生活基盤を置いている家とは庭で繋がっているので、恭一と共に庭から入ったのだが、どうしたものかという顔で小桃が迎えてくれた。
 篠倉の家族ということで、無下に追い返すことも出来ず、対応に迷っていたようだ。
「外でお待ちになっておられます」
 今日も着物をきっちりと着こなしている人形は二人にそう告げた。
 可愛らしい顔立ちは泉より年下に見えるのだが、実際は比べるのも馬鹿らしいほど年は上だ。
「追い返します」
 恭一はそう言っては玄関に向かっていった。
 話を聞く気があるのだろうかと疑問になるほど、厳しい態度だ。
 がらりと玄関を開けると、真ん前に一人の男が立っていた。
 恭一と似たような背格好の男を想像していたのだが、意外にも髪は脱色したような茶色で、着ているものもだらりとしたパーカーなどだった。
 恭一がいつも着ている服はだらしがないと思えるものは少なく、ゆったりとしているのは部屋着くらいだった。
 タイプが違う兄弟なんだろうな、とすぐに感じ取れる。
「兄貴!」
 恭一を見ると孝志はそう声を上げた。
 そうか、自宅では兄貴と呼ばれているのか、とちらりと思った。
「おまえどこに来ているのか、理解しているか」
 ようやく出てきたと感情を露わにする弟と違い、兄は冷淡な声で問うた。怒りがひんやりと漂っている。
「アポなしで朝日奈さんのご自宅に来るのが、どれだけ失礼なことか」
「分かってる!でも!」
 責められることも予想していたのだろう。孝志は恭一に続きを言わせなかった。
「でもも何もないだろ!」
 恭一が声を荒らげた。
 どうやら相当腹が立っているようだ。
 失礼をされたらしい泉は恭一の斜め後ろ、丁度孝志からは見えない位置で二人の会話に耳を傾ける。
 他人が介入するものでもないだろう。
「朝日奈さんにご迷惑をかけられるだけの価値がおまえにあるのか!?」
(か、価値って…)
 自分の価値を判断してからでなければ、朝日奈に接触してはいけないのだろうか。
 というか、人に迷惑をかけるのは相手が誰であっても良くないのだが。
「兄貴が携帯に出てたら俺だって押し掛けたりしない!」
 手厳しい兄に、孝志は理由をぶつける。
 これには恭一も反論が出来なかったらしい。溜息をついた。
「それで、押し掛けるだけの了見なんだろうな?」
「……人形の補修を頼まれて」
 それまで勢い良く恭一に立ち向かっていた孝志だが、急にしゅんと大人しくなった。
(弟は補修はしてなかったっけ?)
 篠倉であるなら誰しもが人形の補修を請け負っているとは思っていない。
 現に恭一の父は人形にはほとんど携わっていないのだ。
 けれど弟までそうであったかどうかは知らない。
「あのレベルならおまえにも出来るだろうが」
 何を言っているのかと呆れ気味に恭一が言う。どうやら孝志も補修の技術はあるらしい。
「でも相手は兄貴がいいって……」
 人形の補修をわざわざ篠倉に頼むような人は、その人形をとても大切に思っている人だ。ならばなるべく綺麗に直して欲しいと思うだろう。
 なら自然と腕の良い職人を望む。
「そんなこと言ってたか?」
 どうやらその依頼人の情報は恭一の耳にも入っていたらしい。怪訝そうな声を上げた。
「腕がいいのは兄貴だろ」
 ぼそりと聞こえてきた声は、悔しさが滲んでいた。
 自分の腕の知り、技術がまだ足りないことに歯ぎしりをしている者の声音だ。
 拗ねるような様子に感じ取れた。
「だがおまえもあれくらいは出来るだろう」
「出来る…でも」
 言いよどむ孝志に、恭一がまた溜息をついた。
「自信がないのか」
「人の物だから」
 弱々しい声に、恭一だけでなく泉も溜息をつきそうになった。
 補修を頼まれたのなら、他人の物であることは当然だろう。
 それを恐れていては、補修を請け負うこと自体出来ない。
「失敗は許されない。それに、あれは色味が難しい……」
 どんな色味をした、どんな材質の人形かは分からない。
 難しいというのならそうなのだろう。
 けれどそれに泣き言を言うのはどうだろう。
 確かに、失敗することを恐れるのは分かる。取り返しが付かないことになり、依頼主もきっと悲しむだろう。
 篠倉の信用問題にも関わってくるかも知れない。
(でもなぁ。職人がそんなことで後込みするなんて)
 それではいつまで経っても腕が上がらないだろうに。
 その考えは恭一にもあったのだろう。盛大に溜息をついては、こう言い放った。
「ヘタレ」
 あまりにもはっきりとした発音に、泉まで驚いてしまった。
「は!?」
 言われた方はもっと驚いたことだろう。
「失敗が許される仕事なんかない。ましてこの仕事は一つのミスが命取りだ。二度と元には戻らなくなる」
 恭一もかつてはそうして怯えたことがあっただろう。だからこそ、まだ立ちすくんでいる弟に苛立つのかも知れない。
「だがそれが怖いなら、この仕事辞めろ。向いてない」
 職人には腕だけでなく度胸も必要なのだなと思ってしまう。
 泉は度胸なんてものは持ち合わせていないけれど、その代わり自信だけは人一倍だ。
「そんなに、簡単に言うなよ!」
 弟は弾けるようにして声を荒らげる。
「兄貴は昔からさくさく出来たからそんなこと言えるんだろ!」
「そんなこと言ってる暇があるなら少しでも練習したらどうだ?まぁこんなところまで泣き言言いに来てる奴に向上心なんてないだろうがな」
 はんっと恭一が鼻で笑う。
 不穏な気配を感じて、泉はちらりと孝志が見える位置までずれた。
 そこには歯を食いしばって恭一を睨み付けている姿があった。
 憎しみに近い嫉妬。苛立ち。怒り。
 強いその眼差しに、泉は心臓が縮む気がした。
 さきほど過去を思い出したせいだろうか、あの目は怖い。
 何故おまえは全てを持っている。どうしておまえには出来る。どうして。
 そう問われても泉にはわからなかった。他人が自分と同じように人形を作れない理由など、分からなかったのだ。
 だから答えられなかった。
 それが更に大人を苛立たせた。
 両肩に置かれた手に力がこめられ、華奢な細い肩はきしんだ。痛いと言っても離してくれない。技術向上に取り憑かれた大人。
(その貪欲さは、恐ろしい)
 欲が人を育てる。けれど、過ぎた欲は、怖い。
 だが孝志は恭一の弟なのだと思うと、きっとねたましさに我を忘れることはないだろうなと思う。
 恭一はその感情を自分の情けなさに変えて、切磋琢磨するような人だから。
「その辺にしときなよ〜」
 兄弟間の諍いに口を出すのは良くないと思われたが、恭一の冷ややかな声はあまり聞きたくなかった。
 なのでつい姿を現して、口を挟んでしまう。
 孝志は唐突に出てきた泉にぽかんと唇を開ける。
「泉さん」
「朝日奈さん!?」
 恭一が勢いを殺ぎ、困ったようにその名前を言うと孝志が更に驚いた。
 その反応に、泉は苦笑する。
 きっと朝日奈がこんな格好をしているなんて想像していなかったのだろう。
 今日は耳には鎖がぶらさがっている。その先端にはごつい十字架だ。シャツはニューヨークの壁などに落書きされていそうな雑多な絵。細身の黒いジーンズの腰からも鎖がじゃらりとかけられている。
 家にいたので丸眼鏡はかけてこなかった。ぱっと見たくらいで左右の目の色が違うなんて分からないと思ったのだ。
「こんにちは」
 泉はにっこりと笑って挨拶をした。
 服装だけなら異様な印象だが、微笑むと顔立ちのおかげか無害に見えることを知っているのだ。
「こ、にち…は」
 孝志はぎこちなく返事をしたかと思うと、泉を見つめてはきらきらとした眼差しを見せる。
 その双眸に、懐かしさを覚える。
 恭一もかつてはこんな風に泉を見ていたものだ。
 顔立ちが似ているから、本当に微笑ましく感じる。
「人形の依頼は本当に恭一君じゃないと出来ないものだった?」
「あれくらいなら他にも出来る人間はいますよ。こいつにだって」
 答えたのは恭一だった。孝志はまだ固まっているようだ。
「ただ自信がないだけです」
 恭一は情けないという目で弟を見ていた。その視線には敏感らしく、孝志は不満顔になる。
「今まで仕事はしたことないの?」
「ありますっ」
 恭一の視線ではっとしたのか、孝志は必死な様子で泉に答えている。
「でも、あんなに難しいものは…」
「難しくない」
 弱気を見せる孝志を恭一は斬り捨てる。
 それにまた孝志は腹が立つのだろう。ぎっと鋭い目で兄を睨み付ける。
 二人とも苛々が募っているようだ。
(親父はこんな感じだったな)
 理解出来ないことは相手の非である。理解力がないせいだと思い、自分から歩み寄ることはなかった。
 学び取る側にもそれなりの能力が必要だろうが、自分とは元々からして才が違うのだということを、そういう点では分かっていなかった。
 弟子はそんな態度の父を傲慢だと、人を見下していると言っていた。
 互いに分かりあえず。摩擦だけが増えていく。だから父は弟子をとらないと公言していた。
 それでも弟子希望は次から次へと来るので、随分辟易していたものだ。
 朝日奈には分からないのだ。
 無力さを噛み締める、その苦しさが。
「依頼人はなるべく急いで欲しいって言ってる」
「なら急げよ」
「兄貴!!」
 素っ気ない、淡々としている兄に孝志は一歩踏み出した。
 どうしてもお互いが折れず、喧嘩寸前のようだ。
「俺は朝日奈さんのところで学びたいことがあるんだよ」
 恭一はそんなことをさらりと言った。
 だが泉にしてみれば初耳だ。
 何か教えて欲しいと言われただろうか。そんな台詞は昨日から一度も出てないし、素振りもなかったのに。
「最近そればっかりじゃねぇか!入り浸って!」
 ああ、やはり家族からしたら気になるのだろう。
 兄が誰かの家に入り浸って、休みのたびに帰って来ないなんて心配だろう。
「朝日奈さんに近付けたのか嬉しいのかも知れないけど!仕事もちゃとしろよ!」
「してるだろうが。嫌がったことなんて一度だってない」
 恭一も自分の仕事に誇りと生き甲斐を持っていると言っていた。なのでいくら泉と一緒にいたいからと言って、仕事を放置するような人ではない。
 だから今回は本当に、恭一に指名された仕事ではなかったのだろう。
「でも休みのたびにここに泊まって!本当は弟子入りしたんじゃないのかよ!?」
「してねぇよ!朝日奈さんは弟子取らないって知ってるだろ!?」
 そう恭一は怒鳴る。
 けれどこれだけの頻度でここに泊まりに来ていれば、弟子入りしたのではないかと疑われるのも無理はないかも知れない。
「羨ましいからってわめくな!」
 そう恭一に叱咤されると、孝志はぐっと拳を握った。
「羨ましいよ!」
「え?」
 泉が思わず奇妙な声を上げてしまった。
 なんだそれは。
 ここに泊まることはそんなにも羨ましいことなのか。
 恭一もずっとここに泊まること、同居することにこだわっていたけれど。弟までここに特別な意味を感じているとは。
 自分が美化されている、もしくは雲の上に上げられているようで居心地の悪さを感じた。



 


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