きつねツキ 1 近畿に来たのは十八年ぶりくらいだった。 そうは言っても以前ここに来たという記憶はない。生まれてすぐに近畿圏から出たのだ。 父親の転勤に伴って。 だが大学進学と共に、一人だけ住居を近畿に置いた。 新しい環境、新しい日常。 刺激に溢れて、毎日が忙しないほどだった。 見知らぬものばかりなのだ。町並みはもちろん、大学生活も初めて。耳にする言葉のイントネーションも異なっており余所者であることを強く意識させられた。 それでも自ら望んだ道を歩き出すのは心が躍るようだった。 初めての一人暮らしで自由と共に寂しさを味わっていると夢を見るようになった。 それまであまり夢を見る体質ではなかったのに、ほぼ毎日のように見るのだ。 それも狐の夢だ。 幾つもの狐が出てくる。 おなじみの黄色の狐、金色、銀色、黒に赤に白。色とりどりの狐たちが夢に出てはこちらを覗き込んでくる。 長い鼻面、口を開けると鋭い牙がぎょろりと並んでいた。なのに威嚇しているという感じではないのだ。むしろ笑っているように思えた。 獣が笑うというのも奇妙なことだが、何故か狐たちには恐ろしさがない。 何をしているのか思うのだが、相手は狐。人語を話すはずもなく。かと言って鳴くわけでもない。 これは狐の鳴き声というものを知らないせいかも知れないが、狐はただ黙ってこちらを見てくるだけだった。 そしてまれに頭の中で自分の名前が回る。 呼ばれているような気がするけれど、誰の声でもない。それは音ですらないような気がするのだ。けれど確かに呼ばれている。 尚基と呼んでいる。 わけの分からない夢だ。 狐の夢など見なければならないようなことがあっただろうか。そう生活を振り返ってみても何もあるはずがない。 狐から連想されるのは、伏見稲荷くらいだった。 京都にある神社の中でも知名度の高い、鳥居がずらりと並んでいるらしい神社。 しかし個人的にその場所に思い入れはない。訪れたことがないだから無理もないだろう。 だが狐の夢を見るのならばと思って、電車を使い神社に行った。 大した意味があるわけではない。 そもそも夢のことだって、あまり気にしてないのだ。それを悪夢だと感じて気持ちが悪くなる、または夜中に起きるならともかく。尚基はぐっすりと眠り。狐の夢を見たところで「ああ、またか」と思う程度ですぐに忘れる。 なのでそれはただの気まぐれだった。 もしくは電車で一時間もかからない場所に神社があったので、暇潰しのようなものだった。 最寄り駅は稲荷駅。その名前の通りだ。 小さなその駅は下りるとすぐ左手に鳥居がそびえ立っているのが見える。 これほど大きな鳥居は見たことがない、とその前に立った大半の人間が感じるだろう。 頭を上げて空を仰ぐようにして見なければならないのだ。 (……すげぇな) 圧巻、というのはこのことなのだろう。 平日だというのに人が割とおり、外国人が目に付いた。 まずは入り口で手を洗い社へと向かう。 その間にも様々な人たちが歩いて行く。夫婦。親子連れ、若い恋人。学生らしき集団。 観光地である、この上知名度が高いだけあって季節を問わずに人が来るらしい。 そして尚基も本殿で賽銭を投げ入れてから奥へと向かう。 「おぉ……」 思わず「これが」と呟いた。 みっしりと、隙間なく並べられた鳥居。 人が通れるだけの高さしかない鳥居が延々並んでいるという光景は異様だ。 しかも昼間だというのに薄暗くて、現実から少し乖離しているかのような錯覚を覚えてしまう。言うならば、祭りのようだ。 赤い提灯に照らされた祭りの光景は、日常から解放されている感があるけれど。ここは祭りでもなければ夜でもないのに、日常から一歩外れている雰囲気があった。 鳥居が光を遮り、声を籠もらせ、人の話し声が少しばかり反響しているようだった。 緩やかに上昇する石畳。テレビなどで見たことのある景色を歩いていると思うと多少は感慨深い。 だがそんな感覚も進めば進むほど薄くなり、十数分歩いた時には完全に山の中だった。 わいわいとはしゃいでいた家族連れ、ぴったりと寄り添っていた恋人たちもいない。いるのは黙々と修行のごとく階段を踏む男くらい。 (登山って感じだもんな) 観光目的であるのならば千本鳥居を通り、その向こうにある奥の院までだろう。 そこで参拝ならば事足りる。 まだ先に進み、鳥居をくぐり続けていれば、あるのは奇妙な包容力と、自分の知らないどこかに向かっているのだという高揚感だ。 一人でこういう山道を歩くのが好きな尚基にとっては、まだ苦ではない。 けれどこういう単調な時間や、歩くことが好きではない人にとってはとうに嫌気が差すだろう。 (健康のため、っていう次元を超えてるな) 大体山登りというのは体力勝負の修行のようなものだ。 身体に負担がかかり、心身共に削られていく。 ふぅと足を止めて尚基は周りを見渡した。 確かにどこまでも続いているように見える階段、鳥居の洞窟を歩くのは楽ではない。だが引き返すのが早すぎるのではないか人々よ、と言いたくなる。 尚基以外には、前も後ろも誰もいなくなっていたのだ。 右も左も鳥居。千本鳥居としてまず一番始めに通った箇所よりかは間隔が空いて、山の姿が隙間から見られた。 落ち葉で埋め尽くされた山肌。頭上には百年単位で生きているだろう木々。 世界を覆っているかのような威圧感がある。 鳥の鳴き声が響き渡り、ぽつねんと一人山に置き去りにされているのではないかという寂しさを覚えるほど、静かだった。 入り口にはあれほど人がいたというのに。皆ここまでは来ないらしい。 階段を上り続けて身体が疲労を覚え始めたのか、乱れた自分の呼吸ばかり耳に入る。 いつまで、どこまで。 人間が作ったものだからいつかは終わると思いながらも、延々と続く鳥居を見るとそろそろ先に行くのを迷う。 (俺迷ってないか?) ここに来るまで休憩所のようなところに看板があり地図を見た。分かれ道がいつくかあり、そのどれに入ってもちゃんと伏見稲荷の領地であるようだった。現に鳥居も続いている。 (どこまで行くんだろう) そう思いながらも立ち止まれない。 所々の休憩所でもただ眺めるだけで終わり。御茶屋も横目に過ぎた。 小さなお塚や奉納鳥居が集まった場所も幾つか巡り、気分転換にもなったのだが。それらにある狐の多さ。その目の数に見守られているような気分になってはどうも落ち着かない。 はぁはぁと軽く上がる呼吸。もう少し行ったらどこかに座って休もうと思うのに、足は止まらない。 急いでいるわけでもないというのに、朱色に囲まれている現状に酔っているかのように前へと足を踏み出している。 鳥居、鳥居、鳥居。そして狐が胸を張って座っている社。 数える気は初めから無かったけれど、幾つ巡るのだろうかと思うほどの数だ。 山を登り一の峰に辿り付くと、ここが頂点であると分かる。立ち止まって周りを見渡すと確かに高い。けれど別の意味を考えると、ここからまた巡り回って下りなければならないのだ。 健脚であると自負しているのだが、やはり足は重くなっている。 溜息をつきながら山を下り始めると、木々が風もないのにざわりと揺れる。 鳥の鳴き声が四方から聞こえるのできっと鳥が飛び立った音だろう。 自然が多いと物音に敏感になるものらしい。 全ての社に付き合うことは出来ず、かと言って元来た道をそのまま帰るのも面白くない。 二つに分かれた道を見付けると真っ直ぐではなく右側の道へとそれた。こちら側へと行っていないはずだった。 無論鳥居が続いていることに変わりはない。 そこには鳥居が少なくなった分、社の集まりが増えていた。 数メートル歩けばまた社。途中でいつの間にか鳥居もぽつりぽつりとしかなくなり、社ばかりが目に付いた。 そこには眼力大社、腰脚大社、などののぼりが掲げられている。どうやら身体の部位に効果のある社であるらしい。 階段を休みなく昇って腰が痛くなったので、つい社に寄っては賽銭を入れて拝む。すると「うぅん……」とどこかで悩ましい声が聞こえた。 近くに誰かいただろうかと思うと、近くに民家らしいものがあった。そこから聞こえてきているのかも知れない。 山道もそれてしまって、もしかすると地上に続いている道なのだろうか。そういえば道も下り気味になっていた。 すでに太陽はかなり傾いており、尚基の影も長く伸びいている。もうじき空も橙に染まっては夜が訪れることを教えてくれるだろう。 夕暮れが深まる前に下山した方がいいだろう。 真っ暗な中、山を彷徨う勇気は無かった。たとえそれが道が舗装されており、数えきれぬほど人々が通ってきたであろう道であったとしても。 やや急いた思いで先へ行くと白狐大社というのぼりが目に入った。 狐大社、伏見稲荷には相応しいのぼりだ。 「狐、だしなぁ」 伏見稲荷に入ってから本殿しかまじまじと見ていない。しかも賽銭を入れて軽く頭を下げた程度だ。 せっかくだから、と思って白狐の社に立ち寄る。大社とあるけれどさして大きくもない社の賽銭箱に少し奮発して百円を入れる。 こういう場合は五円が良いのだろうかと思うのだが、あいにく財布に入っていなかったのだ。 からんからんと鈴を鳴らして拝むと「白か」「白じゃ」「なんじゃ」「白が良いのか」「残念な」と言っている声がした。 「は?」 近くで聞こえたような気がして閉じていた目を開けて周囲を見るけれど、当然人などいない。 民家から届いてきたのかと思うけど、それにしては位置が近かったような気がする。 しかもあの声。 夢の中で聞こえていた、人とも機械音とも、何とも言えない声ではなかっただろうか。 しかし夢ならともかく現実であんな音があるはずがない。 「……変だ」 なんなんだ、と一人呟きながら道を戻ろうとすると、行き先に狩衣が見えた。 ふわりと袖が踊るように揺れた。 真っ白はその衣に神主かと思ったけれど、小柄な背中はすぐに見えなくなった。 緩やかな曲がり角に入るところで掻き消えるように視界から外れたのだ。 「……子どもの神主か?見習いか?」 しかし後ろ姿にあった髪は長く一つにくくられていた。巫女、なのだろうか。 不可解だ。ここはあまりに不可解過ぎる。 早く帰ったほうが良いかも知れない。この異様な景色に飲まれている感がある。 しかし怠くなった身体はそう無理が利かず、来た時と大差ない速さで鳥居の道を下りた 。 神社の入り口まで戻ると、土産物屋が並んでいる。 釈然としないものを感じながらも一応伏見稲荷に来たのだということで、何か記念になるものでも買って帰るかと思った。 気まぐれで店を覗くと、値付けが最前列に陳列してあった。 可愛い狐のマスコットが付いたもの、鳥居と狐がセットになりデフォルメされているもの。それらが携帯電話に付けるには相応しいものだろう。けれど何故か目にとまったのは狐の面の値付けだった。 四センチほどの狐面が妙に気になった。 こんな可愛くもないものはストラップとして使えない。携帯電話に付けるなんて冗談ではない。 そう思いつつ、伏見稲荷という場所を考えるとこれが正しい気がした。 しかし、買うのか、と躊躇っていると「うん」というような声が聞こえる。 「は?」 誰だと思って顔を上げても誰も傍らにいない。店員は離れたところからこちらを見ている。 けれど目が合ってしまったために店員は笑顔で寄ってきた。 「中にも色々ありますので。ご覧下さい」 促されて、つい「これ下さい」と中に入る前に言ってしまった。 (いや、いらないだろう) そう喉元まで出ているのに。頭の中だけで留まってしまう。 どういうことだろうか。ここにいると何かに影響を受けているかのようだ。無意識に語りかけられてるような。 しかしそんなことがあるはずがない。 店員に付き添われて店内鑑賞は遠慮したいと思っただけなのに、値付けを欲する声になっていた。 店員はすでにレジに進んでおり、包装までしてくれている。 いりません、とも言えなくなった状態に出来ることは財布を取り出すことくらいだった。 四百二十円という値段に渋りたくなったけれと、くれと言ったのは他でもない自分である。 何故これなのか。 レジが済んで手元に寝付けがやって来てもまだそんなことを思いつつ。稲荷駅へと重い足で向かった。 その夜から、値付けの狐面を付けた狩衣姿の少年が夢に出てくるようになった。 次 |