泉の元にいるのが羨ましいなんて、そんなことを二人から言われて浮かんでくるのは苦笑と気恥ずかしさだった。 「告白大会?」 そうからかうと兄弟揃って絶句した。 驚く様子はそっくりだ。 「僕っていつからアイドルになったんだろ」 見た目アイドルなんてとてもではないが言えない。 顔立ち自体は平凡。着ている物は派手というか、奇抜だ。 愛されることを全く意識していない、自分の感性のみに生きている格好だ。 言葉に困っているらしい二人を笑っていると、ふと意識に何かが引っかかった。 手招きをされている。 名前を呼ばれている。 けれどそれは空気を通してはいない。 直接意識に語りかける。直接泉の中に響く。 妨げるものは一切許さない。拒むことなど考えさせもしない。 絶対的な誘い。 「今日のところは一端帰ったら?」 気が付くと、そんなことを口にしていた。 当然恭一は驚愕の眼差しでこちらを見てくる。 まさかそんなことを言われるなんて、思っていなかったのだろう。 「え…!?」 どうしてそんなことを言うのかと、責めてさえいるようだった。 「お兄さんに頼らずとも一人で出来るように、教えて貰いなよ」 泉は孝志に対してそう言った。 弟は願いが通ってほっとしたようだった。 「泉さん!」 しかし兄の方は不満が爆発しそうだった。 「誰でも初めて自分一人で全てを請け負うのは怖いよ」 憤る恭一に、泉は静けさを持って話した。 「その怖さは必要だと思う。それだけ重さを知っているということだから」 重さを知らない職人など、職人ではない。 自分の腕が、自分の目が、どれだけの価値を生み出すのか。どれだけの人の心を動かすのか。それを理解し、また自分の力量を確かめてこそ、職人として立つということではないだろうか。 そう泉は思っていた。 「でも、失敗を恐れて動けないっていうのは問題外だけどね」 安堵を見せた孝志に鋭い言葉を投げた。 ぐっと痛みを堪えるような顔を見せられたが、フォローはしない。 重さを知り、後込みをするような職人など誰も必要とはしないからだ。 「お兄さんに参ったって言わせるぐらい。腕を付けなよ」 頑張れという意味を込めて告げると孝志は頷いた。 けれど恭一は渋い顔だ。 泉と一緒にいられる時間は削られるし、弟にそんな優しさを見せられて全く気分は良くないらしい。 「ありがとうございます」 「いーえ」 腰から折れるほど深々と頭を下げられ、泉は大袈裟だなと笑みを浮かべた。 そんなに恐縮するようなことではないだろうに。 「いつもお兄さんを独占しちゃってごめんね」 こんなところまで兄を迎えに来なければならないほど、いつも泉は恭一を独占している。それは恭一が望んでいることだけれど、こんな風に困ったことは今までもきっとあっただろう。 「泉さんが謝ることじゃないでしょう」 「だって休みのたびにいないんじゃ、兄弟で遊んだり出来ないでしょう?」 「しませんよ。そんなの」 恭一に否定され、泉は「え」と声を上げた。 「しないの?なんで?」 兄弟というのは休みの日になったら一緒に遊んだりするものだと思った。休みでなくとも家にいる時は、時間があればじゃれ合っているものだと。 「なんでって…」 恭一は困惑顔だった。 どうしてそんな風に問いかけられるのか、分からないようだった。 そんなに難しい内容だっただろうか。 「せっかく兄弟がいるのに」 泉は兄弟がいない。 物心ついた時から、周囲には同い年の子どもなどいなかった。いたのは大人か、人形か。 学校などに通い始めて友達は出来たけれど、家が特殊な環境であったためなかなか一緒に遊ぶということが難しかった。 それに人形のことを理解してくれる相手が欲しいと思っていたせいもあるだろう。 普通の子どもには、あまり興味もなかった。 兄弟であるのなら人形のことも知っている、泉の事情も知っている。だからきっと大切にしただろう。 (構い過ぎて鬱陶しいとか思われそうだけど) だがそうやって文句を言われるような相手が、欲しかった。 「妹さんもいるんだよね?」 「いますよ」 「いいなぁ。兄弟」 弟だけでなく妹もいるなんて、いい環境だ。 泉は人形たちに子どものように可愛がられた。だから兄や姉のような存在はいっぱいいた。 けれど弟、妹なんて縁がなかった。 (あ、でも今は違うか) 蜜那や緋旺は泉の妹のような存在かも知れない。 ただ、頼ったりしてくれないけれど。 「俺、朝日奈さんの弟になります!」 いいなと言った泉の言葉を真に受けたわけでもないだろうに、孝志は高らかにそんなことを言った。 当然恭一が牙を剥く。 「ふざけんな!」 「こんな派手な服着てるお兄さんは嫌でしょう」 突然の発案だなと思いつつ、泉は穏便な言葉を告げる。 だが孝志は大きく首を振った。 「全然!俺は気にしません!」 「調子に乗るな!」 もう喋らせておけないと思ったのか、恭一は弟の元に行っては首に腕を回し、頭を固定する。プロレスでそんな技を見たような気がするが、泉には名前なんて分からない。 「お兄さんは恭一君一人で十分だと思うよ。素敵なお兄さんじゃないか」 格好良くて、世話焼きで、優しくて、泉にしてみれば理想的な兄だ。 兄の部分を別の単語に入れ替えても、もちろん変わらない。 「それに僕は、補修に関してはそんなに上手くない」 「それでも!」 孝志はなんとか泉に近付きたいらしい。 叫ぶように告げたけれど、更に脇を締めた恭一によってそれ以上喋れなくなった。 ぐぇと鈍い声を上げているが大丈夫だろうか。 「泉さんに教えを乞うなんて、百年早い」 兄は容赦なく弟の願いを却下した。 厳しい態度や言葉で接していたが、こうして見るとやはり二人は仲が良いように見える。 何の遠慮もなく接せられる人はというのは貴重だ。 泉は微笑ましい気持ちで眺めていたが、本気で苦しそうになっていく孝志にはらはらしては恭一を止めた。 恭一は散々文句を言いつつ帰っていった。 孝志を何度か叩き、罵り合っては怒声が飛び交っていたが、なんだかんだ言っても並んで歩いている後ろ姿はそっくりだった。 二人を送り出し、泉は小さな罪悪感にかられた。 恭一が家に帰るかどうか、その判断は本人に委ねるつもりだった。 帰りなよ、なんて言うつもりはなかった。 意識が何かに引っ張られるまでは。 それを感じた瞬間、恭一がこの家にいては支障が出ると思ったのだ。 一人にならなければと、そう考えてしまった。 だから恭一を帰らせた。 自分の思惑のためだったのだ。 今度家に来た時はちゃんともてなそう。甘やかしてあげなければ。 泉は地下へと降りる。 作業場を通り過ぎ、地下一階の最も奥の部屋へと足を踏みれた。 こぢんまりとした部屋は、開けると見事な和室だった。 しっかりとした作りの鏡台には淡い紫の薄布がかけられてある。桐の箪笥には細かな模様が刻まれていた。 その部屋の中心に敷かれている布団には、一人の女性が座っていた。 長く艶やかな黒髪。まるで絹のように、真っ直ぐ伸びては布団の上にも広がっている。 瞳もまた黒く、光を吸い込むかのような深さがあった。 薄く形の良い唇には笑みが刻まれており、ほのかに浮かんでいる優しげな表情は春の昼下がりのような心地良さを見る者に与えていた。 羽織っている着物は月のようなまろい色で花籠が描かれている。 だが纏っている者が最も美しい花であることは間違いがなかった。 その傍らには緋旺が座っている。 二人の視線を感じて背筋が自然と伸びた。 「おはよう。姫」 「おはようございます」 姫の声は相変わらず透き通るような響きだ。それなのに人の心の中で反響しては強く残る。 気が遠くなるほどの時間をかけて人形と人との間をたゆたう存在が得た、存在感だ。 その存在感は、人形師を呼ぶ。 大抵はなんとなく意識が地下に引き寄せられ、ふらりと姫の部屋を訪れる。 起きているか、起きていないか分からない。でも顔を見ておこうかという気分になるのだ。 けれど今日はとても強く呼ばれた。 きっと姫が泉に会いたいと強く思ったのだろう。 数ヶ月に一度しか起きてこない人は、ここのところ目覚めると泉を呼び出す。 紅のことが気になるらしいのだ。 無理もないだろう。 ずっと一緒に時を過ごしてきた相手だ。姫に継ぐ長さを誇っているなんて、紅を入れても片手しか存在しない。 「紅は、どうなっていますか?」 憂いを見せる人の傍らに、泉は腰を下ろす。 緋旺とは反対側なので、こうしていると二人の顔が眺められた。 「相変わらず。何も変わらない」 目覚めるたびに、泉はそんなことしか伝えられなかった。 そのことが酷くもどかしい。 進展があったと、報告したいものだ。 案の定姫の憂いは濃くなった。 「ただ、向こうが僕を見てるらしい」 「見ている?」 姫は小首を傾げた。 見た目は二十を過ぎているかどうかというところなのだが、そんな仕草を見せると危ういほど幼く感じさせる。 「眼球にとても小さなカメラがついてるんだって」 カメラというものを姫が知っているかどうかは分からなかった。 この人形はずっと眠っている。けれど起きた際には様々な情報を人形たちから得ているようだった。 言葉ではなく、眼差しを合わせるだけで情報を瞬時に受け取ることが出来るらしい。 冗談のような技だ。 だが姫が作られ、ここに存在している理由を知っている泉にとってはそれもまた有り得るのだろうと思っていた。 今回目覚めてからどれだけの時間が流れているかは分からない。 きっと泉が呼ばれていることを感知する、少し前に目覚めたのだろう。 緋旺がここにいるのならば、緋旺から情報を得ていると思うのが自然かも知れない。 だが姫は、朝日奈と繋がっている人形からは情報を得ようとしない。 蜜那からも、緋旺からも、きっと情報を貰っていないようだった。 それは、繋がっているからだと言う。 人形の心は見られる。けれど人の心は見られない。見たくはない。 そう、姫は言っていた。 「カメラですね」 どうやらカメラというのは知っていたらしい。 「うん。眼球にすごく小さなカメラが付いていて」 僕を見ている。 改めてそう告げる。 緋旺にも言ったことだが、何度口にしても、気持ち悪さは軽減されない。 むしろ、酷くなっていくようだった。 姫は不快感を見せることはなかった。 ただ目を伏せる。 長いまつげで陰る瞳の奥には、微かな色が滲んだようだった。 深淵に感情が滲むことは希だ。 以前それを見たのは、紅が奪われた時だった。 泉にはそれがどんな形の気持ちであるのかは分からない。 ただ温情の類とは相反するものであることは、感じていた。 次 |