きつねツキ 6 未だしんしを「紳士」という漢字にしか変換出来ない尚基は、ふと目の前にいる狐を改めて眺めた。 愛らしいと言える顔立ちも、体型を完全に隠している狩衣も。シロの性別を不鮮明にしていた。 まだ幼い姿が性差を示していないので尚更だ。 「おまえは」 「うん?」 何かを自慢げに話していたシロが、ふっと息継ぎのためか言葉を止めた瞬間を狙って口を挟んでしまった。 「女?男?どっちなんだ?」 面と向かって他人にこんな疑問をぶつけたことは未だかつて無かった。 おおよその人は見れば分かるからだ。 言われたシロは自らを見下ろした。 「男だよ?尚基がそうだから同じがいいかなって。でも今思うとむしろ女の方が嬉しかった?女になることも出来るよ?」 男は同性より異性が側にいた方が喜ぶ。という認識らしい。 だが尚基はそんなシロの提案に即座に嫌そうな顔をした。 「いや、男でいい。こんな年頃の女の子が部屋にいるのを見られたら通報される」 「他の人間には見られないよ?」 「でもいい」 まだ大人になっていない、小さな女の子がこんな距離でずっと自分と一緒にいるなんて。背徳感たっぷりで胃が痛くなりそうだ。 たとえ狐憑きであったとしても、どれだけ可愛いとしても、子どもであることに違いはないのだ。尚基の精神に良くない。 (俺にそんな趣味はない) 犯罪者予備軍のような、後ろめたい好みはないのだ。 真っ当に生きてきたのだから、この先も変な趣味に目覚めるとなく生きていきたい。すでにそれは無理なことだと言われようが、自分が諦めてはいけない。 「年齢も気になる?大きい方がいいのかな?」 「なれるのか?」 「うん。でも部屋が狭くなるよ?」 そう言ってシロはぐるりと周りを見渡した。 一人暮らし用の部屋は1Kであり、尚基が今いる部屋も六畳の畳。押し入れがあり、収納スペースがあるだけ有り難い。というかこれでも大学生の一人暮らしでは恵まれている方なのだ。 しかし二人暮らしに向いているかどうかと言われると、やや首を傾げたくなる。 「狭いかもな」 「うん。僕自身がもっと小さくてもいいんだけど。そうすると何も出来なくなるし」 「何も出来なくてもいいんだが……」 シロは尚基のために家のことをしようと心に決めているらしいのだが。こちらとしては何もせずに大人しくして貰った方が安全な気がする。 「するよ!頑張れるよ!」 「いや、だから」 「みそっかすって言われるけどやれば出来るってところを実践するんだから!」 実践してあの有様だっただろうが、と尚基の口元は歪む。 しかもかなり懸命にやっているから駄目出しをするのもやりづらくて。尚基は色んな方向からダメージをくらった。 「マジでいらんのですが」 決してこれは謙遜でも遠慮でもないのだと示したくてざっくりとした口調で言うのだが、シロは意気込んだままだ。 これはどう扱うべきなのか。 半眼になって苦悩するが良い案など出てくるはずもない。 「第一、そのシンシって現代のことちゃんと知ってるのか?」 この服装を見ればこの時代に添っていないことは一目瞭然だ。 先ほどもコンセントから電気を取るという基本的なことを理解してなかった素振りがある。 そんなシロが、ちゃんとこの世界に適応出来るのだろうか。 「ちゃんと知ってるよ!山の茶屋にもテレビがあったし!社務所にだって色々あったもん!」 (もんって……) 本当の子どもがだだをこねるような喋り方だ。ついさっきは時代劇のような口調にもなっていたのに。シロは忙しい。 そして自分が稲荷の山を登っていた時のことを思い出すのだが、所々にあったお茶屋にテレビがあったかどうかは知らない。 だが休憩所としてのお茶屋なのだから現代の機械もそれなりに揃っていただろう。 その山で暮らしていたのだから、多少は順応しているのか。 「あ……そう」 「そうだよ。それにここに来てから尚基を通してテレビも見たし。パソコンも見たよ」 ノートパソコンは実家から持って来たものだ。中身は様々なデータが入っており、いかがわしい物だって多々あるのだが。最近さっぱり眺めていなかったのが有り難い。 (つか俺はこれからずっと全部見られるのか!?) プライバシーが死滅した日常を送れというのか。それはあまりにも酷ではないか。 「ずっと一緒って…祟られてる……」 もうじき成人する男であり、やりたいことは山ほどあるのだが。人目があると決して出来ないこともその中に含まれているのだが。それの処理は今後どうしろというのか。 巨大な問題がいきなり目の前に立ち塞がった気分だった。 何かの罰を受けているのかと打ち拉がれる尚基の前でシロは「違うよ!」と声を上げる。 「むしろこれは祝福なんだよ?」 どこがだ、と自分でなくとも言うだろうと、尚基は心の底から思った。 朝食が終わって大学に行こうと用意をした。今日は二限からで良かった。 一限だったなら間違いなく遅刻していたところだろう。 教科書やらルーズリーフなどが入った鞄を肩からかけたところで、尚基はシロを振り返った。 「まさか付いてくるのか?」 玄関に行こうとする尚基の後ろにずっと付いてくるのだ。 不吉な予感がしてそう尋ねるとシロは意外そうな顔をした。 「付いていくも何もずっと一緒だって」 「本気か」 やっぱりなのか。と嫌そうな声で言うとシロがむっとしたように頬を膨らませた。 小動物のようだ。 「当たり前だよ。他の人からは見えないから問題ないよ」 「でも俺は見えてる」 「うん」 そして触れられるのだ。 頭の上に付いている獣耳の柔らかさは指先に残っている。 「すっげぇ気になる」 「うん」 意識してしまうことに、シロは上機嫌になった。 ちゃんと見て貰って気にして貰えることが嬉しいのかも知れない。 構われたがりの犬のようだ。狐であるはずなのに、小動物めいていたり犬のようだったり、何だというのか。 「話しかけそうになるし、目で追う。他の人間には見えないのに俺がそんなことしてたら変だろ。不審者だ」 何もない空間に声をかける人など完全に危険人物だ。自分なら決して目を合わせることなく遠ざかっていくだろう。 自分がまさかそんな人間になるわけにはいかなかった。 友達も失いたくない。 「困る?」 シロはそれがどれほど危ういことか分からないのか、かくんと首を傾げた。 「困る」 「隠れた方がいい?」 それ以前に離れた方がいいのだが、なら死ぬのかと言い換えされるのが少し怖い。まだ自分の現実とちゃんと向き合うだけの覚悟が出来ていない。 たとえ覚悟が出来たとしても死ぬのは嫌なのだが。 「出来れば。つかそんなにおまえはずっと俺といるのか?四六時中見てんの?」 「ううん。見てたり見てなかったりするよ。意識はたまに別のところにあったりするから」 その返事にほっとした。 自分の視線と同じところに別の誰かがずっといるなんて、ストーカーも真っ青な粘着だ。 「呼ばれたならすぐに戻るけど」 「いや、戻らなくていい」 つい素直なことを言ってしまい、シロの頬がまた膨れた。 歓迎されるとでも思っていたのだろうか。このプライバシーが叫ばれている昨今に。 「遅刻する。家から出たら姿は消せよ」 上から命令口調で告げる。偉そうに言うとさすがに怒るだろうかと思ったけれど、伏見で奉られている狐は「うん」と従順にそれを受け入れた。 そして煙のようにその姿が一瞬で消える。 「……これはきっと夢なんだ」 そうだこんなこと有り得ないのだから、きっと大学に着いたら居眠りでもしていたというオチで目覚めるのだろう。 そんな淡い期待が尚基の中で生まれる。 しかしその独り言を否定するかのように、ちりん、と軽やかな音が鳴った。 それはジーンズのポケットに無造作に入れている携帯電話から聞こえてきた。正しくはストラップの鈴だ。 狐面についている小さな鈴。伏見稲荷の土産物屋で購入してからずっと携帯電話に付いている。耳に慣れた音なのだが、尚基は全く動いていないというのに何故鈴が鳴ったのか。 違和感を覚えながらも、無意識のうちに身体を揺らしてしまったのかも知れないと思いドアノブに手を掛けた。 シロとのやりとりで朝からぐったり疲れた上に時間を取られたのだ。 ぼやぼやしていると講義に遅刻する。 玄関の鍵を閉めつつ、早く夢から目覚めないだろうかと未だ現実を見ていると思えない気持ちで心底願った。 次 |