3




 静かな店内で、コーヒーを二つ頼んだ。
 客は少なく二人の他には老夫婦と女性客二人しかいなかった。
 奥の席に座ると周囲はがらんと空いている。
 窓から明るい日差しが入って来ているが、奥までは届いてこない。
 それでも二人は窓際に座ろうとはしなかった。
 外の光景が視界に入ってくるからだ。
 普段生活している時は、なるべく霊体から意識を逸らしている。通りすがりの人に何がついているかなど、いちいち気にしてはいられないのだ。
 祟られてますね、呪われてますね。なんて誰だって知られたくもないだろう。
 不動はホット、螢はアイスコーヒーを注文し、何を話すわけでもなく時間を過ごしていた。
 依頼人と待ち合わせをしているが、予定の時間まで後十分はある。
 手持ちぶさたで、螢はメニューとにらめっこをしていた。
 午後三時という時間が小腹をすかせる。
「そういえば」
 螢はふと、まだ話し合っていないことがあると気が付いた。
「今回どうする?不動がやる?」
 二人の場合、どちらが仕事を請け負ってもかかる時間と手間は、ほとんど必要ない、という点で同じだ。
 元々霊体で存在していたものであるなら、螢は喰うことが出来るので請け負ってもいいのだが、本来螢は不動の助手という形になっている。
 憑依型の悪魔であれば螢が出るのだが。その他であるなら不動が始末していることが多い。
「話聞いてる限りは約束を守って欲しいってだけで、依頼人と切り離せばむやみやたらに人を祟るなんてことはなさそうだけど」
 悪意をばらまき人を落として殺す。そんな霊体ならぱ確実に消してしまったほうがいい。後々でまた厄介事をおこされると、どうしてあの時始末しなかった、と不当な評価を噂で聞く羽目になる。
 だが今回の依頼は、どうも依頼人に関して執着しているだけで他の人間には感心がない。依頼人から切り離してしまえば、その霊体は他の人を祟ることもないだろう。
 呼び出さなければ、の話だが。
「消すか、消さないか」
 螢はメニューから顔を上げて、向かいに座っている男を見た。
 いつもどこか冷たく怒っているような顔だ。けれど本人は何も思ってはいない。怒っていればその理由を話すからだ。
 黙っている時は大抵何の感情も抱いてない。
「どうする?」
 螢は霊体を喰う。それは一度口を付ければ全て食い終わるまでなかなか止められない。おそらく全部喰わずにいようと思っても、夢中になって貪ってしまうことだろう。
 けれど不動は違う。
 加減をして相手を破壊することが出来る。
 こちらも持っている力が大きいだけに、加減は難しいそうだが螢ほどではないようだ。
「俺がやる」
 螢と同じ意見を、不動が下した。
「それがいい。現物を見なければ何とも言えないが」
 あがめるという約束だ。それを守れ。と要求しているだけのものを木っ端微塵に抹殺するのも、なかなかに気が引けていた。妻を殺している、というのが依頼人にとっては許せないことらしいが、霊体にとって人の魂などさしたる重みもないのだ。きっと依頼人が思っているほど重大なことだと思っていない。
 その認識の違いが、人と霊体との悲劇を数多く生み出している。
 メニューに視線を戻すと、そこにあるものに螢の目は奪われる。
「不動。抹茶パフェってうまい?」
 仏頂面の男は多少眉を寄せた。
「食ったことはない」
 メニューに載っている写真には、逆三角のグラスの中にみっしりバニラアイスとコーンフレーク、そして抹茶アイスとてっぺんに小豆がこんもり積まれている。
 螢はその小豆に目がいった。
「小豆たっぷりだなぁ〜。小豆とアイスって美味いんだよなぁ」
 どうしよう。アイスか、こんなに一人で食べられるかな、冷たいもんばっか食べると頭痛くなるんだよな。ともそもそ考える。
「な、抹茶アイスのところ食べる?」
 一人で食べるには多い。なら不動にも分ければいいのだ。
 幸い不動は甘いものがあまり好きではないが、抹茶アイスは好きらしい。お茶自体好きなのだ。
 そのくせよく飲むのはコーヒーだが。
「ああ」
 案の定バニラアイスは食べなくとも、抹茶アイスには頷いてくる。
 飲み物としての抹茶も好きなだけある。
 テーブルを拭いている店員に向かって手を挙げると、すぐにこちらに気が付いてやってきた。
 まだ若い女の店員は多少微笑みを浮かべていた。笑顔で接客という接客業の基本を守っているようだ。
「すいません。抹茶パフェ一つ」
 そう螢が注文すると、その笑顔が一瞬止まった。
 あれ、と違和感を覚える前に「抹茶パフェお一つですね」と確認を取って店員は下がっていく。
「…男二人で抹茶パフェって珍しい?」
 日本に戻って来てまだ一年は少ししか経っていない。国外で過ごしていた長年のブランクがあるのだが、店員に凍り付かれた理由が分からない。
 そんなに物珍しいだろうか。
「俺は見たことがない」
「…俺もない」
 だからと言って今更「さっきの注文なしで」と言い直す方が気まずい。
 一時の恥ずかしさで美味い小豆とアイスが食べられるのなら、まあいい。そう螢は思い直す。
 不動に至っては人の目に奇異に映ろうが何だろうが気にするような男ではない。
「男はパフェ食わないの?」
「そういうことは充に聞け」
 一般的な意見が欲しいというのなら充に聞いた方が早い。
 見た目はちゃらちゃらしているが、常識などに関しては不動よりもずっと充のほうが理解している。
 周囲に気を使うか否かの違いが出てくるのだろう。
 不動は自分の興味のない人間には目もくれない。
「充にそういうこと聞くのもなんか妙な気がするな」
 意外と常識のある男を思い出していると、カランと鐘の音がした。
 店のドアが開かれたのだ。
 不動がそちらに目をやって、立ち上がった。
 依頼人が来たのだろう。
 螢はドアに背を向けているので顔が見えない。振り返った時、依頼人はすぐ近くまで来ていた。
 事前に写真で顔を見ている。間違いなく依頼人だ。
(かなりの数を背負ってるな)
 四十過ぎに見える男の肩、頭、腹の辺りにうっすらと黒い靄のようなものがある。凝視すればそれが何か分かるだろうが、螢はそこまで真剣に見ようとはしなかった。
 依頼人を悩ませているものが引き寄せた、良くない者の残滓であることは感じ取っていたからだ。
 あれだけ背負っていれば身体の調子はおかしいだろう。
 それでもぱっと見ただけで異形の何かが見えるほどの強い悪意でないところは、さすがだと思わせられた。
 依頼人には苦しんで貰わなければならない、だが間違っても死んでもらっては困るのだ。
 その加減を、憑いている者は知っているのだろう。
「代田さんですね。笹淵と申します」
 そう不動は落ち着いた声音で会釈をした。
「こちらは助手の螢です」
 紹介されて頭を下げた。
「お願い致します」
 代田は青い顔で同じように頭を下げてきた。
 藁にもすがりたいという様子がありありと伝わってくる。
 不動は螢の隣に席を移して、不動が座っていた場所に代田が腰を下ろす。
 スーツ姿で、手には上着を持っている。しっかりと整えられた髪、額に滲む汗をハンカチで拭いている。
 平凡そうな顔立ちだ。唇が薄く小さいことくらいしか、これといって特徴もない。
 店員がやってきて、注文するのもコーヒー。
 まるで形に当てはめられているかのような人間の姿に見えた。
「お話は伺っております」
 不動ではなく螢が口を開いた。ここから先は螢が話をしたほうが早く進められるのだ。
「娘さんにも、憑いているそうで」
 正確には、憑いているというより間借りしているだけなのだが、依頼人にそんな細かい説明をする必要は感じられなかった。
 取り憑くというのは感覚を共有して、宿主の気力を吸い上げたり、感情を乱すことで愉悦を得ることだ。だが依頼人の娘は、おそらく中に入られただけで感覚の共有も気力を奪われるということにもなっていないだろう。
 彼を苦しめているものは、人間を困惑させて喜ぶようなタイプではない。
「早く、あれをなんとかして下さい」
 深々と男が頭を下げる。疲弊している姿を見ると、一刻も早くあんなものから解放されたいのだろう。
「私たちはそのために依頼を受けております。貴方をあれから切り離すことに全力を尽くします」
 全力を尽さずとも出来るだろうが。
 螢は微笑を浮かべて柔らかな声でそう言った。
 淡々と会話をするより、こうして穏和な表情で優しく語りかけた方が話がより的確に進む。
 優しさを滲ませた螢の声や微笑は、どこか人に安心感を与えるものらしい。
 しかし螢にしてみれば「優しく見せよう」という意識の上でやっていることだ。
 意図的であるが故に、中身の薄さに自嘲したくなる。
 それは作ったものです。私の本心からの優しさではありません。そんな自責が込み上げてしまう。
 だがそれを吐き出してはいけない。
 相手は知りたくないだろうから。
「娘さんは、今御一緒に住んでいらっしゃいますか?」
 妻がなくなってあまり日が経っていないらしい。
 それならばまだ不安定な娘を一人で家に置いているのも忍びないだろう。
 そのため親戚に預ける場合も多い。
「はい。学校が終われば親戚の家に行ってますが。私が帰りに迎えに行って、一緒に暮らしています」
「そうですが。こちらとしては娘さんと代田さんと御一緒に、御自宅で祓いたいと思います」
 二人のところにやってきているのだから、自宅にも気配が残っていることだろう。
 本体を叩いてしまえば気配も自然と消えるものだが、一度被害に晒された人は気配にも敏感になっている。
 未だ自分たちを脅かしたものたちが残っている、と勘違いする原因にもなるのだ。
「やはり娘にも良くない影響が」
 代田の顔に悲愴なものが浮かんだ。
 妻だけでなく娘にまで酷いことが起こるのではないかという危惧があるのだろう。
 充に聞いたところによると、代田は娘を酷く気にしているらしい。無理もない。
 まだ幼い子どもに心を乱すのは、親としては自然だろう。
「御身内の方ですから」
 妻は代田にとって血の繋がっていない者だ。けれど娘というならおそらく血は繋がっている。
 代田がいなくなれば、次にあがめる役目を担うのは娘ということになる。
 無関係であるはずがなかった。また、向こうが無視するはずもない。
 それは代田も感じているのか、唇を噛んで眉を寄せている。
 苦悶の表情に、螢はコーヒーを一口飲む。すでにぬるくなっていた。
「それで、日取りはいつがよろしいでしょうか」
 二人の仕事は他には入っていないので、いつ来てくれと言われても問題はない。
 だが代田は会社員だ。時間の都合もあるだろう。
「出来るだけ早くお願いします」
 依頼人のお決まりの台詞だった。
 誰だって霊能力者なんて胡散臭いものに頼る段階まで来ると、相当切羽詰まっているものだ。一秒でも早く楽になりたいだろう。
「私どもはいつでも構いません。本日でも」
「では今日の夜に」
 代田は顔を上げて、すがるように螢を見た。
 状況は緊迫しているようだ。
「ではいつ頃がよろしいでしょうか」
「八時頃であれば…私も自宅に帰っておりますので」
 今から五時間ほど後だ。
 それでは一度家に帰って飯食ってから行くかぁ。と螢は頭の中でのんびりと考えた。隣にいる不動も大差ないだろう。
「それでは八時に、御自宅にお伺いします」
 螢がそう告げると、代田が深く息を吐いた。
 解放が近いことに小さく安堵しているのかも知れない。
 だがこの時点では何も安心出来ないことを彼らは理解していない。
 最も苦しいのは、憑いているものと対峙する時だ。
 祓う時が、依頼人にとっても苦しいことになる。
 何故なら、自分が祟られていた、呪われていた理由を聞かされるからだ。
 たとえ身に覚えがなくとも、逆恨みであったとしても、直接憎悪を投げ付けられるのは恐ろしいだろう。
(こんなものに関わったのが最大の悲劇だな)
 短い人生だというのに。
 他人事として、螢は淡々とした感想を抱いた。



next 



TOP