胎内の囁き   3




 あさりとトマトソースを絡めているボンゴレロッソを三皿、リビングのテーブルに並べた。
 各自勝手にフォークと飲み物を準備している。
 充も我が家のように動いていた。
 むすっとしている螢はやや乱暴にパスタへフォークを突き立てた。
 ぐるぐると巻いていく。
 子どもじみた食べ方だが、不満がそれをさせていた。
「やっぱ美味い!」
「どーも」
 しっかり誉めてくる充におざなりな返事をする。
 味はいつもと同じだ。
 螢の横では不動が箸でパスタを食べている。
 家では、何を食べている場合も不動は箸を使うことが多い。
 フォークより使いやすい、というのか理由らしい。
「和食は晩に作って」
 充はパスタを食べながらそう提案している。
 だからいい加減機嫌を直せ、ということなのだろう。
「今食べたかった」
 口の中は和食でスタンバイしていたのに、パスタを放り込まれて身体も少々むっとしているようだ。
「そんなに?」
「うん」
 みそ汁が飲みたい。
 変わりに烏龍茶を飲んでいるが、色しか似ていない。
「そんな貴方に良いお話」
「いい話?」
「悪魔が喰える!」
 充は大々的に言ったが、螢は肩を落とした。
「ただの仕事じゃないか」
 悪魔は美味しい。このパスタよりずっと。
 けれどそんな大事のように言われるようなことではない。
 日常に埋没してしまうような、ただの仕事話だ。
「嫌そうだね」
「別に、嫌じゃない」
 悪魔が喰えると言われて、今は不快感を覚えることはない。
 美味い味を感じることが出来て、ついでに金も入る。
 きっといいことだ。
 何の感情もわいてこないが。
「てか、仕事の話があるなら早く家言えよ。毎回毎回無駄話ばっかりして」
 パスタを作らされたからではなく、螢は充と軽く睨み付ける。
「たまに仕事持って来たのに話すの忘れて、電話かけて来るし」
 充はとにかく、ここに来るとよく喋る。
 どうでもいいようなことから入り、様々な方向に話を飛ばすのだ。
 不動が無口に男であるため、螢は普段あまり喋らないから充と機嫌良く話しているのだが、時々充は重要な話を忘れて帰ることがある。
 来るたび仕事を持ってくるわけではないので、螢も用件はなかったんだなと思ってそのまま流してしまうのだが。
 後になって電話がかかってきて「実は仕事があって」と切り出されると、さすがに呆れてしまう。
 さっきまで二時間以上も話していたというのに、今更か。と言いたくなるのも無理はないだろう。
「用件忘れてどーする」
 今日も、下手すると仕事を忘れていたかも知れない。
 中身のないあさりの殻を皿の端に避けながら、螢は至極当然のことを言った。
「なんかここ来るとくつろいじゃって」
「仕事しろよ」
 充は霊体専門の仕事を請け負っている。だがその中でも特殊なものをこちらに流す仕事もしているのだ。
 しっかりしろ、と螢は見た目も軽い男を叱る。
 外見だけを見れば、螢の方がやや年下に見られるかも知れないが実年齢は比べようもない。
「じゃあ、飯食いながらお仕事の話をしましょうか」
 と言いながらも充の皿は残りが少ない。
 食べるスピードが速いのだ。
「今回の依頼人は三十前の男。結婚していて、妻と喧嘩した際にその妻に掴まれた手から火が出たらしい」
 人体発火には色々な理由があるらしい。
 だが螢が請け負っている仕事の部類で、発火するということは悪魔などの憑き物がよくやることだ。
 人間ならば何か物体に火を付けて燃やすのだが、悪魔の場合は違う。
 何のないところから、突然炎を出す。
 そして何も燃やすことがなく、炎だけが鮮やかに揺らめくのだ。
 自然に反している。
「離すとすぐに炎は消えたらしい。熱さもしっかりあった」
 それは驚くだろう。
 突然手が燃え、あまつさえ灼熱まで生まれるなんて。パニックを起こす。
「でも奥さんは平然としていたらしい。どうやら奥さんは熱くなかったようで。依頼人は初め幻覚かと思った」
 自分の体験したことを信じられない場合。人は自分の神経をまず疑う。
 幻を見た、疲れている。そんなことで自分を納得させようとするのだ。
 奇怪なことから目を背け、平穏に戻りたいと願う意識の現れだろう。
「でも、奥さんはその光景を覚えていた」
 しかし他にも自分と同じものを体験した人間がいれば、それは一気に現実味を帯びてくる。
 そこでようやく本当の衝撃に襲われるのだ。
 理性では制御出来ない恐怖。
「それで、その奥さんは何て言った?」
「貴方が悪い。だから炎が出て、貴方だけ熱い思いをした、だって」
 充はからんとフォークを皿に置いた。
 食べ終わったのだ。
 ふぅんと螢は気のない相づちを打つ。
「それだけじゃなかった。寝ている奥さんの身体が燃える、宙に浮き上がる。だが目覚めると何事もなくなかったかのように、元に戻るらしい」
 典型的な現象だ。
 悪魔に憑かれると、炎を生み出す、身体を浮かすということは昔から見られたことらしい。
 現に螢も何度も目にしてきている。
 特に眠っている人間の身体に何かしらの超常現象を起こすのが、彼らの趣味のようなものらしい。
 意識がなくなっている人の身体でちょっと遊んでいるのだろう。
「それで、本人は何て?」
「神様の仕業だって」
 充はつまらないことのように、少し声のトーンを落としていった。
 子どもっぽい素振りは充によく似合う。
 それに螢が小さく笑った。
 随分気儘な神様だ。
「なんでも、腹にいる子は神様の子どもらしいから」
「子ども?奥さんは妊婦なのか」
「そー」
 妊婦に不思議な現象が起こることはある。
 自分以外の命を宿しているということ自体が、常と違った状態なのだ。そのせいか普段では有り得ないような現象を起こすことや、見ることもある。
 同時に精神状態も不安定で妙なものも呼びやすい。
「子どもがってことは、声を聞いてたり?」
「ばっちり」
 腹の子どもが話しかけてくるというのは、それだけ聞けば微笑ましいことだが。こんな状況ならば不気味なだけだろう。
「その子は依頼人嘲笑したり、馬鹿にするらしい」
「すごい神様だな」
 幸いを分け与える言葉ではなく、罵倒するとは。
 実に独特の神様、と言えるだろう。
 冷静になれば別の呼び名が付けられることは間違いない。
「本人は神の子だから霊能力者に見せることなんてない。そんなのまっぴらごめんだって。元々霊能力とかそういう胡散臭いものは嫌ってたらしい」
 充は自分たちの仕事を胡散臭いと称した。
 それは螢も同意する。
 関係のない人々にとって、自分たちはあまりにも得体が知れない、胡散臭い連中だ。
 実体がないものを相手にしているのだから。
「霊能力は信じなくても、腹の神様は信じるのか」
 悪魔だと知りながら、螢はそう揶揄をした。
 霊能力者を胡散臭い人たちと思っているのなら、どうしてもっと胡散臭くて気味の悪い悪魔なんてものに手を出したのだろう。
 その辺りの心理が理解出来ない。
「毛嫌いされちゃって、俺は会えなかったんだよねぇ」
 大抵充は依頼人と、憑かれている人間の二人に会ってくる。
 実際に憑かれている人を見なければ、それがどんな性質のものか分からないからだ。
 人間の霊体であったり、充が自力で始末出来るものであれば螢のところまで回ってこない。
「でも依頼人から何も感じられなかったし。話の内容からすると螢ちゃん向きでしょう」
 憑いている者が霊体であるなら、その周囲にいる人間にも影響を及ぼしている。
 見える見えないに関わりなく、近くにいるだけで何かしらを背負ってしまうものだ。
 けれど悪魔の場合はそれがない。
 周囲にいても、影響などはないのだ。
 悪魔に囁かれ、心奪われなければの話だが。
「俺向きだね」
 螢は最後の一口を唇に運ぶ。
 不満を覚えながらも食べきった。
「それにしても、神の子ねぇ」
 烏龍茶でパスタを流し込む。
 水物がないとなかなか物が飲み込めないのだ。
「会ってみたら?神様だって言われているらしいから」
 充はからかうような口調で言った。
 それに嘲りが含まれていればきっと二度と螢は充と言葉を交わすことはないだろう。だが彼は見下しているわけではないと分かっているからこそ、聞き流せた。
 螢は神というものを捜していた。
 人々の中で生き続けている神。
 人を救い、助け、導くという神。
 そして祟り、しがらみを与え、恐れられている神。
 多くの神の話を聞いた。関連する土地にも行った。けれど螢は未だに神には会えていない。
 自分が神のように扱われていたことならあるのに。
「所詮悪魔だろ」
 吐き捨てるように言う。
 神がいると言われているところにはよく悪魔や、憑き物がいた。
 見えない、知らない人間にはそれが近しい存在に思えたのだろう。
 けれど螢にしてみればそれはあまりにも異なる存在だ。
「そんな奴、何度も見てきた」
 神様の声を聞いたという、取り憑かれた人々。己を神だと言う憑き物。
 どちらもうんざりするほど会ってきた。
「だろうな」
 充は嫌そうな螢に頷く。
 こんな仕事をしていると、きっと充も神様もどきに会っているだろう。
 内実を知ると、あまりにも馬鹿馬鹿しいということが、この世にはよくある。
「充の方が、見ておいたほうがいいんじゃないのか?」
「神様には興味ないよ」
「そうじゃなくて、会ったことないなら霊体かも知れないだろ?」
 霊体なら充の仕事のはずだ。
 内容からすると螢の仕事であることは半ば決まっていたが。
「そーだね。ついでに螢ちゃんも下調べとして見といたら?」
 言語を使用する悪魔、と考えて螢は頷いた。
 会ってすぐに喰うことも可能だ。
 どんな相手であれ支配すればいいだけの話だ。
 だが言語を使用する者たちは抵抗しようとする。足掻くのだ。
 螢に支配されたほうが楽であり、心地よいというのに。
 無駄についている知性が警報に従い、逃げようとする。
 あらかじめ相手を見ておくことは、どう絡め取ってやろうかと考える材料にはなるだろう。
「じゃあ決まったら連絡して」
「会ってくれるといいんだけど」
「別に面と向かって会う必要もないだろ」
 どんなものが憑いているかなんて、目を合わせなくとも分かることだ。
「ちらっと姿を見るだけで十分だ」
 それに下手に目を合わせて、警戒されるのも面倒だ。
 横に座っている不動は、とうに食べ終わっていた。だが食事量を考えると、一皿で満足するとは思えない。
 まして昨夜喰ったばかりだ。
「もう一皿いく?」
 尋ねると案の定「ああ」と返ってきた。
「相変わらず、一言も入ってこないな」
 つき合いの長い充はそう愉快そうに言う。
 仕事を請け負っているのは不動だ。螢ではない。
 けれど螢向きの仕事が入ってくると、不動は滅多に口を出さない。
 実際に始末するのは螢なので、螢が聞いて納得すれば良いらしい。
 仕事に行けば、不動も動くというのに。
「螢が全て聞いている」
「確かに。おまえ一人の時より俺は多く情報吐いてるな」
 螢は立ち上がりながら、自分がいなかった時の二人がどんな風だったのか想像してみる。
 きっと充が一方的に喋って終わったことだろう。
 会話と言えるかどうかもあやしいに違いない。
 案外、螢と不動が一緒にいることで一番利益を得ているのは充なのかも知れない。



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