きつねツキ2   壱




 電車からホームに降り立つと、むわりと熱気に包まれた。目の前に広がる光景が妙に懐かしく思えて苦笑してしまう。ここを出てまだ四ヶ月くらいしか経っていないというのに、郷愁感を味わうには早すぎるだろう。
 ここを故郷と言うことすらまだ笑い話のような長さしか離れていない。
(帰って来たな……)
 大学が夏休みに入ったので実家に帰ってきたのだ。ついでなのでお盆の時期に帰ろうかと思ったのだが、バイト先からお盆の時期は人手が足りなくなるのでずらして貰えないかと言われて、早めに戻って来た。
 両親はお盆にこだわりがあるわけではないようで、いつでもいいから帰ってくれば良いと言ってくれていたので気楽なものだ。
 母親の両親は亡くなっている上に、父親の両親ともあまり関わらないようにしている。そのためお盆も関係がないのだろう。
 ホームから降りて改札を抜けると目に痛いくらいの陽光が差し込んでくる。肌は日光に焼かれてぴりぴりとするようで、額からじっとりと汗が滲み出る。
 雲一つ無い空は気温を上げ続け呼吸をする度に体内の水分が奪われていくようだ。アスファルトの照り返しにうんざりしてしまう。
(景色が熱で揺れる……)
 汗を拭いながら駅のすぐ横にある横断歩道で信号待ちをしていると、道路を走っている車がゆらりと揺らぐのが見える。熱で陽炎が出来ているのだろうが、自分の意識まで揺らいでしまいそうだ。
 呼吸が浅くなる一方で、早く実家でクーラーの恩恵を受けたかった。特にこの辺りは緑もなく、建物が密集しているので雰囲気からして重苦しい。
 車の排気ガスを浴びながら早く信号が変わらないものかと思い遠くを見ていると、向かい側に二人の女の子が立っていることに気が付いた。
 デザインは同じで色違いのワンピースを着た背格好の似た二人。真っ白な日傘もお揃いだ。髪型は異なるようだが、一人は下ろしており、一人はたぶん結んでいるだけだろう。遠目からはそれだけしか分からないけれど、二人には見覚えがあった。
 案の定横断歩道の向こう側で一人が尚基を指差してきた。
 きっと自分に対して何か言っているのだろう。
 信号が変わると手を振りながらこちらにやってくる。おかげで渡ろうと思っていた横断歩道の前で立ち尽くす羽目になった。
 二人は日傘があるので多少はましだろうが。こちらは直射日光を浴びているのだ。頭が焦げそうである。
「久しぶり〜。地元に帰ってきてたんだ」
「山ちゃんから聞いてたけど、いつ帰って来たの?」
 同じとしか思えない声が別々の口から発せられる。近付いて来る二人は鏡に映し出されたようによく似通っていた。一卵性双生児なのだ。
 名前は愛梨と愛良なのだが、どっちがどっちなのか判別は付きにくく。制服であったのならば彼女たちはそれぞれ自分のマークになるものを付けていた。
 ブレザーの胸ポケットにそれぞれ違ったチャームを付ける。スカートのポケットからいつもはみ出している持っている携帯電話のストラップには名前が付いていた。
 だが私服になると完全に違いが分からない。まして尚基は彼女たちはさして仲が良かったわけでもないのだ。
 今片方が言った「山ちゃん」と呼ばれた同級生と友達なので、よく顔は見るけれど個人的な交流は少ない。
「今日。今さっき電車で帰ってきたばっかり」
「そうなんだ〜おかえり」
「結構遠い大学行ったよねぇ」
「一人暮らしはどう?楽しい?」
「ご飯とか大変じゃない?」
 女の子は一人ではそうでもないけれど、二人いるとどうしてこうもよく喋るのだろう。次から次に尚基が答えるより先に質問が来るのだ。
 双子は大体一緒にいることが多いので、尚基はいつもこの二人に対してはお喋りでややうるさいという印象があった。
 それでも不快感がないのは、彼女たちの容姿がとても可愛いこと。そして苛立つ前にすっと切り上げていく、タイミングの計り方の巧さのせいだろう。
「そこそこだよ」
 全ての質問がその一言に纏まる。だがそれはあまりにも情報が少なすぎたのか、二人は「何それ」とけらけらと笑う。
 面白いと思って言ったわけではないのだが、彼女たちにとっては笑いに繋がったらしい。
 女の子の笑いツボというのは尚基にとっては謎である。
「あ、そうだ!明後日暇?」
「私たちの家でイベントがあるの」
「イベント?」
 家のイベントと言われても赤の他人、そう親しくもない自分に関係があるとは思えない。だがそれに誘おうしてくれていることは雰囲気で分かる。
 何か大きなことであるのだろうか。
 その双子の家は旧家でかなり大きな土地と家を持っている。古き良き日本家屋と言わんばかりの建物に、公園かと思うような広さの庭だ。友達と共に一度だけ行ったことがあるのだが、その規模に圧倒されたのを覚えている。
 金持ちだと噂はされていたのだが興味がなかった。誰がどれだけ金を持っていたところで自分に影響があるわけでもない。
 けれどあの時ばかりは住む世界が違うんだろう、と漠然とした差を感じたものだ。
「開かずの金庫を開けるのよ!」
「昔からずっとうちにあったけど開けちゃ駄目って言われてたの!」
「開けちゃ駄目の開かずの金庫を開けるのか?」
「だって気になるじゃない!」
「中に何があるのかずっと知りたかったのよ!」
 双子はすでにキラキラと輝いた瞳でそう話している。子どもの頃から金庫の中身が気になって気になって仕方がなかったのだろう。
 禁じられているのならまして。子どもは駄目だと言われると一層それに惹かれる傾向がある。
 しかし駄目と言われるのならばそれなりの理由があるのではないのか。
「なんで開けられるようになったんだ?」
「私たちがそうしたいからよ」
「大叔母様たちは駄目って言うんだけど、あの家を継ぐのは私たちだもの。私たちに権限があるわ」
「私たちがいずれは当主だもの」
 双子の家は当主の直系がこの二人しかいないらしい。父親は生きているが婿養子であり、直系である母親は去年亡くなった。
 双子の他には子どもはおらず、必然的のこの二人が家を継ぐのだろう。本来ならば一人だろうが、双子であるのならば平等に権利が分けられるはずだ。それにこの双子は見ての通り仲も良く、二人で一人のような印象を受けるくらいにぴったりと寄り添って生きている。
 二人で家を継いでもそう喧嘩しそうもない。
(しかし当主になるからって、開けてはいけない金庫を開けてもいいものか?)
 何が入っているのか気になるのは分かるけれど。好奇心だけでそれを開けても許されるものなのだろうか。禁止されていた理由を考えなくても良いのか。
 尚基はそう思ったけれど、所詮無関係の人間だ。双子たちの家のことまで口出しをするつもりはない。
「でもどうやって開けるんだよ。開けちゃ駄目なんだから開けられないんじゃないのか?」
 子どもの頃はどうにかして開けようと努力したはずだ。暗証番号付きならそれを散々試しただろうし、鍵付きならば鍵を探しただろう。もしかしてそれらが見付かったのだろうか。
「鍵のプロにお願いしたのよ」
「どんな鍵でも開けられるらしいわ」
「なんだよー、そんな胡散臭いの」
 尚基は拍子抜けした。どんな鍵でも開けられるだなんて嘘くさい。
 双子がそんなものを当てにして金庫、しかも旧家が大事に保管しようとしている物が収められた金庫だ、きっと特注で頑丈な金庫なのだろう。それを開けようとしているなんて馬鹿馬鹿しい。きっと開けられないに決まっている。
「何よ〜、有名な人なのよ?」
「警察にも頼りにされているような人なのよ?」
「潜入操作とかで、犯人が立てこもった家の鍵を開けちゃうんだから!」
「他の家の金庫だって散々開けて来たのよ!」
 その言い方をすると犯罪者のようではないか。空き巣をしていてもおかしくないような表現である。
(まあ、つか単に暇潰しじゃん)
 夏休みに入って暇になったから、何か面白いことはないだろうかと思って金庫を思い出した。そういえば何が入っているのだろうかと気になって、家の中で多少は権力も持てるようになったのでそれを振りかざしてみようか。
 せいぜいそんなところだろう。
「どうせ暇なんでしょー?」
「こっちにはいつまでいるの?」
「一週間」
「だったら一日くらい遊んでもいいじゃない」
「山ちゃんや尾林君も来るって言ってるし」
 高校三年の時に一緒のクラスだった友達の名前を呼ばれて、うーんと軽く唸る。どうせ帰って来たなら顔を見ようかと思ってた人たちなので、そのわけの分からない金庫にも付き合っても構わないと言えば構わないのだが。
(こいつらん家お手伝いさんとかいるから、結構緊張するんだよな)
 大きな家は家族で管理することは到底無理であるらしく、家に召し使いのような人がいるのだ。それに堅苦しい空気が流れていて、いるだけで小市民の尚基などは胃が縮むような思いだった。
 しかし、ここで嫌だというのも双子や友達に悪いだろう。どうせ予定もなく実家でごろごろするつもりなのだ。
「分かった。明後日な」
「うん明後日!どうせならうちでお昼食べて行く?」
「お客様用のご飯用意するよ?」
「いらん!俺は実家で素麺でも気楽に食ってから行く!」
 おまえらの家緊張する、と以前言ったことを覚えていたのだろう。からかうように食事に誘ってくる双子たちにお断りをする。
 しかもわざわざお客様用と強調するところからして意地が悪い。
 慌てて嫌がる尚基が面白いのか、双子はまたけらけら笑った。悪戯っぽいところはあるのだが、それが愛嬌であり彼女たちの可愛さを膨らませているようだった。
 高校生の頃ならばそんな彼女たちに多少はどきりとしたものだ。恋愛感情はないけれど、女の子に対して可愛いと思うことは自然な気持ちだろう。
 だが今はあの時ほど刺激を受けることはなかった。
 今は彼女たちと見劣りしない、もしかすると彼女たちより可愛いと言えるかも知れないものが尚基にはいるからだ。
(俺の感性まで変わってきたのかよ……)
 我が身に取り憑いた神使様のせいで、この世にいる大半の女の子を可愛いと思えなくなったらどうしてくれるのか。
 そう今は見えない狐に対しての恨み言が口から出そうだった。