偶像の鎖   9




 抱き締めていた不動が顔を上げる。
 そして螢を引き寄せては屈めさせ、口付けてきた。
 螢から口付ける場合、それは食事だ。
 飢えのため、不動から生気を貰う。適した箇所が唇だから、口付ける。
 けれど不動から螢に口付けなければならない理由なんて、ないはずだ。
 慰めなのだろうか。
 そう思って螢は抵抗しなかった。
 何度か触れたことのある唇だ。
 弾力のあるそれは螢の唇と重ねられると、軽く噛んでくる。
 挟むような動きは、戯れのようだった。
 そして不動の指が螢の服のボタンを外し始めた。
「不動…?」
 直接肌を撫でる指に、ぞくりとしたものが走る。
 快楽を求めようとしている手つきだ。
 けれどこれは螢がするべきことであって、不動がすることではない。
「待て、私がする」
 食事であるなら螢がするのが当然。それ以外であっても、螢がやるべきなのだろう。
 立場としては、助けて貰っている側だ。
 出来ることはこれくらいしかないのだから。
「いい。これは食事じゃない」
 生気を喰わせるためのものじゃない。
 そう告げて不動は立ち上がっては螢の背後にあったベッドへと螢を押し倒す。
 決して良いとは言えない作りのベッドだ。螢一人が転がっただけでもとてもきしむ。
「どういうこと…」
 食事をするような雰囲気ではなった。
 けれどこれではまるで。
 頭の中に浮かんでくる言葉を振り払うように不動の肩を押して、上から退くように促す。
 だが不動は動かない。
 それどころか螢の首筋へと唇を落とした。
 とくりとくりと脈を打つそこに唇が触れると、身体が強張る。急所というのは敏感な場所だ。相手に触れられると緊張をする。
 労るように指は胸に触れ、唇は鎖骨へと降りていく。
 睦み合っているかのようだ。
 だがそんなはずがない。と螢は必死になって否定した。
 慰めだけのものだ。一時の同情だ。
 そう思わなければ、だって螢は異常な生き物だ。
 ありのままの姿をさらして受け入れて貰えるだけで十分だろう。好きになって貰っているなんて、そんな勘違いをすれば。
 突き放された時に、この心は壊れてしまう。
 優しい手にも応じることが出来ず、螢は硬直した。
 拒めない。不動にはどう扱われても仕方がない状況だ。自分は厄介者なのだから。
 けれど受け入れてもいけない。
 怖い。
 迷いは眼差しに出ていたのだろう。不動はふと唇を止めて螢を見下ろした。
 小さな欲情が、淡々としていた双眸の奥に見えて眩暈がする。
 不動が纏っている香りだけでも螢は精神が高ぶっているのに、そんな有様を見せられて自制心が揺るがないはずがない。
「嫌か。気持ちが悪いか」
 不動の声は熱っぽさをまだ持っていない。けれどそれもじきに崩れるのだろうと思った。
 問われ首を振る。嫌ではない。むしろ、その逆に近い。
 すると不動は螢の額に口付けた。
 宥めるような仕草。
 見た目は強面に近いのにその優しさに息を呑んだ。
 駄目だ。その男は。
 螢の壁を切り崩してくる。
 傷付いてもいい。後で壊れてもいい。そんな風に思わせる。
 服はすぐに全て剥ぎ取られた。
 螢も不動の服を脱がすが、上半身しか脱がせられない。
 下に指を伸ばす前に、不動が螢の茎に触れてきたのだ。
 びくりと肩が震える。
 敏感なそれは人の指を感じただけでかぁと全身の熱を上げる。
 思わず腰が引けた。
「駄目か」
 不快かと訊かれ、螢は返事が出来なかった。
 反応を始めているそれは不動の掌に包まれているのに、不快などと言えるはずがない。言葉で否定しても、そこが悦を訴えているのだから。
 不動もそんなことは分かっているのだろう、ゆるりと上下に手を動かし、螢のものを育てる。
「イイか」
 今度はそう訊かれ螢は首筋まで真っ赤に染めた。
 卑猥にしか聞こえない台詞を不動が吐くなんて思わなかった。そういう言葉からは遠い男だと勝手に思いこんでいたのだ。
 無性に恥ずかしくなって視線を逸らす。
 微かに不動が笑う気配がした。
「良い様が見たい」
 鎖骨に歯を立てられ、微かな痛みと共に付けられる。
「どうして」
 そんなもの見たいのか。
 分からない。だが聞けばもっと居たたまれなくなり気がした。
「っ…ん」
 不動の手は茎を追いつめていく。身体のどこよりも強く鼓動を刻むそこは、不動の指に歓喜しているようだった。
 先端から雫を零しては、卑猥な音を発し始める。
 螢は自分で慰めることがない。
 それより悪魔を喰ってる方が快楽になるからだ。
 肉体の悦より精神的な悦の方が満たされる。
 だが今は、不動の指が気持ちがいい。不動から漂っている香りに惑わせれているのかも知れないが、生活と共にしてから慣れてきたと思ったのに。
 こんな時には強くその甘さを感じさせられる。
 羞恥が、不動によって溶かされていくのだ。
「ん…ぁ…」
 間近にいる不動に、いつのまに手を伸ばして肩にしがみついていた。
 不動のもう片方の手は胸の突起を潰すように弄っている。そんなところ感じるはずがないのに、ちりちりとしたものが走ってくる。
 不動の指が、そこを感じる場所に変えているかのようだ。
「っん…ぁぁ…」
 くちゅくちゅという音が聞こえる頃には、不動の指に腰を押し付けていた。もっと欲しい、早くイかせて欲しい。そうねだっていた。
 声が漏れているのも気が付かず、茎にばかり意識がいっていた。
「ふ…んん……っ」
 不動に噛みつくように口付けられると、途端に不動の手が茎を絞り上げるように動き始めた。きつ過ぎる刺激に視界の中で光が点滅する。
 明るくなるばかりのそれ。唇の中で声が溢れる。
 口の中には不動の生気が流し込まれ、むせぶような甘さ。下からは性の悦が込み上げてきて、螢は全身が犯されているかのような錯覚に陥った。
「っん!んん!」
 視界が真っ白に染められていく。
 痛いくらい上下に嬲られ、茎からはとろりとした白濁が溢れる。
 光が弾けたような感覚に、頭がくらくらとした。唇が離されると、必死になって呼吸をする。
 軽い酸欠になっているかも知れない。
「は…は…ぁ……」
 大きく胸を動かして肺に空気を入れる。くらくらとする感触は気持ちがいいばかりで、螢は四肢から力を抜く。
 内太股が汚され、流れていくのを感じるが拭おうとは思えなかった。
 動くのが怠い。
 体内にも甘さがあり、普通に食事をするより気持ちがいい。
 麻薬をやるとこういう感覚になるのだろうかと、ふと思った。
 だが余韻に浸る螢の足を掴み、不動は後ろへと指を這わせる。
 他人に触れられたことのない箇所を撫でられ、螢は驚いた。
「不動…!?」
   後ろへと伸ばされた手は濡れているようだった。おそらく螢が放ったものを纏っているのだろう。
 ゆるりと円を描くようにして周囲をほぐしている。
「待って…」
「待っている」
 すでにこの状況で自分は待っているのだと不動は言いたいようだった。
 見るとズボンの上からでも不動のものが硬くなっているのが分かる。
「そこは、勘弁して欲しい」
 情けない声で、思わず懇願した。
 だが不動は指先を中にへと入れてくる。途端に強い異物感を感じて、螢は泣きたくなる。
 まさか本当に犯されるようなことになるなんて、思っていなかった。
 男同士はそこを使うとは知っていたけれど。
「使ったことなんてない…だから入らない」
 不動はきっと螢がこういうことに慣れていると思っているのだろう。
 だから何の迷いもなく後ろを使おうとしているのだ。
 だが螢は覚えている限り、一度もそこに使ったことがない。
 入れるような場所だなんて思っていないからだ。
「ないのか」
 不動は案の定意外そうな響きのある声だった。
 どんな目で見られていたのかと思ってしまう。
 出会ってすぐに不動のものを口で奉仕して、出されたものを飲んだのだから、そう思われても無理はないのかも知れないが。
「ない…男とはしたことがあっても口だけ」
 それだけで十分だという男の相手ならしたことがある。
 ずっと昔のことで、鮮明な記憶は残っていない頃だ。
「中なんて知らない」
「そうか」
 返事からして納得したのかと思ったが、不動は指を止めない。人の話を聞いていたのかと思うような行為だ。
 指がどんどん中に入れられては、ゆっくり動かされる。
 気持ち悪さすら漂う感覚に、とてもここで快楽を得られるなんて思えない。
「だから」
 どうしてそうなるのだと非難の目で不動を睨んだ。
 だが不動は怯まない。
「抱きたい」
 直接的な表現だ。
 飾りも何もない言葉に、螢は二の句が紡げない。
「おまえが欲しい」
 口説く文句としか言えない台詞だ。
 堂々と何の羞恥も混ざらない声。真っ向から向けられる視線。
 甘いのは不動の気配ばかりで、態度には甘さなんてない。
 だが本気なのだということは、感じられた。
「…どうしても駄目か」
 答えられなくなった螢に、不動はようやく躊躇いを見せた。遅すぎる、と言いたいところだがそんな文句も口からは出なかった。
「……こわ、い…」
 伝えられたのは素直な思いだった。
「使ったことがない。今も気持ちがいいなんて思えない。だから…怖い」
 嫌だとは言えなかった。
 抱きたい、欲しいと不動に言われてあるのは困ったという気持ちともう一つはそれとは別の方向に向かう思い。
「痛まないようにする」
「慣れてるのか?」
「いや」
 不動には経験があるからそうして欲しがっているのかと思った。
 けれどあっさりと否定される。
 異物感に不安は大きくなる。
 後孔はいわば内蔵に繋がる場所だ。何かを入れられる場所じゃない。
 きっと苦しくなるだろうとは思った。
 だが螢が不動に与えられるものなんて何かあるだろうか。
 不動からは生気を貰い、住む場所を与えられ、その上日本に帰してくれる。一緒に生きようと言ってくれた人に、何が出来るだろうか。
 螢は全身の力を抜いた。
「分かった…構わない」
 距離を持とうとして肩を掴んでいたけれど、頷きながら少し引き寄せた。
 不動にあげられるものなんて何もないのだ。
 螢に出来ることなんて、今は何もない。
 これから先も、さしてあるとは思えない。
 唯一、自分自身くらいだ。
 それが欲しいと言うのなら、喜んで差し出そう。
「貴方に与えられるものは、これくらいしかない」
 そう告げると、不動は十分だと言った。



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