、名賀の家のことだ。当主の言うことが絶対ならば、その横暴さも通るのだろう。
 それに双子は昔から我が儘な部分があった。甘やかされた金持ちのお嬢様というイメージをあまり裏切らないタイプだ。それが嫌味に繋がらない程度の節度はあるようだったが。
「あの子たちが当主ねぇ。あそこは前の当主がお母さんだったみたいだから、男の人が継ぐっていうより一族の血で継いでるのね」
 日本の家では男子が家を継ぐという印象があるのだが、名賀は男子のくくりではなく血で繋がっているらしい。それは血を大切にしているということだろうか。
「でもお母さんも去年亡くなって、まだ若いのに可哀想にねぇ」
「病気か何かだったか?突然亡くなったんだろう?」
「そうよ。心筋梗塞だったらしいけど、健康には気を付けていたらしいのにねぇ」
 母は父の疑問にどこから聞いていたのかと思いたくなるような情報を教えていた。
 同級生だった尚基よりも知っているかも知れない。
 ある日突然、双子の母親は倒れて意識は戻らないまま一日も経たずに亡くなってしまった。突然の不幸に双子たちは嘆き悲しみ、暫く高校にも来なかったくらいだ。
 次に出会った時に見たのはげっそりと痩せて、目を腫らした双子の姿であり。このまま立ち直らないのではないかと不安になったくらいだ。
 それでも少しずつ双子たちは明るさを取り戻して、卒業する頃にはしっかり笑顔も戻っていた。それに山野の関わっていることは薄々感じていた。
「お母さんのご兄弟も早くに亡くなって。あそこ財産はあるけど、あんまり長生きはしないのよねぇ」
 不吉な台詞に、思わず箸を持っている手を止めてしまった。
「そうなのか?」
「そんな感じよ。伯父さん叔母さんも早くに亡くなっているし。お祖母ちゃんやお祖父ちゃんも双子ちゃんが産まれるずっと前に亡くなってるわ」
 それに背筋が少しだけ寒くなった。金はあるけれど短命の家柄。なんだか良くない雰囲気が漂ってくる繋がりではないか。
「あ、でも従兄弟たちは普通に生きてるし。大叔母さんなんて九十過ぎてるけどまだぴんしゃんしてるって聞いたわ」
「なんだ、みんな短命ってわけじゃないんだな」
 尚基の思っていることを父親が先に口に出していた。名賀の全員が早世するわけでないらしい。背中の寒気は単純に気持ちが先走ったからだろう。
(シロのせいで、ついつい変な方向に考えるな)
 良くないことだと思いながら、肉を口の中に放り込む。じゅわりと口内に広がる肉汁を味わっているとご飯がよく進んだ。
「親戚は金庫を開けちゃ駄目だって言ってるらしいけど、金塊でも入ってんのかな」
 金庫の中にあるのは金目のもの。金はどんな時代もあまり価値が変動しないと聞いたことがあるので、あの家なら巨大な金塊でも中に入れているのではないかと思った。
 その単純な思考に両親は「土地の権利書」「隠された遺言書」「かなり高い古美術品」などミステリー作品に出てきそうな単語を述べていく。二人とも楽しげに想像しているらしいが、最終的には親戚たちとの泥沼の争いになるのではないかという有りたくない予測に到着してしまった。
「変に巻き込まれないようにしなさいね」
「分かってるよ」
「あそこは変わってるから。あの家だけにいる神様を奉ってるなんて変な噂も聞いたことがあるんだから」
「あそこの家だけにいる神様?」
 つい食い付いてしまった。シロは神使であり神様に関わる者だ。
 昼間自室で何か引っかかっていた様子だが、もしかすると名賀の家で奉っているらしい神様を気にしたのだろうか。
「よく知らないけど。神棚があって毎日そこを大叔母さんが拝んでいるとか。その神様を奉るようになってから家が一層栄えたとか」
「胡散臭いな」
 宗教に関して両親は酷く毛嫌いしている。父親の母、祖母がその類に染まって自分たちは迷惑をかけられ続けた。元から悪化していた関係が宗教によってどうにも改善出来ない最低な状態にまで墜ちた。そんな過去があるかららしい。
 だがどうしてそんなことになったのか、という一部を知ってしまった今は何とも苦い気持ちがあった。
(シロたちが手を回したんだよな)
 どうにか自分たちの元に尚基を戻したかったシロたちが、祖母を使って両親を自分たちの土地へと呼び寄せようとしたのだ。それはより強く両親を警戒させる結果にしかならなかったが。
「そういものには手を出さないのよ」
 母親は息子に何度目になるか分からない戒めを告げているけれど、息子はすでに手を出す出さない以前の問題に沈んでいた。
(手を出された場合、俺はただの被害者だよな)
 それは向こうから突然やってきて宿ったのだから、自分に非はないはず。そう思いながらも手遅れになっている現状を永遠に話すことは出来ないなと感じていた。