見られている。
 カメラが仕掛けられていることが、泉に強迫観念を受け付けようとしているかのようだった。
「僕か、緋旺か。きっとどちらともを見てるんだろう」
 模造の瞳。あんな出来損ない。醜悪ですらあるあの人形が見てきている。
 その向こう側にいる者に会いたい。会って尋ねてみたい。
 こんな醜い物のどこに価値があるのか。
 どれほど近付こうとしても、紅の足元にも及ばないというのに。どうして作り続けているのか。
「貴方を見るために、何度も人形を作っているのでしょうか」
 姫は伏せた双眸を上げて、泉を見つめた。
「さあ。もしかすると、そうなのかも知れない」
 人形を作って出現させれば、泉と緋旺は出てくる。
 泉の姿だけを見たいのであれば、外出している時にいくらでも見られるだろう。
 けれど緋旺はそうではない。
 家の外に出すことのない人形だ。
 それを見たいと思えば、誘いをかけるしかない。
 けれどそれだけのために、あんな人形を作って破壊行為を繰り返しているとでもいうのだろうか。
「…もしそうだとすれば、異常だ」
 いや、もはやどんな理由があったとしても異常であることに違いはないだろう。
「そんなに、人形が見たいのかな」
「見たいのでしょう。知りたいのでしょう」
「でも他にも人形は出してる!」
 どうしてあんな方法を取るのか。
 何故蜜那なのか。どうして緋旺なのか。
 泉は普段から人形を作っている。
 美しい物を今までにも何体も作ってきた。
 それらを見ることは容易だろう。頼めば見せてくれる持ち主も多くいるはずだ。
 こんな異常な手を使わなくとも。
「それではないのです」
 憤る泉に、姫は静かな声で答えた。
 冷たい清水のようにそれは泉の中に入り込んでは怒りを静めようとしてくれる。
「貴方が作った、最高と呼べる物が見たいのでしょう」
 技術の全てを注ぎ、身体の一部を分け与え、心を繋ぎ、その人形は泉の傍らにいる。
 どの人形を作る場合でも手を抜くことなど有り得ない。
 己の出来る範囲の限界を、人形につぎ込んでいる。
 けれど、技術だけでは到底追いつけない、届かない領域というものが存在していた。
 その向こう側に、緋旺はいた。
 その緋旺を作り出せたというのは、会えたということは奇跡だ。
「蜜那がそうであったように、緋旺がそうであるように。貴方の傑作が見たいのでしょう」
 悲しいことに、その気持ちは泉にも理解が出来た。
 職人が頂上にたどり着いた作品というのは特別だ。
 出来が良い、見た目が綺麗だ。そんな小さな違いではない。
 存在が違う。
 纏っている空気からして異なるように感じさせるのだから、比べる方がおかしい。
「姫は……どうして僕を選んだの?」
 強い疲労を感じて、泉は肩を落としてそう尋ねた。
「久しぶりに、お尋ねになりましたね」
 姫はそう言うと、それまではとは違い柔らかな笑みを浮かべた。
 幼い頃はよく訊いていたものだ。
 どうして僕は他の子とは違うの?と。
 不思議なことに、泉は物心ついた時から朝日奈以外の人間と自分とはどこか違うのだろうと知っていた。
 もう身体の中には人形師としての意志が宿っていたのだろう。
 人と違うことを疎んだり、悲しんだりしたことはない。けれど、何故だろうとは思っていた。
 どうして、自分なのか。
「ちょっと気になるから。やっぱり」
 血筋だったのなら、朝日奈の子どもだったのなら何も思わなかっただろう。
 人形師の血がそうさせるのだと考えていたはずだ。
 けれど泉に、朝日奈の血は一滴も入ってない。
「この近くで、みなしご、もしくは数年以内にみなしごになる可能性がとても高い男の子だったなら、誰でも良かったんじゃないか、とか」
 朝日奈の血筋に子どもが出来ない。もしくは出来る可能性が低い場合、姫が次の朝日奈を迎えに行く。
 それが朝日奈が今日まで続いてきた理由だった。
 なのでこの血筋は途中で何度も血が途絶えているらしい。
 才能なら、姫が与えるようだった。
 実際どうやって与えるのかは誰も知らない。
 姫自身もはっきりとは分からないらしい。
 ただこの子だと感じた者を家に連れて帰り、教育している間に才能を開花させるのだ。例外は一人もいない。
 けれど選ばれている子どもには基準があるようだった。
 一つは性別が男であること。
 人形師は代々男がなっている。
 一番初め、朝日奈が人形師を始めた代が男だったから。そんなことを姫は言っていた。
 もう一つは親兄弟、親戚がいないこと。いなくなること。
 朝日奈に入れるためには、血縁者は邪魔になるのだ。
 親は先代の朝日奈、もしくは人形たち。兄弟も親戚も人形たち。それが朝日奈だ。
 他の人間には人形師の感覚というものは理解出来ない。人形を人間と同じように捕らえるなど、本来は到底無理なことだ。頭で理解しても身体でついていけないだろう。
 それなのに親だからと子どもに干渉させると、朝日奈の教育の妨げになりかねない。
 感覚が敏感で、外界に関して吸収力の高い子ども時代に、困惑させるような環境は望ましくないようだった。
 泉は、どちらの条件にも当てはまっていた。
 気が付けば母親はおらず、父親など初めからいなかったらしい。
 姫は母子で行き場に困っていた泉を拾い、育てた。
 母親は病死したと訊いている。
 父のことは訊いたこともない。
 自分が生まれているということは、誰か父親がいるのだろうがそんなものを知ったところで今の自分が変わるわけでもない。
 誰が父親で、誰が母親であっても関係がない。
 泉は朝日奈という生き物だから。
「何故貴方だったのか、それは誰にも分かりません。神様でなければ」
 子どもを窘めるかのような言い方で、姫は告げた。
 それに泉は苦笑する。
「巫女さんだっただけに、それは笑えないね」
 もしかすると、本当に神にしか分からないことなのかも知れない。
「……お嫌ですか?」
「ん?」
 姫は不安そうに泉を見た。
 か弱い少女が怯えているかのような表情にも見えて、泉はつい声が柔らかくなった。
 先ほどまで包容力を見せていた人と同じだとは思えない。
「理由がなければ、泉は嫌ですか?」
 自分が泉を選んだ。
 理由を欲する人に、分からないと返事をすることは心苦しいとでも思ったのかも知れない。
 けれどその心配は、泉にとっては無用のものだった。
「いや、僕はとっても幸運なんだなって思うだけ」
 姫に感謝をすることはあっても、恨むことなど一つもない。
「人形を作るのは楽しいし、みんな綺麗だし、周囲の人も良くしてくれるし。これでご飯も食べられる」
 まして今は人形に理解があり、泉を一番だと思ってくれる恭一もいる。
 満ち足りていた。
「本当に幸運だよね。幸せ」
 微笑んで告げた。
 けれど姫は、泉の言葉に頷きながらも表情を陰らせていた。
「そうですか」
 いつもはこうして自分が幸せであることを教えると、姫は笑んでくれた。
 幸せそうな笑みを見せてくれた。
 けれどどうして、今は違うのだろう。
「では……誰が幸せではないのですか?」
 囁くような姫の声に、泉は心臓がどくりと鳴ったのを感じた。
 嫌なことを言われた。
 とても、鋭くて冷たい刃を刺されたような気分だった。
 けれどなぜそんな気持ちを抱いたのか、分からなかった。
「え……」
 姫の言葉も意外で、自分自身の反応も理由が分からない。
 視界に入った緋旺も、そんな顔をしていた。
 怪訝そうな、強く困惑が滲んだ双眸だ。
 意志が強く、滅多なことでは動揺しない緋旺がそんな顔をするのは珍しい。
「そんな顔をしています」
 姫はもの悲しそうに泉の頬へと手を伸ばしてきた。
 そっと触れた指は冷たく、こうして触れられて姫が人間でないことを思い出す。
 見た目は、人間と変わりがないのだ。
(幸せではない……顔)
 どんな顔をしているのだろう。
 鏡台には布がかけられてあって分からない。
「仲良くしている、篠倉の子ですか?」
 姫にも恭一のことは話してある。
 とても良くして貰っていると。
 恋人になったことは話していないけれど、なんとなく察しているような雰囲気はあった。
 だから初めにその名前を出されたのだろう。
「恭一君にも……幸せって思って貰ってると…思う」
 人の心までは断言出来ない。
 けれど昨夜、ベッドの中で恭一は幸せだと言っていた。
 泉を抱き締めて、あったかいベッドの中で微笑んでいた。
 その体温を泉も愛おしいと思った。
 あの時間を幸せと言わずに、何と言うのだろう。
「それは良かった」
 姫はやんわりと唇に優しい笑みを浮かべる。
 だが泉の心は安らげなかった。
 誰が、幸せではないのか。
(……僕が、人形師で……朝日奈であることで)
 特別であることで、誰が幸せになれないのか。
 そのことがずしりと泉の中に重くのし掛かってくる。
 誰がなんて考えても出てこない。むしろそんな人がいるのかどうかも分からない。
 だが、酷くひっかかった。
 





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