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「仕事は?」
 二つ目のあんパンに手を伸ばしながら、螢は充を促した。
 他愛ない話をしているのも好きなのだが、仕事があるというのにそれを置いてまですることではない。
「今回のは、祟り始めた神もどきってところかな」
 神もどき。そう充は言った。
 だが実際のところ、神もどきなど腐るほどいる。一人でもその霊体を神だと信仰すればそれは神もどきになる。
 本物になるには大勢の人間が信仰する。それ以外に根拠などない。
 真偽は神というもの自体に問題ではなく、それを信じる側の問題なのだ。
「祟るって言っても、神は祟るものだろう?」
 それを充が知らないはずはない。
 そもそも日本でよく知られている神の中でも、菅原などは元が怨霊だ。それを鎮めるために神としてあがめた。そのおまけのようなものとして、御利益があるということになっているらしいが。
 他にも神と呼ばれているものたちはあがめなければ、人の怠慢を責める。決して無条件に恩恵を与えてくれるわけではないのだ。
 人はいつの間にか「神は祟るものだ」という認識を忘れ始めているが。
 神は忘れてはくれないだろう。
「そうそう。んで頼みたい依頼は、両親が呼んだものが憑いてきて困るってやつなんだけど」
「呼んだと言うことは、憎悪なしの関係か」
「そう」
 あんパンを囓りながら、元々祟られてるわけじゃないのか、と考えた。
 一つの家柄で何かを信仰している場合。恨みを買った人間が死んだ後祟ってきた、それを鎮めるためにあがめているという事態がある。
 今ならば死んだ相手が祟っていると思えばそれを払ってくれと頼んでくるだろうが、昔の人間はむしろそれを取り入れる方法を選んでいた。
 人に払ってもらうとすれば、自分たちが行ったことを他人に教えなければならないからだ。
 秘めていたいことが多ければ多いほど、人は口を噤んで、祟りごと内包する。
 今回はそれとは事情が違うらしいが、一度呼んだものは奉らなければ祟り出す。
 あがめるのが当然だからだ。当然のことしなければ相手は怒る。
「両親が呼んだのなら、両親に返せば?」
 あがめる人間がしっかりしていないから、親類に及ぶ。それならば呼んだ者を叱咤すればいい。
「家事で二人とも逝ったらしい」
「それは、不思議だ」
 祟っているものに恨みがないというのに、世話をする役目の人間を殺すというのは妙な話だった。殺してしまえば世話が出来なくなるのだ。
 あがめて欲しいというのに、その人を殺してしまえば元も子もない。
「息子がいるからいいって思ったんじゃない?実際息子のところに来てるわけだし」
 それはどうだろう。
 充の言うことに、螢は心の中で異論を抱いた。
 呼んだ人間にあがめさせるほうが都合が良いはずだ。その人間と約束を交わしているのだから、他の人間と新しく約束をするより、今までずっと継続していた人間にあがめろと責める方が楽だろう。あがめないのならば、それこそ息子でも親戚でも、大切なものを殺すと脅せばいい。
 恐怖もまた信仰を強くさせる感情の一つだ。
 だが考えた異論は口には出さない。
 祟る者の思惑などここで話し合っても仕事には何の関係もない。
 二人は人や祟る者の気持ちを考慮することはないからだ。
 力ずくで無理矢理解決しているのに、そんなことを思案しても仕方がない。
「本人は何が憑いているかということは、知っているのか」
 何が自分を脅かしているのかすら分からない場合が、霊体には多い。そもそも祟られる理由すら全く想像も付かないことだったりするのだ。
「知ってるらしいけど」
「なら、あがめるように言えば?」
 両親がそれをあがめているのを知っているというのなら、息子もまたそれをあがめればどうなるかくらいは知っているだろう。
 丁重に扱い、あがめれば家が栄える。
 神のような扱いをされている者たちは、多くが非常に合理的だ。
 あがめれば冨をくれる。おろそかにすれば祟る。
「一切関わり合いになりたくないんだって。そんなもん信じたくもなかったらしい」
 両親が呼んだというのに、息子はそれを信じようともしなかった。
 だが信じない、では向こうも納得しない。
「信じてないけどやってきた。取り憑いたと」
 人間の都合など向こうは知ったことではないだろう。
 最期の一口をぱくりと放り込む。あんこの甘さはクリームのように刺激の強い甘さとは異なる。砂糖を使っているのは同じなのに、不思議だ。
 螢にしてみれば霊体などより小豆と砂糖のほうが未知に思えた。
「崇めてくれる人間がいなくなったわけだから、息子にのし掛かってくるのは自然だねぇ。借金みたいに」
「嫌な例えだなぁ。でもその息子にとってはそんなもんか」
 充の例えに苦笑したが、両親が残してとんでもないもの、という点では同じだろう。
 神もどきが一気に借金もどきに転落だ。
「それで、何とかしてくれってこっちに来たのか」
 たとえばこれが死んだ両親が憑いているなどの内容なら、ここに来るまえに充が仕事をしていただろう。けれど元々霊体として存在している者たちは、充などの霊体専門でも難しいらしい。
 人間としての立場でどうしても話をしてしまう。けれど向こうは肉体などないから、そんなレベルで話をされても相手にしない。むしろこちらを見下している様子さえあるそうだ。
 誰が自分より下の者に命令されて耳を貸すだろう。
 なので螢と不動の仕事になるのだ。
「あがめればいいって俺も言ったんだけど、もう奥さんを持っていかれたみたいで。そんなもん誰があがめるかってキレてる」
 日本人も随分挑戦的になった。
 そう内心呟く。螢は現代人である充と不動の前なので、声にはしない。
 身内を殺されたから、今度はこちらが祟った奴を始末してやる。というところだろう。
「勝手に呼び出して、いらなくなったから片付けろ。身内を持っていくなんて冗談じゃない、ふざけるなってところかぁ」
 残り少ないコーヒーをすする。砂糖が少し入っているのに今更気が付いた。あんパンと一緒に飲んでいる時は分からなかった。
「嫌な気分?」
 人間でも、霊体でもない。
 どこにも属すことが出来ない螢の呟きに、充が問い掛ける。
 特別な生き物は、これをどう捕らえているのか察しが付かないのだろう。
 人種が違うだけでも意見に大きく差異が出るのに、生物としてさえ異なるのなら一つの事柄に関して全く違う見方をするのが当たり前だ。
 見た目がどれだけ人と同じでも、本質が異なっていることを見落とさない充は、さすが霊体を専門にしている職業だと思わせられた。
「別に。よくあることだしね」
 哀れみも怒りもない。どちらにも感情移入は出来なかった。
 それが螢の基本姿勢だ。
「で、感触は」
 充は実際に依頼人と会っている。ここに仕事を持って来る前には必ず依頼人と会って様々なことを直接聞かなければならないからだ。
 その人がどんな状況に置かれ、どんなものに悩まされているのか。大抵は見れば分かる。
「難しいねぇ。親が呼んだとは言え、本人も存在を知っていたわけだから。憑くのは当然だし、どうやらあの人どうやってあがめるのかも知ってるらしいんだわ」
 存在だけでなく、あがめる様も知っているということは、親の約束がそのまま息子に受け渡されていることに近い。
 やれと言われれば出来るのだから。
 約束がもし成立しているとすれば、依頼人と憑いた者とは他者が入れない強固な繋がりになる。
「人間や畜生の霊が憑いているならともかく。元から霊体だったもんが憑いてるわけだから、ただの霊能力者なんかじゃ難しいよ。その上繋がってるとなるともうお手上げ」
 ははん、と充と軽く笑う。
 充は自分の手に負えないと思ったものはそのままこちらに持ってくる。自分で無茶をしようとはしない。
 この仕事では、充のような姿勢でいなければ生き延びられない。
 精神をそのまま食い尽くされれば、ミイラ取りがミイラになるようなものだ。
 死んだ後の者を相手にして自分が死ぬ必要などない。
「あいつら他人の言葉なんて聞きやしない」
 何度かそういう霊体に遭遇したことがあるのだろう。
 反応をしないものに語りかける行為の空しさというのは堪える。
「そういう者たちは、契約主と自分たちだけの世界で暮らしているから仕方がない」
 他に人間などいないのだ。
 語りかけたとしても雑音程度にも思わないだろう。
 だから螢と不動はそんな者たちのところに行って無理矢理こちらを認識させる。見て、確認させればこちらのものだ。
「それで、憑いているものを始末すれば楽にはなるけど、恩恵もなくなるってことは説明した?」
 その息子とやらは今も取り憑かれていることだろう。彼は両親がそれをあがめていた頃の状況を覚えているだろうか。
 妙に幸いがよく訪れる環境を。
「話してる。恩恵なんて一つも受けてないって言い張ってたさぁ〜」
 充も螢が言いたいことが分かるのだろう。肩をすくめた。
 人は幸いであっても日常化してしまえばそれが当然のことになってしまう。喜びも薄れてしまうのだ。
 その幸いの大きさというものは、失ってから初めて知る。
 ありふれた、聞き慣れたことだが、人はこんな方法でしか物事を計れないのだろう。
「後になって分かるんだろうなぁ」
 その時、こうして仕事を頼んだことを後悔するか。それでも構わなかったのだと思うだろうか。
「それで、いつがいいって?」
 空になったマグカップをテーブルに置く。白いカップと黒いテーブルのコントラストだ。
「出来るだけ早くしてくれ、だって。小学生になる娘が一人いるけど、その子の口から憑いているやつの言葉が出てきたとか」
 子どもは依られやすい。生まれてきて年月が経っていないため、まだ憑き物が入り込む余地が残されているからだろう。
「娘は何も知らない?」
 もし娘があがめる方法を知っているとすれば、依頼人は憑いている者によって殺される可能性もある。それほどあがめることを拒否し、排除しようとするのならば娘に取り憑いて育つのを待つだろう。
「何一つ。奥さんにも何も話してなかったらしい」
 ということは、妻は何も知らずに死んでいったことになる。
 依頼人が激怒するのも無理はないかも知れない。
「よほど関わり合いになりたくないんだなぁ」
 結婚して子どもをもうけている相手にさえも、自分の家が呼んだものを話さないとは。いずれ自分が引き継ぐかも知れないという考えは、なかったのだろうか。
「そんな非科学的なもの信じられるかーってタイプに見えたな。インテリぽいっていうか」
「充と正反対だ」
 頭がオレンジであるところからして、充はインテリとはほど遠い。
 本人もそれは承知しているようで「真逆ってくらい」と笑っている。
 そういうタイプの人間は、ずっと黙って螢の隣に座っている不動の方が近いだろう。
 こちらは非科学的なもの相手の仕事をしているが、自分が想っていることだけを信じている、他は受け入れない、という点は似ているだろう。
「そういう人って増えてんのかな」
 霊なんているものか、祟りなんてあるものか。
 そんな話は昔からあったものだが、科学の進行と共に増加しているという話を耳にすることがある。
「さあ?でもそういう人が増えても減っても、仕事の数は変わらない気がするねぇ」
 充は少しうんざり気味の顔をしている。
 人は恨みがあって死ねば祟る。それは祟る相手がどう思っていても、死んだ本人が霊なんて信じていなくても、結果的に祟ってしまうのだ。
 人がいれば祟ることは減らない。
 神のようなものを呼び寄せるとなれば、非科学的なものを信じないという考えが広まれば現象するかも知れない。呪いや悪魔なども同じだ。
 つまり螢と不動の仕事は減るかも知れない。
「充の方は変わらないか。大変だ」
「忙しくなったらそっちにも仕事回すよ。螢ちゃんは気が進まないみたいだけど」
 螢は人の魂に手を出さない。ずっと人間と生活を近くしてきたからだ。
 人といるのに、人を喰っているのはさすがに後ろめたいし、居心地が悪い。
 それならば人ではない魂、悪魔や憑き物なんてものを喰っている方が気兼ねがいらない。
 死んだ人間の魂であっても同じだ。怨霊だろうが、悪霊だろうが、元が人間であれば罪悪感のようなものを感じる。
 苦笑を浮かべていると、充は黙り込んでいる不動を見た。
「そっちの人は、全然気にならないみたいだけど」
 不動は魂を喰っているわけではない。崩壊させるだけだ。
 だから何であっても気にはしないだろう。
「何でも大差がない」
 淡々とした声が短く答えた。螢と充が長々話をしていても不動が喋るのは一言二言だ。
「便利だねぇ」
 仕事で言語と精神力を駆使している充は、とても羨ましそうに仏頂面を眺めていた。



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