戯弄 2 部屋に入ってきた充は螢の顔と、螢が食べていたものを交互に見た。 パソコンの前で肘置きがある椅子にだらりと座り、螢はあんこに練乳をかけた物を食べていた。 当然甘い。 なのでその甘さを相殺するために、濃い目の抹茶を飲んでいたのだ。 数時間前までみそ汁をすすっていた茶碗で。 それらを見て、充は溜息をついた。 オレンジの髪に原色に近い色のシャツを着ているくせに、充は常識や、奇抜ではない考え方を持っている。 その充の感性に、螢の食べ物は合わなかったらしい。 同居人である不動は何も言わなかった。というか不動は螢が何をしていても大抵無言だ。よほど危険ではない限り関知しないことにしているらしい。 「どんだけ甘党なんだよ」 そう言われるが、螢は甘党というわけではない。 ただあんこが好きなだけだ。 あんこに色々にバリエーションを付けて楽しみたいだけだ。 「練乳は苺でしょうが」 「宇治金時にもかける」 苺を押してくる充に、螢は堂々と言い返した。 夏場によく食べる宇治金時は、螢の好物の一つだ。 白玉が乗っていると、特に良い。 冬はぜんざい、夏は宇治金時。実に素晴らしい日本の和菓子。饅頭、おはぎ、ようかんは季節を問わずに食べている。 最近ではあんこを自作しようかというたくらみもあるのだが、冷蔵庫にみっしりとあんこを作り置きすると、さすがに不動が眉を寄せそうだ。 「そりゃかけるけどねぇ」 それは宇治金時じゃないだろ。という目で充はあんこに練乳をかけた螢スペシャルを見下ろした。 「抹茶は苦い」 甘いだけじゃないぞ。という気持ちで抹茶を持っていたスプーンでさすが、そのお椀が普段何に使われているのか知っている充は、さらに渋い顔をした。 「俺はそれでシジミのみそ汁を飲んだ記憶があるよ」 「今朝は大根だった」 さらりと答えると、充は「やっぱりな」と呟いた。この家に抹茶を飲むのに相応しい器があるかどうかをまず考えるべきだ。 そんな風流な物を、この部屋の住人が置くはずがない。 「てかどんだけあんこ好きなんだよ」 「心底好きだ」 「…だろうね」 胸を張って言う。間違いなく、あんこがなければ明日からの生活に頭を悩ます。 あんこは螢の慰めだ。実に地味で、食べている間だけしか味わえない慰めだが、ないよりずっと良い。 「螢ちゃんってパソコン使えたんだ」 充はあんこからパソコンに視線を移動させた。 ノートパソコンには検索画面が出ている。 「教えてもらった」 このパソコンは不動の物だ。 何年も日本から離れていた螢は、現在の日本に様々な違和感を覚えていた。 以前は金や茶色の髪をした日本人はいなかった。だが今は外に出ればそんな人々で溢れ返っている。服装や喋り方、行動も異なっている。 閉鎖的だった国は大きく変わったのだ。そうしみじみとしながらも、螢は隔絶されているような感覚を持っていた。 それを埋めるため世間のことを知るのに、最も早くまた楽な方法がインターネットだった。 欲しい情報がすぐ手に入る。 事の真偽は疑わしいものだが、そんな考えを持った人間がこの世にいるのだという知識の一つにはなっていた。 「携帯も持ったんだって?」 「うん」 これは充に勧められて、螢が自ら持ったものだ。 不動は携帯電話を持たない。何処にいても、連絡が取れる、また連絡が来るというのが好ましくないようだ。束縛されているようで気にくわないと言っていた。 この程度の束縛なら、螢にとっては苦しみを感じるほどではなかった。 頻繁に電話がかかってくるはずもない。螢と関わりのある人間など、日本では不動と充くらいのものだ。 不動は同居人。充も用事があれば家に来る。携帯電話は静かなものだ。 「自力でメールも打てる」 携帯電話は説明書を読んで理解しようと思ったが、電化製品の説明書というのは難しい。読んでも読んでも正確に把握出来ないのだ。 結局携帯電話を持っていない不動に尋ねたのだが、ちゃんと教えてくれた。 こんなものは、見た目から察して適当に操作すれば大抵間違えないらしい。 だが螢は見た目から察するという能力がないので、不動の言っていることに耳を傾けながら頷いているだけだった。 「じゃ今度メールしてよ」 そう言って充は名刺を鞄から取り出した。 心霊現象担当。という胡散臭い文字が入った、充の名刺には携帯の番号とメールアドレスが入っている。 この名刺はじき、螢の元にも送られてくる。 今まで自宅の電話しかなかったのだが、今度から携帯電話の情報も入れられるのだ。 「ひらがなばっかりだけど」 「読めるならいいよ」 変換機能も覚えたのだが、上手く出てこない漢字があるのだ。 一回二回で出ないものに関してはひらがなにしてしまっているので、子どものような文章になってしまっていた。 「螢ちゃん、年の割にナウイことしてるね」 からかうように充は言ったが、内容が分からず螢は首を傾げた。 「なうい?」 地名みたいな響きだ。 どういう意味なのだろう。ここ三年間の内に出会わなかった言葉だ。新しく生まれた日本語だろう。 「あ、通じないかこれは」 充は拍子抜けしたような顔を見せる。 「日本語?どんな意味?」 尋ねるが、充はそのまま後ろを振り返ってしまった。 「不動は知ってる?」 「セピア色をしていた時代に使われていた造語じゃないのか?」 不動はコーヒー片手にそう言った。ソファに座って足を組んでいる。 来客の相手をする気は更々ないという態度だ。 「ま、三十年くらい前の言葉かな。意味は若者らしいってとこだと思うけど」 ああ若者って言い方も古い。と充は軽く笑った。 「それがなんでナウイ?」 「んー…?不動」 「丸投げしてくるな。どうせNOWがなまったか何かだろう」 不動はめんどくさそうに返事をする。「知るか」という言葉も付属してきた。 「へぇ。俺が最近覚えたのは、ツンデレだな。日本語も随分多様化してる」 今流行ってんだろ?と充を見ると、非常に複雑そうな顔をしていた。 「ツンデレってさあ、螢ちゃんどんなサイト見てんの」 「え?普通のサイト」 「普通のサイトにツンデレなんか載ってるかぁ!?」 んなわけない。というように充が言い返してくる。 ツンデレとはいかがわしい言葉なんだろうか。 だが別に卑猥な単語に付着して使われていたような印象はない。萌え、という一種の衝動的好みせしき物の近くでよく目にしたが。 抹茶がなくなったので入れ直そうと椅子から立ち上がると、充が空いた席に座った。 そしてパソコンを操作している。 見られてまずいものは何もないので止めない。 「あー、ここは俺も見てる。有名どころだな」 お気に入り、を眺めながら充が呟いている。同じサイトをよく見ているのだろう。 「それで、今日は用事はないのか?」 缶に入っている抹茶をスプーンですくい上げ、そこにお湯を注ぐ。 茶筅で適当にたてる。茶道を嗜んでいる人間からすれば絶句するような行動だろうが、螢は茶道の美など追究していなかった。 あんこの添え物として適していればそれで良い。抹茶に望むのはあんことの相性だけだった。 「あ!そうそう、仕事!」 充はマウスを持っていた手を止めて、リビングを振り返った。 そこで螢は茶碗を持ちながら呆れ顔で、不動は無表情で充を見つめた。 何しに来たのかくらい覚えていろ。いい加減。と二人は無言で責める。 「ごめんごめん」 いつものことなので充の謝罪にはかけらの反省も込められていなかった。 「手の甲にでも今日は仕事の日って書いておけば?」 「駄目駄目、手の甲なんか見ないって」 子どもと接しているかのようなことを言われているのに、充は気にすることもなく手を振った。いっそ額にでも書いておけば良いのだ。そうすればそれを見た螢が問いかける。 「ま、それは置いといて」 充は箱を持って横に置き直すような仕草をした。 そしてパソコンの前から立ち上がりソファへと移動してくる。 「仕事なんだけどさ。今回は俺が完全にお手上げの物件なんだよ」 「お手上げ?」 霊体ではなく悪魔であるのなら、充に手は出せない。専門外のことはからきし駄目なのだ。 そもそも充の手に負えないからこそ、ここに仕事を持ってきているのだ。お手上げであることが前提になっているはずなのに、今更そんなことを言い出すのは何故なのか。 「可愛い女子大生なんだけどね。依頼者であるその友達、その子も可愛いんだけど」 「充のタイプは訊いてないから」 というより充は女の子相手なら八割以上の確立で可愛いと表現している。 「その子の周りで良くないことが起こるらしい。そして本人も時々妙なことを言い出すんだって」 ふぅんと相づちを打ちながら、螢は抹茶に口を付ける。あんこがないと苦みばかり強い。 「本人は何を言ったのか全く記憶がない。泣き出したりもするんだけど、すぐにけろっとして自分が何してたのかも分からないって言い出す始末だ」 それはそれは。と言いながら螢はその女子大生が深部にまで悪魔を入れていることだろうと推測した。自分の意志と関係なく、悪魔が表面に出ている。そして本人を意識の奥に閉じこめて、悪魔が表層で遊んでいるのだ。 妙なことを口走っているのも、泣き出しているのも、きっと女子大生の意識の方だろう。 悪魔が日常を支配しているとなると、周囲に良くないことが起こっていても自然なことだ。あれは人間を掻き乱して遊ぶことしか頭にない。 「で、奇妙なことって?」 「人が死ぬんだよ」 螢の元に持ち込まれる奇怪な話たちには、死がつきまとってくる。 空しいことに、死ぬと言われても螢は何の感慨もわいてこなかった。そんなものだろうという程度だ。 「友達が死んで、その友達の彼氏も死んで。この前は実のお兄さんが事故にあって重傷だって。立て続けにあったから悪霊でも取り憑いてんじゃないかって俺の所に話が来たんだけど」 充は苦笑した。 「霊なんか一つもついてない。本人も至って安定しているように見える。でもこれがすごいんだ」 「どうすごい?」 「違和感ばりばり。悲しそうな顔してるのに楽しそうな気配をしてるし。空気は針みたいに尖ってた」 悪魔であるのなら顔では泣いていても、心の中で笑っているなんてよくあることだ。 人に見せる感情と、実際に抱いている感情が真逆なんてことは日常的だ。人々が泣き崩れている中、悪魔だけは嬉々として立っていることだろう。けれど顔では悲しみに暮れている。 自分が責められることは嫌いなのだ。 「首に包丁突き付けられて、監視されてる感じでさ。苦しいのなんのって」 勘弁してくれよなー。と充とそんな苦労をしたとは思えない顔でさらりと話してる。 「正体なんか全然掴めないのに、ヤバイってことだけは感じるんだよな。でも隣に座っていた依頼者である友達なんか平気そーな顔してて。俺一人平静装うのに必死だよ」 「そりゃ大変だったな」 「悪いけど話は本人としてくれ。気分悪くて早々に引き上げてきた」 「珍しい」 充は一度仕事へと気分を切り替えると、しっかりと自分の役目を果たす。胡散臭い仕事をしているが、いい加減な姿勢で金を貰っているわけではないらしい。 その充が相手の雰囲気で仕事を切り上げるというのは、滅多にないことだ。 「螢ちゃんのお気に召すといいんですけどね」 悪魔は食べ物。強ければ美味しい。 螢はそう零したことがある。充はそれをよく覚えているようだ。 ここ何ヶ月もさしたる力もない悪魔ばかり相手していた、けれど今度は違うらしい。 人間にとっては良くないことだ。悲惨なことであるとも言える。けれど螢は哀れなことだと思うより先に味の異なるものが転がり込んで来たなという気持ちが沸いてきた。 人に気持ちを肩入れすることは止めたのだ。 傷付くは螢だけだから。 「苦い」 抹茶をちびりちびりと飲みながらそう呟くと、充が再び呆れた顔をしていた。 next |