「弟子はずっと、取らないままなんですか?」
 制作技術の教授をぽろりと零すと、恭一は泉が一人で人形制作を続けていることに関して口を開いた。
「そんなに気になる?」
 恭一には前から弟子のことに関して訊かれていた。
 自分が弟子になりたいのかと思ったことはあるのだが、先ほどの会話からしても違うらしい。
 篠倉も弟子を取り、人形制作に関しては技術を広めているようだから、泉が一人でいるのが気になるのだろう。
「望む人は多いと思うので」
 恭一の台詞に、泉は弟子希望を断り続けた記憶が蘇る。
 取らない。いらない、必要ないと言っているのに。頑として譲らない人間もいた。
 教えを請う立場にあるというのに、その頑なさは何だ。
 人の言うことを受け入れられない様に苛立ちを覚え、弟子に関しては口にした人間を却下し続けることに決めていた。
 泉の頭痛の種である。
「いるだろうけど、教えられないから」
 才能だけで生きている人間だ。
 技術をどうやって会得したかなんて、説明が出来ない。自分の中から生まれてきた。気が付いたら出来ていた。そんな表現しかないのだ。
「でも見せるだけでも…って人がいたら気が散りますね」
 技術は見て盗む物。
 恭一はそうやって祖父である篠倉先代から教えられたらしい。
 確かに泉も父や祖父が作業をしているのを見て学んだことは多々ある。
 けれど他人を作業場に入れるようなことはしたくないのだ。
 恋人になって、気心も知れている恭一であっても、作業中は近くにいて欲しくない。
 他人の気配は人形の声を遠ざけてしまうからだ。
 誰かに作業を見せるなんてことは出来ない。
「じゃあ難しいか」
 恭一は自分の発言に、自分で結論を付ける。
 しかし残念そうな顔をしていた。
 人形を作る、大切に思う人がもっと増えればいいのにと思っているらしいのだ。
 その気持ちは泉も共感出来た。
 けれど、弟子に関しては無理だとしか言えなかった。
「朝日奈の人間は誰かに教えることは出来ないよ。じーちゃんも弟子を取ってたけど、それもすごかったらしいし」
「すごかったとは?」
「全然教え方が上手くなかったみたい。じーちゃんの言っていることの大半は、お弟子さんたちには理解出来なくて、苦労してた」
 子どもの頃の記憶を呼び起こすと、祖父と弟子との不毛なやりとりが思い浮かぶ。
 祖父は軽々と作業をこなし、人にも簡単なことのように教えていた。多くの言葉は使われず、ここをこうすればいいだけだと指の動きなどで教えていた。
 けれど教えられる方は、どこをどうすればいいのか、どんな具合なのか、どんな基準でそれを判断するのかなどさっぱり分からなかったらしい。
 そもそも頭で理解して人形を作る人と、勘と才だけで作る人間とは根本からして違いすぎるのだ。
 同じ場所に立とうとしていること自体間違いだ。
「周りの人はもどかしいらしくてさー。その上子どもだった僕には出来るわけじゃない。かなり悔しかったみたい」
 散々苦労をして、努力をして祖父から何かを学び取ったとしても。幼い泉はそれをするりと飛び越えて上に行ってしまうのだ。
 大人であったのなら嫉妬と羨望を向けられたかも知れない。
 けれど小さな子どもにそれをされると、大人たちは困っただろう。
 嫉妬など大人げない。けれど苛立ちは生まれてくる。悔しい、自分が情けない。そんな気持ちに苛まれたことだろう。
 子どもだった頃は、弟子たちの視線は突き刺さり、痛いものだった。
 ぎらぎらとした目は恐怖を覚えるのに十分で、弟子たちが集まっている場所には行かないように気を付けていた。
 幸い自宅の作業場と弟子たちの作業場は違っていたので、気を付ければほとんど会うこともなかった。
 ただ、時折見えるその姿が、怖くて。
(まるで…)
 泉の記憶の中に、強い瞳が浮かんでくる。
 あれは誰の目だっただろう。
 顔は思い出せない。子どもの頃の泉にとって人間の顔などに価値はなかった。だから覚えようともしなかった。
 けれどそんな中でも特別印象に残った、あの目。
 過ぎる嫉妬は殺意に近いものになる。
 今はそう思えるけれど、同時は怖くて仕方がなかった。
(捕まったら、殺されるとまで思ったもんな)
 実際、弟子たちの中に混じって生活をしていればどうなったかは分からない。
 人をねたむ気持ちは、心を狂わせる。
「じーちゃんですら苦労したのに、僕みたいな若造が出来るわけないよ」
 幼くては、若くてはあの嫉妬に飲み込まれるかも知れない。
 そうでなくとも、あの強すぎる視線は、恐ろしい。
 人に物を教えるということは威厳も必要なものだろう。
 泉のようにちゃらちゃら生きている人間が出来ることではない。
 せめて年という重みがなければ。
「それに、ここは僕の体内みたいなものだから。他人は入れたくないしね」
 自分が作業をするならここだ。
 なのでもし教えるのもきっとここになることだろう。
 けれどここは、他人を招きたい場所ではない。
 そう告げると恭一が笑んだ。
 泉にとって自分は特別な人間だと、改めて感じているのかも知れない。
 さっきは拗ねていたというのに、そのご機嫌な様に泉は隠れて笑ってしまった。
 拗ねて、喜んで、全く忙しい子だ。



 制作が終わった次の日は何もしないと決めている。
 それまで散々酷使した身体を休めるためだ。
 昼と夜が逆転するのも、食事を忘れるのも当たり前だったので、その辺りを正常に戻すためでもある。
 本来なら制作が終わった直後からそれを実行するのだが。昨日はろくに出来なかった。
 恭一が側にいて、何かとくっついてきたからだ。何日も人肌に触れていなかった泉は温度が欲しくなって、そのままベッドになだれ込んだ。
 幸い風呂が終わっていたので良かったのだが、当然のごとく抱き合った後は泥のように眠った。体力の限界が近付いてきていた上に、更に激しい運動をしたのだ。
 最後には指を動かすことも億劫過ぎて出来なくなっていた。
 そんな前日を引きずる今日、当然だらりとした時間を過ごしていた。
 泉は目覚めた時からベッドの中でごろごろとしており、真新しいダブルベッドの感触を味わっていた。
 恭一と共に選んだものだが、とても寝心地が良い。
 一人でいる時は一階の自室で眠っているため、この感触は恭一がいる時でなければ得られない。
 一人でダブルベッドに寝る勇気は今のところないのだ。どうしても恭一を思い出すので、なんだか居たたまれない。
 家にいなくとも部屋に存在感を強く残す恭一は、今朝から泉の傍らで機嫌良さそうにしていた。夜中まで睦み合った甘さを今朝まで続けているようだった。
 泉もそれは嫌ではないので、何かとじゃれついたが、さすがに昼になるとベッドにいるのも飽きてくる。
 世間が昼飯をとるだろうという時間になってようやく、二人は気持ちの良いベッドから出る決意をした。
 恭一と一緒に軽く昼飯を作り、腹を満たしてコーヒーを入れようかという時だった。
 部屋の電話が鳴った。
 外線がそのまま泉の自宅に繋がることはない。
 一端小桃がいる、接客用の家に電話が入るのだ。小桃が応対して、泉の判断が必要なものだけがこちらにかかってくる。
 完成した人形の依頼主だろうか、そろそろ出来上がるとこの前連絡したばかりだ。
 受け渡しはいつにしようかと思いながら電話を出た。
『お客様が家の前までお越しです』
 小桃が困惑した声でそう言った。
 そこで泉は首を傾げる。
 ここが朝日奈の家だと知って、押し掛けてくる無礼者は時折現れる。
 何を依頼に来ているのかは知らないが、泉は何の連絡もなしに訪れる人間の相手はしない。
 勝手に自分の都合でやった来た者を、どうしてわざわざ時間を割いて相手しなければならないのだろうか。
 今はゆったりと過ごしているけれど、作業中だったのならそんな情報を耳に入れることすら時間の無駄だ。
 なので小桃には、アポなしでくる人間は追い返せと言っている。
 それをよく理解しているはずなのだが、どうして電話をよこしたのだろう。
「誰?」
 小桃がこうして泉に判断を委ねるのだから、相手はただの人間ではないのだろう。
 相手を尋ねると『それが…』と困惑を強くした。
『篠倉孝志様と仰られておられます』
「あーなんか知ってる」
 泉の記憶に引っかかる名前だ。
 篠倉というからには、恭一の関係者なのだろう。
「たぶん、恭一君の親戚だよね」
 そう口にすると、コーヒーを入れようとしていた恭一がこちらを見た。
 怪訝そうな顔だ。
 どうやら恭一も予想していなかった事態らしい。
『弟君のようです』
「あ、そうそう」
 篠倉の情報は泉もある程度知っている。懇意にしていたからだ。
 恭一と付き合うことになって更に親しくなったけれど。家族の話題が出ても名前までは聞いたことがなかった。
 あっても、妹が、弟が、という言い方をしていたのだ。
「恭一君。君の弟が今うちに来てるらしいよ」
 こちらをうかがっていた恭一にそう告げると、表情が一変した。
 それまで穏やかだった顔は、急に険しいものへと変わり、怒りがぶわっと溢れ出したようだった。
 あまりの変わり様に、泉の方が驚かされる。
「あの馬鹿が」
 地を這うような、低い声だ。
 恭一はコーヒーメーカーを放置して、玄関に向かう。どうするつもりなのかと、泉も電話を切って慌てて後に続いた。
「あいつどういうつもりだ。泉さんがアポなしで会ってくれる人じゃないことくらい知ってるだろうに」
 酷く苛立ちながら、恭一は玄関で靴を履いていた。
「君に会いに来たんじゃない?」
 恭一はとても怒っているようだが、泉は何の感情もさしてなかった。
 きっと弟の目的は泉ではなく恭一だ。休みになるとここに泊まることを家族ならきっと知っているだろうから、何か急な用事でも出来たのだろう。
「それなら来る前に携帯で連絡するなりすればいいんだ」
「君、携帯は?」
 ここに来てから、恭一が携帯電話を手にしているのを見ていなかった。
 ずっとほったらかしにしていたような気がする。
 案の定恭一は端と我に返ったように、明後日の方向を見た。
「…うるさいからって電源切って鞄の中ですね」
「だからじゃない?」
 やっぱり、と泉は苦笑する。
 連絡が取れないから、焦れてこの家にまで来たのだろう。
 それなのに怒っているなんて、しょうがない兄だ。
「だって邪魔されたくなかったんです」
 自分の非を認めつつ、素直に謝りたくないらしい人はそんなことを小声で言った。
 そんなにこの家で過ごす時間は大切なのだろうか。
 つい嬉しいと思ってしまい、泉は心の中でまだ見ぬ恭一の弟に「ごめんね」と謝罪した。



 


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