偶像の鎖 3 「私は、貴方の何倍もの時間を生きている。昔の記憶は忘れてしまってないけれど、気が付いたらこの姿で、この世に存在していた」 なので子どもの頃の記憶というものは存在しない。 「最も古い記憶は、戦をしていた時の日本だ。覚えている頃には、敗戦が色濃かったけれど。私はその頃大きな家柄のものと懇意にしていた」 どうしてその家柄と懇意にしていたのかまでは、鮮明に覚えてはいない。 ただその家柄は不思議なものをよく見る家系で、霊体と関わりがあったのだろう。 取り憑かれる者も出ていたように思える。 きっとそこから私との接点が出来たのだろう。 「私はそこで自分の飢えを満たしていた。よく、霊が寄ってくる血筋だったのだろう」 そうでなければ私のような存在を受け入れるとは思えない。 お互い利害が一致して、その頃は上手くいっていたような気がする。 「その家の者が日本が出ると言った。外の国には、多くの者に信じられ崇められている神がいる。その神を求めに行くと」 その言葉に、私の心は酷く揺れたのだ。 「私は、神という存在が知りたかった。この世を眺めているという神、知っているという神。私はその神に尋ねたかった。私はいつどうやって生まれたのか。何故存在しているのか。いつまでこのままなのか」 知りたいことは山のようにあった。 「私のような生き物は私独りなのか。教えて欲しかった」 神が答えてくれるかどうかなど考えはしなかった。 いつか、声が聞こえる者だと誰かが言っていたから。 無闇にそれを信じていた。 「そして、私はいつ死ぬのか。いや、死ぬことが出来るのか」 気が付いたら生きていた。 周囲の人間が数々死んでいっても、人間でない者たちが死んでいっても。私だけは生きていた。 当たり前のように、老いることもなく。私だけが時間から隔離されている。 「きっと、私は救われたかった。光を見たかった」 神はこの世を見ている。神は救いを持っている。 海の外にはそんな神がいるのだと知った時から、そればかり思っていた。 「永遠などないのだと、教えて欲しかった」 目の前の男には私の気持ちは分からないだろう。分かりはしないだろう。 それが自然なのだ。 永遠など、生きている者に感じられるはずがない。感じる必要のないものだ。 憧れ、求め、だが得られることなく朽ちていく。それが生きているということだ。 けれど私は常にそれを感じていた。永遠だけが私の傍らにいた。終わりがなく、いつまでも独りで、置いて逝かれる。 その絶望感は、生きている者には理解出来はしない。 「都合の良い期待だとは分かっていた。けれど、信じていたかった。霊がいるなら神もいるはずだと、思いこみたかった」 何かにすがりたかったのだ。 繰り返すばかりの日々に変化が欲しかった。よすがが必要だった。 孤独に狂ってしまう前に。 「だから私はその人と共に国を出た。そして異国をふらりと歩いて、ここに来た」 同行者は元々この地に来たかったらしい。なので目的地がここだったのだろう。 「世界で最も信仰者が多いと言われている神のことを知ることが出来る場所だと聞いていた。その神は人を作り出し、天上で眺めている。時折この地に軌跡を起こし、その痕跡が残っていると」 そう、聞いていたのだ。 「私はそれらの痕跡を求めながら、この地で霊体を喰っていた。それは、ここでは神の教えを説く者がすることだったらしい」 そもそも霊体と神への信仰はとても近い場所にある。 目に見えないものに対する恐れと敬いは裏表のようなものだ。 「そのせいか、いつしか私の元に神を信仰する者たちが集まるようになった」 神の御技だと言う者もいたが、私は否定し続けた。 霊体を喰うなんて技が神のものであるのならば、神は誰も救わずただ生きていることしか出来ない愚かな者になってしまう。 彼らが信仰している者は、そんな浅ましい存在ではない。 「神に関する情報を集めるには丁度良かった。神を知り、感じる術を求めていると、いつしか私は信仰者たちから特別な目で見られるようになった」 否定し続けていたことを、人々が聞かなくなったのだ。 謙遜だと、勝手に解釈されるようになった。 「神の僕であると、そう言われるようになった」 その時の私は胸が潰されるようだった。 神を求めていたのは私だ。 救いが欲しかったのは私だ。 それなのに、どうして私が神に近い存在であるかのように認識されるのか。 最も遠く、焦がれているというのに。何故そんな目で崇められるのか。 その度にこの心にある神への焦燥感を責められているかのようだった。 「何度も違うと言った。頑なに断った。けれど彼らは止まらなかった」 私が霊体を喰う様が、人々とは違うから。その違いだけで、人は私を神の使いだと思いこんだ。まして私は霊体を喰う際に、酷く柔らかく微笑む。それは食事が出来る喜びと、霊体を自分の手に墜とした優越感からだというのに。人はそれを慈悲だと勘違いした。 「そんな中に、あの子がいた」 脳裏に蘇っては心臓を突き刺す、あの子が。 「悪魔に取り憑かれた母親の元にいて、母親に辛く当たられていた」 元々精神のバランスが危うい女だったらしい。そこに悪魔が付け込んだ。 悪魔は彼女の身体を弄び、子どもを傷付け、悲しみに歓喜していた。 初めてあの子を見た時は、なんて綺麗なんだろうと思った。 身体に痣を作り、俯いた様は痩せていた。けれど顔立ちは綺麗で、金色の髪は日に透けるときらきらとしていた。 まるで人形のようだと思った。 笑うときっと可愛らしい子どもなのだろう。その分悲嘆に暮れている表情が痛々しかった。 「微かに霊体が見えるような、少し特殊な子どものようで不思議な雰囲気を持っていた。だから余計、母親が恐ろしかったのだろう」 気分によって暴力を振るう母親の中に、恐ろしい化け物がいるのだ。並大抵の恐怖ではないだろう。 「母親から悪魔を取ると、私にとても懐いた。それは、可愛かった」 とても愛らしかった。 人形のような子どもは表情をくるくる変えて生き生きとし始めると更に綺麗な存在になった。 笑顔で駆け寄ってくる様は、抱き締めずにはいられなかったほどだ。 「母親も私に対して信仰のようなものを見せたけれど。それは受け入れられなかった。私は神に近くはないから。それに、彼女は悪魔がいなくなっても、時折子どもに辛く当たることを止めなかった」 愛らしい子どもの母親なのだ。彼女も綺麗な顔立ちをしていた。 けれど子どもに手をあげている時の顔は鬼のようで、醜いとしか言いようがなかった。 「きっと霊体が見える自分の子どもが気に入らなかったのだろう。私はみかけるたびに彼女を止めたのだけれど、私が見ていないところできっと叩いたのだと思う」 子どもはいつも、どこか痛そうだった。 服の隙間から青や紫が見えていた。 「どう止めればいいか考えていた時、母親が自殺してしまってあの子は一人きりになった」 精神が不安定な人は、最後まで自分の中に安寧を得ることは出来なかったらしい。 「残されたあの子は私から離れなくなってしまった。頼る人も他にはおらず、私が引き取ることになった」 子どもなど育てたことがない。だから不安ではあったのだ。 母親に辛く当たられていた子どもなんて、可哀想で守りたいとは思うけれど、どう接して良いものか。きっと心身ともに傷付いている、それをどう治してあげればいいのか。 「子どもを育てることに自信などかけらもなったけれど。日本から一緒に来ていた人が病気になっていて、私一人がここに残されることを気にしていた。その人が子どもを引き取ることを勧めてきた」 ほぼ強引に、あの人が決めてしまったとも言えた。 「あの人には寂しがりだと、見抜かれていた」 苦笑が浮かんでくる。 あの人は気紛れで自分勝手なところがあるけれど、私のことをよく心配してくれた。 人間でもない私を恐れることなく、平等に接してくれて。感謝してもしたりない。 けれど、それでも。 あの人は私より先に逝ってしまった。 人間だから。 「彼に勧められるままあの子を引き取り、すくに彼は亡くなった」 まるで私を一人にせずにすむということが分かったから、思い残すこともなくなってふっと消えてしまったかのようだった。 「二人で暮らし始めると、あの子は私を神だと言い始めた。貴方こそが神様なのだと」 痛ましい言葉だった。 「きっと私があの子を救ったと思ったのだろう。だからそんなことを言い始めた。けれど現実はそんな理由からではなかった。私は自分の欲のために悪魔を喰っただけ。そして寂しさを紛らわせるために、あの子と暮らしていた。全て自分のためだった」 あの子のためだとは言えなかった。 けれどあの子にとっては私は救いになっていたのだろう。そこにどんな事情があったとしても、関係がない。 「違うと何度も言った。神などではないと。けれどあの子は認めなかった。どうしても、その点だけは聞かなかった。他のことはよく私の言うことを聞いていたのに」 躾の必要もないほど、よく頭の回る子どもだった。 率先して私のためになるようにと働いて、私の方が申し訳ない気持ちになるほどだった。 けれど、あの子はどうしても私を神だと言うのだ。止めてくれとお願いしても、止めなかった。 「それに、人のように食事をとっているだけでは私の飢えは満たされない。なので以前と同じように人に憑いた悪魔や霊体などを喰っていた。それは仕事にもなって、取り憑かれた人は救われる、私は飢えを満たすことが出来て金も手に入る。とても合理的なことだった、けれど」 そう、私と取り憑かれていた人との間ではとても都合の良いことだった。 今までもそうして金銭を手に入れていた。 飢えも満たされた。 それだけで良かった。 「結局それがあの子と私の誤解を深めた」 私は特別だと、人から崇められる者だと、あの子はずっと勘違いを続けた。 そして私もあの子に恐怖や侮蔑の目で見られるのが怖くて、自分がただ飢えを満たすためだけに悪魔や霊体を喰っているのだとは言えなかった。 可哀想だから払っている。その代わり金を貰っている。だからこれは仕事だ。決して慈愛だけの行為ではない。 そう繰り返すことだけで精一杯だった。 その弱さが最悪な結末を生み出すとも知らないで。 「あの子から向けられる尊敬も。人々から向けられる信仰めいた言葉も、正直苦しかった。否定しても聞いてくれない人々の目が、恐ろしくもあった」 逃げたい。 そう心のどこかでは思っていた。 だが幼い子を一人残してどこかに行くことは出来ない。 置いて逝かれる孤独は私がよく知っている。 せめてこの子が一人で生きていけるようになるまでは一緒にいて、支えたい。 だが苦しさは深まる一方だった。 「日々が息苦しく、辛いと感じ始めた頃。一人の男と出会った」 それが、歯車を狂わせるきっかけだった。 next |