飢える慈悲   4




 螢はパソコン画面を適当にクリックしながら充が来るのを待っていた。
 今日は珍しいことに、事前に電話がかかってきた。
 今家にいる?という確認の言葉に、重要な話をしに来るのだと分かった。
 先日請け負った仕事に何か問題でもあったのだろうか。だが悪魔はすんなり落とした。依頼人にも、憑かれていた人間にも何の支障もなかったはずだが。
 不動にも心当たりはないらしい。
「なんだ」と一瞬だけ怪訝そうな目をした。
 インターホンが鳴らされ、動いたのは不動だった。
 入ってきた充に手荷物はなく、いつもより落ち着いた雰囲気だった。
 服装は相変わらず原色なのだが、表情が真面目なものだったから、そう感じたのだろう。
 どんな話なのか。螢が見上げると、充はパソコンの画面を見て呆れた顔をした。
「螢ちゃん、また何見てんの」
「ツンデレテレビ」
 画面にはでかでかとツンデレテレビという文字が出ている。
 以前どんなサイトを見ているのかと充に言われたのだが、これはれっきとした検索サイトのページだ。
 発売している会社もあやしいところではない。
 ただ、商品の名前自体はとてもあやしい。
「テレビがツンデレって何!?つかツンデレって何だよって話じゃないか?」
 充は理解出来ませんという顔で画面を見ている。
 この情報が嘘でないことを確かめているようだ。
 悲しいことにデマではないことをすぐに知ることだろう。
「知らないっての」
 問いかけられたところで、螢が知るはずもない。
 曖昧に、こんな感じかと思っているがそれが正しいかどうかも分からない。
 そもそも正しいツンデレ、と言われたところでなんだそれはと言いたくなるだろう。
「ツンデレ携帯だったらやたら圏外になるとかさ」
 充はテレビでは理解出来ないらしいが、携帯に変換することは出来るらしい。
「それは携帯の意味あんのか?」
 よく圏外になる、しかもそれが突発的になっていたら電話もメールも受信出来ずに困るのではないだろうか。電波が入らない携帯に価値があるのかどうかは甚だ疑問だ。
「電話がきたら、電話よ!早く取りなさいよ!とか。取らずにそのまま切れたら、ちょっと切れちゃったじゃない、いいの?とかちょっと不安げに言うのだろ」
「充。意外とツンデレ好きなんだな」
 不動は充の背後でどうでもいいことのように告げた。
 それがぐさりと刺さったのか、充は気まずそうな顔をした。
「うわー、マニアック〜」
「螢ちゃんが言ったんだろ!?」
 からかい甲斐のある人物だ。
 誤解だと言わないところがまた面白い。
「で、ツンデレテレビってどんなんだよ」
 螢が見ていたパソコンの操作をしようと充は手を伸ばしてくる。
 だがそれより先に不動が充の頭を後ろから片手でがしっと鷲掴みにした。
「話はどうした」
「そうでした……」
 充は硬直して、手を止める。
 姿勢を正すとすぐに不動は手を離した。
 このまま放置しておくと後数時間は仕事の話にならなかっただろう。電話をしてきたくらいなので、仕事の話を忘れて帰るということはないだろうとは思うのだが、実際のところは不安だ。
 充は何やら溜息をついて、螢の向かいにあるソファにどかりと座った。
 疲れているのかも知れない。
「この前、螢ちゃんたちが会いに行った人いるじゃん。神父ってぽい人」
「ああ。信田さん」
 どうやら充は信田の名前を覚える気はないらしい。自分が仕事を回す相手ではないので、興味がないのだろう。
「あの人の周りでさ、悪魔が出始めたんだ」
「悪魔…?」
 信田は霊体の方を主にしていると言っていた。悪魔は得手ではないのだと。
 それなのにどうして悪魔に関連しているのか。関わっていたとしても、悪魔憑きが周囲に増える理由がない。
 悪魔は分裂して増殖していくようなものではないからだ。
「あの人のところに依頼を持っていくと、その依頼者や憑かれていた人たちが異常行動をとるようになったらしい」
 霊体に憑かれていて異常な行動をとるのなら分かるが、霊体専門の人間に依頼した後で酷くなるというのは腑に落ちない。
 それは仕事が失敗したからではないのだろうか。
「失敗じゃないのか?」
「成功してるよ。霊体はいなくなってるんだ。でも、代わりに悪魔が憑いてる」
 それでは霊体を取った意味がない。
 苦しめられて、精神を蝕まれていることに霊体も悪魔も代わりがないではないか。
 むしろ自然発火を得意とし、周辺の物を燃やしている、その上親しい人間までも惑わしていく悪魔のほうがたちが悪いかも知れない。
「いつから」
 螢は精神が尖っていくのを感じながら、尋ねる。自分の顔が険しくなっていくのが感じられた。
 どういうことだ。以前会った時の信田には何の違和感もなかった。ただの人間だったはずだ。
「二週間くらい前かな」
「何故だ」
 不動も螢と同じく、状況が飲み込めないのだろう。
 疑問を簡潔に口にする。
 だが充も困惑気味に首を振った。
「分からない」
 前代未聞なのかも知れない。
 霊体を排除して、悪魔を付けるなど正気の沙汰ではない。
 螢でさえ、そんな話は聞いたことがなかった。
「専門の人間が見たら、本人も悪魔憑きらしい」
 悪魔を人に取り憑かせている信田本人も、悪魔に蝕まれている。
(特殊な悪魔が出始めているか?)
 人間に憑くだけでなく、憑いた人間を媒体として悪魔を増やしていくタイプの出てきているのかも知れない。
 呼び寄せるだけでなく、取り憑かせるところまで可能な悪魔というのは滅多にいない。
 これは人間にとっては厄介だろう。
 悪魔憑きが格段に増えると予測される。
「前に会った時は憑いてなかった」
 もし悪魔憑きであったのなら、その場で喰っていたことだろう。そして充に報告したはずだ。
「うん。それは分かってる。だからその後憑かれたんだろ」
「悪魔祓いがか」
 不動はそう言ったが、充は苦笑した。
「よくあることだよ。悪魔祓いは悪魔を直視するから」
 充の台詞に、螢も頷いた。
「悪魔を見るということは、悪魔に見られているということだ。その機会が多ければ多いほど、誘惑を受けている」
 螢は事実を述べた。
 何であってもそうだろう。
 向かい合えば視線が交わる。自分が悪魔を立ち倒そうと思っているのと同等に、悪魔はこちらを墜とそうとしてくる。
 数をこなせばこなすほど、それは人間の心に染み込んでくることだろう。
 疲労を感じている時、傷付いている時、落ち込んでいる時、そんな時に悪魔の言葉がゆさぶりをかけてくる。
 自分のとの戦いでもあるのだ。
「だから悪魔祓いは厄介なんだよ」
 充が肩をすくめた。
 霊体専門より、悪魔専門が圧倒的に少ない理由はそこにあるのかも知れない。
 誰も自分の中に貪欲さを持っている。それを見透かされたくないのだ。
「螢ちゃんなら安心なんだけど」
 そう言われ、螢は小さく笑った。
 悪魔の誘いはとても甘い。
 蠱惑的で身をゆだねれば心地良いだろうなと思わせられる。
 けれど螢にとっては、その誘いよりも食欲をそそるあの香りの方がずっと魅力的なのだ。
 曖昧な心地良さより、明白なまでの快楽に手を伸ばすのは当然のことだろう。
 この身体に悦を与えてくれるのは悪魔の囁きではなく、悪魔という獲物だ。
「信田は、思い詰めるようなタイプではあったな」
 螢は足を組み、記憶を探った。
 一月前に会った時、語っていた内容が蘇ってくる。
 熱心に他人のことを考えていたのだが、入れ込み過ぎているなと感じた。
 きりきりと張り詰めた糸のような危うさを持って、信田は救いを探していた。
(結局救いは悪魔に求めたか)
 満たされないのです。そう嘆いていた人は悪魔に出会って、身をゆだねることで一時の満足を得たことだろう。
 けれどそれは発狂するまで延々と続く悲劇と苦悩へと変わる。
「真面目だったらしいね。良い人だったってみんな言ってるよ」
 まるで故人を語っているように、充はさして感想にもなってないことを言っている。
 悪魔憑きになった時点で、信田がこの職業に戻ることはきっとないだろう。
 霊体を祓うことを失敗した、となればまだ挽回のしようもあっただろうが、悪魔に自分を売り渡したとなると話は別だ。
 そんな人間を信用する依頼人はいないだろう。
 穏和な人。優しい人。そんな評判も霧散する。
(大体、そんな評判自体怪しいものだが)
 螢は信田を優しい人なんだろうとは思っていた。だが優しいというより危ういという感覚の方が強かったのだ。
 人は満たされない。どうして満たされないのか。
 そう言っていた人の顔が、一番。
「飢えていた」
「え?」
 本当に満たされたかったのは、信田だ。
 螢の呟きを充は聞き返す。
 だがそれに返事はしなかった。
「それで、今度は信田から悪魔を落とすのが仕事?」
 わざわざ電話をかけて二人の所在を確認してからやってきた理由は、これらしい。
 確かに悠然と構えていられる問題ではないだろう。
「そう。これ以上悪魔なんて増やされると困るんだよね」
 螢としては困ることは何もない。食物が増えるだけだ。
 けれど他の生き物にとってはそうではないだろう。
 あれは壊すことしか知らない。
「こっちの問題にもなってくる」
 そう言われ、螢は充の立ち位置を思い出す。
 依頼者と依頼をこなす者の中間に立っているだけではない。異常なものを始末するという公に出来ない仕事を管理している組織の一つなのだ。
 中継地点のような存在であるだけに、組織の中からも色々と言われているらしい。
 この件に関しても、組織は良い顔はしていないのだろう。
 早く始末をしてしまいたいはずだ。
 よりにもよって自分が受け持っている者が悪魔をばらまいているなんて、裏切り行為だ。
「上が黙ってなくてね」
「だろうな」
 もし螢が組織の内部にいたとしても同じことを言っただろう。
 早くどうにかしろ。この情報がもれると組織の信用に関わる。
 そう強く命じたはずだ。
「早めによろしく」
 組織としては一刻も早く、というところだろう。
 だが充は伝えるべき情報は全て出したことに気を緩めたのか、だらりと姿勢を崩して座り直した。
 充の仕事は終わったかも知れないが、螢と不動の仕事は今始まったばかりだ。
 互いの顔を見ると、そこには微かな緊張感が漂っていた。
 悪魔をばらまく神父。
 噂を聞いた後で現実のものになるとは、随分な皮肉だった。
 


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