胎内の囁き   4




 人通りの多いショッピングモールの中。
 子供用品を売っている店の向かい、スポーツ用品店の前で男三人で並ぶ。
 人を待っているような様子なのだが、ここに来る予定の相手ではない。
 一人は体格が良く、顔立ちが険しいのでなるべく近付きたくない雰囲気があった。
 もし不動が一人で立っていたら、その周囲だけ人を避けるのではないかと思われる。
 螢がすぐ隣に立っているので危険人物という目では見られていないようだが。
 反対側の隣には充が気怠そうに立っている。
 原色に近い色のシャツが目立っていた。
 不動とは逆のタイプでガラが悪そうだ。
 三人の関連性は、他の人では分からないだろう。
 見た目だけで判断出来るようなものではないからだ。
 時折人目を感じながらも、螢は周囲を捜していた。
 今回の依頼人が向かいの店に、今頃の時間訪れるらしいのだ。
 一度遠くからでもいいから確認しておきたい、という充の要求を依頼人は飲んだらしい。
 顔は写真で確認している。
 平凡そうな顔立ちだった。妻も同じく、さしたる特徴もない。
 茶色に染めた髪がよく波打っているなぁとしか思わなかったくらいだ。
「こういうところにいると色々見えて嫌なんだよなぁ」
 充がぼやく。
 おそらく通り過ぎる人々の中に、余計なものを背負っている人がいるのを見てしまうのだろう。
 螢も見ようとすれば見える。だがそんなものを見ても気が散るだけなので、出来るだけ意識しないようにしている。
 無視することが日常化しているので、今では呼吸するくらい簡単に出来る。
 不動もそうだと言っていた。ちらちらとよぎることはあっても視線で追わない程度らしい。
「見ないようにすれば?」
「なかなか難しいんだよ」
 充は溜息をついた。
 物憂げな表情は格好にあまり似合っていない。
 服だけは脳天気で、上機嫌突き抜けてますという雰囲気だ。
「そう?」
「なんか無意識の内に目がいくんだよ」
 充は手で両目を覆った。
 そうしていれば霊体は見えないだろうが、現実世界そのものも遮断される。
「無視しようと思っても視界に入るし」
「視界に入っても、存在しないもののように扱えばいいのに」
 螢にとってみれば造作もないことだが、充は手を離してむっとしたような顔でこちらを見た。
「そんな器用なこと出来ないって」
 器用なことを当たり前のようにやっている螢は肩をすくめた。
「人間って不器用」
 見た目も構造も同じだというのに、どうしてこうも異なるのか。
 きっと通り過ぎていく人々は、充と螢の違いなど分からないはずなのに。
「そーですよ。どうせ悪魔のことになると、性質もろくに分からなくなるような不器用さですよ」
 充は霊体のことならぱっと見ただけで大抵のことは察しが付くらしい。けれど悪魔となると、どれほどの力なのか、性質なのかも分からなくなる。
 全くの専門外らしい。
 螢にしてみれば悪魔も霊体の一つなので、大きく違いがあるとも見えないのだが。充だけでなく、人間にしてみればそれぞれ違いすぎるものらしい。
「人間止めたら器用になれるだろ」
 充には言い寄ってきている霊体がいる。
 それは人に取り憑くというより寄生するタイプのものだった。
 人と契約して、それは現実世界に自分の身体を得る。
 そして契約した人間は人から離れ、霊体の力を得る。
 双方の存在が近付くのだ。
 充が霊体と契約すれば、きっと今よりも器用で優秀な霊体専門者になれるだろう。
 だが充はそれを拒み続けている。
 普通の人間から逸脱してしまうのが恐ろしいらしい。
 初めから人間ではなかった螢には、その恐ろしさは分からない。
 自分を固定してくれる形がないので、そこから逸脱する感覚というものが元々ないのだ。
 なので同調出来なかった。
「ついでにロリコンにもなれる」
 黙っていた不動がぽつりと言った。
 それに充が凍り付く。
 言い寄ってきている霊体の見た目が幼い女の子なのだ。
 霊体に年齢も何も関係ない。外見の年齢の何十倍という時を得ていることを螢は感じていた。しかし現実世界に出てくると、その見た目通りの姿を取ることが多い。
 充は幼い女の子と一緒に生きていくことになるのだ。
 何よりその部分が辛いらしい。
 端から見ればただのロリコンだ。
 下手をすれば犯罪者にされかねない。
「…二人は俺を追い詰めて楽しい?」
 どんよりとした表情で充が恨めしそうに言う。だが螢はにっこりと微笑み、傍らの不動に至っては横目で冷静に眺めているようだ。
 すっごく楽しい。と二人が思っていることは、しっかり充に伝わったらしい。
 最低だ。と力無い呟きが聞こえてきた。
 凹む男で遊んでいると、何かが螢の感覚を引き寄せた。
 感じる方向を見ると、人ごみに不可思議なものが混じっている。
 人とは異なる気配。微かに漂ってくる甘さ。
 目を凝らすと、一組の夫婦の異変に気が付く。上下が繋がっているワンピースのような服、おそらくマタニティウェアというものだろう、それに身を包んだ妻の方に大きな何かが覆い被さっていた。
 無色のもやだ。その女の背景がまるで生き物がうねっているかのように揺れている。
(いるな)
 悪魔があそこにいる。
 人を押し潰すかのような形で覆っているものは、悪魔に肥大している。
 宿主から多くを奪い取っている証拠だろう。
 だが妻の様子は他の人間と変わりがない。無色のもやは、彼女自体を喰らい尽くそうとしているようではない。
(…ああ、中か)
 悪魔に憑かれた場合、螢の目には人間自体も揺れて見える。
 同化してしまっているからだ。
 それがあの女には見えないのだ。
「あれ霊体じゃないな。俺一抜けた」
 軽く歌うようにして充が腕を組んだ。
 自分に関係がないと分かって、完全に気が抜けたらしい。
「抜けたも何もないだろ」
 歩いてくる夫妻を睨み付けるように見ながら、螢は少しばかり声を落ち着かせた。
 空気の中に混じってくる甘さに、鼓動は高鳴る。だが精神は冷えていく一方だった。
 あれを神と、人は言うのか。
「なんか気配が妙だな」
 他人事になった充は、のんびりと感想を述べる。
 悪魔のことは分からないと言いながらも、気配が異なることに気が付くのは、充が良い感覚を持っているからだろう。
「あれは早く始末したほうがいい」
 気配と共に揺らぐ女の背後。
 命そのものを奪い取って、支配しようとしている大きさだ。
「今すぐにでも?」
「すぐにでも」
 螢の発言に、不動も黙ったまま異論を唱えなかった。
 視線が夫妻に注がれたまま、目つきだけが刃のように鋭い。
「ならさっさと連絡を取って早めに片付けられるように言っておくよ」
 そうしたほうがいい。
 螢は夫妻からようやく目をそらした。
 今ここであれを喰わないのなら、見ていても甘さに惹かれるだけだ。
「煙草が吸いたい」
 螢が目をそらしたのを見ていたのか、不動がようやく口を開いた。
 ここでは煙草を吸うことは出来ない。全面禁煙だ。
 喫煙者は日々肩身が狭くなる一方だ。
 無口な不動も、煙草に関してだけはたまに溜息のようにぼやくことがある。
「出ようか」
「俺は次の仕事行ってくる」
 充が片手を上げて、入ってきた方向とは逆へ足を向けた。
 実のところ霊体専門である充は、螢たちよりも忙しい。
「頑張ってこい」
 そう送り出すと、ほどほどにー、と気楽な返事が返ってきた。
 そして同時に背を向ける。
 二人きりで歩き出すと、螢は深く息を吐いた。
 真っ当な人間である充の横では見せなかった、憂鬱そうな表情が浮かんでくる。
「分からないな、人間は」
 人ごみの中で消えそうな声に、不動はちらりと螢を見た。
「それぞれだろう」
 低く、だがすんなりと耳に入ってくる声に螢は目を伏せる。
 人それぞれ思想も体質も異なってくる。それは当たり前のことだと頭では理解しているのだが。
「理解は出来ない」
「俺も理解など出来ない。する必要もない」
 他人など関係のないことだ。
 幾人もの人間を通り過ぎながら、不動は当然のことのように言った。



 それからすぐに予定がついた。
 依頼人は今すぐにでもと望んでいたのだから、願ってもない申し出だったのだろう。
 教えられた住所に向かうと、マンションに辿り着いた。
 出入り口でオートロックの解除のため、呼び出しをかけると女の声がした。
 依頼人と同じ名字を名乗ったので、妻なのだろう。
「笹渕と申します。ご主人はいらっしゃいますか」
 不動は声だけだと落ち着いた穏和な雰囲気に感じられる。
 見た目が伴うと脅されているような気持ちにもなるが。
『おります。どうぞ』
 その声と共に玄関が開かれる。
 声だけでは悪魔の甘さは伝わってこない。
 あれから日は経っていないが、どれだけ浸食していることだろう。
 二人はエレベータで上に上がり、玄関に向かった。
 廊下に甘さが微かに漂っている。
 熟れた果実の香りだ。
 部屋の番号を見なくても、どこが依頼人の部屋なのか螢には見当が付いた。
 近付くたびに濃くなる気配に、否応なく意識が吸い寄せられる。
「お待ちしておりました」
 インターホンを鳴らすと、男が玄関のドアを開く。
 三十手前の疲労を滲ませた依頼人は、不動を見て緊張の色を宿した。
 充が軽そうな雰囲気のため、正反対に近い不動がやってきたことに驚いたのだろう。
「お約束していました笹渕です。こちらは助手の螢」
 会釈しながら「お邪魔します」と礼儀を正す。
 助手と言いながらも、今回の仕事は螢が行うことになっている。
 そもそも二人の仕事に助手など必要ない。
 どちらかが動けば良いだけだ。
「今日は、よろしくお願いします」
 依頼人は二人を家に上げながら、そう言った。
 口だけのことではなく心底願っていることは、深刻そうな目からしても明らかだ。
 建前だけで依頼を持ってきた人を、螢は今まで見たことがない。
 多くの人がぎりぎりまで追い詰められて、螢たちを呼ぶのだ。
「お話は伺っています。さっそく本題に取りかかりたいのですが」
 自分たちの身を明らかにする話は不動がやるが、その他の説明などは螢がやるのがいつもの流れだ。
 不動はひたすら簡潔に、無駄なことを省きたがる。相手が理解するのに必要と思われる部分まで時々省いてしまうので、初めから螢が話したほうが混乱が少ない。
  「奥さんを、呼んで頂けますか?」
 恐怖を与えても仕方がないので、螢は微笑み、出来るだけ穏和な声でそう告げる。
 部屋に満たされた香りの強さに軽く酔ってしまいそうだった。
 依頼人は堅い表情で頷いた。
「多佳子」
 リビングからキッチンに向けて声をかける。
 カチャンと陶器がぶつかる音がして、ゆっくりと女がリビングに現れた。
 揺れる光景、むせ返るような芳香、女の容姿を見るより先に、螢はその気配に意識を奪われる。
 今すぐ喰らえ。そう囁かれているような気分だ。
 女は不審そうな目を向けてくるが、その不躾な眼差しにまで笑みが零れた。



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